遺された者達

 目を開けるとそこには彼の知らない天井が広がっていた。

 天井だけでは無い。目に飛び込んでくる光の光量、息をする度に解る臭いの違い。

 彼、ミカヅキ=マサトには、ここが自分の部屋では無いと即座に理解出来た。


「あ、マー君!目が覚めたんだね!」


 しかし耳から入って来たこの声には聞き覚えがある。当然だ。

 その声は幼い頃からいつもすぐ近くで聞いて来たのだから。


「おはよう…って、今は夜だった…あはは…気分はどう?」


 彼女の名はアイシュ=ノーマン。

 幼馴染であり、今は許嫁でもある。マサトにとっては最も大切な人の一人だ。


「ふむ。顔色は悪くない様だな」


 続いて聞こえて来た声にも聞き覚えがある。出会ってから僅か数日しか経っていないが、彼女の現状から忘れようにも忘れられなかった。

 彼女の名はユファ=アナキス。セントレア魔導皇国を治める皇女だ。訳あって今はマサトの精神世界に居を構えている。


「どれ…熱は…」


 ユファはそう言って彼の額に自分の額をくっつけた。朦朧もうろうとした意識の中でうっすらと開いた目に、彼女の端正な顔が飛び込んでくる。


「どぅわっ!」


 急激に覚醒を強制され、マサトは上半身をバネのような動きで起こした。しかし今度は急激な動きで軽い眩暈めまいに襲われる。


「無いようじゃな」


 そんなマサトの奇怪な動きを気にした様子も無く、ユファは冷静に結果を口にした。


「ちょ、ちょっと、ユファ!それはズルいでしょ!」


その彼女に、アイシュが猛抗議を掛ける。


「ん?なんの事だ?」


 恍けているのか真面目に答えているのか、ユファにはアイシュが真っ赤な顔で抗議する理由が解っていない様だった。


「な、何って…その…お、おでこをくっつけるやつよ…」


 彼女の抗議は最後の方で尻すぼみに小さくなっていった。そして顔は更に真っ赤になっていく。


「なんじゃ、その事か。熱を測るにはこれが一番なんじゃが。お主、知らぬのか?」


 そんなアイシュに彼女は真顔で説明する。どうやらユファの周辺では、熱を測るには額同士をくっつけるのが至極当たり前の様だった。


「そ、そうなの?じゃ、じゃー私もやってみよっかなー」


 そしてアイシュは何故か嬉しそうにマサトの額へ自分の額をくっつける。

 寝起きと眩暈で覚醒しきれていなかったマサトも、流石に彼女のアップを見て完全覚醒に至った。


「ね、熱はもう大丈夫だよ!そ、それよりも喉が渇いたよ」


 アイシュと同じ位かそれ以上に顔を真っ赤にしたマサトが、上半身だけ後退りながら主張した。


「じゃー飲み物貰って来るね。それから何か軽い食べ物もあった方が良いよね?」


 ムフーッっと何故か満足気なアイシュがそう言いってマサトの顔を覗き込む。その返事に呼応する様に、マサトのお腹がグゥーッと食料を要求した。


「…お願いします」


「うん!すぐに持ってくるからね」


 申し訳なさそうにそう言った彼に、アイシュは明るい声で返事をし、リズム感のある足取りで部屋のドアから出て行った。

 そして部屋の中にはマサトとユファだけとなった。

 静寂が支配した部屋で、マサトは改めて部屋の中を見回した。

 質素な部屋だった。窓際に小さなテーブルが一つと椅子が向かい合って二脚。ベッドはマサトが使っている物一つだけ。照明も埋め込み型のライトが数個灯っているだけだ。

 恐らくどこかのホテル、その一室だろう。

 だが問題は何処のホテルなのかと言う事。

 その時、急激にマサトの記憶が再生を始めた。

 急襲した謎の軍隊と燃えるイスト自治領。父ユウジと母イリス。消滅するイストの街。そして目の前で死んだ…妹ノイエ…光に包まれるアイシュと…チェニーピクシス!


「ユファ…ここは…何処なんだ?」


 絞り出すような声でユファに尋ねるマサト。あの惨劇が夢だったなんて子供じみた逃避をするつもりは無かった。だからここがイスト自治領にあるホテルの一室だなんて思う様な事も無かった。


「ここはスツルト自治領のビジネスホテルだ」


 機械の様に淡々と、聞かれた事だけを答えるユファ。彼女はマサトの心情を察したのだろう。


「俺はあれから…どれくらい寝ていたんだ?」


 自分の記憶がチェニーとの戦闘中で途切れている事は理解出来た。問題はそれからどれくらい経っているかと言う事だった。


「丸二日だ。発熱もしておった。アイシュに感謝するのじゃぞ。あやつは休むことなく看病し続けていたのだからの」


 その返答にはユファのアイシュに対する感情が込められていた。どこか優しい、思いやりのある声音だった。


「…そうか…」


 しかしマサトにはそう返答する以外言葉は無かった。

 再び静寂がこの部屋の主となった。


「わりぃけど、ユファ。少しだけ…一人にしてくれないか?」


 その静寂を破って、マサトは絞り出すような声で彼女に懇願した。


「…うむ」


 そしてユファも、その理由を聞く事無くそう答え、スタスタと部屋から出て行った。

 ドアの閉まる音が聞こえると同時に、マサトから抑えきれない感情が涙となって溢れだした。

 僅かな間に失くした物の大きさとその多さに、彼の心は後悔と自虐心に占有されてしまったのだ。

 決して彼の責任では無い。

 あの夜の事は全て、誰にも防ぎようがないし、どうしようもなかった。

 彼に出来た事はあの夜の通り、ただ逃げる事だけだった。

 しかし。

 彼はアクティブガーディアンだ。イスト自治領の抑止力たるエクストラだ。

 その想いが、果たせなかった責任が彼の心に重く圧し掛かっているのだ。


(大切な物を何一つ守れなくて、何がアクティブガーディアンだ!)


(逆に皆から守られて、何が抑止力だ!エクストラだ!)

 

 ただひたすら後悔と自責の言葉を自信に投げつけ、彼は無力感に苛まれていた。

 だが、そのまま無力感に呑み込まれると言う選択肢はマサトには無かった。

 後悔しても時間は巻き戻らない。それにそんな事で立ち止まっていては、父に、母に、そして何よりも最愛の妹ノイエに怒鳴りつけられる事は間違いなかった。

 ならば救われたと言うよりも、託されたと思いたかった。

 彼等の想いを託されたのならば、自分なりに受け止め、解釈して、成し遂げなければならないと考えていた。

 泣いて立ち止まり続ける事等許される事ではないとマサトは決意した。


(ただ…)


(ただ、今だけは…)


 失った、もう戻る事の無い愛しき人達の為に泣く事を許して欲しい。

 マサトはそう願った。


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