ただそばに居るだけで
マサトが目覚めたその日の早朝から早速行動は開始された。
イスト消失からすでに丸二日が経過しており、マサト達にのんびりと事を進める余裕を奪っていた。時間が経てば彼らを追うガルガントス魔導帝国の手が迫ってしまう。
何より一刻も早くユファを皇都セントレアへ送り届けなければならない。
街中を不自然にならない程度で警戒して歩くマサトとアイシュ。
当のユファはその目立ち過ぎる容姿から、今はマサトの中で待機している。
マサトが前を歩き、その後をアイシュが付いて歩く。だが彼女の表情は優れない。
「アイシュ、どうかしたのか?」
流石にその異変を気付かないマサトでは無い。幼い頃からの付き合いであり、今は許嫁と言う仲である。彼女を気遣う様な優しい言葉が投げ掛けられる。
「…うん」
しかしそのアイシュからは肯定でも否定でも無い返事が返って来るのみだ。
彼等がホテルから出て暫くしてから、アイシュはずっとこの調子だった。マサトの問いかけもこれで三度目だ。
明らかにバイオリズムの変調が見て取れる。大丈夫な様には決して見えなかった。
「…マー君、あのね…私のこの体…どう思う?」
意を決したのか、アイシュからその言葉が漏れだした。
「ど、どうってお前…」
すぐにその意味が理解出来ず、マサトは動揺した様に口籠る。
アイシュの体…可愛いとか、色っぽくなったとか、目のやり場に困る程立派になった胸だとか、見惚れてしまう位女っぽくなったとか…。ここ最近思春期全開のマサトがいつも考えていた事が頭の中をグルグルと巡り、どう言って良いのか見当が付かなかった。
だがアイシュが気にしているのは全く別の事だった。
「私の体…気持ち悪くない?」
だから彼女の口から紡ぎ出された言葉は、マサトの想像し得ない言葉だった。思いもよらない言葉に、再びマサトは絶句する。
「私の体はユファと違って本物の体を持たない、幽霊みたいな存在なんだよ?精霊体とか精神体とか、アストラル体とか色んな呼び方があるけどその…気持ち悪くないかなって…」
ホテルを出て、活気のある街を見たアイシュは、今更ながらにその事が気になってしまったのだろう。
「そんな事、思う訳ないだろ!」
一瞬の
「でもちゃんとした人間じゃないんだよ!?本物の体だってないしその…子供だって…産めないんだよ…」
だがマサトがそうであるように、アイシュも思春期を迎えた少女である。
どれ程しっかりとした考えを持ち気丈に振る舞っていようと、彼女の待つ母性がその事に不安を掻き立てたのだ。そして一度考えだすと容易に振り解けなかったのだ。
すでにアイシュは足を止めて項垂れている。その両肩は小刻みに震えていた。
マサトは彼女に向き直りユックリと近づきアイシュの手を取る。伏せられていた彼女の目がマサトへと向けられ、彼はそれを正面から受け止め見つめ返した。
「アイシュが人間かどうか何て考えた事も無いよ。どうしても気になるんなら、全てが終わってから一緒に考えよう。本当に人間じゃないのはアイシュじゃない。イストを平気であんな風にしてしまったガルガントスの奴らこそ人間じゃない!」
最後の言葉には力が入り、アイシュの手を取るマサトの手にも力が入る。感情を抑えてはいるが、ガルガントス魔導帝国に対する彼の憎悪は相当の物なのだろう。
「それにその…子供の事は良く解らないけど…今はお前が傍に居てくれればそれで良いよ。こうやってお前の温もりを感じられるだけで、俺は救われるんだ」
そう言って彼はアイシュに柔らかい温もりの籠った微笑を向ける。その言葉に偽りは一切含まれていない事をアイシュも感じとった。
「マ、マー君!」
感極まった彼女がマサトに飛びつく。彼もそれを正面からしっかりと受け止めた。
マサトの胸に飛び込んだアイシュからは小さく嗚咽が聞こえて来る。彼女なりにずっと不安だったのだろう。
そんな彼女の頭を優しくなでるマサト。たった数日で大事な人を全て失くした二人は、その関係以上に互いを必要とし依存しあっているのだろう。
ユックリと顔をマサトに向けるアイシュ。その瞳は涙で潤んでいる。
だがマサトはその瞳を美しいと思った。そして何よりアイシュを愛おしいと強く感じていた。
「マー君…」
「アイシュ…」
見つめ合う二人。互いの吐息と鼓動以外何も聞こえない。
ユックリとアイシュの顔が近づく。アイシュの潤んだ唇が甘い吐息を零す。
(あー!うほんっ!)
突然、マサトの頭の中で大きく咳払いが起こった。
その音にマサトの体がビクッと跳ねあがり、その動きを感じたアイシュもビクリと強張る。
咳払いの主はユファだった。
(良い雰囲気の所申し訳ないのじゃが、目立たぬ様に我が表へ出ていないのが、これでは台無しなのではないか?)
その指摘にハッとなるマサト。アイシュも周囲の異変に気付く。
彼等を中心にいつの間にか人の輪が形成され、彼等の動向を注視している。
向けられる視線は
「ねぇ、お母さん。お兄ちゃん達、キスするの?」「これ、見てはいけません」
どこかからそんなやり取りが聞こえて来た。それを聞いた途端、マサトとアイシュの顔はこれ以上ない程赤くなる。
若い彼等のラブコメに、周囲の人々は訝しむどころか微笑ましく見守っていたのだ。
マサトはアイシュの手を取り、脱兎のごとくその場を離れた。後方からは小さく笑い声が聞こえて来る。
無我夢中で建物の路地へと逃げ込んだマサトとアイシュは、そこで改めて人混みの方を確認する。
彼等がその場を離れた事で、人の輪は自然に解散となっていく。よく見るとそこにはスツルトの警護兵も居合わせており、彼等も苦笑していた。
お尋ね者となっているかもしれないマサト達にとっては、不覚と言っても差し障りが無い程の失態だった。
「あ、あぶねえ!油断大敵だな!」
「ええ、油断禁物よ!」
流れる汗を拭きながらマサトがそう零し、アイシュが激しく首肯して同意する。
(お主達…)
そんな彼等に、ユファは言葉を失うしかなかった。
気を取り直し、改めて街中を行くマサトとアイシュ。勿論不自然ではない程度に周囲への警戒は怠っていない。
そして当初の目的であったATMが設置してある店舗へと到着した。
比較的朝の早い時間に貯金を下ろすとなると、店舗に備え付けのATMを使用する以外にない。
ただセキュリティーにおいては金融機関のそれと大差ない。もし何らかの制限が設けられていてはお手上げだった。
しかしそれは杞憂へと変わる。
驚くほどスムーズに、何の問題も無くマサトは貯金を下ろす事に成功する。そしてそれはアイシュも同様であった。
ユファの憶測通り、彼女の体が変わっても魔力の波長が変わった訳では無い。そしてその判断をATMが行えるものでは無かった様だ。結果アイシュも問題なく使用できた。
しかし変化は突然訪れる。
やや拍子抜けして店舗を出た彼等の前に、二人の黒服を纏った男達が立ちはだかった。
「ミカヅキ=マサト君とアイシュ=ノーマンさんだね?」
咄嗟に身構える彼等に、黒服の一人がそう尋ねて来る。自然体ではあるがその身のこなしは只者では無い。マサトとアイシュは即座にそう見抜いた。
「…何者だ?」
マサト達はスッと臨戦態勢を取る。マサトは勿論、アイシュも三日月流剣術の教えを受けている。武道を高いレベルで修めている彼等は、魔魂石で守られた街中ならば余程の者でない限り後れを取る事は無いと自負していた。
「待ってくれ。私達はスツルト自治領首府の者だ」
構えを取るマサト達に、黒服の男が慌てて身元を説明する。そう言って魔導カードを一枚、マサトに差し出した。
魔導カードはあらゆる場合に使用出来るカードであるが、何よりも複製が出来ないと言う利点がある。何ヶ月も前からマサト達を欺く為だけにカードを用意すると言う事も考えられるが、余りにもそれは非現実的であった。
魔導カードで造られた身分証ならば、かなり高い確率で信じられるものだと言える。
「スツルト自治領主様が君達との会見を望まれている。一緒に来てもらえないだろうか?」
高圧的では無く懇願する様な物言いには好感が持てた。彼の言い方ならば、その申し出を拒否する事も可能の様に思える。
(ユファ、どうする?)
マサトは即答する愚を避けた。彼の感性と、第三者が受ける印象が必ずしも一致する物では無いからだ。そして便利な事に、彼の精神面にはこの手の事に長けているユファが控えていた。
(うむ。勿論罠と言う事も考えられる。だが見た所その可能性は低いようじゃ。何よりも我らには情報が皆無じゃ。今は出来るだけ情報が欲しい所。ここはその男に付いて行くのも一つの手じゃな)
マサトも同感だった。それにもし協力を得る事が出来るのならばこれ以上の援軍は有り得ないだろう。
マサトはアイシュに頷いた。そして彼女も頷いて返す。
「わかりました。俺達を自治領主様の元へ案内して下さい」
マサトは一歩前に出て、黒服の男性にそう告げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます