傷跡

(さっきの声…ノイエちゃんだった…)


 すすり泣きながらアイシュが呟く。


(うむ。ノイエじゃった…。あれは残留思念じゃな…)


 ユファも感慨深げに呟いた。


(…残留…思念…?)


(うむ。人の強い想いは、例えその身が朽ちようとその場に留まり続ける。大抵はその気持ちを伝えようとする程度じゃが、魔力を留めて力を貸す等と言う事例は初めて見た。余程マサトの力になりたかった様じゃな。ノイエの奴は)


(うん。そうね。ノイエちゃんらしいね)


 アイシュが泣き笑いで答える。ユファも微笑、頷いて返した。


(しかし…凄まじい威力じゃの。チェニーの数倍は威力があるようじゃ)


 そう言って外に意識を向けるユファ。

 彼女が見える範囲は焼け野原と化した平原が続いている。ユファは千年ぶりに見たエクストラ魔法の威力に、改めて驚愕していた。


(そうだね…。こんなに威力があるなんて、私、思いもよらなかった…)


 それはアイシュも同様の様だ。特に彼女は初めて見る光景にすこし顔が青ざめていた。


(ところで、このままここに留まって居ても良い事は無いと思うのじゃが?)


 思い出したように切り出すユファ。


(そうだね。移動しないと。でもマー君がこの状態だから…)


 マサトは気を失っていた。剣を横に薙いだ姿勢で、立ったまま。

 既に朔月華は消えていた。エネルギーの供給源たるマサトから、可能な限り全て吸い取り尽し、具現化し続ける事が出来なくなったからだ。


(どこかに転移出来ればいいんだけど…。今の私はこんなだから…。ユファ、お願いできない?)


 アイシュの使った魔魂石化による彼女の聖霊化にはまだ時間がかかる様だった。


(うむ、心得た。して、転移先にどこか心当たりはあるのか?)


 イスト自治領は消え失せ、ガルア自治領は敵対国である。近隣にある自治領で残されているのはスツルト自治領位だった。もっとも、そこが安全であるかどうかは解らない。


(ねぇ。セントレア魔導皇国に向かうのはどうかな?)


 ガルア自治領が戦争を始めたのだ。当然の事ながらセントレア魔導皇国が黙っている訳はない。それにユファはセントレアの皇女。何かと都合が良いのは明らかだった。


(うむ。最終的にはセントレアへ帰還する事になるが今は無理じゃな。そこまで飛ぶ魔力がない)


 最高指導者として、セントレア魔導皇国で指揮を執る必要があるのは確かだが、そこへすぐに向かうのは、どうやら難しい様だ。


(なら、スツルト自治領が一番近いかな?どうだろ?)


(うむ…。そうじゃの…)


 ユファは深く考えながらそう答えた。

 現実的に言えばそうする以外に方法は無い。野宿をするとか、どこかに山小屋でもあればそこで過ごすのも手だが、そう都合よく雨風がしのげる所などない。

 また、魔魂石に守られていない非管理エリアでの野宿は、魔獣に襲われる事を考えるだけでも安全とは言えなかった。


(ならばそこへ飛ぶとしよう)


 そう言ってユファは実体化した。降り立った一面の焼け野原には草木一本残っていない。


(何とも不毛な光景じゃな…)


 千年前にもユファはこの光景を、幾度となく見た事がある。

 こうならない様に気を配ってきたはずなのに、何故こうなるのだ。彼女は脱力感とも無力感ともつかない気持ちに、大きく溜息をついた。

 そしてマサトの肩に手をやり、次の瞬間、スツルト自治領へと瞬間移動魔法を行使した。





 チェニー=ピクシスが意識を取り戻したのは、ガルガントス魔導帝国にある士官専用救急病棟の一室。マサト達と戦闘してから数時間後の事だった。

 横たわる彼女の隣には、牡羊座の星座が刺繍された黒いローブを身に纏った初老の男が立っている。その両側には、若い女性が付き従っていた。


「…申し訳ありませんでした…ナラク様…。敵に敗れ、手傷を負った私を窮地より救い出していただき、感謝の言葉に絶えません…」


 彼女の治療は済んでいる。魔法を併用した治療は、痛みさえも短時間で抑える事が出来る。

 しかし失った体力と魔力はすぐに回復しない。彼女は途方もない疲労を感じていた。


「うむ、気にする事は無い、チェニー=ピクシスよ、傷に障ってしまう。そなたは貴重な戦力であり、十二星天が一天であり、なにより我らが友人なのだ。それに…」


 ナラクと呼ばれた男は、左右の女性に眼をやる。


「そなたを助けたのは、このタライアが行使した強制転移魔法なのだ。礼ならば彼女に言うべきだな」


「…そうでしたか。タライア殿、感謝します」


 明らかに自分よりも階級は下だが、チェニーは丁寧に感謝の言葉を口にした。

 タライアと呼ばれた女性は口の端を釣り上げる。


「いえ、お助けで来て幸いでした。でも、わずかに遅れてしまい…」


 明らかに演技くさいしおらしさで、彼女はチェニーの下半身に目をやる。

 今のチェニーには、右手と右脚がない。

 右手はマサトによる斬撃で吹き飛ばされた。それは覚えている。

 右脚は恐らく、あの閃光に呑まれた時失ったのだろう。彼女はそう思った。

 しかしそんな事はどうでも良かった。

 ナラクの口にした友人と言う言葉が如何にも嘘くさいだとか、タライアが戦闘で無様に敗北し、結果彼女に助けられた自分を嘲笑っているとか、そもそも助け出すタイミングを意図的に遅らせたのだろうだとか、そんな事は彼女にとってどうでも良かった。

 彼女の頭には、ある想いだけが渦巻いていた。


「あの…チェニー様…。義手、義足は一両日中にその…完成いたします…」


 だからオドオドとした口調で話しかけるマウアの言葉など、ほとんど聞こえなかった。



(ミカヅキ…マサト!)



 チェニー=ピクシスの頭の中では、彼の名前と姿が何度も再生されていた。



(ミカヅキ=マサト!)



 女性が男性を想い、その名を口にする。しかし含まれているのは呪詛だ。



(屈辱は晴らす!恥辱は濯ぐ!汚名は返上して見せる!)

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