チェニー=ピクシス
戦闘が至る所で行われる市街地を、マサトとアイシュは駆け抜けた。
敵の魔法士集団は決して高ランクで構成されているとは言えない。
しかし組織的に襲い来る兵団に対して、個別に対応しているイスト自治領の魔法士達は、各個に撃破されていくしかなかった。
千年も平和な時代が続く中で、誰も集団戦闘が行われるとは考えてもいなかっただろう。
戦闘が行われている場所を避け、イストの街を抜ける。そこからは一気に高速移動を行い、イスト自治領から三キロ程離れた森の中で一息つくマサトとアイシュ。
街の郊外、魔魂石に守られないエリアには「魔獣」と呼ばれる獰猛な魔法生物が徘徊している。
正確には魔法生物の子孫と言う事になるのだが、前大戦で研究された生物兵器の成れの果て。しかしその性質は野生化する事で凶暴化し、驚異的な繁殖力と生命力で世界中に
幸い、この大陸の中でもイスト自治領周辺に中型以上の魔獣が確認された例は無い。
この周辺は、魔法を使えるものならば、ほぼ安全に過ごせる稀有な一帯だった。だから彼等も、安心して避難場所に森の中を選んだのだ。
アイシュは高速移動に魔法を使った。肉体的疲労がほとんどなく、通常よりも格段に速く移動できるからだ。
対してマサトは魔法が使えない。なのでアイシュと同じ移動手段は使えなかった。
マサトが使ったのは「
己の中に存在する膨大な魔力。その魔力と人間本来の持つ気力を融合させ、一時的に爆発的な能力を発揮する技法。
剣術の技と併せて使う為に編み出され技「隼」。その応用で、「隼」程の速さと瞬発力は無いが、長時間高速移動を可能にするのが「飛影」と言う技法の特徴だ。
しかしいくら超人的な動きが可能とは言え、使用するのは己の肉体。疲労もするし、息も上がる。
「しかし三日月流の武芸と言うのは大したものじゃの。魔法と遜色ない動きが出来るとは」
両手を膝に付き、激しく息を切らすマサトに、ガイスト化し外に出て来たユファが話しかける。
「それでも日頃鍛錬してないと、マー君ほど長時間使用するなんて無理なんだよ~私だったら半分の距離で音を上げてたよ~」
激しく乱れた息を整えるのに精一杯のマサトに変わり、アイシュが説明する。
「そうじゃろうな。魔法を使わなければ、常人では到底不可能な動きじゃった」
下を向くマサトの丸まった背中に降り立ち、ユファが感心した様に言った。
マサトに変わり、イスト自治領の方を見やるアイシュ。
「ノイエちゃん…大丈夫かしら…。それにお父さんとお母さんも心配だわ…」
イストには残して来た者達が大勢いる。
いくら自分が狙われているとは言え、その人達を置いて来た事に罪悪感もある。戦闘はそこかしこで行われていたのだ。
「ノイエ…は大丈夫…だよ…。おじさん…とおばさん…もね」
息を切らせながらマサトが途切れ途切れに答える。
「うん…」
アイシュは短くそう答えた。マサトの言葉が慰めや気休めだけではない事は解っている。
ノイエも、アイシュの父と母も、深淵の御三家に連なる者だ。
一般人よりもはるかに高い魔法力を有しており、戦闘能力も高い。攻めて来た軍隊の兵士に後れを取る様な事は考えられなかった。
それでも、この街に居る誰も体験した事の無い「戦争」または「侵略」と言う行為。何が起こるのか、誰も想像する事が出来ない以上、不安をぬぐう事は出来なかった。
「それにしても…、どこの兵隊なのかな?用意周到に準備してたみたいだけど…」
アイシュがポツリと漏らす。確かに、どこの軍隊なのかは未だに不明だ。
そして、イスト自治領の各所を一斉に襲う周到さ。突発的に起こった戦闘と言う類の物でない事は確かだった。
「それに…、随分と…、訓練されてたな…。あれじゃあ…、イストの警察も…太刀打ち…出来ないんじゃ…ないのか…?」
随分と息が整ってきたマサトも疑問を口にする。
そこから考えても、計画的にイストを狙ったとしか思えない。
しかし、イスト自治領に限らず、他のどの自治領もトラブルや対立を抱えているという話は聞いた事がない。
「ふむ。用意周到だったのは間違いないが、奇襲攻撃で先手を取ったのみじゃな。態勢を整えればイストにも優秀な魔法士は大勢いる。このままでは消耗戦になるのではないかな。それよりも…」
顎に手をやり、神妙な顔つきで考え込むユファ。
「ユウジ殿は妙な事を言っておったな。あやつらの目的はマサト、お主と…我だと」
確かにユウジと別れる間際に、彼はマサトにそう告げている。
「我が魔力を補充する為に王宮から抜け出ている事を知っているのは側近の数名のみ。そ奴らは信用のおける人物じゃ。まして、マサトを宿主と据えた旨、未だ本国には通達しておらぬ。あの者等はどうやって我の事を知り得たのだ?」
ユファがマサトの中に居を構えて、マサトから離れた事は今の所ない。
遠く離れた聖都に連絡する手段があるならばともかく、今の話ではユファにもその方法がないという事になる。
アイシュ、ノイエ、ユウジ、イリスが誰かに話したという事も考え難い。
しばし三人は顔を合わせて考え込む。
「それを知る手段を、我らは持っているという事です」
ガサリッと背後の茂みが揺れる。
即座にそこから距離を取る様飛び退き、視線を声の方にやる三人。ユファはマサトの背後に隠れる。
背後からした声の主は女性。しかもまだ若い女性が気配を消して接近していた。
美しく煌めく金髪をなびかせて、茂みから彼等の前に歩み出て来た。
その事に今まで気づかなかったことに、そして周囲の気配に気を配る事を失念していた事に、マサトは心の中で舌打ちする。その気持ちが表情に現れていたのだろう。
「マサトよ、気にする事は無い。どんな熟達者であっても初めて戦場に居合わせれば普段通りに振る舞う事など出来はせぬ」
ユファに慰められる形になってしまった。
物事とは本人の都合などお構いなしに展開する事を考えると、いきなり戦禍に巻き込まれたマサト達が、普段なら出来る事を出来ない、または忘れてしまうと言った事は起こってしまうのだ。
「それに先程から、我の魔法探知も全く役に立っておらぬ。恐らくじゃが、奴らは『魔霧陣』を展開しておるのじゃろう」
「魔霧陣?」
マサトもアイシュも初めて聞く言葉だった。
「魔法による探索を妨害する事の出来る霧を張り巡らせているのじゃ。千年以上前の大戦時に使用され、有効性から多用されていたが、今では存在しない代物じゃよ。それをきやつらはどうやって手に入れたのじゃ?」
またもユファは考え込む。しかしその時間は多く取れなかった。
「まったく…。手間を掛けさせてくれますな。ミカヅキ=マサト。それにレサイア皇女陛下」
目の前の女性は心底呆れたように、深い溜息を吐く。
途切れた木々の隙間から月明りが所々、スポットライトの様に差し込んでいる。
暗い森ではそのわずかな光ですら相手の事が良く見える。
彼女はキッチリと軍服を着こなしている。そしてその軍服は、襲ってきた兵隊の着ていた物に酷似していたのだ。
「もう諦めて我々に投降してはいただけませんか?皇女陛下。すでに貴方がミカヅキ=マサトを依代としている事は判明しました。イビルトレーサーを解除したとしても、我々は彼を追う事で貴方も補足する事が出来るのですから」
「やはりイビルトレーサーか。よくもそんな技術を使えるものじゃな」
ユファは半ば呆れたように返答した。
「イビルトレーサー?」
またも、マサトとアイシュが初めて聞く言葉だ。
「うむ。これも千年前に多用された軍事魔法じゃ。追跡対象の魔力に魔法印を刻む事で、その者の居場所を特定する事が出来るのじゃ」
追跡専用の魔法等、マサトもアイシュも初耳だった。
もっとも千年も戦争はおろか、対立や諍いも無かった世界では、軍事用に開発された魔法等知らなくて当然だった。
「でも、魔法印を刻まれて気付かない物なの?」
「うむ。追跡用じゃからな。対象者に直接の害は全くない。魔力も殆ど発していないのじゃ。肉体では無く魔力に刻み込むのじゃ。まず殆どの者は気付かないじゃじゃろうな。自分に印が刻まれていると解っているならば、外部から解呪する事も可能じゃろうが」
戦争が技術を発展させる等と言うのは詭弁以外の何物でもないが、別の側面から見ると限定した分野に限っては確かにそう言った事があるのかもしれない。
事実、他人を追跡するというプライバシーの侵害に属する魔法でも、特定人物を追うという事に関しては非常に効率が良いと言う事が目の前で実証されたのだ。
「申し遅れました。私はチェニー=ピクシス。ガルガントス魔導帝国所属、十二聖天が一天、聖魚座を司る将校です」
そう言って敬礼では無く、軽く腰を折る様にお辞儀するチェニー。
その所作は、彼女の美貌も相まってとても優雅な物に見えた。
場所がパーティー会場であったなら、彼女はその場の視線を独り占めにしていたかもしれない。もっともそれは、彼女が軍服では無かったら、と言う注釈が当然付くのだが。
「ガルガントス魔導帝国?」
アイシュが当然の疑問を口にした。
今、この世界にある国家は、セントレア魔導皇国一国だけである。
戦前まで乱立していた国家は、戦後全て統一され、セントレアに吸収される形になった。
しかし世界は広く、セントレアの聖都のみで管轄出来る物ではない。
故に以前の国家は自治を任され、相互に連絡を密とする事で有機的な結びつきの強化を図ったのだ。
ユファと言う絶対的な力があればこそだが、そうやって千年も平和な世界を持続させてきたのだ。
世界に国家はセントレア魔導皇国のみ。
しかし目の前のチェニーと名乗る女性士官が口にしたのは、セントレアとはまた違う国家の名前だった。
「ああ、まだ正式発表前だから知らなくて当然だな。今はまだガルア自治領となっている。明日…、いや正式には今日だな。正午にはガルガントス魔導帝国と改まっている筈だがな」
「ガルア自治領!」
マサトもアイシュも、その意外な自治領名を聞いて驚きを隠せなかった。
このオストレサル大陸東部に位置する三自治領、イスト、ガルア、スツルトは特に友好関係が強い事で知られている。
領主間だけでなく、自治領間での交易や技術提携も頻繁に行われていた。そんなガルア自治領がイスト自治領を襲ったのだ。驚くのも無理は無かった。
しかも自治領名を変更するという。
「なる程。分離独立を図った蜂起と言う事かの」
ユファがチェニーを睨みつける様な視線を送りながら問う。
分離独立と言う事は、セントレア魔導皇国を離れ、独立国家としてセントレアに対抗するという事を意味する。
そしてイストに戦闘を仕掛けている事を考えると、政治的、経済的に対抗するのではなく、軍事的に挑むという事になる。
「さて、私からこれ以上ペラペラと話す訳にはいきませんので、お喋りはこれ位で良いでしょう。ミカヅキ=マサト、そしてレサイア皇女殿下。貴方達が抵抗せず投降するならば、特別にその少女にも危害を加えないと約束しましょう。貴方達三人は私の責任を持って保護させていただきますが如何でしょうか?」
チェニーの目つきが鋭くなる。それと同時に纏う雰囲気にも変化が生じる。
マサトは彼女の言い方に違和感を覚えた。
「三人…?俺達三人だけって事か?ノイエは…、イストの人達はどうなる?」
マサトも、アイシュも、ユファも、チェニーの返答に大体の見当はついていた。しかしマサトは、聞かずにはいられなかった。
彼が危惧するのは、ここにはまだ居ない妹の事だ。ノイエならば、あの乱戦の中であっても無事切り抜ける事が出来るだろう。しかしそれも絶対ではない。
マサトにとって、その事についても正確な言質が欲しかった。チェニーの返答次第では、素直に従うのも止む無しと考えていた。
「あの自治領はもうだめだ。助からん」
しかし彼女の返答は、マサトが想像した最悪を突いた。
「ど、どういう事だ!」
何をする気なのか。イスト自治領を、そしてノイエをどうするつもりなのか。それらを総括した問いかけをチェニーに投げ掛ける。
「ふん。時間だ」
しかし彼女は、マサトの問いに答えず、何かの時間が来たことだけを告げた。そして耳にセットした通信機らしき物に話しかけた。
この世界において、電気的通信機は非常に珍しい。いや、電力に当たる部分は蓄魔石を使用しているので、完全な電気的通信機とは言い難い。
それでも、魔通信を使用しない通信と言うのは殆ど使われていない。必要がなかったからだ。需要も無い。
双方が魔力回路を開通させておけば、己の魔力だけで通信が可能な魔通信。
レベル一から使用できるこの魔法がある限り、通信機器を使用した遠隔通話は必要ないのだ。
しかし千年以上前の戦時中は多用されていたという。
何故なら、妨害されるからだ。今、マサト達の周囲を覆っている、魔力による探査妨害もその一つだ。魔法が当たり前なのだから、その魔法を妨害するのも定石と言える。
そうなれば、必然的に別の通信手段が必要となる訳だ。
「私だ。首尾はどうだ?…ふむ。第一、第四、第五部隊を除いた撤収は完了しているのだな?…仕方ない。うむ、それで良い。ご苦労だった。全部隊に備える様通達しておけ」
チェニーの顔がやや険しくなる。心なしかこちらを睨んでいる様だ。
そして大きく溜息をついた。
「まったく…。よく考えれば解る事でしたね。貴方達がここまで逃げて来ている事を考えれば、派遣した部隊が失敗したと考えるべきだったな。本当に物事は思い通りに行かない物だ」
そして自嘲気味に呟く。
彼女の雰囲気から読み取るに、派遣されたガルア自治領軍の内、ミカヅキ家に派遣された部隊は戻っていない様だ。
マサト達が見たあの爆発を思い出す限り、そして相手がユウジとイリスである事を考慮に入れれば当然の結果だと思った。
「まあ、良い」
しかし、チェニーは自戒や自己嫌悪を強制的に打ち切った。
それには理由がある。
ゆっくりと腕を上げて、スッと指をさす。その方向にはイスト自治領。
「見ろ!あれが世界を席巻した戦略魔法の力だ!」
一段声を張り上げてそう宣言した。その瞬間、信じられない規模の白い爆発がイスト自治領方面で起こった。
一瞬でイスト自治領を呑み込んだその光は、茫然と佇むマサト達を照らした。
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