やもり

 夏の暑い日(女、28歳、派遣)


 私は派遣先の某独立行政法人の受付をやっている者です。お盆になると官公庁の来庁者はめっきり減るので、暇を持て余します。その日も朝から閉庁まで仕事らしい仕事をほとんどせずに一日が終わりました。帰宅して、古いマンションの部屋の鍵を開けると、よどんだ熱気を感じました。

 私はクーラーのスイッチを付け、しばらくぼんやりしていました。すると、視界にうごめく何かを発見しました。

 私は身をすくめつつも、天井に何かがへばりついているのを見ました。そしてそれは不意に落下しました。

バシッ

 と、思いのほか大きな音が部屋に響きました。ベッドに腰掛けていた私は思わず声を上げて、降ろしていた足をベッドの上に上げました。虫かなんかだったら、そのまま床を這い回る危険性があったからです。

 私は恐る恐る床を見ました。落ちたあたりにそれはまだありました。床にべったりとくっついているようでした。トカゲの類か何かのように見えました。動かないので、死んだと思い、私は近づきました。

? 私は目の当たりにしたものをうまく脳で処理できなくて困惑しました。

 人でした。小さい裸の人間が床にうつぶせに倒れているのです。10cmほどの人間の死体が床に無残な姿をさらしていました。次第に体液が広がってゆきます。頭の前方には脳漿のようなものが飛び散っていました。私は早急に対処する必要性を感じました。このままでは床に染みが残るからです。

(うわーきもちわるーい)と思いながらティシュを何重にもして死体をつまみました。恐る恐るなるべく感触が伝わらないようにしたので、手元が狂い、下に落としました。その時仰向けになって落ちたそれを見てしまい、あまりのおぞましさに私は気絶しそうになりました。叩き潰されぐしゃぐしゃになった人の顔を見てしまったからです。

 とにかくさっさと再度つまんで、ごみ箱の中に放り込み、それから床の掃除をしなければなりませんでした。この時点で、私は事態の異様さよりもこんな目にあわされることに怒りを覚えていました。

 寝不足のまま翌日目覚めると、私はごみ箱の中身を恐る恐る確認しました。ボールペンの柄でかき混ぜてみましたが、それらしいものはありませんでした。もう、気が抜けてしまって、このまま寝込みたい気分でしたが、会社に行かなければなりませんでした。

 その日の仕事帰り、私はまた天井にうごめく何かに気づきました。まただ、と思った瞬間、落下して、前回と全く同じ場所に叩き付けられました。私は同じ清掃作業を繰り返さなければなりませんでした。そして翌朝には消えているのです。

 次の夜、二度あることは三度ある、と私はあたりを付けて、出現する時間と現れる場所を見定め、私は少し前からスタンバって待っていました。天井に目を向けていたのですが、壁に動くものを発見しました。小さな裸の人間が天井に向かってよじ登っているのです。私は注意深く観察することにしました。それは裸の中年のおじさんでした。

 どういう原理かわかりませんが、壁をよじ登っていくのです。私が注視していることなどまるで気付かず、一心不乱です。やがて、天井に到達して、そのまま天井を這いつくばって行きます。壁と違って、天井はかなり辛そうでした。何度か、手や足が一瞬離れそうになり、力を振り絞っているのか、全身を震わせていました。そして、私がアッと思っている間に墜落しました。人間の体は脆いのです。大きさに比例して、それは助かる高さではありませんでした。

 おじさんの死体を片付けるのも、掃除するのも、私は慣れっこになっていました。けれど、同じところに正確に落下するので、そこだけ床の色が変色してきたような気がしました。何とかしないといけないと思った私は床を拭きながら、ある考えが浮かびました。

 次の日、私は落下地点に水を張ったバケツを置きました。そして、時間が来るのを待ちました。這いつくばっているところを捕まえてしまおうとも思いましたが、想像するだけで寒気がします。小さいおじさんは私に気づいていないのです。コミュニケーションなどもってのほか。

 ややあって、おじさんは出現し、壁から天井に向かって這って行きました。そして落下しました。

 ビシャッ

 という大きな音と、水しぶきを上げました。私は急いで覗き込みます。おじさんはうつぶせのまましばらく浮かんで、そしてゆっくり沈んで行きました。そしてそのまま消えてしまったのです。私はいい方法を見つけた、と思いながら、意気揚々とバケツの水を風呂場に捨てに行きました。しかし、風呂場に入ってすぐ、私は言葉を失いました。

 そこには尻を突き出した見知らぬおっさんが風呂桶にうかんでいたのです。

「そういうことか…」と思わず私はつぶやきました。

(どうしよう…)

 私は途方に暮れてしまいました。

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