②ここにとどまりますか? >はい いいえ

 構内を走っていると、やけに男女の組合せが目に付く。片故辺かたこべの制服を着た少女は、くすぐったそうに笑みを滲ませながら、背の高い彼氏を眺めていた。

 何が楽しいんだ……!

 同姓には決して見せない顔を眺めていると、小春の心はウザったそうに野次を飛ばす。同時に理由も矛先も不明瞭な苛立ちが胸を焼き、地面を蹴る音を乱暴にしていった。


 男子なんて、週一で中身が判らないように梱包された配達物が届く生き物だ。

 女子の胸と尻しか見ていないのは、某スケコマシ限定の習性ではない。

 買い物に付き合い、茶を飲み、メシを食う?

 奴等にとっては七面倒な下準備に過ぎない。

 本番はあくまでも、都心の不夜城をリングにしたマウントポジションだ。

 一戦交えたいだけのサル共に貴重な時間を浪費させられているのに、なぜどいつもこいつもヘラヘラしていられるのか? 三分以内にメールを返すのも、キラキラした指輪も、リングに上がってもらうためのゴマすりだと判らないのだろうか。


 まあ、小春にも人肌を求める気持ちが判らないわけではない。

 この時期隣が空っぽだと、ただでさえ寒々しい外気が風当たりを強めるのは事実だ。

 でもそれなら、同姓を横に置けばいい。

 女同士なら、ファッションだのトイレだのと鬱陶しい心配をする必要もない。純粋に映画を観賞して、お茶を楽しんで、ウィンドーショッピングに全力投入出来る。人間の自由意志を尊重する日本国憲法は、「女の横は男しか歩いちゃいけない」なんて規定していない。


 誰と誰が付き合ってる――。

 誰が誰に気がある――。

 クラスメイトの九九㌫が、恋愛と言う題材に声のトーンを上げる。

 誰も彼も雑誌やテレビに洗脳されすぎだ。

 人を想う気持ちは尊い?

 大切な誰かの存在が自分を成長させる?

 世間はやたら恋愛をプレミア扱いしているが、所詮は繁殖を促す本能に過ぎない。本能に従ってワーキャー泣き笑いするなんて、発情期のおイヌ様と同じではないか。


 こそばゆそうに肩を揺すり、脇の下がくすぐったくなるような声で笑う――。

 小春は今日始めて、そんな佳世と出会った。

 リップしか引いていないはずの佳世は、安っぽい化粧品のような臭いを漂わせていた。脳髄がとろけそうな甘ったるさに、小春は危うく吐きそうになった。


 悔しいが、認めよう。

 佳世は梅宮改に変えられてしまった。

 でも、まだ間に合う。

 佳世は自分とミケランジェロさんを比べて、顔を曇らせた。

 客観と理性が残っている証拠だ。

 断じて色恋などと言う不毛な駆け引きに、佳世を巻き込んではいけない。

 佳世にあの女のような、男に取り入る姿は似合わないのだ。


 小春が自分に言い聞かせた矢先、急ぎ足の奴が駅を出る。

 慌てて後を追うと、イルミネーションと化した並木が小春を見下ろした。

 澄んだ冷たさが肌を刺し、吐く息がより白くなっていく。唇まで垂れた鼻水をすすると、乾いた樹皮じゅひの臭いが肺に届いた。


 終日晴れの予報通り、夜空には雲一つない。

 とは言え、星の存在感は稀薄だ。

 メガネ屋までもが電飾で着飾った街並みは、下手なシャンデリアよりも眩しい。人為的な灯りより遥かに弱い星々が、なすすべもなく掻き消されてしまうのも無理はない。


 天体観測の難しい都会で生活している内、空に輝きがあることを忘れてしまったのだろうか。

 駅前の銅像に集った人々は、こぞってうつむき、スマホと見つめ合っている。

 待ち合わせの定番であるそこは、歩くだけで汗の垂れてきた季節より明らかに混み合っている。忘年会には少し早い気もするが、小春の考えていた以上に勇み足な人は多いようだ。


 小春の予想を裏切り、梅宮改は♀でごった返した銅像を素通りしていく。

 更に五分ほど進むと、奴は公園の中にある広場で足を止めた。

 人混みを掻き分け、掻き分け、何とか奴に付いて来た小春は、藪に身を潜め、様子をうかがう。

 花壇で丸く仕切られた空間に、西洋の庭園っぽくレンガが敷かれている。

 一週間前まで枯れた蔓しか巻き付けていなかったアーチは、ネオンカラーの電飾に縛り上げられていた。モンブラン型の噴水も、いつの間にか七色にライトアップされている。


 一一月まで酔い潰れたサラリーマンのベッドだったベンチは、すっかりカップルの溜まり場。そこかしこで互いの身体をついばむようなスキンシップが繰り広げられている。向かいのオープンカフェから聞こえてくるジャズが、恋人たちの気分を高めてしまったのかも知れない。


「お、お待たせしちゃいました~」

 引きつった笑みを浮かべた奴は、ガス燈を模した街灯に向け、小さく手を振る。入れ食い状態の銅像に目もくれなかったと思えば、今宵の獲物は既に確保してあったらしい。

 さて待ち合わせのお相手は、黒服を従えたご婦人か?

 はたまた和服姿の後家さんか?

 小春は藪から身を乗り出し、奴の視線を追う。

 その瞬間、目に飛び込んできたのは、淡い光に照らされた少女だった。


 寒さのせいか頬を赤くした彼女は、いじらしく手に息を吹き掛けている。

 一七〇㌢に達する長身もさることながら、緑がかったクリーム色の髪――。

 間違いない。

 ミケランジェロさんだ。


 白いニットワンピに赤いストールを羽織はおった彼女は、制服の時以上にフェミニンな空気を漂わせている。

 ウールのベレー帽にロングブーツを組み合わせた姿は、大人向けのファッション誌に載ってもおかしくない。脳内フォトショで梅宮改を合成すると、パリの似合うカップルが完成してしまった。

 片故辺学園全女子の憧れである美脚は、緑のタイツに包まれている。絶妙に脂肪の付いた太ももは、テンピュール枕以上に寝心地がよさそうだ。緑、白、赤と言う配色は、やはり故郷の国旗を意識したのだろうか。


 青白い光に照らされた横顔は、聖母像のように柔和だ。

 薄くくぼんだ口角に、かすかに覗く白い歯。曲線的な双眸そうぼうは常に目尻を垂らし、エメラルドグリーンの瞳から温かな光を放っている。語彙ごいも感性も小春以上の佳世は、常に微笑みを絶やさない彼女を「隣の家のお姉さん」と形容していた。

 ふんわりカールしたボブカットは、三つ星レストランのカルボナーラを彷彿とさせる。肉厚の唇は、さしずめパンナコッタ。わざわざ触れる必要はない。ただ視線を囚われているだけで、瑞々しい弾力が指先を包み込んでいく。


 ある意味で顔以上に目を引くのが、チェリー共を抹殺するのに特化したスタイルだ。

 舶来品のボディには、夢と浪漫とくびれと膨らみが詰まっている。中でも、真ん丸く実った胸部の脂肪はメロンのようだ。


 一通り彼女を検分した小春は確信する。

 自分の目に狂いはなかった。

 恋と言う登山において、ミケランジェロさん以上の難所はない。もはやエベレストを通り越し、オリンポス山だ。太陽系の最高峰だ。標高二五〇〇〇㍍だ。彼女が恋敵と知った時、世の女子はもれなく下山を余儀なくされる。


「……遅い♪」

 少しだけ笑みを曇らせ、ミケランジェロさんはつま先を前後させる。

「す、すみません! ミケランジェロさん!」

 狼狽うろたえながら謝罪した奴は、背筋を伸ばし、不機嫌そうな彼女に駆け寄る。やけにもつれる足は、五歩に一回の頻度でつまずきそうになっていた。


 志麻しまもとい極妻ごくつまが現れなかったのには拍子抜けだが、裏は取れた。

 女教師まで「ちゃん付け」の梅宮改が、「さん」と呼ぶ?

 あまつさえ少しねただけで、あたふた頭を下げる?

 奴にとって、ミケランジェロさんが特別な存在なのは間違いない。


「……謝らなくていい♪」

 切なさが極まったように絞り出し、ミケランジェロさんは固く拳を握り締める。次の瞬間、彼女は白い息を振り切るように駆け出し、梅宮改を抱き締めた。

 タイミングを見計らったかのように、ライトアップされた噴水が七色の水柱を噴き上げる。


 色鮮やかな水のアーチを背に、情熱的な抱擁を交わす男女――。


 劇的な光景に見入るあまり誰もが言葉を失い、涼やかな水音だけが広場に鳴り渡る。

 小春の脳内ジュークボックスが、「アクセルF」から「ラブストーリーは突然に」に切り替わる。同時に山ちゃんが舞台を去り、小田和正おだ かずまさがオンステージした。


 見とれてる場合か!

 甘い歌声に聞き入る自分を叱り付け、小春は二人にスマホを向ける。

 絶賛交際中の男女が抱き合うのは当然だ。

 ――が、「聞く」と「見る」のとでは威力が違う。

 一昔前のルミ子と賢也けんやも霞むハグを目にすれば、佳世も恋の打席を降りるかも知れない。


 期待を胸に、小春はスマホのシャッターボタンへ指を伸ばしていく。

 絶好の一枚を撮影しようとした――矢先、唐突に鼓膜を貫く破砕音。

 ガシャン! と鋭く大気が痺れ、広場中の人々が派手に肩を揺らす。

 何事かと目を向けてみれば、オープンカフェの店員が割れたコップを拾っている。月9的な抱擁に目を奪われている内に、手元を狂わせてしまったらしい。

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