千年の眠りから目覚めし「エクストラ」

 自身が作り出した魔法が発する激しい閃光と熱が、チェニー=ピクシスを包み込んでいた。

 チェニーは己の魔法に抱かれる錯覚を感じながら、満足感に恍惚としていた。

 初めて、全力の「爆ぜる金色の魚群」を人に向けて使用した興奮。

 その後に来る、温かくも真っ白な世界。その中心に包まれる自分自身。

 そして、その後に訪れるであろう、自分以外に何もない世界。

 どれも初めて体感する物であり、チェニーを満足させる物であった。

 美しいと思った。究極の芸術だとも思った。

 だからその究極芸術に、望まない異物が存在している事がチェニーを不快にさせた。

 鋭い眼差しの中に、冷めた光を湛えて、チェニーはそちらを見やる。両手両膝を地面につき、頭を項垂れて微動だにしない男が、そこには一人いた。


「チッ」


 チェニーは思わず舌打ちをした。普段ならそんな品のない事は絶対にしない。

 だが、今のチェニーは品行方正を旨とし、実践して来た彼女とは違う。

 麻薬にも似た快楽を感じ、悦に浸っていたのを邪魔され、ただただ不快感だけが彼に向けられていたのだ。

 しかし普段しない様な事を自然としてしまった不自然さが、逆に彼女を冷静にさせた。

 放心状態。と言う奴だろう。戦闘の最中だと言うのに、項垂れるミカヅキ=マサトには動きが全くない。良く見ると目は開いているが地面の一点を凝視して焦点が定まっていない。

 そして口は何か動いている。ひょっとしたら何かを呟いているのかもしれないが、ここからではうまく聞き取れない。

 こちらの気配に気づいても良い距離だが、それに対応した動きをする素振りも無い。

 恐らく目の前で消滅したあの少女は、彼の恋人だったのだろう。

 今日一日で、彼の周囲は一変したはずだ。

 両親、妹、恋人、級友、知人、親友…。あるいは実家、あるいは学校、あるいは馴染みの店。

 その全てを今夜一晩、いや数時間で全て失ったのだ。その喪失感たるや想像する事は出来ない。

 そして一人だけ生き残ってしまった現実。逃避したくなるのも解らないでもない。

 しかし彼女にはどうでも良かった。

 彼女にしてみれば、己が作り出した芸術にケチを付けた人物ではあるが、軍の命令には彼の保護も含まれている。

 ひいては皇女の保護にもつながるのだ。自分の感情だけで、今彼を処断する事は出来ない。

 それに彼女には、その事もどうでも良かった。

 チェニー=ピクシスには、自分の欲望を達成すること以外、すべてどうでも良い事だった。

 自分の欲望、目的。それらを達成する為にはどんな事でもするつもりだ。

 その為、それ以外の事には興味を示す事は無い。今項垂れている哀れな男の背景もどうでも良かった。

 既に自分の芸術を邪魔した男と言う気持ちも薄れている。興味を無くしている。

 いずれ別の作戦でこの力を使う事があるだろう。その時今日味わえなかった達成感を味わえば良い。

 フッ!と一つ息を吐いて、彼女はマサトの方へ歩を進めようとした。早々に彼を拘束し、この場を離れ、任務完了の報告をする為である。

 しかし、その一歩目を踏み出そうとした丁度その時、スクッと彼は立ち上がった。

 その動きと併せる様に、踏み出そうとした足を後ろに引く。逆に一歩下がった事になる。

 それは彼女が、驚いてだとか、過剰に注意してと言った理由からではない。

 彼は力強く立ち上がったのだ。フラリと力なく立ち上がったのではない。

 明らかに何らかの意思を持って立ち上がった。しかも、逆上しているだとか、怒りで我を忘れていると言った雰囲気ではない。逆だ。明らかに冷静さを取り戻しているのを彼女は感じた。


「チェニーピクシス」


 ビリビリビリッ!


 背を向けて発せられた彼の言葉に、チェニーの身が震える。彼の言葉に込められた言霊の影響だ。


(しかし、この言霊は!)


 彼女はランク八のエクストラだ。自分より強力な魔法士など数える程しかいない。

 そして、例え相手のランクが九であったとしても、ここまでプレッシャーを感じる物ではない。


(バカな!奴はランク十の魔法士だとでも言うのか!?)


 しかし彼女の体は、それを肯定するかのように潜在的な畏怖に震えている。

 ランク十の魔法士等、ガルガントス魔導帝国でも一人しかいない。

 しかも、その魔法士からでさえ感じた事の無い程のプレッシャーを、ミカヅキ=マサトから感じているのだ。


(そんな事!信じられるか!)


 いや、信じたくなかったのだろう。

 しかしこの意地ともいえる感情が、彼女の自由を取り戻していた。震える足に力を込め、一歩たりともここから後退する事を許さない。


「俺は…お前を許さない!」


 ゆっくりと振り返る彼から、再び発せられる強大なプレッシャー。

 しかし今度は、それに呑まれながらも絡め取られる様な事は無かった。彼女の意志がそれを許さなかったのだ。

 彼女はゆっくりと、しかし深く息を吐く。


「許さなければどうすると言うのだ!」


 そしてマサトの言葉に対する。

 チェニーも負けじと込められる限り言霊を込めて言葉を発した。マサトを言霊で絡め取ろうとした物ではない。彼の言葉に呑まれない様、己に自己暗示をかけたのだ。


「お前は、ここで殺す!」


 しかし、次にぶつけられた言葉は、それまでの言霊とは質も力も段違いだった。

 明確な殺意は、最も言霊の効力が大きく働く。

 彼女には彼の言葉が、まるで決定事項の様に心に響く。逃れようのない呪縛が彼女を絡め取ろうとする。

 鼓動が早くなり息苦しい。

 足が震えて今にも倒れそうになる。

 それでも彼女はそうならなかった。

 意地。チェニー=ピクシスがその呪縛に囚われる事がなかったのは、偏に彼女の意地だった。

 ここで計画を頓挫させる訳にはいかない。

 ここで自分が死ぬ訳にはいかない。

 そして、こんな子供に自分が負ける訳にはいかない。

 その意地が、辛うじてマサトの言霊に耐える力を与えた。


「死ぬのは…お前だ!」


 絞り切る様に力を込めて言葉を吐きだすチェニー。その言葉を皮切りに、二人は同時に詠唱を開始した。


「月下に集う光粒を散りばめし至宝。我が求めに応じてその姿をかたどらん。願わくば数多の英霊が祝福せん事を。来い!朔月華!」


「闇夜に煌めく星々をその身に秘めたる大海原の聖魚。集いて我が敵に星煌の一撃を加えん!舞い踊れ!爆ぜる金色の魚群!」


 マサトは右手を頭上に掲げ、その掌に魔力を凝縮する。

 チェニーは両手を広げ、その姿は祈祷師の祈りにも見える。

 しかし二人に共通する事。それは、尋常ではない魔力が各々に集中している事だ。

 マサトの掌、僅か上方に魔力が剣を模りだす。

 チェニーを中心に、マサトも取り込んで大きく円を描く様に、金色の煌きが多数出現する。

 マサトの上方で完成した宝剣は、緩やかに反りを持つ片刃刀となった。彼はその柄を握る。

 チェニーが具現化した金色の光は、無数の魚を模った。その数実に二十四万以上。


(なんと!あやつはハイブリッドであったか!)


 マサトの中でユファが驚きの声を上げる。


(ハイブリッド?)


 同じくマサトの中で、アイシュが彼女に疑問の声を上げる。これも初めて聞く言葉だ。


(エクストラ魔法は強大な力を持っておるが、その分無駄な部分が多い。しかしエクストラは詠唱に多大な集中力を要する為、その無駄を省くと言う繊細な調整を苦手としておる。その無駄な部分を無意識に調整できるようにする事。そうされた者をハイブリッドと呼んでおったのじゃ。ハイブリッド化したエクストラは、エクストラ魔法を数回使えるようになる。これも戦時下の技術なのじゃ。しかしこの技術は終戦直後に立案されただけで、殆ど知られておらぬはずなのじゃが…)


 神妙な面持ちでユファは考え込む。

 ガルガントス魔導帝国は千年前の魔法技術を積極的に取り入れ、それを実用化している。その技術は何処から得た物なのかそれが解らないのだ。

 しかし、だからこそなのか。ガルア自治領がガルガントス魔導帝国を名乗り、世界に対して覇を唱える戦いを始めたのは、この様に現在では失われた技術を駆使する事が出来るからに寄るのかもしれない。


(ダメ!彼女の方が早いわ!)


 しかしユファの思案も、アイシュの言葉で現実に引き戻される。

 だが、見ればマサトの方は既にマテリアライズ化を完了している。


(何故じゃ?マサトはもう剣を手に取っておるではないか?)


 具現化したのはマサトの方が僅かに早い。魔法の具現化を完了したなら、後はそれを敵に対して行使するだけだ。

 そして魔法戦闘は先に行使した方が圧倒的に有利なのは言うまでもない。


(ダメなのよ!)


 その考えをアイシュは否定する。


(何がダメなのじゃ?)


(朔月華はただ具現化しただけじゃダメなの。まだ準備段階と変わらないのよ!)


 この朔月華は、ただ具現化しただけでは本来の能力を引き出す事は出来ないという事をアイシュは知っていた。

 ユファは驚き、更なる質問をアイシュに投げ掛けようとしたが、先に魔法が完成したチェニーに動きがあった。


(もらった!)


 チェニーは自分の魔法が完成したと同時に、マサトにけしかけた。

 余計な逡巡や余裕は、この場合命取りとなりかねない。

 そして彼女の剣魔法「爆ぜる金色の魚群」は、対人戦闘にも対応しており、対象に襲い掛かる速さは十二星天随一との評価を受けている。

 彼はエクストラ。それは間違いない。

 今具現化した魔法も、剣をマテリアライズ化した物だ。戦略兵器と謳われるエクストラ魔法としては珍しい形状。本来ならば遠隔攻撃魔法が向いていると思うが、彼女にはそんな事等どうでも良かった。

 その剣がミカヅキ=マサトのエクストラ魔法と言うならばそれで良し。

 それならば、彼に盾魔法がない事を意味しているからだった。彼にこの魚群を防ぐ術はない。

 最初の攻撃から身を守った盾魔法の使い手たるあの女性もすでに居ない。

 チェニーは勝利を確信した。

 彼はこの攻撃を防げない。二度目となる爆発で、今度こそ本当に彼女の望む世界を見る事が出来る。それで終わるはずだった。

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