カムラン=エンフィールド
黒服の男が勧めるままに、彼等の乗って来た車へ乗り込むマサトとアイシュ。
彼等の乗車を確認して、黒服の運転する車が走り出した。
運転している黒服の男達が口を開く様子は無かった。ただ黙々と運転している。
だが、それが不安を掻き立てる。
魔導カードに記された彼の身分は間違いない。だがそれを立証する手立ても無い。非常に巧妙な罠と言う考えも捨てきれないでいた。
ギュッ。
アイシュがマサトの手を握って来る。彼女も不安で一杯なのだ。
考えても見れば、普通に生活している中で、こんなドラマの主人公を思わせるエピソードが実際に起こるなど思いもよらない事だ。
しかも、如何にもな黒服の男達が運転する車に乗るなど、まず有り得ない。
もし一週間前に同じ様なシチュエーションが起こったならば、きっと警察に通報しているに違いない。
だが「現実は小説より奇なり」「一寸先は闇」とはよく言った物だ。
自分達が向かう僅か先の未来ですら、想像する事も出来ない。
マサトもアイシュの手を強く握り返した。
何事も無く、驚くほど拍子抜けにマサト達はスツルト自治領首府ビルへと案内された。
自治領首府はこの自治領の中心に位置する場所にそびえ立っていた。
近代的なビルの様相を呈しており、またこの自治領の中心としてあらゆる政治的、経済的な事案を処理している場所に相応しく、入り口は忙しなく人が往来している。
その中に案内されたマサト達は正面インフォメーションホールを通り過ぎ、他の人達が使用するエレベーターとは違う、政府専用エレベーターに案内された。
政府関係のフロアーは二十階以上となっており、このエレベーターはそこまでの直通となっているのだ。
マサト達は黒服の男に連れられて五十一階へと到達し、そのまま一つの部屋へと案内された。そこはローテーブルとソファーの置かれた応接室のようだった。
本来ならばその部屋で打ち合わせや会合を行うのかもしれないが、今回は待合室として使用される様だ。
「しばらくお待ちください。領主様にご報告してまいります」
敬語やお辞儀など到底似合わない黒服の男がそう告げて部屋を出て行った。
完全に扉が閉まった事を確認して、マサトもアイシュも大きく息を吐きだした。
緊張していないと言えば嘘になる。状況もそうだが、この様な堅苦しい場所に案内される事自体、初めての経験と言える。
「アイシュ、大丈夫か?」
優しく彼女を気遣うマサトに、アイシュは笑顔で頷いた。
「うん。大丈夫だよ。それより…」
彼女の言わんとする事をマサトは理解していた。本番はこれからだ。
ソファーに腰掛けるマサトとアイシュ。同時にマサトは、自分の中で居を構えているユファに話しかけた。
(ユファ。いよいよ領主と謁見になりそうなんだが…)
マサトの言葉を予想していた様に、ユファは腕を組んで目を瞑り、深くその人となりを思い出している様だった。
(うむ。スツルト自治領領主、カムラン=エンフィールドに付いてじゃな)
そして話すべき事が纏まったのか、眼を閉じたまま言葉を選ぶ様に話し出した。
(一言で言えば好人物…じゃな。彼と顔を合わしたのは十数年に一度、皇都セントレアで行われる特別御前会議での席じゃった。彼はまだ自治領主になって間もなくての。屈託なく邪気の感じられない笑顔は印象的じゃった。じゃがその頃から聡明ぶりが際立っておった。周囲からもその将来を
その頃を思い出し、ユファの顔には優しい笑みが浮かんでいる。彼女にとってもその時の思い出は優しく懐かしい物なのかもしれない。
だが次の瞬間、眼を開いたユファの笑みは柔らかい物とは程遠い、嫌らしいものへと変わっていた。
(じゃが我が彼と言葉を交わしたのは十数年前。それからの年月は決して短い物ではないじゃろう。彼がどの様な道を歩み、どの様な人物へと変貌したのか我にも解らん。我らの状況が楽観出来る物では無い事を
彼女の挑戦的な笑顔は、これから謁見するカムラン自治領主に向けられている様だった。
言葉の最後こそ注意を促す物だが、彼に対する評価は悪い物では無いとマサトは感じていた。そしてその言葉を聞いたマサトの緊張は先程よりも解れた物になっていた。
ひょっとしたら情報のみならず何かしらの協力を仰げるかもしれないと期待出来る話だったのだ。
殆ど孤立無援に感じる現状で、支援者の存在は有難く、ぜひとも得たい物だったのだ。
コンコンッ。
その時部屋の扉をノックする音が聞こえる。此方の返事を待つ事無く、先程の男が入って来た。
「お待たせしました。ご案内いたします」
男は丁寧だが感情の籠らない声でマサト達を促す。
彼の後に付いて案内された先は、豪華な両開きの扉を持つ部屋だ。恐らくここが自治領主の部屋なのだろう。
男は再び扉をノックする。
「領主、お連れ致しました」
そして扉に向かいそう告げて恭しく礼を取る。
男が頭を下げると同時に、扉が重々しく内側へと開いた。
頭を上げた男は「どうぞ」と一言だけマサト達に声を掛け中へと促す。どうやら男は入ってこない様だった。
まさかこんな処で何かあるとは思えない。しかし余りにも場違いと感じさせる空間では、多少物怖じしてしまうのも仕方のない事だった。
それはマサト達も同様で、中へ歩を進めるにも恐る恐ると言った物だった。
自然マサトとアイシュは肩を寄せ合い奥へと進む。
彼等の正面には壁がなく、全面がガラス張りの窓となっている。そこから覗く風景は、彼等のいる場所から見えるだけでも壮観な物だった。
その窓ガラスを背にする様な配置で
スツルト自治領主、カムラン=エンフィールドその人だ。
彼はマサト達が部屋の中程まで到達するのを見計らって立ち上がり、彼等の元まで歩み寄って来た。そして握手を求めて手を差し伸べる。
「初めまして。スツルト自治領の領主を務めるカムラン=エンフィールドと申します。宜しく」
耳障りの良い声、爽やかな笑顔、颯爽とした動き、全てが好印象の要素となっている。
しかしマサトは、そしてアイシュは、更にマサトの中に居るユファも、漠然とした違和感に心の中で緊張感を引き締めなおした。
アルカイックスマイル。
フェイクスマイル、愛想笑いとも言うのか。
彼の湛えている笑顔はどこか機械的で、作られた様にしか見えなかったのだ。
カムランはすでに、所謂社会人だ。愛想笑いを浮かべるのもおかしい事ではないだろう。
特にあらゆる職業や役職の人物と頻繁に会う事のあるカムラン程の人物ならば、それが自然に行われてもおかしい事では無い。
しかしマサト達はつい先日まで一介の高校生だ。そんな笑いを浮かべる人物とそうそう出会う事は無い。
だからだろうか。その作られた笑顔を目の当たりにして、違和感、そして
しかしマサトの中から外を窺っているユファはもう少し踏み込んだ印象を持っていた。
彼の眼に宿る光。
それこそカムランなど比較にもならない程あらゆる人物と顔を合わせ、海千山千の曲者達を見て来た彼女だ。その眼にどの様な思惑があるのか、漠然と感じ取っていたのだ。
「初めまして、ミカヅキ=マサトです」「ア、アイシュ=ノーマンです。初めまして」
差し出された手を取りマサトは彼と握手を交わし、隣でアイシュはお辞儀をした。
彼等の年齢がこの場では幸いする。猜疑心を抱いた笑顔が、緊張から来るものだとカムランに思わせた。
その笑顔を崩す事無く頷いたカムランは、マサト達を応接用のソファーへと案内する。
勧められるままにソファーへ腰を下ろすマサト達。カムランは彼等の正面に腰掛ける。
「君達とはちゃんと話をしたいと思っていたのだ」
表情に一切変化なく、カムランは自ら話を切り出した。
「イスト自治領の事は…正直同情を禁じ得ない…」
だがイスト自治領の事を話す時は流石に悲痛な表情となった事には、マサトも救われた想いだった。
カムランにはイスト自治領から始まる事の成り行きを説明する様に求められた。
今更その事を隠しても意味がないと判断したマサトはある一点を除いて包み隠さず説明する。
その一点と言うのは、言うまでも無くユファの存在だ。
ガルガントス魔導帝国はマサトの身と、ユファの保護を優先して行動していた。
マサトの活躍でそれは挫く事が出来た。しかし目的を放棄したとも考えられなかった。
居場所が知れれば間違いなく追っ手を差し向けて来る。マサトにはそう確信が合った。
そう言う意味でも、今カムランの前へ体を曝け出していると言う行為はある種の賭けでもあったのだ。
彼が全面的にガルガントスへ協力しているならば、今ここで捕えられる可能性すらあるのだ。
マサトの話す生々しい現場の状況は、拙い彼の説明でもカムランに十分伝わっているのか、彼の表情からは笑みが消え、深刻な物が浮かび上がっている。
「ありがとう。辛い事を話させてしまったね」
話終えたマサトに掛けられたカムランの言葉は、少なくとも嘘ではない様に感じられた。
その後カムランの口から、スツルト側から見たガルガントス魔導帝国の動きが説明された。しかしそれは報道されていたニュースや街で噂になっている事と大差なく、それらの補足説明に過ぎなかった。
だが現状の再確認が行われただけでもマサト達には有益だった。
また、新たな難問が一つ。
この大陸を制覇したガルガントス魔導帝国は、西端に位置する巨大な港湾都市ピエナ自治領、大陸の玄関口であるこの自治領から出航する全ての船舶を運航停止にしたと言う事だった。
今までは皇都セントレアへ向かう事、このスツルト自治領から出る事を念頭に置いていたが、その後どうするかも明確に考えておかなければならない。それにより目的地を変更する可能すらあるのだ。
「それで、君達はこれからどうするんだい?」
一通りの話を終えて、カムランがマサトにそう質問した。
彼にしてみれば当然の質問。だがマサトにとってこの質問に対する返答は重要だった。
相手は百戦錬磨の自治領主。下手な嘘や方便はすぐに看破されてしまうのは間違いない。
だが、馬鹿正直に答えるのは得策では無い。
マサトの中で一部始終を見ているユファでさえ、一瞬その答えを躊躇した。
「皇都セントレアへ向かいます」
だが彼女が答えを出すよりも先に、マサトは馬鹿正直に答えた。
しかしこれは最も最適解であった。元よりマサト達には答えが二択しか用意されていない。
この地に留まるか。
皇都セントレアへ向かうのか。
そしてどちらを答えても不自然な物にはならないだろう。
「理由を聞いて良いかな?」
一瞬タメを作ってカムランは再度マサトに質問した。
だがユファは気付いていた。カムランの目がマサトの本心を見抜こうと鋭い光を放っている事に。
「イスト自治領の生き残りである俺達は、皇都セントレアで皇女に会い、真実を全て報告する義務があると思っているからです。それにもしガルガントス魔導帝国と戦うにしても、ここでレジスタンスを行うより、旗頭たる皇都セントレアで戦いたいと思うからです」
マサトの返答は澱みのない流暢な言葉だった。
それは彼の本心が語られているからであり、その言葉から異を感じる事等出来ないだろう。
「お願いがあります。俺達が皇都セントレアへ向かう手助けをしていただけないでしょうか?」
更にマサトはそう続けた。
意図してなのかそうでないのか、ここまではユファも驚くほど完璧な流れである。違和感も無い。
今度はカムランが熟考する事になった。マサトの真摯な言葉に、曖昧な返答は出来ない筈だ。
だがスツルト自治領として、彼に手を貸す事はそう簡単では無い。
暫くの後、カムランはユックリと口を開いた。
「あなた達は…皇都セントレアの主、この国の元首であられるレサイア皇女陛下が御隠れになられた事をご存知ですか?」
しかし彼の口から紡ぎ出されたのはマサトの問いに対する答えでは無く、全く別の言葉だった。
「…え!?」
今度はマサトが戸惑う番だった。言葉を無くして絶句するマサト。
ここでレサイア、つまりユファの話を投げ掛けられると言う想定をマサトは全くしていなかった。
「
そして再び彼の眼が光る。
その視線に、マサトは僅かな動揺を隠しきれないでいた。
それもその筈、今話題に上っているユファは自分の中に今もいるのだ。
「そ、そうなんですか!?」
だからそう答えたマサトにやや芝居がかった所があっても仕方のない事だった。
むしろこの状況で取ったマサトの演技は合格点と言える。
だがカムランはその違和感をしっかりと感じ取っていた。
「それでもあなた方は皇都セントレアへと向かうのですか?」
この質問に対するマサトの答えは、現状一つしかない。
「はい!」
だから迷う事無くマサトはそう答えた。いや、そう答えさせられた。
その事からもマサトは強く感じていた。話の主導権を握られてしまった事を。
そしてこのまま話が長引けば、もう誤魔化しきる自信がない事も痛感していた。
「解りました。出来る限りの協力は致しましょう」
フッとその場に流れる雰囲気を解いて、カムランが微笑みながらそう言った。
「よ、宜しいのですか?」
そう話したのはアイシュだった。
常にカムランと相対していたマサトに、少しでも間を空けて余裕を持たせようと言う気遣いからだが、会談は終焉へと向かっていた。
「勿論です。私はこの自治領とそこに住む人々の為に、ガルガントス魔導帝国へ膝を屈しましたが、翻意はあなた方と同じなのです。ぜひそうさせて下さい」
そう言って備え付けてあるビジネスフォンを手に取り受話器の向こうに何事か指示を出した。
暫くして再び扉がノックされ女性が入って来た。その姿からここの事務を執り行っている女性の様だった。彼女の手にはトレーが持たれ、その上には二枚のカードが乗っている。
恭しく差し出されたトレーはテーブルの上に置かれ、そのまま女性は退室する。
二枚のカードはどちらも魔導カードだった。
「こちらはこの街で使用可能な自治領首府発行のショッピングカード。今から二十四時間なら大抵の物を購入して頂いて結構です。勿論上限はありますから気を付けて下さい。それからもう一方はスツルト発ピエナ自治領行の直通列車使用許可証です。これがあれば指定された列車にたいした検閲も無く乗り込む事が出来るでしょう」
マサトはその二枚のカードを受け取った。どちらも彼等が今すぐ欲しかった物だ。
これからの準備をするにも、そして皇都セントレアへ向かうにも、だ。
「私にはこれ位しか出来ませんが、これが私からの餞別だと思ってください」
その言葉にマサトとアイシュは立ち上がり、深々とお辞儀をした。
そうしてマサト達はカムランに再度礼を告げ、自治領首府ビルを後にした。
マサト達が退出してすぐ、入れ替わる様にして黒服の男が自治領主室へ入って来た。彼は最初にマサト達を案内した男だった。
音も無くその男はカムランに近づき、彼の後ろまで来ると恭しく礼を取った。カムランは巨大な窓から眼下に広がる街並みを見つめている。
「ミカヅキ=マサト、そしてアイシュ=ノーマン。彼等に尾行を付けなさい。方法は不明だが、どうやら彼等はレサイア皇女と連絡を付ける術を持っているようです」
彼の方に振り替える事無く、カムランはそう指示した。
「見張るだけで宜しいのですか?」
カムランの指示に、黒服の男は確認を入れる。
「ミカヅキ=マサトはアクティブガーディアンだそうだ。加えて三日月流剣術の使い手でもある。アイシュ=ノーマンは彼のガーディアンガードで優秀な魔法士。下手に手を出してこちらが逆撃を食らうのは面白くない。今は所在を把握するだけで良い」
その言葉を聞いて再び礼を取った黒服の男は、やはり音も無くその部屋から出て行った。
「いずれ利用出来る時に、最大限利用させてもらう」
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