第2話
「――だァから、それはアンタの“選択ミス”ってーものでしょうよ?」
ぶーたれた俺の目の前で、
「そこで小遣いupに目が眩んで真奈を合格させる方を選んじゃった時点で、アンタの負け」
わかってる……わかっているとも。
わざわざキサマに懇切丁寧にご説明されんでも、それは自分が充分によく解っている。
でも、だからといって……、
「なァんで高校に入ってまで、こーしてオマエと昼休みにアタマ突き合わせて被服室でチクチク縫い物なんぞ、してなきゃならねーんだろーな俺……」
そんなこんなで……過程にスッタモンダと色々あったものの。
とりあえずの結果として、俺と真奈は、そろって同じ高校へと進学することができた。
ああ、思い返せば感涙のあまり咽び泣いてしまうくらいにスサマジク長かった、この丸々四ヶ月とちょっと!
晴れて入学式も済ませ、真奈とも別々のクラスになったことだ。
こうなりゃ後は野となれ山となれ、とりあえず俺に課せられた責務は果たしたことだし、アイツのことなんてもー知らん、俺は俺で高校生活をエンジョイしてやるぜい! と、明るい未来への期待で胸一杯だった、
そんな矢先の、春うらら。
何が悲しゅーて……男の俺が、こうして真奈の被服の授業の課題作品なんぞを、作成していなければならないんだろうか―――。
「そんなの今に始まったことじゃないでしょうが。――言ってるでしょ? いちいち真奈の頼み事をハイハイ二つ返事で承諾する選択肢をワザワザ選ぶアンタの、甘さと自業自得による副産物よ」
「…………」
さすが、俺とタメ張れるくらいに幼い時分から長きに渡ってあの真奈の友人をやっていられるだけはある。
野笛の言うことはイチイチご尤もでピンポイントに的確で図星まで突きまくりーで、ニベもなければ逃げ場もない。
「そうは言うけど……じゃあオマエは、面と向かわれて言われる真奈の“押し付け事”をキッパリ断れる自信、あるのかよ?」
「それを言われたら……断れる自信はないけど」
「ほらみろ」
「でも、面と向かわれる前に適当に聞き流して放置する自信なら、あるかもね」
「――ああ、そうかよ……」
どっちにせよ、“言われたら断れない”ってことには変わんねーじゃねえか。
「――て、ゆーか……」
思わず呆れたような視線を向けてしまった俺を、まるで心外だとでもいうように軽く睨み付けてくれやがると、俺の視線よりも更に呆れ度合いを増した声でもって、それを言う。
「あの子だってバカじゃないんだから。頼み事は、人を見て押し付けてるのよ? ――それ、ちゃんと解ってるんでしょアンタだって?」
「…………」
確かに……その通りだ。
アイツはバカだけど、バカじゃない。
人を見る目なら、ある意味シビアなくらい、ちゃんとある。
だから、幾ら野笛の方が俺に比べて器用であると解っていても、ムダに自身も他人も甘やかさないキッパリした性格の彼女には、真奈も決して苦手な課題を押し付けようとしたりはしない。押し付けてみたところで、所詮は『放置』されるのがオチだろうしな。
でも野笛と違い、聞いてしまったが最後、それが出来ない俺は……やっぱアイツにとっては“絶好のカモ”ってヤツになってしまうんだろう。
そして、それを許してしまう自分は、野笛の言うように、ヤツに対して“甘い”っていうことにも、なってしまうんだろうな必然的に。
再び課題へ手を進めながら、事も無げに野笛は続ける。
「結局のとこ、真奈を突き放せない以上、あの子に振り回されるのがアンタの運命ってヤツなのよね」
「………イヤすぎる」
「どうだか」
「…………」
その無味乾燥に勝ち誇ったよーな言葉にすら、もはや反論する気さえ起こらない。
高校に入学しても……環境が変わっても何が変わっても結局、俺たちは“今まで通り”だ。
それは、昔から何度となく繰り返してきたこと。
真奈の面倒を俺がみている。――と言えば聞こえはいいけど。
実際のところは、何でもかんでも体よく押し付けられているだけ、それを俺がワザワザ断ったりしないだけ、ただ単にそれだけでしかないことだ。
思い起こせば……いつから始まったんだろう、こんな俺と真奈の“関係”は。
もうハッキリとは思い出せないくらい昔の話だ。
おそらく、俺たちが幼稚園だか小学校だかに通っていたくらいヒヨッコだった頃。…あたりだろう。大方のとこは。
そのくらいの頃あたりで、何かキッカケのようなものがあったような気がしないでもないのだが……それすらも今や忘却の彼方である。
気が付いたら、いつの間にか真奈は俺の周りをウロチョロするようになっていた。
いつの間にか、それが俺にとっての“普通”で“自然”で、もはや“当然”にさえ、なっていた。
そんなもんだと思ってきた。これまでずっと。
だから、きっと、これからも。ずっと。
「ホンット、昔から変わんないわよね
「悪かったな、どーせ『バカ』で」
「なに言ってんの、褒めてんのよ?」
「…どこをどー良心的に聞いても、褒めてねえよそれは」
相変わらずの調子で続けられる野笛とのやりとりにも大分ウンザリしてきていた、
――ちょうどそんな時。
「ヒロちゃあん、終わったぁ~?」
耳に響いてきたのは、被服室の引き戸をガラッと勢いよろしく引き開ける音と、そんなノホホンとのーてんきにスローモーな高い声。
それを聞くなり、モチロン俺は、即座に切れた。
「ざけんなテメエ!! 毎度毎度毎度毎度、いくら自分が人外魔境に不器用だからって、ことごとく何でもかんでもヒトに押し付けていくんじゃねえっっ!!」
咄嗟に投げ付けてしまった、既にシッカリばっちり縫い上がっていたヤツの課題のスカートを、しかし真奈は難なくキャッチしてくれやがると。
「うっわー、さっすがヒロちゃ~ん! いつもながら、すっごい上手~♪」
「こう何度も何度もテメエの課題を押し付けられてりゃー、そりゃ上手くもなるっつの!!」
俺の怒声罵声嫌味悪態なんぞには見事なまでの完全スルーをかまし、まさにドコ吹く風とばかりに相変わらずのニコニコ笑顔でスカートを広げる。
「ヒロちゃんじゃなきゃあ、ここまでキレイに仕上げてくれないもんね~! やっぱヒロちゃんに頼んで良かった~! ――はい、これあげる~」
そして、ムスくれた俺の鼻先に突き出されるスポーツドリンクのペットボトル。しかも2ℓ。…デカイっつの。
「ヒロちゃんも放課後は部活でしょ~? だからあげる~」
「…………」
ひったくるように無言で受け取り、自分の鼻先から、それをどかす。
コイツは……俺へ押し付けてくモノゴトに対して礼を言ったことなんて、今まで一回もありゃしない。
だから、これはヤツなりの“礼”ってモンなんだろう。毎度毎度こうやって何かしらの置き土産を残していくのは。
それが分かっているから、俺も敢えて何も聞かず、差し出されたものは黙って受け取る。
そうすることにしている、常に。
「ねえねえ~? 野球部って、もう新入生も練習させてもらえるの~?」
不機嫌顔でブスくれている俺のことなど気にも留めてない様子で、溢れんばかりにご機嫌なルンルン口調で、真奈が続けてくる。
幾ら不機嫌まっ只中とはいえ日常会話までをシカトするのもどうかと思い、不承不承ながら「ああ」と何事もなかったかのように、俺も応じた。
「とりあえず今までも練習に参加させてもらってはいたけどな。でも、あくまで仮入部扱いで自由参加だったし、それが今日からは本活動になるか。…て言っても、所詮は新入生だから、始まったトコロで筋トレと雑用ばっかやらされんのは仮入部期間と変わらないだろうけど」
「そうなんだ~! 水泳部もねえ、ようやっと今日から一年生も練習に参加させてもらえるんだ~! 仮入部期間おわり~♪」
――ナルホド、その所為か。いつにも増して真奈のご機嫌がよろしい理由は。
真奈の言う『水泳部』――それが、『お魚になりたいの~』の真相である。
もともと、昔から泳ぐのが好きなヤツではあった。
小学校時代は、学校のプール授業のみでは飽き足らず、野笛を引っ張り込んでは近場のスイミングスクールへ嬉々として通っていたのを、俺もよーく覚えている。
なのに、そのまま進学した地元の公立中学にはプール自体が無かったモンだから。当然、水泳関係の部活動はおろかプールの授業すらも無く。
そんな日常生活の中で、かろうじて水と触れ合える唯一の場所といえば、通い続けていた週に二日のスイミングスクールのみ。あとは、休日に市民プールに行く、くらいなものだろうか。
確かに、そんなんじゃーサスガに泳ぐの大好き人間にとっては鬱屈も溜まるよな。
――だからといって、中三の二学期の終わり、なんて時期に、その鬱屈を発散させようとしなくてもよさそうなモンだろうが。
しかも、そんな真奈が選んだウチの高校は、自宅から最も近いプール設備のある学校…のみならず、“強豪”という冠をアタマに載っけている県下で最も名の通った『水泳部』という名の部活動まで、有していたのである。
嬉しそうな様子でそれを語り真奈は、『ここでなら真奈もお魚になれるような気がするの~』と、一際にこにこにっこりと、笑った。
それを聞き、確かに上手い選択をするモンだよなトリ頭の割には…と、少しだけ感心したものだ。
単なる思い付きや行き当たりばったりじゃない、コイツはコイツなりに、ちゃんと考えた上で決めた進路だったんだ、ってことも、判明したワケだしな。
とはいえど、それによって俺の疲労のタネが増えたことには変わりがないため、素直にそれを声に出して褒めてやることは出来なかったけれど。
…フン、器の小さい男だと言うなら言えよコノヤロウ。
「――あ、そうだ~野笛ちゃん~」
その場で何となく世間話を続けていた俺たちだったが、ふと何気なく時計を見上げて真奈が、そう思い出したように声を上げた。
「午後イチ移動教室だよ~、早めに戻っとかなきゃ~」
「あら、そうね。でも、私はここを片さなきゃならないし」
広げられた課題の布地やら裁縫道具やらで取っ散らかった作業台の上を視線で示して、あくまでも落ち着き払った口調で野笛は返す。
「だから、真奈は先に戻ってて」
「じゃあ真奈も手伝うよ~。ヒロちゃんに貸してたお道具箱も持ってかなきゃだし~」
真奈の言う、俺が“借りた”――というよりもむしろ“押し付けられた”に等しい裁縫箱も、いまだ俺の前で中身が取っ散らかったままである。
当然、ここは持ち主が手伝わなければならないトコロだろう。
そう考えた俺が口を開くよりも先に、「でも真奈」と、一拍早いタイミングで野笛がそれを言った。
「あなた、確か今日の鍵当番に当たってたんじゃなかったっけ? 誰よりも早く行って鍵開けなくちゃいけないのに、ここでまごまごやってたらカンペキ遅刻よ?」
「…なんだ、じゃあしょーがねーな」
事情を聞いてしまえば仕方ない。
とっとと諦めて俺もそれに同意すると、「いいから行けよ」と、真奈を促した。
「ここの片付けは俺が手伝っとくし、道具も野笛に持たせとく。――それで文句ねーだろ?」
「うん、文句な~いっ! ヒロちゃんダイスキ、ちょー愛してる~っ♪」
「はいはい、どうもありがとよ」
そうして「ばいばーい」と身を翻して被服室から駆け去ってゆく真奈を、おざなりに手を振って見送っていた俺に。
「…相変わらずお優しいことで」
ニヤニヤとしたキモチワルイ笑顔と共に目の前から投げかけられる、そんな野笛の言葉。
「いつもながら言われ慣れてるよね、『愛してる』とか。面と向かって『ちょー愛してる』まで言われても全然動揺しないし、『ありがとよ』なんて当然のように返しちゃうし」
「そりゃ、まあ、付き合いも長いからな。あいつの連呼する『愛してる』なんて単なる礼代わりのよーなモンで、特別な意味なんて無いことだって解ってるし」
礼を言われたら礼を返す、それこそが真の礼義! と力説してみせた俺を、だが野笛は、「なーに言ってんだか」と小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「あの子が『愛してる』なんてこと言うの、アンタにだけじゃない」
「はあ? オマエこそしょっちゅう言われてんだろーが」
「まあ、『ダイスキ』程度のことは、ね。でも、いまだかつて『愛してる』のお言葉までは、頂けた覚えがないわ」
「…だから何だっての?」
「だから、それが愛ってモンでしょーよ。真奈からアンタへの、絶対的な無償の愛」
「それを言うなら、物欲的な愛、だろ」
真奈が『愛してる』だ何だと調子のいいことを言うのは、自分の望みを叶えてもらっているからだ。押し付けた頼み事を引き受けてもらった喜びからだ。それ以外にありえない。
己の物欲が満たされる時にしか顕れない愛なんて、“愛”と呼ぶこと自体が間違っている。
「くだんねーこと言ってねーで、オマエもサッサと手ェ動かせよ。遅れると困るのはそっちだろーが」
言いながら俺は、作業台上に散らばったあれやこれやを、無造作に真奈の裁縫箱の中へ放り込んだ。
すると、まだ言い足りなかったか、それとも俺が全くもって取り合わなかった所為なのか、少々不満げな様子にはなったものの、やがてつられたように野笛も手を動かし始める。
こうなると、常にテキパキと行動に無駄のない彼女のこと、思いのほかサクサク作業台に物がなくなってゆく。
「じゃ、あとはコレ。頼むな」
そうして最後に真奈の裁縫箱を手渡すと、受け取りながら野笛が、おもむろにジッと俺を見据えた。
「なんだよ?」
するとふいに、パッとにこやかな笑顔を作るや否や、あはっと明るく声を立てる。
「今なら私、アンタが馬に蹴られて死んでくれても、全く文句なんて言わないわ」
「…どういう意味だコラ?」
「人の恋路どころか自分の恋路も儘らない鈍感すぎる人間は、いっぺんくらい死ねばいい、って言ってるのっ♪」
「…………」
これほどまでに表情と声音とセリフがこの上もなく噛み合ってないところが、ソラ恐ろしいこと限りない。
さすが、あの真奈と長いこと友人付き合いをしているだけのことはある。
コイツの方こそ、天使と悪魔を上手に使い分け――いや、そんなおためごかしは言うまい。天使と悪魔、なんて婉曲な表現では、コイツを表現するのに到底足りるハズもないのだから。
ハッキリ言わせていただこう。――野笛は100%の毒で出来ています!
なもんだから、常に垂れ流されるコイツの毒舌にも充分耐性が付いてきているとはいえ、さすがに面と向かって『死ね』と言われれば、そりゃ戸惑いもするし、うろたえもする。
おそらく俺が怒らせたのだろうけれど、そもそも何がコイツを怒らせたのかすら分からない。
返す言葉に戸惑って俺が硬直しているうちに、野笛は自分のと真奈のと二つの裁縫箱を抱えると、静かにその場を立ち上がった。
「私は、真奈と違ってアンタに愛情なんて持ってるワケじゃないからね。だからアンタが高校でも野球部に入るなんて、ハナっから信じちゃいなかったわ」
そして告げる。
改めて俺を見つめて。まるで呟くように。囁くように。
聞きたくもないセリフを、まるで刃のようにキッパリした口調と真っ直ぐな言葉で、ためらいもなく俺の胸へと突き立てた。
「――今度こそ……洋は野球をやめるんだと思ってた」
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