水魔の村編 第37話

 村を出て、数日前にたどった道をひたすら戻っていく。

 まだ病み上がりの雷砂らいさは、ジェドの背中に背負われ大人しくしていた。

 自分で歩けると主張したのだが、村で何の役にも立てなかったジョゼとアジェスに、何か仕事をさせてくれと懇願されたのだ。


 セイラやリインからも、遠回しにそうした方がいいと言われて、雷砂は渋々男達の背中に交互に背負われる事になった。

 不本意だったが、まあ、大分心配をかけてしまったから仕方ないと思って諦めた。


 アジェスは黙々と雷砂を背負い歩いたが、ジェドは雷砂の胸がぺったんこで面白くないなどと軽口を言い、セイラから鉄拳制裁を受けていた。

 雷砂は別に気にしていなかったのだが、なんというか、口は災いの元と言うことなのだろう。


 そうやってしばらく歩き、日が中天を越えた頃、やっと一座の馬車の置いてある野営地が見えてきた。

 雷砂達の姿を見つけた一座のメンバーが、歓声を上げて駆け寄ってくる。

 彼らも、霧が晴れた事からやっかい事の解決を察し、もうすぐ戻ってくるだろうと出発の準備をして待っていたらしい。

 馬車も人も、もう出発できる状態だった。


 イルサーダはその判断と行動に満足そうに微笑み、不在の間の報告を受けに行き、雷砂達はその場に残された。

 さて、どうしようかと思う間もなく、出発までの暇つぶしとばかりに残った一座のメンバーに囲まれて不在の間の冒険談をせがまれ、苦笑をもらしつつも、村で起こった出来事を控えめな表現で語って聞かせると、みんなは目を輝かせて聞き入った。

 居残りチームの方は、イルサーダが張っていった結界のおかげで特に何事もなく、兎に角暇で退屈だったらしい。


 何人かの座員から、自分もそっちと行動したかったと言われ、アジェスとジェドは何ともいえない顔で苦笑いしていた。

 事件の渦中に居ながらも、何の仕事もできなかった彼らの心境は、やはり複雑だったのだろう。


 そんな事をしながら時間をつぶしていると、戻ってきたイルサーダに出発を告げられた。

 どうやら予定外の足止めで食料などの消耗品が心許なく、急遽ここからさほど遠くない町に寄ることにしたらしい。


 次の興行予定はまだ大分先なので、それくらいの寄り道は問題ないとの事。

 せっかく立ち寄るのだからしばらく滞在し、そのついでに営業をして一座の顔を売りつつ小金を稼ぐ事にしたようだ。


 その町の名は、アルレービオ。

 中規模の町で、人口もそれなり。様々なギルドの窓口もあり、そこそこにぎわっている町とのことだった。


 ともあれ、それからあっという間に出発の準備は整い、雷砂は馬車の中でセイラの腕の中にいる。

 1人で座れると言ったのに、どうしても聞いてくれなかったのだ。

 その隣にはリインと、なぜか狼少女形態のロウの姿。


 ロウは、すっかりその姿で雷砂の近くに居ることが気に入ってしまったようだ。

 今までは用がない限り狼の姿で好き勝手にしていたのに、今では雷砂にべったりだ。

 今もふさふさの狼しっぽをぱたぱたと振りながら、片時も目を離すことなく嬉しそうに雷砂の顔をじーっと見つめている。


 でも、まあ、それで不都合があるわけでもないし、ロウがそれで良いならまあいいかと、そんな風に思って雷砂はロウの好きなようにさせていた。

 それにロウが近くに居るだけで、不思議な安心感を感じてもいるのだ。

 セイラとリインは、ちょっと不満そうだったが。


 柔らかな体に抱きしめられ、馬車の揺れに身を任せていると、まだ本調子でない体が眠りを欲して訴えてくる。

 眠そうに瞼をこすれば、それに気づいたセイラがそっと顔をのぞき込んできた。



 「雷砂、眠いの?」


 「ん。ちょっとだけ」


 「ちゃんと抱っこしててあげるから、このまま眠っても良いわよ」



 そんな風に甘やかされ、雷砂は苦笑をもらして彼女の顔を見上げる。



 「また子供扱い?セイラはいつも、オレを子供みたいに甘やかすんだから」



 ほんの少し唇を尖らせて、そう告げる。

 そんな雷砂を見つめ、セイラが愛おしそうに笑った。


 目の前の希有な存在を、セイラは確かに愛していた。

 だが、それがどの類の愛情なのか、最近は少し境界が曖昧だ。


 もちろん1番にあるのは、恋い焦がれるような恋慕の思い。

 雷砂に触れて触れられたい、情欲ももちろんある。

 更にあるのは、どこまでも雷砂を許容し、包み込んで、甘やかしてあげたいという母が子を思うような愛情。


 そんな色々な愛情が混じり合って、セイラの想いは募っていく。雷砂が愛しくて愛しくて仕方がないと思うほどに。

 自分は雷砂の恋人になりたいのか、それとも母親になりたいのかー時々そんな疑問が頭をかすめる。

 だが、今の自分はどちらになりきるにしても中途半端だという気もしているのだ。ただ、自分に自信がないだけなのかもしれないけれど。

 雷砂を見つめ、セイラは微笑む。



 「子供扱いされたくないなら、子供じゃないって証明してみせて?」



 からかうように、少し甘えも含んで。

 セイラはそんな風に雷砂を挑発する。その挑発に対する反撃などありはしないと安心しきって。

 今まで、1度だって雷砂から求められたことはないのだ。求めれば、受け入れてはくれるけれども。


 でも、それが仕方のないことだとは分かっている。

 雷砂はまだ若く幼い。それに見た目はどうであれ、性別は女の子なのだ。

 個人差はあるが、女は男より性に目覚めるのは比較的遅い。

 そう言う方面に興味を持つのは、きっとまだ先。


 雷砂はいつものように、少し困ったように微笑むだけだろうと思いながら、その端正な顔を見つめていると、その予想に反して雷砂の顔に色を感じさせるちょっと妖しげな笑みが浮かんだ。



 「いいの?そんな事を言って。オレだって、いつもして貰ってるばかりじゃないからね?」



 そんな言葉を返され、戸惑いながら雷砂を見つめる。

 雷砂はセイラの胸に頭埋めたまま、腕を伸ばして彼女の顔を引き寄せた。

 顔を仰向かせ、上からのぞき込んでくる彼女の瞳をしっかりと捕らえて、雷砂は愛おしそうに目を細めた。



 「セイラが大切なんだ。セイラが良いというなら、オレはいつだってセイラをオレのものにするよ」



 今までは、自分の気持ちに自信がなかった。

 だが、失うかもしれないと思ったあの時、彼女がどれだけ自分にとって得難い存在なのかを改めて突きつけられた。

 思いを再確認したい間、それを告げることを躊躇する理由などありはしない。


 彼女がそう言う関係を望むのなら、雷砂はそこへ飛び込むこともいとわない。

 自分の思いが恋愛感情かどうかはよく分からない。

 けど、彼女を愛していることは確かだった。

 彼女と触れ合うことも好きだし、触れたいとも思う。

 その時が来たら、今度は受け取るだけでなく、自分からも与えてあげたい。


 そんな思いを込めて彼女を見つめると、みるみる内にセイラの顔が真っ赤になった。

 雷砂のそんな反撃を予想していなかったのか、口をあうあう動かしてちょっぴり涙目になって雷砂を見ている。

 そんな様子すら愛おしくて、雷砂は再び微笑んだ。



 「い、いいの?」


 「いいよ。セイラはオレの、その、恋人なんだろ?」


 「じゃ、じゃあ、今晩?」


 「いいよ」



 狼狽えたようなセイラが可愛くて、雷砂はクスクス笑う。

 そんな2人の横で、ロウはきょとんとして、リインは憮然とする。



 「……ずるい」



 リインの唇からそんなつぶやきが漏れ、雷砂は苦笑混じりに彼女の顔を見上げた。

 雷砂はリインの事も大好きだし、彼女がなにを求めているかも薄々気づいている。

 だが、それに答えないのはセイラの気持ちを想っての事。

 これからリインとどういう関係性を作っていくのか、その方向性を決めるのはきっとセイラになるだろう。

 彼女の感情を無視してリインとどうこうしようなどと、雷砂は思っていなかった。

 今はまだ、リインとどうなっていくか雷砂にも分からない。

 だから、雷砂は曖昧に笑って、



 「次の町に着いたら、一緒に買い物に行こうな?」



 誤魔化すような、そんな言葉。

 リインは頬を膨らませたが、買い物に行く事自体は賛成のようで、



 「2人で?」



 と返してきたので、



 「うん。2人で」



 そう返すと、少しだけ満足したようにこっくりと頷いてくれた。

 雷砂もほっと息をつき、それから思い出したように、傍らで忠実な瞳を向ける狼少女の頭を撫でた。

 ふさふさの尻尾の速度がまた早くなる。

 その様子をほほえましく見つめ、雷砂は一眠りしようかと目を閉じた。

 しばらくすると、



 「雷砂、眠ったの?」



 とセイラの声。雷砂は答えず、唇の端をわずかに上げてそのまま寝たふりを決め込み、いつしか本当に眠ってしまった。

 眠る雷砂を、女達はそれぞれ愛おしそうに見守り、その眠りを妨げないように小さな声音で取り留めのない話を続ける。

 がたごとと馬車が揺れ、窓の外にはすっかり霧の晴れて見通しの良くなった長閑な景色が広がっていた。


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