夜に浮かぶ

 カップル旅行に出かけた男の体験より


 秋の初め、私たちは有名な温泉街に一泊二日の小旅行に出かけました。奮発して露天風呂付きの個室のある宿をとり、休日を楽しむつもりでした。宿は小さいけれど、とても良いところで、サービスも行き届いており、部屋もきれいで、露天風呂も予想を上回る規模のものがしつらえられており、私たちはさっそく湯に入って贅沢を満喫しました。

 食事は部屋食で、夕食が運ばれ、和懐石の豪華なメニューに舌鼓を打ちました。一品ごとに運ばれる料理に感激しつつ、私たちは日本酒の盃を進めました。

 普段あまり飲まない酒をつい飲みすぎたせいか、酔いが回り、二人で夜風にあたりに行くため、近所の有名な松林に向かいました。ここは白砂青松の広大な松林で、国指定の景勝地にも選ばれているところです。夕暮れ時、沖合に浮かぶ小さな島と沈む夕日、そしてこの松原の景色は大層美しいそうです。

 海風を感じながら、長く続く海岸沿いの松林をしばらく歩きました。月がきれいでした。私たちは、はしゃいで、だれもいないのを良いことに、奇声を上げたり、松の陰に隠れたり、散々ふざけまわりました。

 私たちは少し疲れて、松林から少し離れて、コンクリート製の堤防の上で休むことにしました。松原から海に抜ける風と共に、潮のにおいがします。

「あれなんだろう?」と彼女が私に言いました。見ると、月明かりに照らされて白い物体が松の枝の間に揺れています。風船かなんかかな、と思いました。

「UFO?」と私がおどけると、彼女は笑って否定しました。

「お面だよ」

 なるほど、確かに何かの仮面が枝にかかっているように思いました。夜でよく分かり辛いのですが、顔の丸いアニメキャラクターの笑顔にも見えました。夏祭りの夜店で売られているお面が風に飛ばされて引っかかっているのだろうと。

 翌日、宿をチェックアウトして、夜見ることができなかった景色を楽しむため、また松原にやって来たのですが、なぜか物々しい雰囲気。パトカーが停まっていて、人だかりが出来ています。

 近づくと、担架に白い布が被せられているのが、救急車に運び込まれるところでした。嫌なものを見ちゃったな、と思い、早く離れようとしたのですが、一緒にいる彼女は何があったのか確かめたいらしく、動こうとしませんでした。今思えば、彼女は何かを察しつつあったのではと思います。仕方ないので、私たちは事情を知っていそうな、人物に話しかけました。

「なんかあったんですか」

 私が話しかけた人物は長めの白髪混じりの髪に、メガネ、口髭の人物でした。学者風の容貌をしているその人物は一点を見つめていました。私の問いかけに気づき、ゆっくりとこちらを向いて十分に間をためてから口を開きました。

「首つりだよ」

「えっ」

「私が来たときには、巡査があわてて到着したばかりでね。現場は何も手の付けられていない状況だった。遺体がそのままになっていたよ。でも変なんだ」

「変?」

「そう。肥った男でね。見た時にはすでに地面に横たわっていたわけだが、私はさっき首つりだっていったろう?」

「はい」

「私が来たときには人もまばらで、通報したらしい人物、その他二~三人で、私は近づいて確かめることができた。若い巡査はパニクッて下がるようにがなっていたけどね。現場検証もまだだから、覆い隠すわけにもいかない。ともかく私は全容を目の当たりにしたわけだ。それはおぞましい光景だった」

 いつの間にか私の後ろに隠れるように彼女は身をひそめて聞き入っていました。私の腕を組むその力がだんだん強くなっているのを感じました。

「首がないんだよ」

「ヒッ」と小さく彼女の悲鳴を聞きました。

「首は胴体の真上の枝にぶら下がっていたんだ」

 彼女はへたり込んでしまいました。それを見ても男は平然と話し続けました。

「うん、これは想像だけどね。たぶん、自殺した男は手ごろな松に、十分な高さになるまでよじ登り、そこで首と松の枝にロープをかけ、飛び降りたんだと思う。しかし、ロープがビニールでできた伸縮性の安物で、男の体重のせいで強烈に食い込み、胴体が分断されたんだと思う。首は、ホラ」

 と男は上を向いて指をさしました。

「ワッ」と私は声を上げて驚きました。そこにはまだ降ろされていない生首がこちらを見てぶら下がっていました。髪の毛が松の枝に複雑に絡み合って首を支えているようでした。風で揺られながら、その顔は私たちをあざ笑っているかのようでした。そうです。私たちが昨日の夜目撃したアニメのお面だと思っていたものはこの生首だったのです。苦悶の断末魔で、目は飛び出て、口からありえないほど舌が伸び出しているこの男の生首を、昨夜確かに目撃していたのです。漂う死臭を潮の匂いと勘違いしながら。

 こうして楽しいはずの私たちの小旅行は最悪の思い出になったのです。

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