第4話




「頼む真奈! このとおりだッ!」



 人生十六年目にして……よもや、この俺が真奈に平身低頭で頼み事をしなければならない日が訪れてくれやがるとは―――。

 あまりにも屈辱すぎて涙も出ない。

 いくら青天の霹靂でも、ホドっつーモンがあるだろう、ホドっていうモンが!



『――あのコ、オマエの何なワケ?』



 事の発端は、星先輩の、その言葉。

 あまりにも真正面から言われて面食らった俺は、咄嗟に『は?』という間の抜けた声を発してしまった。

 こちとらてっきり、こういう場面の“お約束”――いかにも人畜無害そうな表情と声で『ちょっと付き合えよ』とか何とか言われては人気のないところへ連れ込まれて『テメエ生意気なんだよ』だのどうだのと謂れのない理由で殴る蹴るの暴行を受けなければならない――を覚悟していたというのに。

 潔く諦めて腹を括った俺にとって、それは盛大な拍子抜けでしかなかった。

『「何」って言われても……』

『正直に答えてみようか、小此木クン?』

 至近距離からニッコリ微笑む先輩の意図が読めず、ぼんやりとした声で『はあ…』としか返せない。

 そんな俺に苛立ったのか、先輩が更にたたみかける。

『で、あのコはキミの何?』

『別に何でもありませんが……』

『またまた、しらばっくれちゃって。何でもない人間が、あんなに親しげに「ヒロちゃーん」なんて、呼ぶハズがないだろう?』

『それは、幼馴染みですから……』

『幼馴染み! これはまた付き合いも長そうなカンジだが?』

『そうですね。もうかれこれ十年は一緒にいますから、長い方でしょうね』

『なるほど……そうか、十年来の幼馴染み、ね……』

 ふぅうううん? という、妙に含んだものがありそうな相槌を打ちながら、そこで先輩が、ホールドした腕に更なる力を込め、より俺を自分の近くへと引き寄せた。――はっきり言って、ちょっと痛い。

 苦しさに眉をしかめてしまった俺の表情に気付いているのかいないのか、相変わらずの笑顔のままで先輩が、まるで囁くような声音で、更に訊く。



『――それだけか、ホントに?』



 ここでようやく、ひょっとして? という確信が、俺の中に湧き上がってきた。

 ――ひょっとして先輩、俺と真奈を“カレシカノジョの関係”とかって、誤解してる……?

 これまでも、真奈が万事が万事あの調子で過剰なまでのスキンシップと共に俺に絡んでくるもんだから、そういう誤解を受けたことは何度もあった。中学に上がったら途端、上級生から『見せつけてんじゃねえよ!』などと理不尽にシメられかけたこともある。

 でも、そういったことにどこまでも無頓着なのが真奈の長所でもあるし、俺も俺で、事実無根であるなら気する必要もないと、何を言われたところで一切取り合わなかったから、時間が経つにつれて噂もやがて静まってくれたし、特にクラスメイトだとか俺らの近い距離にいる人間からは、俺が真奈のパシリでしかないという事実が見えやすい分、逆に哀れまれてしまうようにまでなった。

 そんなこんなで、中学生活の大半は平穏無事に過ごせていたワケだったが……その所為で、うっかり忘れていたらしい。



『それだけです!』



 至近距離から真剣に先輩を見返して、大真面目にきっぱりと、俺は告げた。

『それ以外に何があるってんですか。十年も一緒に過ごしてきた兄弟同然のヤツですよ? 何から何まで知り尽くしてる、って相手と今サラ、とりたてて何があるハズもないでしょう』

 別に今サラ、根も葉もないことで何を誤解されよーが一向に構いやしない。

 だが、その所為で自分が痛い目に遭わされるのは、できることなら遠慮したい。

 それを避けるためならば、どんな卑怯な手を使っても、俺は力の限り全力で自己弁護する。

 あちこちに飛び交った噂が相手ではどうしようもないが、こうやって面と向かって言われたことには、語彙を尽くして否定の言葉を紡ぎ立てるのみ。

 どうやったら相手を言いくるめることができるか……もはや自分との勝負である。

『あんな常識から逸脱しまくってるハタ迷惑な幼馴染みがいる、ってだけのことで、こうやって先輩に誤解されるのは心外です。――俺、入学する前から星先輩に憧れてたのに……そんなこと言う人だなんて思いませんでした……』

 関心すらコレッポッチも無かった相手に大ウソも甚だしい限りだが、それと覚らせないよう、自分を覗き込んだ先輩から視線を逸らして俯いてみせる。

『誰に何を言われても……尊敬する先輩だけには、そんな風に言われたくなかったです……!』

 歯が浮いて緩みそうになる顎にグッと力を籠めると、さも泣き出したいのを堪えてる風に見えるよう、唇を引き結び、合わさった奥歯を力いっぱい噛みしめた。

 これで相手が罪悪感でも感じてくれたならコッチのもの。

『俺は、あんな迷惑千万な幼馴染みに振り回されてるより、ちゃんと野球に専念したいって、そう常日頃から思ってるのに……!』

『――そうか……悪かったな、小此木』

 横からその返答が聞こえてきた瞬間に、俺は表情に出ないよう心の中でガッツポーズを決め込み、自分の勝利を確信した。

『オマエが、あのコをそんなに迷惑がってるなんて思わなかったんだ』

『先輩……!』

 すかさず振り向いて浮かべるのは、俺的ハニカミMAXの笑顔。もちろん王子なみ(当社比)。

 ああいう環境破壊レベルで害を撒き散らす幼馴染みがいるのは、そうそう悪いことばかりではない。おかげさまで愛想笑いだけは免許皆伝クラスの上達をみた。

 こういう時、どうやったら笑顔だけで相手に“謝罪してもらったことを心の底から喜んでいる”っぽく自分を伝えることが出来るか、それを俺は充分に心得ている。

『ゴメンな、ちょっと言い過ぎた』

『いえ、俺こそすみません。先輩に失礼なこと言ってしまいました』

 よしよし、相手を謝らせたことだし、俺も殊勝な後輩らしく謝ってみせたことだし、これでもうこの話は終わりだろう。――と思いきや。

 謝ったクセして、先輩の腕は一向に俺の肩からはがれない。

『なら……いいよな?』

『え……?』

 終わるとみせかけて、なおも続けられる星先輩の言葉。

 聞き終えて俺は、そのあまりにも予想外な方向へと曲がってしまっていたらしい会話が見せた、これまたあまりにも想定外の到達点に、驚きも隠せずに絶句した。



『オマエが、そこまで迷惑してる相手なら……俺が手ェ出しても、別に、いいよな?』



「――つーワケで、どうやらオマエにヒトメボレしたらしいです」

 あること無いこと織り交ぜながら事情をつらつら説明していた俺は。

 そこで一旦言葉を切ると、目の前で特大ジャンボパフェを頬張っては御満悦なまでに満面笑顔を浮かべている真奈を、改めて見やった。

 またコイツは俺の話を聞いてるんだかいないんだか……まあ間違いなく聞いちゃいないんだろうけれども。

 甘いものを前にした真奈は常に、あまりにも一途にすぎるひたむきさを発揮するからな。

 でも、それでいちいち引き下がってちゃー今日こんにちの俺は無い。

 それに何より今の俺は、後輩として絶対に逆らえない“先輩の命令”ってやつを帯びている。

「だから……頼む真奈! このとおりだッ!」

 ゆえに俺は、ふいに大声を出してヤツの意識を自分に向けると。

 そのままテーブルの上に両手をついて、上半身だけで土下座した。



「星先輩と“お付き合い”してやってくれ!」



『オマエが“ただの幼馴染み”なら、付き合いも長い分、話もしやすいだろ?』

 絶句する俺をなおも覗き込んで、まさに“してやったり”って風に勝ち誇った表情で、先輩は続けた。

『幼馴染みの誼とやらで、オマエから彼女に伝えてくんない? お付き合いしましょう、って』

『お…付き合い、ですか……? よりにもよって、あの真奈と……?』

『へえ、「マナ」って名前なんだ? 見た目だけじゃなく、名前まで可愛いんだな』

『「可愛い」……?』

『可愛いじゃん、あのコ。なんか如何にも“オンナノコです”ってカンジでさ。顔も可愛いけど、雰囲気もきゃぴきゃぴしてて可愛いし、小柄だし色白だし、なんか守ってやりたくなるよな。みたいな?』

『…………』

 耳に流れ込んでくる先輩の言葉は、あまりにも意外すぎて……再び俺は絶句する。

 真奈が可愛いって? ――まあ言われてみれば、ヤツの身長は155㎝そこそこで充分小柄の部類に入るだろうし、水泳好きのわりには屋内プール専門だから日焼けとも無縁だし、あのデカイどんぐりまなこも言いようによっちゃ“つぶらでぱっちり”ともとれるだろうから、それを可愛いと思う人間には顔ごと可愛いと思えるものなのかもしれない。そういう人間にとってみれば、俺には騒音としか思えないあの甲高い声もイラッとするくらい間延びしたスローモーな話し方も全て、充分好意的に“きゃぴきゃぴしてる”“オンナノコらしい”ものとして変換可能なのだろう。

 言われれば納得はできるものの……でも何か釈然としないものを感じるのは、俺があまりにも近くにい過ぎている所為だろうか。

『――まあ、そんなワケだから』

 ようやく回した腕をほどいてくれた先輩は、その手でぱんぱん、今度は俺の背中をはたいてみせて。

『じゃあ上手いこと取り持ってくれよ、小此木。――もちろん、やってくれるだろ?』

 言いながら踵を返しかけると、そこで立ち止まって、意味ありげに振り返る。

『なんせ、尊敬する先輩からのささやかなオ・ネ・ガ・イ、だもんなっ?』



 いやはや、まさか自分の吹いた大ボラが、ここへきてこんな風に返されてくるとは。――よもや、“自己保身もホドホドに”っていう何処いずこからのお告げじゃあるまいな?

 とにかくそんなワケで、先輩からの『ささやかなオ・ネ・ガ・イ』という言葉を借りた“大いなる絶対命令”を背負わされるハメとなったがゆえに、こうして今、俺から真奈に頭を下げなければならないという体たらくをさらしている。

 その頭の向こうから、かしょん、と、パフェグラスとスプーンが触れ合う硬質な音が聞こえてきた。どうやら真奈が、食べる手を止めてスプーンを置いてくれたらしい。

 この隙を逃してたまるかと、すかさず俺は顔を上げ、改めて目の前の真奈を見つめ直す。

「ホント頼むよ真奈! 俺も後輩だから、どうしても先輩には逆らえないんだって! 俺も困ってるんだ、ここは助けると思ってどうかひとつ!」

 頼ンます! と、再びテーブルに叩きつけるイキオイで頭を下げて上半身土下座をしてみたものの。

 そんな俺に対し、だが真奈の返答は何も無かった。

 ただ沈黙だけが落ちてきた。かしょかしょしたスプーンを動かす音も聞こえてこないから、再びパフェを食べ始めたわけでもなさそうだ。

 だがふいに、かたん、と椅子の鳴る音がして、テーブルに微かな振動が走る。

 ハッとして視線を上げると、そこには立ち上がっている真奈が映った。

「お…おい、真奈……!」

「――といれ」

 そうポソッと言い残して、そのまま踵を返してしまう。

 店の奥へと去っていく真奈の背中を見えなくなるまで見送ってから、深々と息を吐き吐き、俺は頭を抱えてテーブルに突っ伏した。



「――マジでアンタ、いっぺん死ねば?」



 そこに間髪入れずに降ってくるのは……相も変わらず純度100%の毒を含んだ野笛の言葉。

「どうりでおかしいと思ったのよ。アンタが文句の一つも無くスンナリ真奈に奢ってあげようとするなんて」

 その通りだ。――誰が下心も無く言われるままに奢ってやらなきゃいけねーんだよ。

 そもそも、俺の上がりを待たずして『お祝いしてして~♪』と誘いにきたのは、真奈の方だ。

 今度はしっかり着替えも終えて帰宅準備万端な姿で、野笛と二人、後片付けに一人励んでいる俺のところへ来たかと思えば開口一番『パフェ食べたい~!』なんてのほほんと言ってきたもんだから、ついムカッ腹が立って『俺に奢れってか?』と額の青スジもあらわに返しかけたのだったが……そこでフと気が付く。

 どうせなら、向こうから来たこのチャンスに恩を売っとけば後の話も言いやすくね? と。

 考え直して俺は、『わかった』と、にこやかに返事を返した。

『もうすぐ終わるから、そこで待っとけ。レギュラーとった祝いに奢っちゃる』



「アンタ、自分が何言ったか分かってんの?」

 俺が話を切り出してからずっと無言のまま黙りこくっていた野笛が、ようやく真奈が不在の今になって、それを言う。

「星先輩っていったら……有名じゃない!」

「まあ……有名だな」

 再びタメ息を吐いてから、俺は突っ伏したままの身体を起こす。

 目の前あるのは、怒りもあらわな野笛の表情。

「知ってて、真奈にあんなこと言うワケ!?  ホント信じらんない、馬ッ鹿じゃないの!?」

「そうは言うけどなぁ……仮にも後輩が先輩の頼みを断るのって、そう易々とは出来ないだろうがよ」

「断りなさいよ、それくらい! 真奈のためを思うなら!」

「俺は真奈よりも自分が大事だ!」

「うっわ、サイテー男のクズ!」

「何とでも言え!」

 開き直ってフンとソッポを向いた俺は、そのまま傍らに追いやっていた自分のコーヒーを飲み干した。

 そして、ちょうどテーブル横を通りがかったウエイトレスを捉まえて、「すいません、コーヒーおかわり!」と、飲み干した勢いのままカラのカップを突き出す。

 ややあってデカンタから注がれたばかりの熱々コーヒーと格闘し始めた俺を呆れたように見やりつつ、「でも、マジで」と、再び野笛が口火を切った。

「アンタが保身のために誰を誰に紹介しようが、そんな瑣末なことをイチイチとやかく言う気はないけどね……」

 言いながら、俺のついでに入れてもらった自分のカップの熱々コーヒーに視線を落とし、本当に心底からイヤそうな声で、吐き捨てる。



「でも星先輩だけは、真奈にも誰にも、絶対にオススメしたくないっ!」



 ――まあ……そうだな。そりゃそー言うよな。野笛じゃなくても。

 本心を言えば、真奈が何も言わなくても、野笛には言われるだろうと、ハナッから覚悟してはいた。

 なもんだから、更にぶっちゃければ、できればこの話は野笛のいないところで切り出したかった。間違いなく後から伝わってしまうのは避けられないが、それでも真奈さえウンと言わせておけばどうとでもなる。

 そもそも、今この場に野笛がいることからして計算外だったのだ。

 同席させたくないからこそ、わざわざ野笛のいる前で真奈に『奢っちゃる』なんて言ったのだしな。

 こういう時の野笛は、普段なら、来いと言われても『馬に蹴られるのはイヤだもの』などとワケの分からない理由をこねくり付けては、絶対に一緒に来ようとしないのだ。

 何だかんだ抵抗しても結局は奢らなくてはならないハメに陥る俺の乏しい財布の中身に気を遣っているのか、それとも俺にはジュース一本分でも借りなど作りたくないためか、とにかく『いいから二人で行ってきなさいよ』と頑ななまでに誘いを固辞するのが常だった。

 日頃からカン働きの良い野笛のこと、ミョーに機嫌よく話に乗ってきた今日の俺の態度には、最初から含みあるところでも感じていたのに違いない。

 ならば、最初から野笛のいない別の機会に話せばいい、ってものだが……そう出来なかったのは、ただ単に、頼む相手が真奈だから、ってだけの理由である。

 なんせ、自分に都合の悪いことのみ都合よくサッサと忘れることにかけては天下無双の真奈のこと。恩など、売ったその場でないと効力を失くしてしまう。一晩寝たら、翌日には既に忘却の彼方だ。

 そんなワケだから、仕方なく野笛同席の上で切り出さざるを得なかったワケだった。

 案の定、普段とは違う行動をとってまで野笛が『絶対にオススメしたくない』とさえ言ってのけた、そんな相手であるところの星先輩は。

 ようするに、このうえもなく“有名人”であったのだ。――野球以外の分野においても。



「どこの誰が、『夜の千本ノッカー』なんていう二つ名もってる男に、好き好んで大事な友人を差し出したいってーのよっっ!」



 ――野笛の言うとおり。

 我が野球部のスタープレイヤーは、野球業界のみならず、不純異性交遊業界においても、なみなみならぬ花形選手だったのである。

 当人が掴ませるようなシッポを出さないのでどこまでが真実かは不明だが、とにかく噂には事欠かない。

 モテる男の常としてカノジョを切らしたことがないのは当然としても、自分に寄ってくるファンの子を当たり構わず食い散らかすのはしょっちゅうだし、不倫が文化なら浮気は習慣、二股三股は嗜みで、四股五股もアタリマエ、いっそ何股だってドンと来い、という、来るものは拒まずの精神を極めた受け身の深さを見せつつ、一方で、ひとたび持ち前の容色と愛想のよさを発揮したなら狙った獲物は百発百中、という狩猟本能をもふんだんに持ち併せ、ナンパ成功率は100%、もちろん打率も十割で、にもかかわらず、一回ヤッたら後はポイ、っていうリサイクル不要の使い捨て主義を貫き通したコールドゲームを連発した結果、とうとう周囲から推定年俸を算出されるに至り。

 付いた名前が『夜の千本ノッカー』。

 ――まあ、『夜の一億円プレイヤー』とか言われるよりはまだ可愛げがあるってーモンだよな。

 と極めて良心的に受け取ってみたところで、鉄のパンツを履いてるのが常識であるような女子からしてみれば、とてもじゃないけど受け入れがたい評判には違いない。

 シーズンの都度あちこちの地元メディアで取り上げられる先輩のことだから、有名人さながらに、どんな瑣末なことでも噂として広まる速度は尋常じゃないハズだ。

 しかし、それでも先輩が“夜の千本ノック”をやめたという評判が全く聞こえてこないんだから、世の中ってヤツは上手いこと需要と供給のバランスが取れてるよなーと、つくづく思う。



「ま…まあ、とはいえ、先輩も今度こそ本気かもしれないし。本気で真奈にヒトメボレしたのかもしれないし」

「絶、対、に、ありえ、ないっっ!!」

 何とか先輩の顔を立てようとする苦し紛れの後輩の言葉など、あっさりキッパリ力まかせの一刀両断。

「そもそも後輩を使ってくるところからして遊び半分なの丸わかりっ!」

 それを言われると……さすがに俺も返す言葉が無い。

 しかも、それは直接言われた俺が一番よく分かっていることだしな。

 だって、どう見てもあの態度は、“可愛い女の子を見かけたら声かけるのは当然だろ?”とでも言わんばかりだった。あたかも男の嗜みのように言うなよ、と、さすがの俺でも少々ムッとしたものだ。

 それを重々承知していてさえ引き受けざるを得なかったのは……自分から真奈のことを、単なる『幼馴染み』であると力いっぱい断言してしまった以上、まがりなりにも『尊敬する先輩』の頼みを快く引き受けてさしあげること以外、俺が五体満足のまま無事でいられる逃げ道が他に見当たらなかったからだ。

「つか、少しは俺の立場も考えてくれね?」

「そんなゴミクズのよーなものを考えたところで何になるのよ! それならゴミクズのことを真剣に考える方がよっぽどマシ! 少なくとも環境問題が一つ解決するしねッ!」

 ――どうしてこの野笛と友人付き合いできているのか……たまに自分がよくわからなくなる。

「とにかく! 真奈が戻ってきたら、さっきの撤回しなさいよ!」

「やなこった! だいたい、決めるのは真奈だろーが!」

「あの尋常でない無頓着っ子が星先輩の噂なんて知ってるハズがないでしょう!」

「だったら余計に好都合ってモンじゃねえか!」

「鬼か、アンタは! それじゃ詐欺じゃないの!」

「詐欺で結構! 鬼畜生上等だコルァ!」

「アンタってヤツは……!」

 言い合ううちに睨み合いもエスカレートしてきて徐々にバトルモードが高まりつつあった俺と野笛の真ん中に。



「――サギ? あずきじまの話ー?」



 のほほんと割って入ってきたのは、いつの間にか戻ってきていた真奈だった。

「あれねー、なーんか可哀相だよねー、今や絶滅寸前なんでしょーサギってー?」

 そんなセリフを続けながら、元いた椅子に腰を下ろす。

「人間って勝手よねー、自分たちで絶滅寸前まで追い込んだクセして、いざ絶滅するとなると躍起になって保護しようとしてるんだからー」

 そんなことを言う真奈は、席を立つ前と変わらない全くの普段どおりの様子で、再びスプーンを手に取った。

 そのまま溶けかけたパフェのアイスをすくって口に運ぶと、「おーいしーい♪」と笑みをほころばせる。

「でも、何でいきなりサギの話なのー?」

「…………」

 なしくずし的に投下された真奈の天然爆弾により否応も無く停戦にもちこまされた俺と野笛は、もはや『それはトキであってサギじゃない』とか『それを言うなら佐渡島だ』とか『小豆島しょうどしまを「あずきじま」と読むな』だのといった、もはや口に出して訂正すること自体が恥ずかしい低レベルすぎるツッコミを入れる気力もなく、そろって深々とタメ息を吐くほかなかった。

 ――こういう時、グラウンド・ゼロ付近は被害が大きくて困るったらないよなマジで。

 とりあえず、野笛の反撃も食らったことだ、今日のところは俺も返事を急ぐまいと、適度に冷めてきたコーヒーを飲みながら、そう潔く諦めた。

 これ以上食い下がってみたところで、ここに野笛がいる限り、そう易々と丸め込ませてもくれないだろうしな。

 そのまま他愛もない世間話を続けながら着々とパフェを平らげていった真奈は、「あー美味しかったー」と、カランと音を立ててカラになったパフェグラスにスプーンを放り投げると、最後に「ごちそうさまデシタ」と両手を合わせ、そして……、



「――ヒロちゃんが助かるなら、真奈はいいよ」



 おもむろに真っ直ぐな瞳で俺を見つめると、呟くように、それを告げた。

 あまりに突然のことで、咄嗟に何のことを言われたのかが理解できなかった俺と野笛は、そろって「は?」「え?」と各々で間の抜けた声を上げ。

「さっきの話」

 そのヒトコトで真奈が、呆けていた俺たちの時間を引き戻す。

「え、真奈、それって、つまり……!」

「うん、ほかならぬヒロちゃんの頼みだもんね」

 まるで何事か言わんと慌てるばかりの俺を落ち着かせるかのように、また何事か反論するべく口を開きかけた野笛を制すかのようなタイミングで、言葉と笑みのみをもってその場のすべてを遮った真奈は、再び改まったように俺を見つめた。

 そして告げる。



「ヒロちゃんから伝えて。――真奈、星先輩と“お付き合い”します、って」






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