サークルピット
サトル君との思い出。
これは私が小学校三年生の時に体験した出来事です。当時私は仲良し三人組で毎日のように遊んでいました。サトル君とタカシ、私は彼らからコーチャンと呼ばれていました。その日、私たちは近所の大きな公園に行く約束をしました。そこで、高校生の知り合いのお兄さんが、当時珍しい、ガソリンで動くラジコンカーを走らせるというので、三人で見に行こうとしたのです。
タカシが、私を呼びに来て、それから私たち二人でサトル君の家に向かいました。サトル君が玄関に出て、気まずそうにしていました。
「ごめんね、いけなくなっちゃった」と残念そうに言いました。どうやら、お母さんに叱られたようです。目の周りが赤くなっていました。ガソリン、高校生というワードが保護者の癇に障ったのだ、と今になれば思い当ります。
サトル君がドアを閉めてしまったので、二人だけで公園に向かいました。午後三時過ぎ、十月初めのまだ暑さの残る午後でした。途中少しだけサトル君の悪口を言いました。
公園は静かでした。ラジコンを走らせる広場には誰もいません。草の匂いがしていました。三十分ほどその場で待ちましたが、お兄さんは現れませんでした。二人では遊びも限られているし、どちらかが、「帰る」といえばそれまでです。その時、後ろから小走りの足音が聞こえてきました。私たちは同時に振り返りました。お兄さんかと思ったら、意に反して、そこにいたのはサトル君でした。
「オー」
「オー、どうしたんだよ」
「抜け出してきちゃった。ラジコンは?」
「うん、ダメみたい。さっきから待ってるけど来ないんだ」
「えーそうなんだ」
申し訳ない気がした私はその罪悪感から、サトル君を持ち上げ、親に反抗する勇気をたたえました。タカシもそれに同調すると、サトル君に笑顔が戻りました。
「せっかくだから遊ぼう」
「遊ぼう」
「遊ぼう」
どういうわけか私たち三人だけの公園は奇妙に静まり返っていました。遊具も少なく、ブランコと滑り台と登り棒があるぐらいの寂しい公園。あとは子供三人には広すぎるスペースが広がっていました。
結局鬼ごっこをすることにしました。じゃんけんで私が負け、鬼になりました。私はしゃがんで手のひらで目を覆いゆっくりと十数えました。
目を開けると、二人の姿はなく、私は公園内を探し回りました。公園内のトイレの裏とかちょっとした茂みを手始めに回りました。かくれんぼと違い追い掛け回すことに意義があるので、凝った所に潜んでいることはないのです。距離をとることが目的なので、見つかっても良いのです。
ベンチの陰に人影を見つけました。タカシです。私が近づくとタカシは走って滑り台の方に逃げました。私は追いかけ、タカシは滑り台に上ると、私が続いて登るのを確認してから滑り降ります。私もそれをすると、またタカシは滑り台に上り、これを繰り返しました。
何度か繰り返すうちに少し疲れて、ふとサトル君のことが気にかかりました。私は広場を見ました。サトル君が走っていました。おかしなことにサトル君は逃げているようでした。私はここにいるのに変でした。
空は曇って、やや薄暗い感じで、風が吹いていました。広場でサトル君は時折後ろを振り返りながら大きく円を描きながら逃げています。私は近づいてみることにしました。
確かにサトル君は逃げていたのです。私は見ました。サトル君は何者かに追いかけられているのです。最初私は大人に追いかけられている、と思いました。気を付けて近づいてみると、
「化け物だ」と私は思い、足をすくませました。
背丈はサトル君の2倍はあろうかと思うほどで、黒いぼろぼろの服を
サトル君は必死でした。ですから私にも気づきません。ただただ、逃げることに集中しているようでした。しかも、範囲を公園内に限る、という鬼ごっこの原則を忠実に守っていました。化け物はよたつきながら追いかけているので、サトル君との距離を簡単には縮められないようでしたが、逃げ場を限られているので、サトル君の描く円が次第に半径を狭めていきました。広場の外周を走っていたサトル君は広場の中心に追い詰められ、広場の半分、三分の1、さらに半分、と小さな円をいつの間にか回って逃げていました。私はすっかり気持ちがすくんでしまい、その場に立ち尽くしていました。
やがて円は5メートル半径で固定され、その場で回り続けました。何周も何周も周り、土煙が上がっていました。恐怖に引きつりながらも、私は目を離せないでいました。私は異変に気づきました。だんだんサトル君の身長が縮んでゆくように感じたのです。それは縮んでいたのではありませんでした。沈んでいったのです。サトル君の半ズボンの脚の膝から下が、いつのまにか見えなくなっていました。回るたびに化け物ごとサトル君が沈み込んでゆくのを私は黙ってみていました。
サトル君も、体が半分ほど埋まるころ、異変に気づき、同時に私の存在を認識しました。
「コーチャン、コーチャン」
「コーチャン、助けて」
「コーチャン」
と、必死で叫びました。私もようやく声が出て、
「サトルーッ」
と呼び返しました。
「早く逃げろ、逃げろー」と声が枯れるほど叫びました。私は近づいて行って助ける度胸がありませんでした。あの化け物の取れかけの頭がときどき私を見ているような気がしたのです。サトル君はなおのこと逃げ回り続け、それとともに地に身体が沈み込んでゆきます。
「コーチャン!」
「コーチャン!」
「コーチャン!」
「コ、ココ」
ついには身体全体が地に埋まり、私を呼ぶ声も消えました。化け物ごとサトル君は地に引き込まれてしまったのです。
後ろでドスン、と音がしました。私はタカシを残していたことを思い出しました。滑り台の下で、タカシは身を屈めていました。やがて耐え切れなくなったのか大声で泣き叫び始めました。どうやら滑り台の上から落ちたらしいのです。
「大丈夫! 待ってておばさん呼んでくる!」と私は言ってタカシの家に走りました。5分ほど走ってタカシの家について、おばさんに事情を話すと、血相を変えて、おばさんは公園に向かいました。私もそれに続きました。
さっきまで誰もいなかった公園の滑り台前に人だかりができていました。おばさんはタカシに駆け寄り、ほどなくして、誰かが呼んだ救急車が到着して、二人はそれに乗り込みました。
私は内心ホッとしました。この騒ぎのせいで、サトル君の一件はなかったことにできるかもしれない、と思いました。私は自分の家に帰って、正直に、タカシと遊んでて、タカシが滑り台から落ちてけがをしたことを母親に言いました。母親は私に何度も事情を確かめてから、タカシの家に電話をかけ、お見舞いを述べました。
案の定、タカシの事件とサトル君がいなくなった事件は全く別物として扱われました。サトル君は忽然と自宅からいなくなりそのまま行方不明になった、として、しばらくしてから別の騒ぎになりました。
大怪我をしたタカシのお見舞いに母親と一度だけ行きました。タカシは話せるような状況ではありませんでした。タカシにその後会うことはありませんでした。怪我のせいで元の小学校に通うことができなくなったためです。
月日が流れました。
あれから十九年後、私は、駅前のコーヒーショップの窓から、サトル君の両親が今もなお続けている、行方不明の捜査協力をお願いするビラ配りを眺めているのです。
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