想い

 迫りくる数えきれない金色の魚群を、マサトは醒めた目で見ていた。

 一点を見つめるのではなく、周囲に意識を向けてより広い視野を得る「観の目」だ。

 三日月流剣術を会得しているマサトは、これによりほぼ三百六十度の視野を得る事が出来る。

 残念ながらまだまだ達人の域には達していない為、意識してこの視野を得なければならないが、戦闘時の伏兵や罠に対して、また多対一の戦いに際しては有力な武器になる。

 そして今、彼の眼には周囲から襲い来る魚群の群れが確認できており、全く隙が無いのも理解していた。しかし問題はその数では無い。

 一匹当たりの破壊力はどの程度か解らないが、これはエクストラ魔法で具現化された魚群。つまりレベル八以上の魔法である事は理解出来た。ならば、同等かそれ以上のレベルでなければ無力化できない。瞬時にそう判断した。


「モード『増長』!発動!」


 頭上で柄を握ったままの朔月華を掲げる様にして、マサトはそう叫んだ。


 ギンッ!


 刀身の根元部分は異様に大きくなっており、そこには大きな石が一つと、それを取り囲むように小さな石が四つ嵌っている。いや、石と言うよりは珠の様に見える。

 マサトの言葉を受け、その小さな四つの珠が一斉に光り出した。

 そして急激な魔力の高まりが巻き起こる。

 マサトから魔力が、体力が、生命力が、そして感情が一気に奪われる。

 その反動からか、彼のこめかみから血が噴き出した。だが彼はそれを意に介していない。


(ちょっと!マー君!無理しすぎだよ!)


 思わず叫ぶアイシュ。


(しかし…。マサトの判断は賢明じゃ。生半可な力ではこの魔法を打ち破るのは困難じゃ。)


 マサトの精神世界に居る間は、外の魔力を感じ難い。しかしそれでも強大な魔力の波動を感じてユファが呟く。


(でも…。それじゃあ、マー君が…)


 アイシュは不安で仕方がないと言った表情だ。

 千年の間、イスト自治領ではエクストラ魔法が使われた事は無い。それどころか、アクティブガーディアンの封印が解かれた事も無いのだ。

 いきなり封印を開放して、ぶっつけ本番のエクストラ魔法。マサトにどの様な影響を及ぼすか、誰も解らないのだ。彼女の不安も解らないではない。


(本来は、それをさせないのがお主の役目だったんじゃろう?)


 こんな場合にも拘らず、ユファはアイシュを責める様に冗談めかして言う。


(あう…)


 それを言われると、アイシュも言い返す言葉がない。


(案ずるな。今は彼を信じて静観しようではないか。これがこやつの初陣なのじゃから)


 そんなやり取りの間にも、高速で金色の魚群はマサトに迫る。

 その近づいて来る様を、マサトは醒めた目で冷静に観察していた。

 感情をむしり取られて、残ったのは感情の無い冷徹な判断力。そして極限の集中力。

 高まった集中力は、時間を停めるかの如くゆっくりと感じさせる。

 マサトはその「己だけの世界」で冷静に観察、判断を行っていた。

 最も早くマサトに近づいて来た金色の魚を皮切りに、マサトは目にも止まらぬ速さで剣を振るう。

 その動きは、まるで球形の防壁を剣閃で作り出しているかの様だった。


 三日月流剣術「龍剣舞」。


 円を描く様に剣を振るい、その動きを一切止める事無く、剣による結界を作り上げる。

 しかしその速さは常軌を逸していた。

 普通ならばいくら早く動くと言っても、四方八方から襲い来る二十四万からなる魚群を全て防ぎきるなど、常識的には不可能だった。

 だが、今のマサトは普通では無かった。

 代償にした物の見返りに、普通では不可能な物を手に入れていた。

 その一つが今の動きでもある。

 体力を奪われ、生命力を奪われ、本来ならば倒れても不思議ではない状態。

 しかし今マサトは、蝋燭の炎が最後に強く燃えるかの如く、信じられない動きを披露している。

 そしてその動きを以て、二十四万の魚群全てを迎撃していた。

 マサトの舞いは美しく、本当に踊っているかのようだった。

 朔月華は水を滴らせたかの如き刀身を、一振り毎に星の様な煌きを発し、マサトの舞いに華を添えている。

 マサトの剣による結界に触れた金色の魚は、本来の目的を達成する事無く霧散した。しばらくして、マサトの剣舞によって、二十四万の魚群は全て消え去っていた。


「…バカな…」


 チェニー=ピクシスの口からは、それしか出てこなかった。

 彼女の魔法「爆ぜる金色の魚群」は、エクストラ魔法には珍しく、対人戦闘に特化していると言っても良い魔法だった。

 その魚群に襲われた者は、防御の他に対策は無く、それが不可能ならば大人しくやられるしかない。二十四万の魚群である。全てをかわす事など不可能だと確信していた。

 しかしその確信は、目の前の少年に打ち破られた。

 本来ならば、剣で切られたとしてもその場で爆発するはず。全くの無傷で切り抜けられるなどあろう筈がない。

 しかし現実には怪我どころか傷一つ付ける事すら出来ず、魔法を発動させてもらう事すら出来なかったのだ。


「た、対抗魔法…か…」


 漸く絞り出した声でそう呟くチェニー。彼女も初めてお目にかかる魔法だ。

 その特性は、相手の魔法を無力化させる事にある。

 本来は相手の魔法特性に合わせて、それに見合った魔法を使用し、その魔法を発動させなくする魔法だと聞く。

 しかし彼がその様な事を出来る訳も無い。何故なら彼はエクストラ。

 魔法を選んで使用する事は出来ないのだ。ならば、彼の持つ剣の特性であると考えるのが妥当だ。

 つまり、全ての魔法を無力化する事が出来る剣、である。

 すぐに理解しがたかったが、最悪の結論をチェニーは採用した。

 そして自身の魔法を無力化したという事は、彼のランクがチェニーのランク八を上回っていると物語っている事も理解した。彼のランクは九もしくは十。そしてあの剣はレベル九以上の力を有している。


(勝ち目はないか…)


 彼女はすでに、目の前の魔人たる力を披露した少年から逃げる算段を模索していた。

 思考の柔軟な切り替え。それが出来る彼女は、優秀な戦士だと言えるだろう。

 特攻、玉砕、そんな物は愚者の行う行為に他ならない。自身の有用性を考えれば、ここで意固地に戦いを挑むのは無駄以外にない。

 すでに目的は達していた。

 二人の最重要確保人物を目の前にしているが仕方がない。

 当初の目的である、イスト自治領攻略、消滅は果たしている。そして、皇女が彼と行動を共にしていると解っただけでも収穫と言える。

 ならばここで死ぬまで戦う必要を感じなかった。むしろ、彼の前からどんな事をしてでも撤退を完了させる必要があった。

 それがどれほど醜悪で、恥知らずで、無様な方法であっても、だ。

 だが、目の前の魔人、ミカヅキ=マサトは、彼女の撤退を許してくれそうにない。

 目の前の彼は、魔法の使用による影響からか満身創痍に見えるが、決してチェニーから意識を逸らしている訳では無い。

 むしろチェニーだけは逃がさないと雰囲気で物語っている。

 先程からジリジリと後退しているのだが、それも気付かれている様だ。下がった分だけ詰められており、間合いが広がる様子はない。

 三度のエクストラ魔法行使により、すでにチェニーの魔力も尽きかけている。

 対して彼は、あの剣を握ったままだ。圧倒的に不利。

 だからと言って諦めるつもりは無い。彼女は全身全霊を以て、マサトが作るわずかな隙を待った。そしてそのタイミングは、意外に早く訪れる。

 フラッっとマサトの体がよろける。

 それは攻撃に際する動き等では無く、自身に蓄積した疲労やダメージによる物だと思えた。


(マー君!)


 マサトの中で、アイシュが悲鳴を上げる。マサトから返答はない。


(初めての実戦に無茶な魔法使用。当然の結果じゃな)


 冷静に呟くユファ。


(もう、ユファ!こんな時に冷静な分析なんていらないのよ!マー君!もう十分だよ!ここは引きましょう!)


 ユファを窘め、マサトを制止する。実際マサトは限界を迎えようとしていた。

 その言葉に、漸くマサトから返答が返ってくる。


(いや…ダメだ…。俺は…あいつを…許さない。…もう少し…大丈夫だ…)


 しかしそれは、アイシュの言葉を拒絶する物だった。

 到底大丈夫とは思えない。それは彼の声が物語っている。

 しかしアイシュにはそれ以上、彼を止める言葉が見つからなかった。

 何故ならアイシュも、彼と同じ想いを持っているのだから。

 マサトを思えばこれ以上の無理はさせられない。して欲しくない。しかし目の前に居るのは両親を、おじさんおばさんを、そしてノイエを殺した張本人。許せるはずがなかった。

 だがアイシュの提案は違った方向で実現する。つまりチェニーの撤退と言う形で。

 マサトがよろめいたのを見逃すチェニーではなかった。彼女はこの時を待っていたのだ。

 千載一遇。チェニーの行動は早かった。


「燃え盛る壁!爆炎障壁!」


 彼女は残る魔力を駆使して、マサトとの間に炎の壁を出現させた。

 高さ五メートル程ある炎の壁は、盾魔法としての防御と、目眩ましとしての効果もある。

 この魔法のレベルは三。到底彼の持つ剣を防ぐ事は出来ない。

 しかし今見た彼の疲労度や動きから、これ以上追撃は無いと踏んでの行動だった。

 何よりも他に策は無く、唯一のチャンスに思えたのだ。

 炎の壁を具現化させ続ける傍らで、高速移動の魔法を使用して後方に逃走するチェニー。

 夜の闇を利用して逃げ切る考えだ。

 ここが森林地帯である事も功を奏している。一度目の爆発で、随分見晴らしが良くなってしまったが、後数百メートルで森に身を隠せる。


(この屈辱…!決して忘れはしない!)


 後退しながら、チェニーは強く復讐を誓った。





 炎の壁を前に、立ち尽くすマサト。実際には動く事も難しい状況だった。


(なんと!あやつアウトランクでもあったか!ぬかった!)


 ユファの驚き様を見ると、恐らくそれも千年前の魔法技術なのだろう。


(それは?)


 比較的落ち着いてアイシュが問う。今日は色々あり過ぎて困惑しているのはアイシュも同様だった。


(エクストラにレギュラーの能力を付与した物じゃ。詳細はまた話すとして…。しかしあやつ、逃げの一手を選択したか。英断じゃな)


 感心したようなユファの物言い。


(もう、敵を褒めてどうするのよ。でも…今はこれで良かったのかな?)


 敵が逃げれば、兎にも角にも戦闘は終わる。今のマサトは見た目以上にひどい状態だ。

 アイシュとしては戦闘が終わってホッとしている所だ。マサトにしても、これ以上朔月華を維持し続ける事は困難だろう。


「まだ…だ…!後…せめて…一太刀…」


 しかしマサトはまだ諦めていなかった。

 冷静な分析は追撃を無理だと判断している。

 しかしこのままでは終われない。終わりたくない思いがマサトにはあった。

 感情を超越した、何か大事な事に対する想いのような物が働いているのか。最後に残る全ての力を使って、マサトは朔月華を横に薙ぐ。

 しかし、そのスピードは先ほどと比べて見る影もない。振り切れるかどうかも怪しかった。


「だ…だめ…か…」


 多大な疲労と、剣から受けたダメージで、マサトの意識は薄れて行く。


(…お兄ちゃん。お兄ちゃん)


 その意識に、どこからか話しかける声があった。

 その声はマサトも、アイシュも、ユファも良く知る人物の声だった。


(ありがとう、お兄ちゃん)


 消え去る間際の意識を繋ぎ止めて聞いたその声は、愛していた、今も愛している妹、ノイエの声だった。


(お兄ちゃんは私の為に怒ってくれているんだよね?すっごく嬉しいな)


 その声に押されるように、力尽きかけた腕は横に薙ぐ速さを上げた。


(私ね。お兄ちゃんの妹で、本当に幸せだったよ)


 剣は目の前に立ち塞がる炎の壁を切り裂いて行く。剣が触れた箇所から、炎が消え失せる。


(でも、もう無茶しないでね?心配になっちゃうから)


 此方に優しい微笑を向けたまま、光の中に溶け込んでいくノイエ。


(ノイエ!)


 それと同時に、力を失っていた朔月華が急激に魔力を回復させる。

 その力はマサトの物では無く、彼のいつも隣にあった優しい魔力だと感じ取っていた。

 ノイエが残した魔力が、マサトの行おうとしている事を後押しする。

 本来のエクストラ魔法は、対人魔法ではなく戦略魔法である。

 今、正にその真価が発揮されようとしていた。


(じゃあ、私、もう行くね。バイバイ。お兄ちゃん)


 もう目が見えていない、意識も途切れがちなマサトだったが、柔らかい光の中に溶け込んだノイエの声だけはしっかりと耳に入っていた。


(ノイエ――――!)


 ザンッ!


 心の中で叫んだ声と同時に、横なぎに払った剣から斬撃が飛ぶ。

 その斬撃は一瞬で目の前の炎を完全に掻き消し、超高速で前方に飛んだ。





 高速で後方に退避するチェニー。もうすぐ森の木陰に潜り込める。

 そうなれば今のマサト達に彼女を探す事は困難だろう。

 不本意極まりないが仕方がない。今日の所は敗北を認める事にしたチェニーは、急激な魔力の高まりを、先程まで彼女のいた場所から感じた。


 ザンッ!


 その瞬間、何かが彼女の横を高速で通り抜けて行った。

 彼女には知覚できない程のスピードで、それは彼女の後方にある森を突き破り、更にその向こうにある山脈の麓に着弾する。


 カッ!


 その瞬間生じた光は、信じられない程の速さで広がっていく。

 しかしチェニーにその光を感じる余裕はなかった。

 通り過ぎた何かは、彼女の右手をあっさりと切断していた。

 余りにも瞬間的に切断されたことで、痛みを感じなかったのだ。

 彼女が自分の腕を切断されたことに気付いたのは、宙を舞う自分の右手を見たからだ。

 右手を見た視線を腕に向ける。そこにあるはずの腕は無かった。


(ならば宙に舞っているこの腕は私の?)


 その時急激に痛みが彼女を襲う。


「うわぁあああ…!」


 遅れて来た痛みに悲鳴を上げている途中で、彼女は後方から拡大する破壊の光に呑み込まれ、その瞬間掻き消えた。

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