尾行

 スツルト自治領首府ビルから出たマサトとアイシュだが、その直後から彼女の様子に異常が見られだした。傍目にも顔色が悪く呼吸も荒い。具合が悪くなっている事は一目瞭然だった。


「アイシュ?アイシュ!?どうかしたのか?大丈夫か!?」


 その異変に慌てて声を掛けるマサト。


「う…うん…なんか…具合…悪くて…」


 そう答えたアイシュは心底苦しそうだ。


(む!これはいかんの!マサトよ!すぐに物陰へとアイシュを連れ、彼女をお主の中へ呼び込むのじゃ!急げ!)


 マサトの中から一部始終を見ていたユファは、切羽詰まった様子でマサトに指示した。

 普段それ程取り乱す事の無いユファの慌てた声音に、マサトも急いで建物の陰へアイシュを連れて行く。


「アイシュ、すぐに俺の中へ」


 そしてそのままユファに言われた通りの事を告げる。

 彼女は聖霊体であり、今は実体化を出している状態だ。その気になれば即座にマサトの中へ入り込むことも、マサトが持つ魔魂石の中へ戻る事も可能だ。

 呼吸を荒げ、額に汗を浮かべているアイシュの体は僅かに光を放っている。


「…ゴメンね…マー君…」


 アイシュはそう言って光を放ったかと思うとその場から消え失せた。

 だが消滅した訳では無い。マサトは自分の中にアイシュがいる事を感じた。


(どうだ、ユファ?アイシュは大丈夫なのか?)


 マサトは自分の中のユファに声を掛ける。アイシュは横たわり、ユファが膝をついて彼女を看ていた。


(一先ずこれで大丈夫じゃ。詳しい話をする前に、まずは尾行を撒かねばなるまい)


 アイシュの容体を確認したユファは、マサトにそう告げた。


(尾行!?尾行されていたのか!?ユファ、よく気が付いたな)


 マサトには全く気付けなかった事をユファは事も無げに言ってのけたのだ。だがその理由は何とも言えない大人の都合であった。


(いや、気付いた訳では無い。じゃが我がカムランの立場なら同じ事をするじゃろう)


 つまりあの自治領主室でカムランが口にした協力やら餞別と言う言葉は相手に取り入る手段の一つであり、結局のところは彼の目的の為に油断させ泳がせているだけと言う事だった。そしてその目的と言うのは…。


(まあ、我の所在を確認する為じゃろうな)


 そう言う事だ。勿論マサト達も標的となっているだろう。


(それで、何か尾行を撒く手段を備えておるのか?無ければ我が何とかしても良いぞ?)


 色々と愚痴っぽい事をユファに言いたい気持ちになったが、今は彼女の言う通り尾行を撒く算段を整えなければならない。


(いいよ、俺がやってみる)


 そう言ってマサトは精神を集中させていく。

 三日月流剣術「索敵」。魔法では無い。自らの気を四方に拡散して、その有効範囲に居る者の人数や魔力を探る技法である。

 だが、ただ気を周囲に発散すれば良いと言う物では無い。

 己の気に微弱の魔力を練りこみ周囲に散布する。これにより正確に人数や特性を探る事が出来る。

 そしてこれは魔法では無い。当然魔法発動の気配を相手の魔法士に探られる事は無い。


(確かに、強力な魔力を持った不自然な動きをしている魔法士が二人…いるな)


 マサトの索敵はそれ程広範囲では無い。しかし尾行の位置を探る程度はお手の物だった。


(ふむ。周囲に潜む人間の気配を探る技法か。興味深いの。これも三日月流剣術の流れを組んでおるのか?)


 以前からそうであったが、ユファは新しい事に興味が尽きない。

 それが文化であろうとファッションであろうと、そして技術であろうと。


(まあね。『索敵』って言う技だ。それよりも一旦尾行を撒くぞ。いきなりアイシュだけ消えたんじゃ、相手に不審がられるからな)


 いきなりアイシュだけがいなくなる。それだけで尾行者達に衝撃を与えてしまう。しかもそれが突然消え失せると言った事象ならば尚更だ。


(それが良いじゃろう。しかしその様に便利な技法があるなら四六時中使用すれば良いのではないか?)


 ユファの疑問はもっともな意見だが、不可能な提案でもあった。


(無茶言うなよ。達人クラスならそれが出来ても、俺レベルなんて少し探りを入れる程度で精一杯だよ)


 そう言いながらマサトは路地の更に奥へと歩を進める。


(それは良いがマサト、この奥は行き止まりじゃぞ?)


 確かに、通りを入って十メートル程でこの路地は行き止まりになっている。これでは尾行を撒く所の話では無い。


(いや、ここはこれでおあつらえ向きなんだよ)


 そう言ってマサトは再び集中する。途端に彼の気配が希薄な物に、いや、殆ど感じられなくなっていった。

 三日月流剣術「隠密」。気配を魔力と共に極限まで薄くする技だ。最終的には気配を一切消してしまう技術である。


(どうなったのじゃ?)


 マサトと対峙していれば、彼が今どんな状態なのかすぐに解りもするが、彼の中に居るユファには、マサトが何をしたのか知り様がなかった。


(今に…解るよ…)


 そう呟いてマサトは入り口付近の壁にソッと張り付いた。しかしその行動はとても隠れている様には見えない。

 暫くするとマサト達がいる路地裏へ男が二人、慌てたように駆けこんできた。

 彼等は尾行者で、路地裏へ入り出てこないマサトとアイシュを追って駆けこんできたのだろう。

 彼等は路地に入り、すぐにそこが行き止まりと気付いて慌てだした。


「くそ…どこに…!」


「慌てるな。そう遠くに行っていない筈だ。手分けをして探すぞ」


 彼等は短く打ち合わせると、入って来た時と同じように慌てて路地裏から出て行った。

 それを確認してマサトは路地を出ると、彼等と反対方向に歩き出した。


(マ、マサト…彼等はどうなったのじゃ?幻術の類か何かか?)


 彼の希薄になった気配を感じる事の出来ないユファは、尾行者が二人マサトの前を右往左往して出て行ったことに理解出来なかった。


「ふいー…」


 そして漸くマサトは「隠密」を解いた。この技法は体力や魔力よりも気力と集中力を必要とし彼の苦手とする物だった。それにも拘らず皮肉な事に彼の技術は一族随一だった。


(幻術とかじゃないよ。気配を限りなく薄くする技法なんだ)


 ウズウズとマサトの返答を待って居るユファに簡単な「隠密」の説明をする。


(なんと…。しかしあやつらの視界にはお主の姿が捉えてられておったはずじゃ。殆ど目の前にいるお主の姿に気付かないものなのか…)


 事も無げに話すマサトに、信じられないと言った風に呟くユファ。確かに尾行者は彼の眼前を行き来していた。その間マサトは別段身を隠す様な素振りを取らなかった。ただ壁に寄り添って立っていただけだったのだ。


(そうだなぁ…。あいつらの目に俺は看板とかゴミ箱とか、それこそ壁にしか見えなかったのかもしれないな。それ程あいつらにとってさっきの俺は気にするに値しない物となってたんだよ)


 目に映りこんでも気に留めなければ認識出来ない。気配を薄め、消すと言う事はそう言う事なのだ。何もその場から消え去る訳では無い。


(でも間違いなくそこに存在しているからね。魔法で姿を消すのとは違って、よく注意して視れば感づかれてしまうんだ。『隠密』は本来、障害物の多い所や何かに身を隠す時に使う技法なんだよ)


 確かに姿を消しているのでなければ注視する事で発見する事が可能だろう。だが先程は尾行者も慌てていた。姿マサト達を見失ったと思った尾行者達は少なからず動揺していただろう。まさかその場で等思いもよらない事だ。


(なる程…ただ立っているだけでも気付かれないのじゃ。それこそ障害物等が多ければ発見は困難じゃな…)


 ユファはしきりに感心している。


(それよりもユファ、アイシュの容体は?大丈夫なのか?)


 話を切り替えなければ、それこそ際限なく質問攻めを行いかねないユファにマサトがストップを掛けた。今は三日月流剣術講座を行っている場合では無い。


(ああ、そうであった。今は容体も安定しておる。この状態で安静にしておれば問題なかろう。考えても見ればこやつは慣れない実体化を三日間維持しておったのじゃ。多少無理が祟っても致し方あるまい)


 アイシュはマサトが倒れてから昼夜問わず付きっ切りの看病を行い、今日も彼に同行したのだ。普通の人間でも卒倒している程疲れているに違いなかった。

 だがここでマサトには疑問が沸き起こる。


(でもユファ、その実体化でも疲労や苦痛は感じるのか?)


 以前ユファから話を聞いた限りでは、実体化とは魔力を元に作った体だと言う事だ。アイシュが気にしていた様に、人間の体とは根本から違う。


(ふむ、五感は持たせておる。じゃが苦痛や状態異常に関しては情報を遮断する事は出来る。それを他者にどの様な信号として知らせるかはそれぞれじゃな。)


 彼女からの返答は、マサトが思った通りの物でありそうでない物であった。


(さっきアイシュが苦しそうに汗をかいて呼吸も荒かったのはそう言う事なのか)


 だからアイシュの異変を察知する事が出来たのだ。


(ふむ。それは『人』だった頃の条件反射じゃな。感情の起伏や体の機能に不具合が生じた時、最も適当で理解し易い表現を以て他者に信号を送るのじゃ。今回のアイシュもそうじゃが、例えば痛みにしても不具合箇所を押さえて苦痛の表情や声を上げる方がお主にも理解しやすかろう?)


 確かに状態を表現するには感情に表す事が一番解りやすい。


(じゃが、全く表情を表に出さぬことも出来るぞ)


 マサトは全く無表情で話すアイシュやユファを想像した。


(いやー…それはそれでちょっと怖いな…)


 アイシュやユファに違和感を覚えないのはその豊かな感情表現からであるところが大きい。それが無くなっては、単なる小言マシーンとウンチクロボットだ。


(そうか…ではこういうのはどうじゃ?ダメージを負う度に、受けたダメージの大きさで恍惚の表情を取ると言うのは?)


 …………。


(いや、それは色々ヤバいな!ってゆーか、それじゃあ気になって戦闘に集中できねーよ!)


 マサトは戦いの場で恍惚の表情を取るアイシュとユファを想像した。確かに思春期真っ盛りの彼に、そんな状況で平静を保てるとは思えない。それに下手をすると、彼の中の何か危ない物まで目覚めてしまうかもしれなかった。


(そうか…ならばこれはどうじゃ?魔力の減少や状態異常を、眼が光り点滅する事で知らせるのじゃ。これならばお主もすぐに気付くじゃろう?)


 …………。


(怖い!怖いよ!それ夢に出て来るよ!ってゆーか、もうそれ人間じゃないだろ!)


 マサトがユファにツッコみを入れた直後、彼は自身を監視する目に気付いた。

 例え「索敵」を使わなくても、周囲を警戒していれば自分を見る異質な目に気付かないマサトでは無い。俗に言う「気配を感じる」と言うやつだ。


(ユファ、冗談はここまでだ。また尾行が付いた)


 今まで冗談を言っていた(付き合ってくれていた?)ユファに警鐘を鳴らす。

 その言葉に彼女も緊張感を高めた。


(しかし十分に時間は稼げたの。これできやつらが我らを見失っている間にアイシュと別れ別行動を取ったと考えてくれるじゃろう。しかし…)


 最後にユファは言葉を濁した。アイシュがと言う事実は隠し通せても、彼女と別行動をとると言う理解し難い考えを彼等に植え付けてしまった。


(これで俺達は完全に不審者となったな。監視の目も今まで以上に厳しくなるか)


 元々自治領主カムランからは監視されていたが、マサト達の年齢からそれ程重要視されていなかったかもしれない。だが今回の事で何か意図が合って動いている、画策していると思われても仕方が無かった。


(なに、このスツルト自治領で所在が知れてからずっとそんな状態じゃった。今更じゃな)


 しかしユファの言う事ももっともだ。警戒度が増したと言っても、今まで全く監視されていなかった訳では無いようだ。ならばマサト達にとっては若干の違いでしかない。


(して、マサトよ。これからどうするのじゃ?)


 そして監視が厳しくなったからと言って、彼等の取る行動に変化が訪れると言う事は無い。


(買い物だよ。必要な物を揃えないとな。折角自治領主様のご厚意で、タダで買い物が出来るんだ。せいぜい今のうちに変えるだけ買っておこう。ユファ、必要な物を言ってくれるかい?)


 彼の問いかけに、ユファはニヤリとしてリストを口にしていった。

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