診療所
「どうぞ」
目の前に差し出された湯呑。俺はその湯気を見ながら額に汗を流す。
「いただきます……っ!?」
俺はどう考えても熱いとわかる俺は一気に飲み干す。死ぬほど熱かったがでも今の混乱した頭をリセットするにはそれぐらいの衝撃が必要だった。
「……ふぅー」
飲み干し、湯呑をテーブルに置くと共に俺は大きく息を吐き出す。
「だ、大丈夫ですか?」
「え? あっ、うん。美味しかったよ。ありがとう」
少し心配そうな顔をする彼女に笑顔を返しつつ、お礼を言う。
「それよりもここは?」
俺は真っ白なコンクリートの壁で囲まれた部屋の中を見渡しながら彼女に尋ねる。
「ここは町の診療所です。この町には病院がないので」
「診療所?」
「はい。所々怪我もしているようですし、まずはここかなと」
そう言って彼女は小さく頷いた。
あの会話の後、この町について右も左も分からなく、いく宛もない俺は彼女に引きつられるような形でここへとやってきた。
「今はいませんけど、もうすぐ先生も帰ってくると思いますから」
そう言って彼女は持っていたお盆を持って奥へと下がろうとする。
「あっ、ちょっと待って!」
俺はそんな彼女の手を慌てて掴む。
「さっきの話、もう一回確認させてくれないか?」
俺は彼女の手を掴んだまま、真剣な顔で問い掛ける。
何故俺が彼女に従ってここまできたのか? それはもちろんあのことについて聞く為だ。今が二〇一四年であるということ。そして彼女が雪奈の娘であるということ……
「え? あの、その……」
少し頬を赤くしながら言い淀む彼女。やはり言いにくいことなのか? でも俺もここで引き下がるわけにはいかない。
「お願いだ。教えてくれ」
俺はより一層真剣さを増す形で必死に頼み込む。今の俺には彼女に聞く以外手段がないんだ!
「うひぃー、今日もあっついねー。もう午前の往診だけで汗だくだ……よ?」
と、唐突に開かれる診療所の扉から一人の女性が入ってきた。
その女性は俺たちの姿を数秒凝視した後、
「え、えーと、お邪魔だったかな? ごめんごめん。ごゆっくりー」
そう言ってゆっくりと扉を閉めた。
「ちょ、先生! 違う、誤解ですからー」
そこから彼女は慌てて俺の手を振りほどいてその女性を追いかけていくのだった。
「はははっ、ごめん。雪歩が男連れ込んでるとは思わなくて」
部屋の中へと戻ってきた女性、この診療所の先生だと言う彼女は机の椅子に腰掛けながらそう言ってきた。
「べ、別に連れ込んでません! 怪我してるから治療しに来たんです!」
「わかった、わかったからそんなに興奮するな」
どうどうと宥めるように両手を上下させる女性。
「えーと、じゃあ改めまして。私は後堂ゆら。ここの診療所の、一応医者ということになっている」
「なっている?」
つまり医者ではないってこと? はっ!? まさか闇医者!?
「あー変な誤解してもらうと困るから言っておくけどちゃんと医師免許は持っているよ。ただ本業は医者ではなく研究者。医者はこの場所を借りている副業としてやっている、というわけ」
「そ、そうなんだ……ですね」
良かった。闇医者とかだったらどうしようかと思ったぜ。
「それで、早速見せてもらえるかな?」
「は、はい」
俺は彼女、後堂先生に言われるままに服を脱ぐ。
「ふーん、なるほどね」
聴診器で音を聞いたり、手で体中を触りながら先生は頷く。
「どうやらあなたが不老の民というのは嘘ではないようね」
「え?」
なんでそのことを? ああ、そっか。さっき彼女と外に出ていた時に聞いたのか。いや、それよりも……
「どうしてそんなことがわかるんだ……ですか? 俺が不老の民かどうかなんて」
「もちろん、これでも専門家ですから」
そう言って得意げに笑いかける先生。
「先生は細胞について研究してる専門家なの」
後ろに立つ彼女がそう説明する。
「詳しく言うと少し違うけど、まあ大体そんな感じかな。その研究の一環として『不老の民』についても調べているってわけ」
簡単にまとめてから「で、話を戻すけど」と言って続きを話始める。
「そもそもとして不老の民と呼ばれている人たちだって人間なのよ。私たちと同じ、ね。ただ普通の人間よりも細胞分裂の回数が違うだけ」
「細胞分裂の、回数?」
「そうよ。人は一生のうちに出来る細胞分裂の回数が決まっているの。ただ不老の民と呼ばれる人たちはそれが一般の人たちよりも回数が多い。それが彼らが年をとっても老けない理由だと、私たちは考えているわ」
今まで知りもしなかったけど、俺たちの体にそんな秘密が……さすが専門家! と言いたいところだけどそもそも体を触ったり、見ただけでだけでそこまでわかるものなのか? この人、本当に何者だ?
「先生。それよりも怪我の方はどうなんです?」
と、先生に疑いの視線を送る俺の横から彼女が問いかける。
「あ、ああそうだったわね。……大丈夫。怪我は大したことはないわ。擦り傷程度だし、放っておいてもそのうち治るでしょう。ただ……」
先生が息を飲むような雰囲気で俺を見つめる。
「あなたは十五歳のままだわ」
「え?」
十五歳のまま? それって……
「どういう意味ですか?」
そう先生に問いかけたのは俺ではなく彼女だった。
「そのままの意味よ。この後の体、細胞は十代のものに間違いないわ」
そうハッキリと断言する先生。
なぜそこまでハッキリ断言出来るんだ?
先生の言葉を聞いてより一層強い疑惑の目を向ける。
「もうそんなに険しい目しないでよ。言ったでしょ? 私は専門家なの。だから、触れた肌の感触、筋肉の弾力とかからおおよその年齢を割り出すことが出来るってだけ」
俺の疑惑を抱く心の内を読んだのか、そんな風に軽い口調で説明する先生。
でも、そうか。だとすると今までの疑問も納得出来る。
「どう? 納得してもらえた?」
柔和な笑顔を向けながら尋ねてくる先生。
この先生を完全に信頼してはいないけど……とりあえず話を進める為に今は信じておこう。
俺は先生の問いにコクっと頷いて答える。
「じゃあ続けるね。そもそもとして不老の民と言っても細胞分裂の回数が多いから普通の人間よりは遅いけど、それでも確実に体は老化しているの。だから三○や四○になれば当然少なからず老化が起きている。……でも彼に関してはそれが見られない。むしろまだ成長していると言えるわ」
「それは、つまり……」
「ええ、彼が言っているという十五歳という年齢は嘘ではない、そういうことになるわ」
彼女の方を見て、頷きながら先生は答える。
「あっ、えっと……つまり、どういうことなんだ……ですか? 俺何かおかしい……んですか?」
先生の言葉の意味を一人だけ理解しきれない俺は先生に尋ねる。
「……いくつか質問させてもらえるかしら?」
「え? あっ、はい」
「あなたの名前は?」
「佐渡流介、です」
「生年月日は?」
「一九七九、昭和五十四年七月二十三日」
「血液型は?」
「A型」
そんな感じで何個かの質問に答える。そんな俺の答えを聞きながら先生は机の上にあるテレビ? のような画面にある何かを照らし合わせていく。
「最後にもう一度。あなたの年齢は?」
「十五歳です」
最後の質問に答えると同時に、
「全て一致。これは検査で鑑定するまでもないわね」
うん、と画面を見ながら大きく頷く先生。
「あの……一体何を?」
「雪歩からさっき聞いたんでしょう? あなたが行方不明になっていると」
「え、ええ。それで今は二〇一四年だと」
「そうよ。あなたにとっては嘘に聞こえるかもしれないけど、今は二〇一四年。そして今ここにあるカルテはあなたが行方不明になった時のものでそれがあなたが行方不明当時と同じ身体状態であることを示している。つまり……」
「あなたは昔の姿のまま二十年後の今に存在している」
真っ直ぐに俺を見つめながらはっきりと言い切る先生。
「な、なんだよ、それ? それじゃまるで俺が未来に飛んできたみたいじゃないか!」
「そうね、まさにそういうことになるわね」
彼女に言われた時からまさかとは思った。でも悪い冗談だと、何かの間違いだと思いたかった。いや、そう思わなければ平常心を保てなかったから。
でも彼女だけでなく、先生にまで言われて俺は自覚せざるを得ない。これが現実なのだと。
「大丈夫、ですか?」
そんな俺の姿を心配そうな顔をした彼女が覗き込んだ。
「う、うん。大丈夫だよ」
ふらつきそうになる頭を片手で支えながら彼女に答える。
「混乱してるところ悪いんだけど、あなたが今まで何をしていたのか教えてくれないかしら? もしかしたらこんな状況になってしまったヒントがあるかもしれないわ」
「は、はい」
動揺した心と混乱する頭を必死に押さえながら俺は先生に言われたように昨夜あった出来事を話した。
「なるほど……つまり君は崖に落ちて目覚めたらその洞窟の中にいた、と。そういうわけね」
「はい。そうだ……です」
「ふむっ……」
そう言って考え込むような姿勢になる先生。まるで考える人みたいだ。
「別にその手の専門家ではないから安易なことは言えないけど……とりあえず現状として可能性は二つあるわ」
そう言って先生は指を二本立てて俺に向ける。
「一つ。あなたがなんらかの方法で過去からへ未来へやって来たという可能性。いわゆるタイムスリップってやつね」
タイムスリップってそんな漫画みたいなことが……
そして先生は立てた指の一つをもう片方の手で掴みながら先生は答える。そしてその手をもう一つの指に移動させて先生はもう一つの可能性を口にした。
「そしてもう一つは……あなたはずっと眠っていたという可能性よ」
「え? 眠って、た?」
先生の言葉は確かに俺の耳へと届いた。だがその言葉を俺の頭は上手く理解することが出来なかった。
「眠っていたっていうと少し語弊があるかしら。簡単に言えば冬眠、みたいなものね」
「冬眠?」
「そう。熊なんかと同じ、あの冬眠。あなたはその落ちた穴という場所でずっと眠っていたのよ。二十年もの長い間、ね」
「っ!? そんな……そんなこと……」
「あり得ない。そう言いたいのでしょう?」
俺の言葉を先読みして先生がその言葉を言う。そして、でもね、と言葉を続ける。
「体自体は老いていない。ただあなたの今着ている服。それはどうみても数年着ていたって程度の痛み方じゃない。少なくとも数十年分は風化しているわ」
先生に言われて俺は改めて自分の服を見る。確かに言う通り服は所々ボロボロで色落ちもしている。それこそ二十年前の物と言われてもおかしくないほどに。
「それに洞窟の中は寒かったと言ってたでしょう? だったらその可能性は高いと私は思う。体が老化していないのも腑に落ちるしね」
た、確かにそうかもしれないけど……
「で、でも人間が冬眠なんて、そんなこと……」
「そうね。確かに普通の人間には無理。でもあなたは普通の人間じゃない。『不老の民』そうでしょう?」
不老の民。その一族であるがゆえに起こった現象。
「特殊な細胞組織を持つあなただから、いいえ、あなたたちだからこそ出来た。そう言えるわ」
「俺たちだから、出来た?」
つまりはそういうことだ。この特殊な体を持つ俺だから冬眠なんて言う不可思議な現象が起きて……そして全く昔の姿のまま、俺は今、二十年後のこの世界にいる。
「とは言ってもここまで姿、形に変化がないっていうのは驚きね。今の状況を鑑みるに冬眠というよりも仮死状態に近いのかもしれないわね」
「仮死状態……」
衝撃的なはずのその言葉も今の俺にはどうでも良かった。冬眠だろうが仮死だろうが、俺が今のここにいる。そのことだけが俺の頭を悩ませる。そして今俺の横にいるこの子が雪菜の娘という事実が俺を更なる苦悩へと導いていく。
「大丈夫……じゃないわよね? いきなりこんなこと聞かされたら混乱するわよね」
「い、いえ……」
混乱ばかりの頭を必死に制御して申し訳なさそうに話す先生に言葉を返す。
「やっぱりすぐには認められないですよね」
そう後ろから俺の様子を眺めていた彼女が心配そうな顔でポツリと呟く。
「そりゃ、いきなりあんなこと言われても……君達にしてみたら二十年も前のことでも俺にしてみたら昨日の今日なわけだし」
「あっ、そうですよね」
少しだけ不機嫌さを滲ませた俺の発言に気まずい表情をする彼女。別に彼女は何も悪い事したわけじゃないのに。
「あ、ああっと、別にそれはいいから。それより雪菜はどうしてる? 元気にしてる?」
「「っ!?」」
慌ててフォローしようと発した俺の言葉に二人が同時に反応する。二人は互いに顔を見ながら顔を強張らせている。
「え? なに? どうかしたの?」
「いや、そうか。そうよね。今日目覚めたということは当然あのことも知らないわけだ」
「あのこと? あのことってなんだ……ですか?」
俺の問いに渋い顔をする先生。
なんだよ、それじゃまるで何かあったみたいじゃないか!
「落ち着いて聞いて。君達の村、不老の民は……」
「全滅した」
「え?」
全滅? 全滅ってなんだ? ウチの村が全滅って、それって……
「それって一体どういう意味ですか!」
体を乗り出し、先生に詰め寄る俺。
「言葉通りの意味よ。不老の民と呼ばれていたあの村の住民は一人残らず死亡した。そこの雪歩を除いてね」
「死んだ……みんな?」
死亡した……その言葉の意味を俺は理解している。理解しているからこそ俺には理解出来ない。なんで、どうして村の皆がそんなことに。
「なんで、どうして!」
心の内に生まれる疑念を俺はそのまま言葉にして吐き出す。
「そう思うのも当然だわ。だけど落ち着いて聞いて。あの村に起こった悲劇を」
そう宥めるようにして先生は語り始める。村に起きた出来事を。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます