③本当に、とどまりますか? >はい いいえ

「命で償ってもらうからな♪」

 噴水の前から小春の耳に届いたのは、世界で一番フレンドリーな処刑宣告。

 刑場へ目を向けた小春が見たのは、女神のように笑うミケランジェロさんだった。


 フッ!

 パンケーキをひっくり返すような声を発し、ミケランジェロさんが大きく反る。梅宮改を抱えたミケランジェロさんが、イモでも引っこ抜くように反る。

 鋭く風を切る音が鳴り、小春の目前――あと一㌢鼻が高ければ顔だった至近距離を、カカシほどもある残像が横切った。

 激烈な風圧にさらされた顔が、竜巻に当て逃げされたようにプルプル波打つ。刹那、噴水から隕石っぽい落下音が轟き、背高せいたかの水柱が街路樹を見下ろした。


 一体何が起こった!?

 バスがバーさんでもね飛ばしたのか!?

 乱れた髪も直さずに飛び出し、小春は高く波打つ噴水を覗き込む。

 逆さになり、足をV字に開いていたのは、白目をいた梅宮改だった。

 完全に水没した頭が、ワカメのように前髪を揺らしている。


 梅宮改にバスが突っ込んだ!?

 では奴と抱き合っていたミケランジェロさんは!?

 119とスマホのボタンを押しながら、小春は抱擁の存在した地点に視線を飛ばす。


 カール・ゴッチばりのブリッジがあった。


 弓なりになった胴体から乳が突き出た様子は、ちょっとエアーズロックっぽい。あの状態で動き出したら、完全にワイアット・ファミリーの人だ。


 whatホワット? whoフー? whyホワイ? Whenフェン? whichウィッチ? howハウ

 ここは新日しんにちの道場か?

 闘いのワンダーランドか?

 いや、恋人たちで溢れる広場だ。

 状況の掴めない小春は、ともかく梅宮改が吹っ飛ぶ直前に撮影した写メを確認してみる。

 ミケランジェロさんが奴に、投げっぱなしのスープレックスを仕掛けていた。


 心霊写真の一種?

 偶然、異界の光景を激写してしまった?

 何にせよ、月9のワンシーンにしては刺激的だ。

 むしろ東スポの一面が相応ふさわしい。「ミケランジェロ政権誕生!」的な。


「この私を三二秒も待たせやがって♪ どうやら教育が足りねぇみてぇだな、コラ♪」

 清流のように澄んでいるのは、リズミカルな恫喝だけ。

 ミケランジェロさんが噴水に突進していく音は、大砲が撃ち合っているようだった。

 手早く梅宮改を水揚げしたミケランジェロさんは、あろうことか奴をガードレールに叩き付けた。ビ~ン! と鉄パイプを地面に叩き付けたような音が長々続き、小春の奥歯を鈍く揺さ振る。


 あ、あれは恋人同士のじゃれ合いだろうか?

 いや、金属製のガードレールがぶらんぶらんと揺れている。

 四角いジャングルのロープばりに揺れている。

 あれがじゃれ合いなら、日本男児の平均寿命は二〇歳はたちを切っているはずだ。


「アタイの一秒はテメェの一生より重いんだよ、コラ♪」

 恐ろしい暴論を吐くと、ミケランジェロさんは奴をガードレールに寄り掛からせた。

 即席のリングポストに囚われた奴は、ぐったりと四肢を伸ばしている。金属に頭を強打したことで、魂が身体を離れてしまったのかも知れない。


「おねんねには早いぜ、コラ♪」

 大きく足を振り上げたミケランジェロさんは、奴を踏み付け、踏み付け、踏み付ける。凄い。表情のパターンが笑いと笑いと笑いしかない。ああも表情を変えずに他人様ひとさまをタコ殴りにする奴は、「ロッキー4」のソ連人以来だ。

 身の危険を感じたのか、小春の脳内でディナーショーを開催していた小田おだ和正かずまさが、舞台袖に避難する。

 入れ替わりに鳴り始めたのは、「ハーツ・オン・ファイヤー―炎の友情―」。

 雪山の頂上に様変わりした頭の中で、スタローンが吠えている。


 目の前の光景は何だ?

 スクルージさん的な幻?

 慌てん坊の「クリスマスキャロル」?

 それとも自分が知らないだけで、今までも「エクスペンダブルズ」的な日常が繰り広げられていたのだろうか?

 判らなくなってきた小春は、彼女に付いておさらいしてみる。


 ドラゴ……じゃなかった、ミケランジェロ・フォレストさん。

 ファッションと料理の国、イタリアから来た留学生だ。

 肉欲まみれの野郎共が付けたあだ名は、「人間山脈」。

「F」antasticファンタスティックなお胸は、片故辺最大の標高を誇る。一人と言うには大きすぎるが、二人と言ったら生徒数の辻褄つじつまが合わない。


 片故辺かたこべには梅宮改の他にも、何人か容姿に恵まれすぎた生徒がいる。

 勿論もちろん、ミケランジェロさんもその一人だ。

 男子の目が自然と女子に向く二月一四日には、教頭までもが彼女の動向を追っていた。


 魅力的なのは、容姿だけではない。

 故障したクーラーのせいで教室がサウナになっても、男子が胸をチラ見してきても、人間の出来た彼女は笑みを絶やさない。

 成績も優秀で、古文の答案には「90」の数字が輝いていた。純日本人の小春と佳世がタッグで挑んでも、太刀打ち出来ない数値だ。


 一度ひとたびつややかな唇を開けば、清らかな声がハミングするように弾む。長州ちょうしゅう橋本はしもとばりに連呼している「コラ♪」も、グラスハープの音色にそっくりだ。

 ただ「何とか薄命」の例に漏れず、身体はあまり強くない。

 保健室の利用頻度は片故辺かたこべ一で、今日も二時間目の終わりに教室を出て行った。肝臓の辺りを押さえていたが、もう具合はいいのだろうか。


 お弁当には欠かさずシジミのみそ汁を持参し、キャベジンやウコンを愛飲する――。

 虚弱体質を絵に描いたような彼女に、男子の顔面をサンドバッグにする力があるとは驚きだ。もう神取かんどりvs天龍てんりゅうみたいだもの。フルボッコしてるのは女子のほうだけど。


「そろそろ引導を渡してやるぜ、コラ♪」

 明るく殺害予告し、ミケランジェロさんは梅宮改の手を取った。心底楽しそうに「スパルタンX」を口ずさむ彼女が、奴を引き上げながらゴミ箱によじ登っていく。

 素早く梅宮改の背後に回ったミケランジェロさんは、輪のようにした腕で奴のそれを固める。

 完全にタイガースープレックスの構えだ。

 小春にはもう、風にはためく彼女のストールが、タイガーマスクのマントにしか見えない。

 ま、まさか、レンガを敷かれた地面に梅宮改を叩き付ける気か!? ゴミ箱の上から!? 死んでしまう! 路上でフォールしても、王座は獲得出来ない。得られるのは前科だけだ。


「み、右ポケット……」

 うめくように促したのは、今の今まで黙って暴行を受けていた梅宮改だった。よかった。まだ息はあるらしい。

「ジャケットの右ポケットを改めちゃって下さい」

「右ポケットだぁ?」

 ミケランジェロさんは舌を鳴らし、梅宮改のポケットに手を突っ込む。

「このアタイにわざわざ手間ぁ掛けさせてんだ♪ つまらねぇもんだったら、脳天を地面に叩き付けてやるからな♪」

 脅迫を終えたミケランジェロさんは、梅宮改のポケットをまさぐり、まさぐり、まさぐる。脂ギッシュな痴漢がOLの胸を揉むような手付きが、梅宮改の顔に嫌悪と恥辱を滲ませていく。


「お♪ お♪ お♪ こいつぁ命の水じゃねぇか♪」

 口笛に歓声を続け、ミケランジェロさんは奴のポケットから手を引き抜く。

 直後、小春の目に飛び込んできたのは、天高くかかげられたワンカップ大関だった。

「ったく、早く出しゃあいいんだよ♪」

 ご機嫌な口調でねぎらい、ミケランジェロさんは梅宮改の背中を叩く。ゾウがずっこけたような音が鳴り、バランスを崩した奴がゴミ箱の上から転げ落ちた。


「よ、喜んでもらえて嬉しいっス、旦那」

 あの梅宮改が揉み手し、必死に愛想笑いを浮かべている……。

 確かにミケランジェロさんは「特別」だ。

 しかし、これを佳世に見せてもいいのだろうか?

 スープレックスの写メなんか見せた日には、間違いなくAEDが必要になる。

 万が一、ロバート・キャパも真っ青な一枚が流出したら? ミケランジェロさんは第一作目のランボーばりに孤立する。もうトラウトマン大佐……じゃなかった、プロレス同好会しか手を差し伸べない。


 小春はようやく、奴が敬語を使う理由を理解した。

 大切に想ってる? aikoアイコ辺りに毒されるのも大概にしろ。

 尊敬? パシリがパンを買いに行く理由をそう呼ぶなら、間違いではない。

 容赦なく硬いレンガに脳天を叩き付けようとする――そんなリアル「マッドマックス」な御仁にタメ口いたら、バイクの後ろにくくり付けられて、市中を引きずり回されかねない。


「ぷは~♪ やっぱこの時期はポン酒に限るぜ♪」

 アルコール度数一五度の液体をイッキしたミケランジェロさんは、豪快に袖で口を拭う。

 彼女の故郷イタリアでは、一六歳から酒が呑める。

 しかし、ここはJAPANだ。

 ましてや、花も恥じらう乙女が往来でワンカップをガブ飲みするなど、二〇歳はたち過ぎてもやるべきではない。クラスメイトとしては注意すべきだ――が、小春は長生きしたい。


「ワンカップに免じて今日は許してやる♪ ただし次はねぇからな、コラ♪」

「次回からは前日に来ちゃいます」

 ミケランジェロさんの足下にひざまずき、梅宮改は何度も頷く。赤べこのように頭が上下する度、びしょ濡れの前髪から真っ赤な水滴が飛び散った。恐らくガードレールと激突した時に、頭をかち割られたのだろう。


「オラ、行くぞ♪」

 顎でビル群を指したミケランジェロさんは、悠然と広場の出口へ向かう。

「へへ……、喜んでお供させて頂きやす」

 少しでも遅れたら、暴行を受けると確信しているのだろう。

 梅宮改は自分が立ち上がるのを待たずに、不格好なクラウチングスタートを切った。


 小春の記憶が確かなら、二人の進行方向にはホテル街がある。

 とは言え、これから不夜城にしけ込むとは思えない。

 あの二人の関係性は彼氏彼女と言うより、レスラーと付け人だ。これ以上パパラッチしても、望みの写真をフライデー出来る可能性は限りなく低い。


 では一度出直し、マダムとのデートを待つか?

 嫌だ。今晩眠れない。

 完璧なブリッジを披露し、往来でワンカップ大関をかっ食らう――。

 穏和で品行方正な彼女に、一体何があったのか? 学園の彼女と同一人物なのか? せめ双子の姉妹でないことくらいは確かめたい。

 本来の目的からはズレているが、ここで追っても損はない。最悪、不夜城の前を通り過ぎているところを激写し、不適切な関係を捏造すると言う手法もある。

「……続行だ」

 決断を口に出すと、小春は今晩の熟睡を担保すべく追跡を再開した。

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