未来を求めて 〜俺と彼女の恋と事件〜
駒秋一
終わりからのはじまり
「はぁ、はぁ、はぁ」
暗闇の中を俺は一人走っていた。走り出した頃には天にあったはずの太陽も今や完全に沈んでいる。今俺を照らしているのは木々の影から僅かに覗く月明かりのみ。それも進むほどに小さくなっている。
「はぁ、はぁ」
何も聞こえない。聞こえるのは俺の呼吸の音だけ。別に走るのが好きなわけじゃない。走るのなんて大嫌いだ。今だってもうへとへとで今すぐにだって立ち止まりたい。でも、それは出来ない。なぜなら立ち止まってしまったら今よりももっと辛い気持ちを思い出してしまうから。だから俺は走り続ける。夜の森の中を一人、孤独に。
「っ!?」
その瞬間、突如として足の踏み場がなくなった。そしてバランスを崩し、倒れる体。だがそれが地面にぶつかることはない。そうだ、俺は倒れているんじゃない、落ちているんだ。
「うわぁぁぁ!」
何を掴むことも出来ずに真っ逆さまに暗闇へと落ちていく俺の体。
まさか、ここで終わるのか? 俺の人生は? 何をすることも、何かを残すことも……あいつに気持ちを伝えることすらも出来ずに俺はここで死ぬのか?
……でも、それも仕方ないのかもしれない。だって俺は逃げてきたんだから。
「ゆ、きな……」
小さな呟きは夜の暗闇に溶け込むように消え、俺の意識はその暗闇と同じ真っ暗な闇へと落ちていった。
俺は山の中にある小さな村に生まれた。その村に住んでいる人には他の人とは違う一つの特徴があった。
それは年を取らないということである。
と言っても厳密に年を取らないわけじゃない。正確に言うと年を取っても老けることがない、そんな特徴を俺の生まれた村の人達は持っていた。どんなに年を重ねようがある一定の成長、二十歳の頃からまったく老けることなく年齢を重ねていく。
人はそんな俺達のことを「不老の民」なんて呼んでいたらしい。昔なんかはその特徴のせいで人から忌み嫌われ、こんな山奥へと追いやられたとかどうとか。まあまだ子どもの俺からしたらそんなことはどうでも良かった。自分達がどんな体質を持っていようが、どんな一族だろうが。
俺には幼馴染がいた。名前は佐城雪菜。隣の家に住む同い年の女の子。小さな村に生まれた数少ない同年代の俺と彼女はいつも一緒にいた。それこそ朝から晩までいつも一緒、そう言っても過言じゃないくらい俺達はいつも一緒だった。
時に笑い、時に喧嘩をし、長い時間を共に過ごした俺と雪菜。そんな長い時間を過ごすうちに、俺はいつの間にか雪菜のことが好きになっていた。いつ好きになったのか、具体的なことは俺にもわからない。ただ、彼女の笑顔を見るだけで胸の奥がキュッと締め付けられるように苦しくなる。彼女の手に触れるだけでこの上なく心が高まる。彼女と話しているだけでとても幸せな気持ちになる。ずっとこうしていたい、そう思うほどに。
いつかはこの気持ちを彼女へ伝えよう。俺はそう心に決めていた。……だがその決心は無惨にも打ち砕かれる。
ある日の放課後、俺は見てしまった。彼女が告白するところを。
相手は一つ年上の男子、凪沢悠馬先輩。彼は俺達の兄貴的な存在で、いつも俺達に優しくしてくれた。俺は彼のことを慕っていたし、本当の兄貴みたいだなって思っていた。いつか彼みたいな男になりたい、そんな風にさえ思っていた。でも彼のことを憧れていたのは俺だけじゃなかった。兄貴のような彼の姿に雪菜も憧れ、そしてそんな彼に雪菜はいつの間にか恋をしていた。そしてこの時、彼女はその自分の気持ちを彼へと伝えた。
たまたまその現場を目撃してしまった俺は酷く動揺し、そして逃げ出した。
雪菜に好きな人がいた。俺じゃなく他の人を、よりによって俺の憧れていた彼を、一番慕っていた先輩を好きになっていた。
いつか気持ちを伝えよう、そう決めていた俺の決心は見事に打ち砕かれた。バラバラの粉々に。
そして俺は走った。走って走って走り続けた。
もう村を出よう、もう雪菜には会えない。
俺は着の身着のままで村から逃げ出し、森の中を走った。どこへ行こうが、どこに辿り着こうがそんなのどうでも良かった。ただ今のこの辛い気持ちを忘れたい。その一心で俺は走り続けた。
「うっ……」
寒い。
全身に伝わる冷たさを感じながら俺はそっと目を開いた。
「……生きてる?」
目を開き、まず俺が実感したのは自分が生きている、ということだった。
俺は落ちた。暗闇の中を真っ逆さまに落ちていたはずだ。それも生半可な深さではなく、かなりの深さがあったはずだ。落ちていく途中で俺は意識を失ったけど、それでもそれまでの間かなり時間があったように思える。
「……痛くない」
なのに俺の体はどこにも痛む所がない。
「なんだ、これ?」
見ると今の俺の下にぶよぶよとした草? みたいな物質があることに気づいた。これがクッションになったのだろうか?
「それより、ここは……」
俺は体を起こし、辺りを見渡す。そこは洞窟のような空洞。左右にでこぼことした岩の壁があり、前には出口があるかもわからない暗闇がある。左右の壁は発光しているのかキラキラと輝いているように見える。そのせいか、密閉された空間なのにまったく暗くない。
上を見上げると遥か上空に光が見えた。おそらく俺はあそこから落ちてきたのだろう。ほんと、よく生きてるな、俺。
「さむっ!」
そこで俺は肌に突き刺さるような寒さを感じた。目覚めた時も感じたが、ここは寒い。季節は夏のはずなのにその空間は真冬のように冷え切っていた。まるで冷蔵庫の中にいるみたいだ。
「とにかく、ここから出ないと」
いつまでもこんな所にいたら凍えてしまう。
上には出口があるが、さすがにあの高さを登るのは不可能だろう。だとすると残されてるのは、
「……進むしか、ないな」
俺は出口があるかもわからない目の前の暗闇に向かって歩き出した。別に暗闇に恐怖は感じない。落ちる前だってずっと暗い中を進んで来たんだ。それに今の俺の心には終わりの見えない暗闇しかないのだから。
どれくらい歩いただろうか? もう一時間くらい経ったのか、それともまだ十分も経っていないのか。
時間の感覚も歩いた距離すらわからない俺の目の前には未だに出口のみえない暗闇が広がっている。岩の輝きも光っていたのは最初に俺がいたあの一帯だけだったようで、今はその光すらなくなっている。つまりは完全なる暗闇だ。
本当に出口などあるのだろうか?
周囲の暗闇につられるように俺の心の中にも不安が広がっていく。
だが俺は歩みを止めない。次第に押し潰されそうになる心を俺は必死に繫ぎ止め、暗い暗い闇の中を俺は進む。
次第に不安は心の奥底まで襲いかかってくる。そして不安に支配されそうな心の中で俺はふと思う。
何で俺は出口なんか目指して歩いているんだ?
もともと今の俺には闇しかない。生きてもこの先に辛いだけかもしれない。だったらもう諦めていいじゃないか。諦めてここで果てても……
「……んなわけあるかよ!」
俺は一人叫ぶ。自分でもなんでそう思うのかわからない。実際あの瞬間は、あの告白を見た瞬間は全てが終わった、そう思った。だからこそ俺は逃げ出した。
でもダメだ。簡単に死ぬなんて選択だけは選んじゃいけない。そう心のどこかで思っている自分がいる。
死への恐怖か、それとも何かしなくちゃいけないと本当は思っているのか?
そんな葛藤を心の中でしながら俺は進む。一歩、また一歩と自分の心と戦いながら俺は進む。止まったらそこで本当に全て終わってしまう、そんな思いを心のどこかに抱きながら……
「うっ……」
壁伝いに歩いていると曲がったところで突如、突き刺さるような明るさが俺の眼を襲う。突然の眩しさに俺は右手で目を覆いつつもなんとかその光の先を見ようと……光?
俺の遥か前方、そこから眩い光が洞窟の中へと差し込んでいた。
「……出口!」
俺はその光に向かって走り出す。やった、ここから出ることが出来る。俺は期待に胸を膨らませ、光の元を目指す。先程までの不安の足取りが嘘のように進む足。俺が歩を進める度に光はどんどん大きくなっていき、そして……
「うっ!」
ついにその光の元へと辿り着いた俺に訪れたのは真夏の太陽の日差しだった。
あまりに強い太陽の日差し。俺は顔を両腕で隠すように覆う。
「……外、なのか?」
ようやく日差しに慣れてきた俺が目を開くとそこに広がっていたのは……所狭しと広がる木々の数々。そう、つまりは森だ。
「……そりゃ当たり前か」
俺は森の中をずっと走っていたんだ。出てくるのも森の中に決まっている。
「でもこれで凍え死ぬことはないかな」
外に出た瞬間。洞窟の中にいた時の様な寒さが一気になくなった。が、同時に纏わりつくような暑さが俺を襲った。
「これはこれで死ぬな」
夏なのだから暑いのは仕方ない。でもここまで暑かっただろうか? いくらなんでもこの暑さは少し異常のような気がする。
「とりあえず……進もう」
進んだ先に何があるのかもわからない不安に再び苛まれながら今度は林の中を進む。
どこまでだって進んでやる。生きてもう一度雪菜に会うまでは!
「ああ、そうか」
この局面になって俺は知った。自分の本当の気持ちを。
こんな状況になっても俺は雪菜に会いたいんだ。そのことだけが今の突き動かしていたんだ。ふられたも同然の状況なのに俺はそれでもやっぱりあいつの笑顔をもう一度見たい、そう思った。
「……歩くんだ。一歩でも前に」
一度は死んでもいいと思った命。それでも踏みとどまった思いを糧に俺は進む。
「くっ、うぐっ! あっ……」
暫く進むと林が終わり、開けた場所へと俺は出た。
「……町、か?」
その前方、見下ろした先に綺麗な街並みが見えた。
「はっ、やった! 出れた!」
森の中を抜け、その町へと続く道へと出る。
「やった……これで帰れる」
雪菜に会える。
やっと得た安心を糧に俺は町へと一気に駆け降りた。
「……でも、ここどこだ?」
町の中までやって俺は辺りを見渡す。どこもかしこも見たことのない景色だった。まあ、それ以前に俺自体村から出たことがほとんどないからここがどこであろうとわかるはずないのだが。
「とりあえず誰かに聞くか」
まずここがどこで、どうやったら村に帰れるのか、それを聞く必要がある。
と、考えながら歩いていると前方を歩く人影を見つけた。制服姿で歩くその姿からしてたぶん俺と同年代だろう。
よし、あの子に聞いてみよう。
「あの……」
俺は目の前にいる少女へと近づき、声を掛ける。
「っ!?」
だが、俺は振り向いた彼女の顔を見て驚愕した。
「ゆき、な?」
振り向いた彼女は俺の幼馴染、そして俺の好きな女の子、雪菜だった。
「な、なんで、ここに?」
あまりの衝撃に驚きを隠せない俺。そりゃそうだ。だって俺はこいつが告白する現場を見て、それで逃げて来たんだから。いや、そりゃ彼女に会いたいと思っていた気持ちに嘘偽りはない。でもやっぱりそれなりの準備と覚悟が必要なわけで、いきなりこんな形で会うのは想定外というか……
「ゆきな?」
だが当の彼女はというとよくわからないと言う感じで首を傾げている。
なんでお前がそんな顔する……いや、違う。彼女は雪菜じゃない。確かに雪菜によく似ているが背が少し低いし、顔も雪菜よりも幼い感じがする。
「ご、ごめんなさい!」
俺は慌ててその場から逃げようとする。
「ちょ、ちょっと待って!」
その俺の腕を彼女がギュッと掴んだ。
「あの、今雪菜って言いましたよね?」
「あっ、いやその……君が俺の知り合いに似てたから、つい……」
「その知り合いって『佐城雪菜』のことですか?」
「え?」
なんで雪菜の名を……
「その顔……やっぱり知ってるんですね」
険しい表情で真っ直ぐに俺を彼女の瞳。
「君は、一体……」
ポツリと思わず口から溢れた疑問。その疑問に彼女は目を真っ直ぐに見つめたまま答える。
「わたしの名前は凪沢雪歩。佐城雪菜の……娘です」
「雪菜の……娘?」
俺の疑問に答えた彼女の言葉に俺は疑問を投げ返す。
「はい、そうです。佐城雪菜は母の旧姓です」
「旧姓……だって?」
おいおいふざけないでくれ。それじゃまるで雪菜が結婚したみたいじゃないか。いや、それ以前に……
「君、年はいくつなんだ?」
「わたしですか? 今年で十五になります」
「十五って……雪菜と同い年じゃないか」
それじゃ辻褄が合わない。もし彼女の年齢が本当なら、雪奈は0歳で彼女を産んだことになってしまう。そんなことあり得るわけがない。
「同い年って、何を言ってるんですか? そんなわけないじゃないですか」
「でもそうだろう。雪奈は俺と同い年で幼馴染なんだから」
「幼馴染? ……っ! まさか!?」
何かを思い出したかのような顔をする彼女。そして恐る恐るといった感じで俺に尋ねる。
「失礼ですけどあなたの名前は?」
「俺? 本郷歩だけど」
「っ!? やっぱり……そうなんですね」
驚きながらも納得の表情をする彼女。
「なんなんだ。君は何を知ってるんだ!」
思わず声を荒げる俺。
「昔、聞いたことがあるんです」
だが彼女は至って冷静な口調で答える。
「母の幼馴染でとても仲の良かった男の子がいたと。そしてその子はある日突然姿を消し、それっきり戻って来なかったと」
「な、なんだよ、それ?」
まるで全てが過去の話みたいじゃないか。
「……一つ、確認させてくれ」
まさか? そんなわけがない。
そんな心の中の疑念を払いたくて、俺は彼女に尋ねる。
「今は、何年?」
だがそれに対する彼女の答えは至って単純で……そして残酷なものだった。
「今は二〇一四年の七月です」
「っ!? ……そんな……バカな……」
二〇一四年。それは俺が昨日までいたはずの一九九四年から二十年先の世界だった。
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