ショートストーリー

SS シンファの雷砂欠乏症候群

 見上げれば抜けるような青空。

 周りを見渡せば、遙か遠くまで続く草の海。

 今日も大陸中央の草原~ヴィエナ・シェヴァールカはどこまでも美しかった。

 そんな、以前であれば飽くことなく見つめ、時に心を躍らせ、また時には心を慰めてくれた光景も、今はどこか色あせて見える。


 一体、なにが変わったんだろうなーそんなことを思いながら、シンファは1人草原に立ち、静かに見慣れた光景を眺める。

 なにが変わってしまったのかーその答えは明白だ。

 自問するまでもなく、シンファとて分かっていた。


 ただ、雷砂らいさがいない。

 数奇な運命からシンファの腕の中に落ちてきて、ずっと傍らにあった愛おしい養い子が。


 近くにいる時は、長い間会わずにいても大丈夫だった。

 雷砂がいるべき場所は草原で、そこに行けば必ず会えると分かっていたからだ。


 でも今、雷砂は草原にはいない。

 数ヶ月前、旅の一座とともにいつ戻るとも知れない旅に出てしまった。

 別れてからしばらくの間は、何とかいつも通りに過ごすことが出来ていた。

 だが、1ヶ月が過ぎる頃にはもう、雷砂が恋しくて仕方なくなった。


 子供離れなんて簡単だと、そう思っていた。

 だが、雷砂が居ないことにはいつまでたっても慣れないどころか、時間がたてばたつほど心が悲鳴を上げる。

 雷砂に会いたい、と。


 手入れなどしていないのにいつも綺麗で手触りのいい雷砂の金色の髪を撫で、色違いの宝石のような瞳と目を見交わし、腕の中にすっぽり収まる体を抱きしめて、耳元で笑う雷砂の声が聞きたかった。


 雷砂と別れてから日に日に元気がなくなるシンファを見て、ジルヴァンは何ともいえない顔で苦笑をし、ジルヴァンの補佐役のザズを筆頭とした村の面々は男を作れと口うるさく言ってくる。

 雷砂を忘れるには、男を作るのが一番だから、と。

 もう、訳が分からない。

 雷砂を忘れるつもりなど無いし、彼らの言い様はまるで、男に捨てられた女に対する対応の様ではないか。

 そう憤慨してみせると、なぜかみんなからなま暖かい目で見られた。納得いかない。


 そんな村の雰囲気に辟易し、今日は1人で草原を見回っている。

 だが、ぼんやり移動していたら、いつしか雷砂が住処にしていた洞穴まで来ていた。


 雷砂が旅立ってからも、シンファは時々ここを訪れて草原の獣が住み着かないよう気をつけていた。

 いつ雷砂が戻ってきても良いように。

 雷砂がいつ戻ってくるかも、果たして戻ってくるつもりがあるのかも分からないというのに。


 シンファは引き寄せられるように中に入り、まだかろうじて雷砂の気配を感じられる空間に座り込んで膝を抱えた。

 それほど広くない空間だが、まだ体の小さな雷砂にとっては十分な空間だったのだろう。

 手作りの棚には、雷砂が置いていった道具類がまだ残っており、地面には雷砂が眠るときに使っていた寝床がまだそのままになっている。


 シンファは小さく息をつき、それからごろりとその寝床に身を横たえた。

 雷砂が枕として使っていたらしい、布の袋に乾燥した草を詰めた簡素なクッションに頬を寄せ、そっと目を閉じる。

 もう、雷砂の残り香など残っていない。

 だが、雷砂もこうしてここで眠っていたんだなーそう思うと不思議と胸が暖かく、少しだけ心が騒いだ。


 ここのところ眠りが浅く、睡眠が足りていなかったシンファは、ふと眠気を誘われた。

 少しだけ、ここで眠っていこうかーそんなことを考え、体の力を抜く。

 眠りに落ちるその瞬間、頭に浮かんだのは愛おしくも美しい養い子の顔。

 シンファは口元にほんのりと笑みを浮かべ、



 (雷砂ー。せめて夢の中で会えるだろうか……)



 そんなことを思いながら、ゆっくりと眠りの淵へと沈んでいった。







 気がつけば、シンファは1人草原の海の中に立っていた。

 風が優しく吹き、彼女の頬をくすぐるのを感じ、シンファはくすくすと笑う。

 そして思う。

 さっき、雷砂の寝床で眠ったはずなのになーと。


 ゆったりと周囲を見回す。

 これほど鮮明に草原を感じるのに、これは夢なのか、と思いながら。

 その時、背後から声が聞こえた。



 「あれ?シンファ??」



 聞きたくて聞きたくて、仕方のなかった声が。



 「確か、さっきまで馬車の中にいたんだよな??」



 不思議そうに呟く声が、草を踏む音とともに少しずつ近づいてくる。

 夢のはずなのに、夢とは思えないほど鮮明な懐かしくも愛おしい気配。



 「ん~~?あー、そっか。夢か。オレ、あのまま寝ちゃったのかぁ」 



 無邪気な声が、シンファのすぐ後ろで止まる。

 都合のいい夢だ。こうも簡単に会いたい相手を用意してくれるとは。でも、これはシンファの夢なのだから、きっとそれでいいのだろう。

 妙に騒ぐ胸を落ち着かせるように大きく息をして、シンファはゆっくりと振り返る。



 「シンファ、久しぶり。オレの夢に、会いに来てくれたの?」



 そこには別れたときと変わらぬ姿の愛おしい存在がいた。

 いや、少し髪が伸びただろうか?身長も、伸びている気がする。別れて過ごした、数ヶ月の時間の分だけ。

 そんな養い子の変わらぬ眼差しに、シンファは泣き笑いの様な笑みを浮かべる。



 「バカを言うな。これは私の夢だぞ?会いに来たのはお前の方だろう、雷砂」



 事も無げに切り返しながらも、心は叫ぶ。ずっとお前に会いたかったのだと。

 そんなシンファの目の前で、雷砂は不思議そうに首を傾げ、



 「ん~?シンファの夢??オレの夢じゃないの?もしかして、2人の夢が繋がったのかな……」



 小さな声でぶつぶつ呟くその様子すら愛おしい。

 シンファは目を細めてその姿をただ見つめた。瞼の裏に焼き付けるように。

 こうして今、夢の中で会えたものの、きっとまたすぐに恋しく思ってしまうであろうその姿を。

 そんなシンファの心も知らず、



 「ま、どっちでもいいか」



 雷砂はそう呟いて、それから改めてシンファの顔を見上げた。



 「シンファ、会えて嬉しい。こんなにシンファと離れたままなのは初めてだよな?なんだかすごく、会いたかったんだ」



 少し照れくさそうに雷砂が笑う。

 シンファはそっと手を伸ばし、その身体を抱きしめた。

 相変わらず細くて小さな、だけど数ヶ月前より少しだけ成長したその身体を。



 「私も、会いたかった。ちょっと、大きくなったな、雷砂」



 するりと、素直にそんな言葉が口をついて出た。



 「そうかな?自分だと良く分からないんだよなぁ」



 そう返す雷砂を抱きしめたまま、思う存分堪能する。

 雷砂はそんなシンファの様子に気づき、少し口元を緩めてからそっとその背中に手を回してその身をゆだねた。



 「この感じ、懐かしいな。小さい頃は、よくこうして抱いて貰ってたよな?オレが心細くなると、決まってシンファが来てくれて、それでぎゅって抱きしめてくれた。オレは、それがすごく嬉しくて、好きだった」



 雷砂を抱く腕を緩めずに、シンファは懐かしそうにその口元を緩める。幼い頃の雷砂の姿を思い出して。

 小さな雷砂は甘え上手じゃなかったが、そんな雷砂を甘やかすのは嫌いじゃなかった。

 控えめに現される愛情表現を、どれだけ愛おしいと思ったことか。


 それから時がたち、昔と変わらず雷砂を愛おしく思う。

 だけど、その思いは、雷砂が小さい頃とは少しだけ形を変えている気がした。今のように遠く離れる前とも。


 今の気持ちは以前よりも少し複雑だ。

 昔からの思いのままの愛おしさも大切さも変わらない。

 だが、そこに以前とは違う色が付き、前よりもずっと、腕の中の存在が慕わしく恋しいと感じる。



 (なんだろうな、この感情は)



 自分でもよく分からない。

 少なくとも、純粋な親の、保護者の感情とは違う。

 こんな想いを、ほかの誰かに抱いた事などなく、故にシンファにはその感情の正体が分からない。

 だが、誰かが聞けばすぐ分かるだろう。その想いは、恋だ、と。


 想いの正体は、シンファには分からない。

 だが、素直な感情を、シンファは唇に乗せる。

 これは自分の夢なのだから、好きなことを言って良いはずだと、自分の心に言い聞かせて。



 「離れても大丈夫だと思ったのに、ダメだったみたいだ。私は、お前が近くにいないと、どうも調子が出ない」


 「シンファ?」


 「なあ、お前のそばに行ってもいいか?お前を追って、お前のそばに。お前の旅に、私も連れていってくれ」



 イヤだ、と言われる覚悟は出来ていた。

 保護者の付き添い付きの旅など、雷砂にとってはいい迷惑だろう。

 でも、言わずにはいられなかった。

 それが、自分の素直な感情だったから。これは夢なのだ。自分を偽る必要などどこにもない。


 少しだけ体を離して雷砂の顔を見下ろす。

 雷砂はシンファを見上げ、少しだけ困った顔をしていた。

 ああ、やはり迷惑だったかーシンファが顔を曇らせた瞬間、雷砂の口からこぼれたのは、予想とはまるで違う言葉。



 「うん……シンファが一緒なら、きっと楽しい旅になるだろうな」



 困ったように微笑みながら、雷砂はそんな言葉をシンファに告げる。

 それは雷砂の本心から出た言葉。でも、今は実現出来ない事でもあった。



 「でも、今はダメなんだ。オレの力が足りない」


 「お前の、力?」


 「うん。今のオレは、まだ力が足りない」


 「……私から見れば、お前は十分に強い気がするぞ?」



 シンファの素直な賞賛を受け、雷砂は微笑みを返す。

 シンファが自然に寄せてくれる信頼が、心から嬉しかった。



 「オレも思ってた。オレは強いって。だけど違ってた。オレはまだ弱くて、大切な人達を守りきるだけの力もない」


 「雷砂……」


 「だから、オレは強くなるために旅に出た。まあ、他にも理由はあるけど、強くなりたいのは本当。だから、もう少し待ってほしい。オレが、もう少し強くなって、シンファも他のみんなも守れるくらいの強さを手に入れるまで」



 雷砂の言葉を受けて、シンファは考えた。

 シンファが不在の間、雷砂の周りで不穏な出来事が起きていたのは知っていた。

 恐らくそれが、雷砂を旅に駆り立てたきっかけであろう事も。

 だが、その事が未だに雷砂の周りを脅かしているとは思っていなかった。


 確かにそんな状態で、新たなお荷物を抱える気になどなれないだろう。

 そうでなくても、今の雷砂は共に行動する旅の一座に気を配らねばならないのだ。

 雷砂の事情は何となく理解した。

 だが、諦めきれなかった。



 「なあ。もし私が今よりもっと強くなったら、お前のそばに行ってもいいのか?お前の足手まといにならないくらいに強くなれたら」



 思わず、そんな言葉が口をついて出た。



 「シンファを足手まといだなんて思ってないよ!」


 「でも、お前にとっての私は守るべき対象なんだろう?まあ、それも仕方がないとは思う。私は、お前より強いと胸を張って言えるほどに強いわけではないからな」


 「シンファは十分強いよ。オレが規格外なんだ。でも、オレを狙ってる奴も、規格外なんだよ。オレはシンファを、危険な目に遭わせたくない」



 シンファを思ってのその言葉に、なぜだか反発心が湧いた。



 「私を危険な目に遭わせたくない、か。ならばなぜ旅の一座と共に行動する?彼らに危険は無いのか?……一座の舞姫や歌姫と親密だから、彼女達と、離れたくないんだろう?私の事は、一緒に居させてくれないくせに」



 なんだか、すねたような口調になってしまった。

 現実なら、絶対口にしないような言葉だ。

 だが、夢だと思えばそれほど抵抗なく口に出すことが出来た。

 雷砂が笑う。

 微笑ましいものを見るように、愛おしそうに。



 「もしかして焼き餅?シンファが、オレに?」



 問われて、顔が熱くなる。



 「ちっ、違う!や、きもち、なんかじゃ……」



 言い訳する言葉が、尻すぼみに消えた。

 改めて考えたら、やっぱり焼き餅なのかもと思えてしまったから。



 「セイラやリイン達と……一座と旅をする事にしたのは、旅なれないオレには共に旅してくれる人が必要だと思ったからだよ。シンファには言ってないけど、一座の座長は龍神族で、オレに力の使い方を教えてくれたりもする。困ったことになれば、力を貸してくれるしな。一座に同行することは、オレには色々と好都合だったんだ」



 一座と旅をする事に決めた理由を話しながら、雷砂はそっとシンファの体を抱きしめる。

 その気持ちをなだめるように。



 「もちろんセイラやリインは大切だけど、もうじきオレは一座と別の場所へ向かうことになる。それから後は、オレが強くなるまで、大切な人達を守りきるだけの力を手に入れるまで、彼女達には会わないつもりだ。セイラもリインも、戦いの場は似合わない。彼女達には、平和な場所で幸せに過ごしてほしいと思うから」



 もうすぐ訪れる別れを思うと心が痛んだ。

 だが、それを押し殺すように、シンファの体に回した腕にぎゅっと力を込める。



 「シンファと離れて過ごすのも、同じ理由だよ。シンファには、平和な所で幸せに過ごしてほしい。素敵な旦那さんを見つけて、子供を産んで」



 その言葉に促され、雷砂の望むシンファの幸せを思い浮かべてみようとした。

 だが、どうしてもそんな光景は頭に浮かんでこなかった。

 シンファは何かを悟ったようにはっとして、それから自分の体にしがみつくように抱きついている養い子の、頭のてっぺんのつむじを見下ろした。



 「雷砂。お前の居ないところに、私の幸せなんかない」


 「シンファ?」



 驚いたように上を見た雷砂の瞳を見つめ、シンファは想いを込めて微笑む。

 自分の幸せは、この愛おしい養い子の傍らにこそあると、そう思い定めて。



 「待っていろ、雷砂。私は強くなる。お前に守ってもらう必要など無いほどに。そして、すぐにお前のそばに行くからな?」



 シンファは晴れ晴れと笑った。それこそが、自分の願いなのだと。

 雷砂も、仕方ないなぁと言うように笑い返す。シンファが結構な頑固者だと言うことを、長いつきあいからよく知っていたから。



 「わかった。じゃあ、オレも少しでも早く強くなれるように、今より努力するよ。オレだって、シンファと一緒に居たいんだからね」



 大好きだよーと雷砂が笑うと、愛してるぞーとシンファも笑う。

 自然と2人の顔が近づいて、そしてー








 はっと、目が覚めた。

 シンファは目覚めたばかりのぼんやりした意識のままで、ゆっくりと周囲を見回す。

 そこに雷砂はおらず、もちろん草原のただ中でもない。

 ここは、雷砂が以前すんでいた住処。

 シンファが草原の見回りの途中で立ち寄り、思わずうたた寝をしてしまった場所だ。

 どれだけ長く寝ていたのだろうか。眠り始めたときはまだ夕方になる前だったのに、今はもうすっかり日が暮れていた。


 直前の夢を思い出し、シンファは顔を真っ赤にして片手で額を覆った。

 なんて夢を見たのだろうか。まるで現実のような夢だった。夢の終わりに触れ合った唇の感触も妙にリアルでー。

 そんなことを考えると、さらに頬が熱くなってくる。

 シンファは熱い吐息をこぼし、それからぱたんと再び雷砂の寝床に横になった。


 今日はもうここで寝てしまおう。

 もしかしたら、さっきの夢の続きを見ることが出来るかも知れない。

 そんな事を思いながら、シンファは目を閉じる。

 彼女に再び眠りが訪れるまで、それほど時間はかからなかった。


 翌朝、雷砂の元から飛んできた小鳥に託された手紙に、夢だと思っていた出来事が実はただの夢ではなく、夢の中で実際に雷砂に会っていたのだと言うことが判明し、シンファは気恥ずかしさに悶えることになるのだが、それは後の話。 

 今はただ、夢も見ることなくシンファは眠った。朝まで途切れることなく。





 そしてその日から、シンファの身体鍛錬がよりいっそう苛烈なものとなり、部族の者達はそれに巻き込まれて大変な目にあったという。


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