奪う者、奪われた物
マサト達が見つめる先で、イスト自治領が巨大な光に包まれている。
恐らくはイスト全土を呑み込んでいるその光が全てを消し去ってしまうという事は、その場に居る者全員が理解した。
しかし初めて見る規模の爆発に圧倒され、声すら出せずにいた。だが、圧倒されている理由はそれぞれ違う。
マサトとアイシュは驚愕し恐怖に捕われていた。
チェニーは歓喜し、満足感に酔いしれている。
「…エクストラ魔法か」
唯一それらの感情を抱く事が無かったユファが呟く。
この中で、ユファだけがこの光景を見た事がある。あるいは敵の攻撃で。あるいは自らの攻撃で。しかし、ユファの呟きがマサト達に時間を取り戻させた。
「…ノイエ?ノイエ!ノイエ―――!」
「いや…いや…!いや―――!お父さん!お母さん!」
殆ど同時に叫んだマサトとアイシュ。到底届くはずの無い者達への叫びが周囲を震わす。
「…素晴らしい。素晴らしい光だ!」
その叫びと正反対の感情をむき出しにしてチェニーが叫ぶ。
「貴様!貴様―――!」
彼女の言葉は、マサトの神経を激しく逆なでした。
あの規模の爆発では、恐らく誰も助からない事は一目でわかる事だ。
ただ単に爆発が起こった訳では無い。ユファの呟き通りなら、あの光はレベル八以上の威力がある。街に居る魔法士が一人で作り出す防御壁では到底歯が立たない。
不意打ちに次ぐ不意打ち。こちらが組織的な対応を起こせない内のエクストラ魔法。
到底防ぐ手立てを講じる時間があったとは思えない。
数百万人が消し去られた場面を目前にして、しかも恐らくは遺族を前にして喜ぶなど許せるはずは無かった。
チェニーが、マサトの叫びに何かを答えようとした瞬間、強大な魔力が二人の間に割って入った。いや、正確には突然発生した。
周囲の魔力を収束する様に渦を巻き、黒い魔力の塊を形成していく。
マサトはわずかに退き、防御態勢を取る。敵の攻撃と思ったのだ。
しかしそれはチェニーも同じ事だった。彼女もまた、数歩退き顔の前に腕を翳して事の成り行きを見守っている。その体制はどんな事にも即座に対応できるよう取られている。
それを見たマサトは、敵の攻撃ではない事を知った。
「これは…転移魔法による
いつの間にか実体化を済ませているユファが叫ぶ。
彼女の言う通り、魔力による黒い球体は徐々に人の形を取り始めた。
周囲に緊張感を振りまいて、急速にハッキリとした形を表すその人型は、完全に姿を形成した途端、ドサリッと倒れ込んだ。
「ノイエ!ノイエ!」「ノイエちゃん!?」「なんと!ノイエか!」
三人はほぼ同時に叫んでいた。
倒れた人型は間違いなくノイエと思われる形をしていた。
だがその姿は、とても無事とは言い難かった。
右腕と右脚が…ない。
強力な爆発で吹き飛ばされたように千切れ飛んでいた。
わき腹にもダメージが見て取れる。かなりの出血が確認された。
そして、顔にも爆発の影響を受けたのだろう。右半分の火傷がひどい。皮膚も吹き飛ばされ内側の肉がむき出しになっている。
一目見て、三人とも理解してしまった。
ノイエはもう、助からない。
例えここに、治療魔法を得意とする魔法士がいたとしても、彼女を助ける事は無理だろう。
それ程に彼女の状態は酷かった。こんな状態で、事前に準備も無く、魔力回路を開く事もせず、正確にマサトの元へ瞬間移動魔法を成功させたノイエのセンスには驚愕させられる。
「…お、お兄ちゃん…?」
消え入りそうな声で呟いたノイエ。
その声で弾かれるように、彼女の元へ駆け寄るマサト。アイシュとユファも続く。
もう首を動かす事すら辛いのだろうか。駆け寄って来たマサトを左目の視線だけで迎えるノイエ。
「ノイエ!俺はここだ!ここに居るよ!」
「ノイエちゃん!」
「ノイエ!」
ノイエの左手を取って話しかけるマサト。後ろから二人も声を掛ける。
「…アイシュお姉ちゃん…に…ユファ…も…。みんな無事…だったんだね~…」
途切れ途切れで聞き取り難いが、その場に居る三人は彼女の言葉を聞き逃さない様耳を傾ける。
「…やった~…、成功…したんだね~…。咄嗟だったから…自信…無かったんだ~…」
恐らく瞬間移動魔法の事を言っているのだろう。
確かに、あの爆発に巻き込まれた刹那、マサトを探し出し、その場所の座標を把握し、その場所に出口を設定し、自身を飛ばす。
誰にでも出来る事ではない。恐らくは、ノイエだから出来た高等技術だ。
ミカヅキ=ノイエ。
マサトだけでは無く、ユウジやイリスもその才能を認めていた。
レギュラーとしては最高のランク七は勿論の事、深淵の一族では二人目となるランク八以上を有望視されていた存在。
そして恐らくは、マサトより先に生まれていればアクティブガーディアンになっていた事を疑う者はいない、一族でも類を見ない優れた魔法士。
そのノイエの命が、目の前で消えようとしていた。
「ああ。さすがはノイエだ。良くここがわかったな」
「あ…たり前だよ。わた…私がお兄ちゃんを…見失う…訳ない…じゃない…」
徐々に、しかし目に見えて命の灯が消えていく。それを止める事は、この場の誰にも出来ない。
「ああ…、ああ…。そうだな」
マサトも何か言いたかったのだが、話したい事が溢れて来て言葉にならない。
マサトは言葉に詰まるという感覚を初めて知った。言いたい事がいくつも同時に溢れて来て、喉元で詰り口にする事が出来ない。相槌を打つだけで精一杯だった。
「お兄ちゃん…あのね?…私…お兄ちゃん…の事が…大好きだよ…。愛してる…」
コフッ。そう言って吐血するノイエ。
「ああ。知ってるよ。俺もノイエを愛してる」
そんなノイエを見て、マサトの眼には涙があふれていた。
既にノイエはマサトを見ていない。もう目が見えていないのか、虚空の一点を見つめながら話している。
「えへへ…。やった~…」
それでもノイエは、目一杯嬉しそうに呟いた。
「アイシュお姉ちゃん…、ユファ…」
「ここに居るよ、ノイエちゃん」「うむ。ここに居るぞ」
二人同時に答える。彼女の時間を少しでも無駄にできない焦りからだ。
「あの…ね?私の…代わりに…、お兄ちゃんを…守ってね…?」
力なく微笑むノイエが痛々しい。
「うむ。任せよ」
ノイエには見えていない筈だが、ユファは力強く頷いた。
「任せてよ。こう見えても私、マー君のガーディアンガードなんだから」
アイシュは目を涙で一杯にし、無理やり笑顔を作って答えた。
言うべき事を言い切った安堵なのか、フ~ッと一つ深い息をつくノイエ。その体から、更に生気が失われていく。
「お兄ちゃん…私…死…んじゃうんだ…ね~…」
「ノイエ…!」
この世に意識を繋ぎ止めておく限界を察知したのだろうか。かすれる声で自分の最後を口にする。
もうマサトには彼女の名前を呼ぶしか思い浮かばなかった。
「…死に…たく…ないよ…」
ノイエの左目から涙が流れる。
「嫌だ!死にたくない!もっとお兄ちゃんと一緒に居たい!もっとおにい…ちゃんと…」
カッと目を見開き、虚空を睨みつけて叫んだノイエは、そこまで言って事切れた。
最後の最後に、本当の本音を口にして息を引き取ったノイエは、未だに空を睨みつけている。
その瞳をそっと閉じさせてやるマサト。その肩は小刻みに震えていた。
「私のエクストラ魔法から瞬時に逃れてここへ転移して来るとは大した魔法士だったな。もっとも、『潜む銀色の魚影』の威力から完全に逃れるなど不可能だがな」
その場の空気など関係ないと言う様なチェニーの発言が背後から投げかけられる。
アイシュもユファも何か言い返しかけたが、その言葉はマサトの怒声に遮られた。
「貴様――――!」
立ち上がり、チェニーと正面から対峙するマサト。その瞳は怒りと恨みに燃えている。
最愛の妹が目の前で非業の死を遂げたのだ。冷静でいれる筈は無かった。
アイシュとユファも己の言葉を呑み込み臨戦態勢を取る。怒り心頭のマサトを前にしても、チェニーの表情に変化はない。
「最後通告だ。投降か?それとも死を選ぶのか?」
スッとチェニーの眼に冷酷な光が宿る。
アイシュとユファには、彼女への返答如何によっては即座に戦闘が開始されるのが解った。
だが二人には、マサトがどう返答するのか等考えるまでも無かった。
「お前を殺す!」
その言葉は、そのままマサトの心情を表しているのだろう。激情に駆られている。
言霊では無い、圧倒的な威圧感を発し、そのままチェニーに向けられている。
常人ならばすくみ上り、脂汗をかいてしまう程の殺気だ。だが彼女は、それを受けても尚、平静を保ったままだ。
「だろうな!」
しかし平静を保てていたのはそこまでだった。
マサトの返答に答えたチェニーは、嬉々とした表情を浮かべている。答えた声にも喜色がありありと込められている。
『その言葉を待ちかねていた!』そう言わんとしているようだった。
彼女の声と同時に、茂みから一斉に金色の魚が姿を現す。
一匹一匹は小魚程度。しかし金色の帯が周囲を取り囲んでいるかと見紛う程の数だ。
向う側の様子を伺う事が出来ない程マサト達の周囲を隙間なく埋め尽くしている。膨大な数だ。
どうやら、チェニーは魔霧陣に紛れさせて周囲に配置していたらしい。魔法探知を無効化する効果はここにも表れていた。
「残念だが、死ぬのはお前の様だな」
彼女がそう告げると同時に、周囲の魔法魚が一斉にマサト達の元へ押し寄せる。小魚を模しているだけあってか、その動きは速い。
瞬間、ユファはマサトの中に戻った。
エクストラである彼女が使った魔法である。エクストラ魔法である事は間違いなく、最低でもレベル八の魔法である事は間違いなかった。
今のユファにそれを防ぐ手段は持ち合わせていない。それにアイシュが何をしようとしているのか判断しての事だった。
アイシュはマサトの元へと駈け出そうとして、諦めた。
いや、動作は起こしているが、間に合わない事を瞬時に悟ったのだ。
強力で密度の高い防御壁を築く為には、マサトとの距離は近い方が良い。しかしそれは二人同時に防御壁で守る場合による。どちらか一方だけを守ると言うのならばその限りでは無い。
急激に近づく金色の魚を感じながら、アイシュは「ワールドサーチ」を発動した。
「ワールドサーチ」は真にアイシュの固有魔法である。スキルと言っても良い。
長い深淵の一族が持つ歴史の中でも、それを発現させる事が出来たのは数名と言う記述が残されている、非常に稀有な魔法だ。
超高度魔法にも関わらず、消費する魔力は殆どない。そして一生に使用できる回数が決められている。そこがスキルと言わしめる理由である。
ワールドサーチを使用する事により、わずかな間ではあるが、アイシュの中で停まった時間を、彼女の意識のみ自由に行動する事が出来る。
その世界で、アイシュの意識は冷静に現状を理解する。
(私は間に合わないわね)
四方八方から襲い来る金色の魚。その数二十四万八千八百四十二匹。
一匹当たりの威力はそれほど高くない。しかし人体の一部を吹き飛ばすだけの威力はある。
当たり所が悪ければ、それだけで致命傷にもなるだろう。しかし驚異なのはその数。
二十万匹以上の爆発物が一ヶ所に集中し爆発する。
この爆発は連鎖反応し相乗効果を発揮するタイプ。その威力はイスト自治領を消滅させたあの光と同じ位はあるだろう。
間違いなくエクストラ魔法だ。
そしてその魔法魚が十三匹。アイシュの体に接触しようとしている。
今から防御壁を展開させても、間に合うかどうか微妙な所だ。
何より、自分の為に防御壁を展開させてしまうと、マサトを守る事は出来ない。薄く大きな防御壁ならばマサトにも届くだろうが、それではこの魔法を最終的に防ぐ事は出来そうにない。
幸い、マサトに魔法魚が到達するまで、まだ一秒強の時間的猶予がある。それだけの時間があれば、アイシュの全魔法力を使用する事で厚く強固な防御壁を展開させる事が出来る。
少なくともマサトだけは守る事が出来そうだ。
(フ~…)
意識体のアイシュは、安堵のため息をつく。自分の身よりも何よりも、マサトを守れそうだという結論は何よりも彼女を安心させた。
(問題は…私ね)
彼女が助からないのは明らかだ。そしてそれについての焦りはない。
マサトを守り、マサトの為に死ぬならば本懐なのだ。それがガーディアンガードになるべく育った彼女の役割なのだから。
しかし、何の足掻きも取らず死んで消滅してしまうのは彼女の本意ではない。
死にたくないという思いもあるが、それよりも生きる事を諦める様な事をしたくなかったのだ。
(間違いなく助からない。既に死が確定している。そして、他に選択肢はない)
意識的に感じるこの世界を維持できる時間は残り八秒。
一か八か。彼女自身、会得しているが今まで誰も試した事の無い魔法をやるしかなかった。
「残念だが、死ぬのはお前の様だな」
彼女がそう言うと同時に、周囲に出現した金色の魚群が一斉にこちらへ向かって来る。
怒り心頭だが、周囲に気を回せない程視野狭窄になっていた訳では無い。しかし、まったくその魔力に気付けなかったのは、ユファの言う通り魔霧陣の影響であったのだろう。
そして、その魚群の速さも計算外だった。
この数をコントロールするのだから、いくら早いと言ってもこちらが対応するくらいの時間があると思った。
しかしその考えは甘かった。
予想以上に間合いを詰めるスピードが早い。そして数が多すぎる。逃げ場がない。チェックメイトという言葉がピッタリな状況。
「死」と言う言葉が鮮明にマサトの脳裏をかすめた。
それとほぼ同時に浮かんだのはアイシュの事だった。
瞬間的に振り返り、アイシュの方を見やる。同時にそちらへ駆けだそうとその意思を両足に伝える。
振り返った先では、既にアイシュが此方へ駆けだしている。
右手をマサトの方に伸ばしている。マサトもその手を掴もうと手を伸ばす。
しかしマサトの手がアイシュの指に触れる瞬間、何か強固な壁に遮られた。
アイシュが突き出した手は、マサトに伸ばされていたと言うには少し違う。
彼の体を、手を掴もうとして伸ばされたのではなく、防御壁をマサト周辺に展開する為突き出されていたのだ。
「アイシュ!」
不可視のガラスに手を押し当てる様にして、マサトはアイシュの名前を叫ぶ。
彼女は安心したような、満足した様な、穏やかで柔らかい笑顔を向けていた。
もう一度アイシュの名前を呼ぼうとした瞬間、四方八方から爆発が起こり、瞬く間に巨大な爆発へと変化した。その爆発は白い光を発し、一瞬でアイシュを呑み込んだ。
マサトの大好きな笑顔を彼に向けたまま、光の中にアイシュは消えて行った。
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