解放の時

「アイシュ―!」


 マサトの差し出した手は、アイシュの作り上げた防御壁に阻まれて、彼女に触れる事すら叶わなかった。

 マサトが彼女の名前を叫ぶとほぼ同時に、全てを包み込む光が彼女をも包み込んで消し去った。マサトの網膜には、その瞬間がまるでスローモーションの様に何度も再生された。

 未だに周囲を包み込む凶悪な光は、アイシュの命を賭した防御壁により彼を害する事は出来ない。

 盾魔法に特化したアイシュが、その全魔力を使用して作り上げた防御壁は、チェニーのエクストラ魔法を完全に遮断していた。

 その中で、マサトは己の無力さに苛まれて崩れ落ちる。

 アイシュは、彼女は最後までマサトの大好きだった笑顔のままだった。その笑顔を思い出すだけで、マサトの胸は張り裂けそうになった。

 大好きな者を守る事が出来なかった自戒の念と、立て続けに大切な者達を奪われた現実で、マサトの精神は甚大なダメージを受けていた。


(アイシュ!…アイシュ!)


 そしてマサトは、己の精神世界へ退避していた。いや、逃げ込んでいた。


(父さん、母さん、ノイエ…!そしてアイシュまで!)


 アクティブガーディアン、そしてエクストラであるにも拘らず、この騒動の中で何も出来なかった自分を責めるマサト。

 彼は目の前で立て続けに起こった、信じたくない現実に打ちひしがれた。だからその声が彼には全く聞こえていなかった。


(…君!マー君!マー君ってば!)


(そうだ…。いつだってアイシュはそう俺に話しかけてくれていたんだ…)


(マサトく~ん!聞こえてる~?おーい!)


(俺はアクティブガーディアンなのに、彼女を守ってやる事も出来なかった!)


(え~っと…。マー君?)


(今でも!こんなにも近くに!彼女の声が聞こえるって言うのに!)


(なんか聞こえてないみたいだね~…。どうしよ?)


(うむ。こやつにしてみれば仕方のない事じゃが。今は放っておく以外ないのではないか?)


(でも!俺は!アイシュに何も!何もしてやれなかった!)


 彼の自戒はまだ続いている。周囲に気を配る余裕は皆無だ。


(う~ん。気持ちは嬉しいんだけど、何かしてもらうにしてもあのセンスじゃね~…)


(なんと!服の趣味が今一つだけという訳では無いのか!?)


(うん~。全体的にね~。ちょっとずれてると言うか…)


(なんと…。そうなのか…。不憫な…)


(今まで…、気付かなかった…。こんなにも大事な存在だったなんて!)


(アイシュよ、お主、想われておるのぉ)


(やだ、ちょっと。そんなにハッキリ言われると照れるんだけど…。あはは)


(そう…。照れたアイシュが…。って、えっ!?アイシュ!?アイシュ!?)


 ガバッと顔を上げるマサト。勿論精神世界に形作ったマサトの体がである。

 自分の世界で自分を形成して落ち込んでいたマサトは、アイシュの声に漸く気付いて反応したのである。


(もう。だからさっきから話しかけてるのに、ちっとも気付かないんだもん!)


 ここはマサトの精神世界。ここに居るのはマサトとユファ位だった。

 そのユファにも気付かなかったのだから、アイシュに気付かないのは無理もないと言えるが、本来はマサト以外居る筈の無い世界でもある。


(仕方あるまい。普通に捉えるならば、お主はマサトの目の前で死んでおるのじゃ。気付けなくて当然じゃろう)


 ユファは冷静にマサトのフォローをしている。しかし当然の事の様に話されても、マサトには現状を把握する事はまだ出来ない。


(な、何が!?何がどうなって!?アイシュは…!?でもアイシュが…!?)


(落ち着いて。落ち着いて聞いてね、マー君。私は今、マー君の中に存在しているのよ。簡単に言えばユファと同じ様な状態なの)


(ユファと…、同じ状態…?俺の中にいるだって?)


 落ち着いて状況を把握しろと言われても難しい話だ。

 確かに目の前で光に呑まれたアイシュを見た。あの光を受けて、助かる人間は居ないだろうとも思った。

 しかし今、アイシュは目の前に居る。もっともマサトの精神世界にだが。


(む?もしや魔魂製法を使用したのか?しかしお主には自我が存在しておるの?)


(うん。これは古に伝わっていた魔魂製法に、ノーマン家の呪法が組み込まれているの。誰かに引き抜かれるんじゃなくて、己の意志で魂と魔力、精神を抜き出して、自ら魔魂石となる術式なのよ)


(なるほどのぅ。あの忌まわしき呪法を、その様に昇華させているとは)


 事情を把握しているユファはしきりに感心している。

 しかし全く状況を把握しきれないマサトは、彼女達が何を話しているのか一切理解出来ずキョトンとしていた。


(ちょっと、マー君。聞いてる!?)


(あ、ああ…。っえ!?)


(もう。まったく解って無い時の反応ね)


 ひとつため息をついてアイシュは肩を落とす。ユファは苦笑いをしている。


(簡単に説明するよ。しっかり聞いてね。マー君は魔魂石って何から出来てるか知ってる?)


 説明と言いながら、まったく関係ないような事を聞いて来るアイシュに当惑したが、とにかく彼女の話に合せて付いて行くしかない。


(あ、ああ。確か大昔に発見された希少鉱石だったよな?今では取り尽されて、全く発見されない石の事だと思うけど?)


(うん。それが一般に認識されてる常識ね。でも本当は違うの。魔魂石は自然石じゃなくて、人為的に精製された鉱石なの。原料は魔法士の魂なの)


(…は!?)


 学校の課外授業で、唯一見学が可能な魔魂石を見た事がある。

 今、世界に点在する自治領を守っている魔魂石。

 大きさは人の拳大で、青味がかったクリスタルの様な形をしている。

 しかしその能力は絶大で、魔魂石単体でも強力な防御壁を魔法の使用無しに具現化する。それも永久的に。

 各自治体では、それを呪紋が組み込まれた魔法陣と組み合わせる事で、外に対してはレベル八の魔法まで防ぐ事が出来る防御壁を展開し、内に対しては結界内での魔法使用をレベル一に抑える効果を発揮している。

 戦後、各自治体間の武力による争いが全くなかったのは、この魔魂石の効果に寄る所が大きい。

 その魔魂石が、本当は鉱石などではなく、生きた人間の魂を原料とした物だと言うのだ。


(ちょ…、アイシュ。何言って…。魂…?は?)


 元々マサトは頭の回転が非常に早いという程ではない。一般的だろう。

 しかしアイシュの存在も含めて、今は余りにも急展開過ぎた。追いつく事も難しい状況だ。


(マー君。今はそれはどうでも良いの。それで、その魔魂石を精製する方法と言うのは千年前に秘匿が決定してから世に出回る事がなく、余りにも非人道的な所業から、完全に忘れ去られるよう仕向けられたの。でもノーマン家には代々その製法が伝わり、なんとか有益に使用できないか研究されて来たのよ)


(ほう。何重にも封印を施し、口伝でさえも広がらない様に目を光らせて来たのじゃが、それも効果がなかったという事かの?)


 アイシュの言葉にユファが挑戦的な視線を向けて呟く。

 ユファにしてみれば千年間見張って来た事の一つが無駄になった様に感じたのだろう。


(もう。違うの。千年前の戦争終結前から伝わる技術を、ノーマン家も極秘に扱っていただけなのよ。それに『真の御三家』に課せられた研究内容にも通じる所があるから、伝える事自体禁止された訳じゃないの。終戦直後の政府から許可は貰ってるはずよ)


 ユファの横やりに、アイシュはもどかしそうに早口で説明する。時間が惜しいと言った様子だ。

 それもその筈、いくら精神世界での時間は実際のそれよりも緩やかとは言え、確実に流れている。

 もうすぐチェニーの魔法は収まり、生き残ったマサトに何らかの攻撃を仕掛けて来るだろう。

 しかしアイシュがポロポロとこぼす単語に、ユファは逐一食いつく。その重要性から、それも仕方のない事ではあるのだが。


(お主今、真の御三家と言ったの?何故それを知っている?)


 ズイッとユファがアイシュに詰め寄る様に問いかける。

 しかしそこに至って、アイシュの焦りは頂点に達し、違う方向へ転嫁された。


(ユ~ファ~…。あなた、わざと話の腰を折ってる訳じゃないでしょうね~?)


 振り向いてユファを見るアイシュの眼は座っている。

 混乱をきたしていたマサトだが、アイシュの声音に頭の芯が冷え、意識がはっきりするのを自覚した。この状態になった彼女は、間違いなく爆発寸前の状態だ。

 そして視線を向けられているユファは、マサトよりもハッキリそれを感じ取っていた。


(す、済まぬ。この話は後日で良い)


 かなり狼狽し、後ずさりしながら謝罪するユファ。彼女もまた、アイシュが爆発した時の事を想像したのだ。

 しかしユファのこの謝罪で、アイシュは気を取り直した。


(もう。それでノーマン家では自らが魔魂石となる術式の開発に成功したの。成功と言っても試したという記録は残ってないの。だからあらゆる角度からのシミュレートと、何通りにも及ぶ理論から結論付けられた物なんだけどね。私はその技法を使って、自ら魔魂石化を施したの。それで一時的に霊体の様な状態になる事を利用して、マー君の精神に入り込んだのよ)


 一生懸命噛み砕いて、なるべく要領よく説明してくれているアイシュだったが、それでもマサトがしっかりと理解するには至らなかった。


(と言う事は、どういう事だ?お前は生きているのか?死んでいないんだな?)


(え~っと…)


 大まかで要点を得ない質問に困るアイシュ。どう答えればいいのか悩んでいる。


(アイシュは自らを魔魂石とするべく術を使った。それによって、アイシュの魂と魔力、精神は肉体を離れ今ここに存在して居る。しかし彼女の肉体は既に失われておる。それはマサト、お主も目の前で見たじゃろう?)


 確かにマサトの目の前でアイシュの肉体は光に包まれ消滅したと思われる。


(ユファの言う通り、肉体は無くなっちゃったの。今は限りなくユファに近い状態かな?本当はノイエちゃんにもこれが出来れば良かったんだけど、事前準備なしじゃ…ゴメンね…)


 確かに、もしノイエにこの呪法を用いる事が出来れば、肉体は無くなっても存在する事が出来る。

 しかしアイシュの言う通り、事前に準備が必要なら仕方のない事だった。それに一度も試したことのない呪法なら、事前にノイエへ用いる事も出来ないだろう。

 もしそれを知ったならば、マサトは間違いなく反対していたに間違いはない。この様な事態になる事等知る由も無かったあの時ならば。


(アイシュのせいじゃないよ。あれは仕方のない事だったんだ)


 だからマサトにはそう答える事しか出来なかった。


(して、アイシュよ。早速魔魂石となるのか?依代も無くその状態を維持するのは、例えお主でも難しかろう?)


 魔魂石とはその名の通り鉱石の様な物だ。

 つい先ほどまでは石である事を疑っていなかったが、彼女達の話を聞いてその考えも揺らいできた。魔魂石とは一体何になるのだろう?


(うん。本当はそうしたいんだけど、今は先にしなくちゃいけない事があるから)


 そう言ってアイシュはマサトの方に向き直る。雰囲気から何か重要な、大切な事を告げる事が解った。


(マー君。『解放の儀』を今、ここで行います)


(『解放の儀』だって?ここでそんな事が可能なのか?)


 ここはマサトの精神世界だ。現実では無い。

 マサトは解放の儀に付いて深く理解出来ている訳では無かったが、精神世界での開放が可能等と言う事は流石に聞いた事がない。


(可能よ。儀式として魔法陣を使用したり、長い時間を掛けたりする事もあるけど、実際はあなたの魔法を使用可能にする、最後の封印を外すだけだから)


 しかし、マサトよりも広く深くミカヅキ家の魔法や儀式に精通しているアイシュは、ハッキリと彼にそう告げる。


(あ!でも俺、自分の真名をまだ教えてもらってなかったんだ。父さんも母さんももう居ないだろうし…)


 無意識に死んでしまったと言う言葉を避けたマサトの中では、未だに信じられない事なのだろう。

 しかし確かに彼の両親から真名を教えてもらうという事は出来そうにない。

 そして真名とは本来、その名前を付けた両親と付けられた本人、そして解放の儀を行う最も信用のおけるものにのみ伝える物なのだ。この場合は大抵自分の伴侶となる者が当たるのだろうが、当人も知らない事を伝える事等出来ない。当然マサトの口からアイシュに彼の真名を伝えた事は無い。


(大丈夫。おじさんからもう聞いてるから)


 しかしそんな伝統的に当たり前の事を、父もアイシュもあっさりと破っていた。


(え!?真名だぞ!?俺の!?なんでアイシュが!?)


 彼の与り知らぬ処で、自分の最も大切とされる真名を、本人の承諾抜きで伝えるなど、今までの慣例から考えれば非常識も良い所だった。


(黙っててゴメンね。私も今日こうなるなんて思ってなかったから。聞いたのは昨日。おじさん、ある程度情報を持ってたみたいで、近々こんな事が起こる事を何となく解ってたみたいなの。私にはそんな事言わなかったけど…)


 深淵の御三家、その各家の下には幾つかの分家が存在する。

 前提として、一族に秘密無く三家対等での付き合いを旨としていたし、交流や援助、協力を見る限りではその通りだった。

 しかしその下に付く分家に関しては細分化し、筆頭分家以外は、各家も他家の分家に詳しくないのが実状だった。

 マサトには与り知らぬ事であるが、各家の分家には様々な役割を持つ者が存在しており、隠密密偵を主任務とした分家もあったという。

 アイシュはミカヅキ家の分家について詳しくは無かったが、アカツキ家についてはある程度事情を知っており、他の家もだいたいそうだろうと認識していた。

 平和な世にあって、他国の情勢を窺う、スパイ活動をする分家の存在と言うのも不思議な物だが、今回はそれが功を奏した形になった。


(そうか。なら早速頼む。俺はあいつを…、チェニー=ピクシスを許せそうにない!)


 彼の家族を、愛している者を、そして彼の故郷を踏みにじり蹂躙したチェニーに、マサトは今までにない怒りを感じていた。


(わかった。早速始めるわね。マー君、ここに来て跪いて)


 アイシュに促されるまま、マサトは彼女の前に行き膝をつき目を瞑る。

 それを確認してアイシュがマサトの頭上に両手を突き出し詠唱を始めた。その手は何かを受け止める様に、掌をお椀の様に形作られている。


(…我は求め訴えたり…この者、ミカヅキ=マサトの真なる力、真なる名の元に解放せしめん。願わくば、この者に祝福のあらんことを)


 彼女の掌に、緑色をした炎の様な物が出現する。ユラユラと揺らめき淡い色を放つその炎は、その詠唱と共に収束を開始し、彼女の右手人差指に宿っていく。

 アイシュはその人差指に宿る光で、マサトの額に魔法陣を描く。

 抽出されるように、彼の額に魔法陣が描かれると、アイシュの指先にあった光は弱くなり消えて行った。そしてマサトの額に描かれた魔法陣は、ジワリとしみ込む様に彼の中へ吸収されていった。


(解放せよ!月天暁!その力、そなたの望むままに!)


 そして今度は、アイシュが自分の魔力を使用して空間に魔法陣を描く。

 その魔法陣はマサトの足元に展開され、眩い光を放ちだした。

 その途端、マサトから凄まじい魔力の開放が起こる。


(…これは私からのおまじないよ)


 そう言ってアイシュは、マサトの額にキスをした。

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