第三章『抜け道だらけの密室』

①I Won't Do What you Tell Me

 週末の酒場は、喧騒に包まれていた。

 人々がせかせかと石の床を踏み付ける音が、改には音痴な「天国と地獄」に聞こえる。ぎゅうぎゅう詰めの世間話が駆け足なのは、運動会でお馴染みの旋律に煽動されたからだろうか。ハメを外した人体から放たれる熱気は、冷えたビール瓶をびしょびしょに結露させていた。

 腕捲うでまくりした店員は汗だくになりながら、ビアサーバーと客の前を往復している。急ぎ足の彼が黒ずんだ木棚の前を横切る度に、お行儀よく並んだボトルたちがかたかた震えた。


 店内は教室を倍にした程度の広さで、不規則にマストを模した木柱が並んでいる。

 ビア樽にクッションを貼った椅子。使い古しの外板がいはんに支えられたカウンター。チークで出来た壁には、ともづな――船を係留するための綱が飾られている。

 船室風の光景を目に焼き付けた改は、少しの間、まぶたを降ろしてみる。喧騒の生む揺れに身体を任せると、酔客のわめき声が雄大な波音に変わった。ホップの香りに爽やかな潮風が混じり、はつらつとした陽光が胸の中を照らしていく。


「連絡してよ~」

甘い声でおねだりし、ミニスカの女子大生が改の腕に絡み付く。

「しちゃうしちゃう」

 生返事しながら手を振り、改はミケランジェロさんの待つ席に戻った。

 樫の丸いテーブルを中心に、半径三メートルの無人地帯が出来ている。身体をはすにしなければ進めないほど混雑した通路と、同じ店の中に存在するのが信じられない光景だ。

 F乳えふちちにホイホイされるはずの男性陣は、遠巻きに彼女の様子をうかがうばかり。強張こわばるあまり無表情になった顔は、脱走したライオンにでも遭遇したかのようだ。


 ……あれだけやらかしゃ判るわな、関わっちゃいけない人だって。

 心の中でボヤき、改はストレス性の痛みにさらされた胃を押さえる。


 お前たちに抱かれるほど安かねぇぞ♪

 ↑ナンパしてきた勇者一行に、開口一番喰らわせたセリフだ。


 バラモスも腰を抜かす剣幕で立ち上がった彼女は、唖然とする勇者一行に突進していく。哀れ首根っこを掴まれた勇者たちは、次々と店外にバシルーラされていった。ゆうしゃよ、こえをかけてしまうとはなにごとだ。ぱふぱふしようとしたのはゾーマだぞ。


 大魔王の狼藉は、勇者に暴行を働いただけではない。

 申しわけありません。ウチは外国のビールしか置いてないんです――。

 陳謝する店員さんに対し、「誠意? 何それおいしいの?」な大魔王は言い放つ。

 四の五の抜かさずにエビスを買ってこい♪

 可憐に微笑んだ大魔王は、椅子を振り上げ、店員さんを脅迫する。改の土下座がなければ、彼女は今頃、取調室でカツ丼を堪能していたことだろう。


 柔和な美貌に騙されてはいけない。

 ミケランジェロ・フォレストさんとは、キティちゃんの着ぐるみを着たチャーリー・シーンだ。下手に近寄ろうものなら、容赦なくノーコンな豪速球を投げ付けてくる。


 ――日本とサハラ砂漠、どっちに行きたいですか?

 担当する案件を選択させる際、姫君は笑顔で訊いた。

 なぜ疑わなかったのか、改は自分の浅はかさを嘆かずにいられない。

 選択を求める以上は釣り合っているべき二択が、バキューモンとダリーを天秤に乗せたようになっている。


 かたや惑星を喰う暗黒怪獣

 かたや体重〇.一㌘の宇宙細菌。

 釣り合うどころの話ではない。

 もう天秤が投石器になって、ダリーがかに座まで飛んでっちゃうレベルだ。

 ワイルドシングなキティちゃんと組まされると知っていたら、改はスキップでサハラ砂漠に向かった。仕事を選ばないことに定評のある改でも、サンドバッグの代役だけはゴメンだ。


 とは言え、嘆いていても代わりはいない。

 スケープゴート……ゴホン、おりを務められそうなメンバーは、各地に避難……ゴホン、別件に当たっている。ことあるごとにボコスカ殴られるのはたまったものではないが、流石さすがにユーコン川やコスタリカまで手綱を渡しに行く気力はない。


 大魔王の驚異から解放されるには、一刻も早くもめ事を解決するしかない。

 大団円が先か、パンチドランカーになるのが先か、ここからは時間とのリアルバウトだ。

 覚悟を決めた改は、スマホに遺書をしたため、席に着く。

 ――やめろ! 命を粗末にするな!

 見ていられないと涙を滲ませた男性が、口パクで訴え掛ける。何かもう、ジョーズの水槽に入ろうとしてるみたい。


「『ヴァルシュタイナー』ですか。ドイツのビールですね」

 改はテーブルの上からビール瓶を摘み取り、左右に振ってみる。残り少なくなったビールがか弱く波打ち、水琴窟すいきんくつのように硬い水音を漏らした。

「エビス最強説をすミケランジェロさんにしては、進んじゃってるんじゃないですか?」

「少し苦ぇけどな♪」

 不服そうに返した彼女は、小皿のアーモンドを口の中に弾き飛ばす。


 最低限の世間話を終えた改は、早々に本題を切り出す。

「やっぱ、あんま評判がよくなかったみたいですね」

 改は卓上のグラスからポッキーを引き抜き、カウンターを指した。

 カンテラに照らされた端の席に、パンクロッカーもどきの長髪が座っている。

 

 中條ちゅうじょう澄人すみと


 もめ事の鍵を握っているかも知れない男だ。


 襟や袖に豹柄の使われたツナギに、松崎しげる色まで焼いた肌。威圧的に開いた胸元からは、トライバルマークのタトゥが見え隠れしている。

 満点だ。

 どこに目を向けても、関わりたいと思えない。


 通り掛かる女子にちょっかいを出しては、バカ笑いする脳天気な姿――。

 取り巻きが二人も襲われていると言うのに、まだ自分は安全だと思っているのか。そっと見張るのに、これ以上楽なターゲットはいない。狙う側にしてみても、無防備な彼は格好の獲物だろう。


「悪酔いしては大騒ぎ。他の客に絡むわ、女子に付きまとうわ、やりたい放題だったとか」

 店中の女性客から収集した情報を告げ、改はポッキーを入口の上に向けた。

 クモの巣状にひび割れたカンテラが、ガムテープで補修されている。庶民的な修理法は、船室を意識した店内の雰囲気を、木っ端微塵にぶち壊していた。

「注意して、逆ギレされて、ケガさせられちゃった店員さんもいたとか。この辺りのお店には、ほぼ出禁喰らっちゃってるみたいです」

「酔っ払って大暴れか♪ 典型的なクズだな♪」

 ↑目くそ鼻くそを笑う。

 カンテラを割る? 中條はまだ良心的だ。目くそは永久歯をへし折っていく。


「大変ですよねえ、負け組……ゴホン、個性的な容姿の皆さんは。メアドなんてポケットティッシュより簡単に手に入るもののために、ストーカーの真似事をしないといけないなんて」

「あの小娘もポケットティッシュか♪」

 鬱陶しそうに吐き捨てたミケランジェロさんは、顎で斜め前を指す。

 荒い鼻息で曇った丸窓に、片故辺かたこべの制服を着た少女がへばり付いていた。

 未成年、しかも学生を主張しまくる服装のせいで、入店を断られたのだろう。

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