戦乱に踏みにじられし幸福達

 ズズ…ン…。


 爆音と共に伝わる…地響き。

 その異変に素早く目覚めたマサトは、体を起こした状態で暫し様子を伺う。

 地震ではない。断続的に、不定期に、未だ爆音が聞こえ、地響きが体を揺らす。窓に眼をやると、カーテンが明るく照らされている。

 室内からではない。屋外の光が照らしているのだが、いつもの魔石灯ではない。それよりも明るく…赤い。

 ベッドから飛び降り、カーテンを開ける。

 目に飛び込んできたのは、遠くの建物が燃え上がっている様子だった。しかしあの炎は火事で起こる物と違って見える。明らかにその建物を飲み込んで燃やし尽くそうとする炎だ。


(ユファ!ユファ!起きてくれ!)


 ユファは寝ている訳では無い。意識を外界から隔絶しているだけなのだが、今呼び掛けるのにもっとも適しているのはやはりこの言葉だろう。


(何事じゃ?むっ!?)


 覚醒してすぐに異変に気付いたユファは、すぐにガイスト化してマサトから出て来た。


「これは…。マサト!おかしいぞ!魔魂石の結界が機能しておらぬ!それにあの炎は…魔法で造られたものだ!あの威力…。恐らくレベル四相当じゃ」


「なんだって!?」


 今まで魔魂石の結界が機能を停止する様な事はなかった。少なくともマサトは聞いた事も無いし、事実設置されてから約千年、そんな事は無かったのだ。しかし今、目の前ではレベル一以上の魔法が行使されている。


「とにかく異常事態なのは間違いない!マサト、早くノイエ達と合流するのじゃ」


 マサトは世にも奇妙な魔法が使えない人間である。勿論封印されているだけではあるのだが、それでも使えない事には変わりない。そしてこの異常事態は魔法がなければ安全を確保できそうにない。

 ノイエでも、父ユウジでも、母イリスでも良いが、とにかく家族の誰かと速やかに合流する必要があるのは間違いない。

 マサトは部屋を飛び出し階下へ向かう。

 しかしこの騒ぎにあっても、階下に誰もいない。

 不審に思うマサトの耳に、数人が発する怒声が聞こえて来た。場所は道場からだろう。

 廊下を駆け、道場に飛び込んだマサトは、既に白い道着を纏っている父ユウジ、同じく白い道着に身を包んだ母イリス、妹ノイエを見止めた。

 そして彼等に対峙する一団も。

 全員が同じ様にキッチリとした制服を身に付けている。実物を見るのは初めてだが、あれが軍服と言う物ではないだろうか。黒系統の上下に軍靴、軍帽を被っている。

 すでに魔法の打ち合いでもあったのだろうか。相手はかなり警戒態勢を取っている。

 父ユウジは鞘に納まった真剣を手に持ち、彼等の行動を鋭い眼光で牽制している。

 その彼を庇う様な位置で立っているのは母イリスと妹ノイエ。彼女達も謎の侵入者達の一挙手一投足を注視している。

 しかし道場に入って来たマサトに逸早く気づいたノイエは、その警戒をアッサリ解いてマサトに駆け寄る。


「お兄ちゃん!大丈夫!?」


 マサトの全身を見ながら、彼の腕を摩るノイエ。


「ああ、俺はまだ大丈夫だ。それよりもノイエは大丈夫か?父さん、母さんも!?」


「うん!私もお父さん、お母さんも大丈夫だよ!」


 ノイエがそう答えると同時に、対峙していた一団の一人から魔法が放たれた。炎の球を複数作り出し、一斉に飛ばす魔法だ。

 マサトとノイエに真っ直ぐ襲い来る火の玉の群れだったが、彼等の近くまで来て見えない何かにぶつかり進行を阻止され、爆発して掻き消えた。


「もう。ノイエちゃん。隙を見せちゃダメじゃない~」


 母イリスが作った防御壁。敵の魔法はレベル三程の威力があったにもかかわらず、苦も無く防いで見せた。イリスもまた、父ユウジのガーディアンガードなのだ。


「ごめんなさ~い」


 ペロッと舌を出して謝るノイエは反省しているとは言い難かった。それどころか、するりとマサトの腕に自分の腕を絡ませてきた。こんな状況でも、ノイエはいつも通りだ。

 それに対して、対峙した一団…敵側には動揺が走っていた。

 実は完全に意表を突いた攻撃を行ったつもりだったのだが、いざ突入してみると準備していたユウジ達に立ち塞がれたのだ。

 相手に体勢を立て直させない内に制圧するつもりだったのだが、突入直後にその目論見は瓦解し、彼等は次の行動を取れずにいた。

 臨機応変な対応や柔軟な行動が出来ていない。しかしそれも仕方のない事だった。彼等もまた初陣なのである。

 用意周到に行動を起こしたとはいえ、それはあくまでもマニュアル通りに動いただけの事。不測の事態に対応する訓練は行っていない。また実戦下で即座に思考を切り替える様な芸当が出来る者もそうは居ない。

 マサト達にも伝わる程、彼等の動揺は小さくなかった。先程からの散発的な攻撃もその現れだろう。

 しかし彼等も軍人として行動している以上、持ち直すのも時間の問題だ。それを察してか、父ユウジがマサトに話しかける。


「マサト、お前はすぐにノイエを連れてここを離れるんだ。アイシュちゃんと合流してな」


 ユウジは、アッサリと魔法を防がれ続けて動揺が収まらない一団に鋭い眼光を送り続けながらそう言った。押し殺した声だったが、焦りが含まれているのがわかった。


「何言ってんだよ!父さんと母さんを置いて逃げるなんてできる訳ないだろ」


 ユウジに詰め寄り、マサトも声を押し殺して反論する。


「よく聞け。奴らの狙いにはお前も含まれている」


 ユウジの発言に息を詰まらせるマサト。何故自分がと言う考えが頭を支配する。マサトが問い直す前にユウジが答える。


「強力な魔法士の確保はこいつらの計画に含まれている。抹殺もだ。強力な魔法士の一番手はアクティブガーディアン。つまりお前だ」


 なるほど。何故そんな魔法士が必要なのかはわからないが、確かに強力な魔法士としてアクティブガーディアン程の人材は居ない。


「でも、なんで父さんがそんな事を知っているんだ?」


 まさか今対峙している一団が、丁寧に目的を話して聞かせたと言う事は考え難い。


「ミカヅキ家にはお前にまだ教えていない色んな秘密があるんだが、今はそれを説明する時間は無い」


 確かにこの状況はノンビリレクチャーを受けるに適しているとは言い難かった。


「それにお前の中に居るお方。その方もまた目的の一つだ」


「なっ!」


 それをユウジが知っている事にマサトは驚いたが、それも先程ユウジが言った事に関連する事なのだろうか。

 マサトは思わずノイエを見た。彼女がユウジに話した可能性も脳裏をかすめたのだ。

 目が合ったノイエはブンブンと首を振って否定の意を示した。

 フ~ッとため息をついて、イリスが後を引き継いだ。


「アイシュちゃんから聞いたのよ~。事が事だけに何かあったらあなた達では手に余るかもしれないでしょ~?アイシュちゃんは先の先まで考える本当に良い子よ~」


 確かに、ユファをどうするかはともかく、今はマサトの中に居る以上、信用できる者に事情を知っていてもらうのは大事な事だ。それがユウジやイリス、アイシュの両親ならば申し分ない。

 その時、再び敵から魔法が放たれる。今度は氷塊を散弾状に打ち出した物だ。

 マサト達に拳大の氷塊が、それこそ無数に襲い掛かる。だが今度も防御壁に全て防がれた。しかし今度の防御壁はイリスの物ではない。


「マー君!ノイエちゃん!おじさん、おばさん!」


 マサト達の背後から現れたのはアイシュだった。駆けつけて来たのだろう、アイシュは息を弾ませている。

 駆けつけてすぐに、詠唱もなく展開させた強力な防御壁から、アイシュもまた優秀で高ランクの魔法士である事が伺える。少なくとも敵の魔法士よりは格上だろう。


「アイシュ!おじさんとおばさんは!?」


 現れたのはアイシュ一人で、アイシュの両親は見当たらない。


「自治領首府ビルに向かったわ。この混乱がどこかの敵による物なのかは確かなんだから、防衛部隊の指揮に入る為にね」


 確かに、いくら力があっても個人での抵抗には限界がある。

 アイシュの両親も、ミカヅキ家と肩を並べるアカツキ家の分家、その筆頭の親族であり高い魔力と魔法力を有している。

 それでも多勢に無勢の展開は予想される。自治領首府に向かう事は賢明な判断と言えた。


「一緒に居なくていいのかよ!?」


 しかしこの混乱の最中、どういった事が起こるか予想もつかない。どんなことが起こるにせよ、大切な人と一緒に居る事が望ましいのはマサトでも解る事だ。


「私はマー君のガーディアンガードよ。誰が優先かなんて聞くまでも無いでしょ?それに…」


 キッと決意を秘めた瞳でマサトを見るアイシュ。その眼には涙が滲んでいる。

 恐らくは究極の選択に近かっただろう。その選択を乗り越えてマサトの元に駆け付けたのだ。


「もう…別れは済ませたわ」


 消え入りそうな声で、何とかそう言ったアイシュ。それはつまり、今生の別れを済ませた事を意味する。


「わかっただろう、マサト。今は三人でこの場を離れるんだ」


「そうよ~。この場は私達に任せて、先に安全だと思う所に逃げなさい。私達も後から合流するから大丈夫よ~」


 アイシュの決意まで見せられては、二人の言葉に反抗する事は出来ない。

 何よりも自分が捕まる訳にはいかない。何が目的かわからないが、ユファを狙っているのなら尚更の事だ。


(…すまぬな)


 一部始終を聞いていたのだろうユファは、マサトの中で謝意を口にした。


(いいんだ。気にするな)


 ユファにそう答えて、マサト達はアイシュが入って来た入り口に向かう。

 その背中に、今度は複数人から放たれた魔法が飛ぶ。

 彼等も徐々に動揺から立ち直りつつある。ただ指をくわえてマサト達の自由な行動を許している訳は無かった。それに彼等は何かを待っているように思えた。

 放たれた魔法を、再びイリスの防御壁が防ぐ。複数同時に放たれた魔法は、単体で放つよりも威力が上がる。

 恐らくランク三の魔法士だろう彼等の魔法は、数人が同時に放つ事でレベル四相当の威力となって襲い掛かったのだが、それでもイリスの防御壁は防ぎ切った。

 イリスはランク六の魔法士。そして『盾魔法』に特化したガーディアンガードだ。

 平和な世にあって、魔法に攻撃性や防御性を区分けする事は無くなっているが、戦乱の時代には魔法の区分けが明確にされていた。

 攻撃性の魔法は『剣魔法』。防御系の魔法は『盾魔法』。そのどちらでもない魔法は『異種魔法』と言う様に呼ばれていた。

 今の時代に魔法をそう呼んで区分けする人はほとんどいない。

 しかし古き伝統を引き継いできた「深淵の御三家」では「剣魔法」と「盾魔法」そして「異種魔法」の名称は使われ続けて来た。そうする事でより特化した習得が可能だからである。

 盾魔法を特化させる事で剣魔法の威力は著しく弱体化する。そういったアンバランスな状態になってでも、盾魔法を強化する必要がある。

 アクティブガーディアンを守るガーディアンガードに必要なのは守る力なのだ。

 大きな爆発が起こり、イリスが築いた防御壁より前面の建物を巻き込んで破壊した。道場はすでに原型を留めていない。

 マサト達は振り返りたい衝動に駆られたが、未練を断ち切り駈け出して出て行く。

 その後ろ姿をユウジとイリスは満足気に見つめていた。


「出来れば、お前にもマサト達に付いて言って貰いたかったんだがな~」


 ヤレヤレと言った表情でユウジがイリスに呟く。


「嫌です」


 間髪入れず、ピシャリと言い放つイリス。


「あの子にはアイシュちゃんが付いていますよ~。ノイエちゃんもね~。それに~…」


 凛とした迷いのない瞳でユウジを見るノイエ。


「私はあなたのガーディアンガードです」


 その瞳にやや気圧された様な、照れた様な顔でユウジは答える。


「そうだな…。心残りはまだ孫を見てないって事だけかな?」


「うふふ。そうですね~。アイシュちゃんに似たら可愛い子供なのは間違いないでしょうね~」


「おいおい。最初の子は息子に似た方が良くないか?」


「いいえ~。アイシュちゃんによく似た女の子が良いわ~」


 その時、敵の一団を掻き分ける様に入って来た人物がいた。彼等が待ち望んだであろう、敵指揮官の登場である。


「馬鹿者!何を手間取っておるか!」


 集団の先頭に現れての開口一番、彼は味方を叱咤した。

 作戦完遂に手間取っている。それどころか失敗しようとしている。それが不測の事態に対応できない部隊の未熟さである事に苛立ちを覚えていたのだ。


「作戦をたがえるな!目的はミカヅキ=マサトだ!こいつらは第一小隊に任せて、残りは奴らを追え!」


 その言葉に、即行動を起こそうとする所は、曲がりなりにも訓練を受けた兵士なのだろう。


「させません!」


 周囲の様子を「索敵」により把握したユウジの指示で、対人対魔法防壁がドーム状に展開して結界の様にミカヅキ家全体を包み込む。


「索敵」は魔法では無い。三日月流剣術の流れを組む技法、その一つである。


 魔力での探査ではなく、所謂気配を読む技であり、自分の周囲に存在する生命力を感じ取るものだ。

 しかしそれだけではなく熟練者ともなると、己の中に存在する魔力を、感じ取った気配に使用する事で、敵の魔力や強さ等も推し量れることが出来るという技法である。

 正確に敵部隊が包囲展開している場所を把握したユウジの指示で使用した防御壁は、一人も逃さず捕え込んだ。

 すかさず内側から防御壁に攻撃を掛ける敵兵士達。

 二十人からの魔法攻撃を受けてもなお、イリスの防御壁はビクともしなかった。


「クッ!我々を閉じ込めたつもりだろうが、お前達もこの防御壁の中に居るぞ!」


 本来盾魔法は自分と相手の間に展開しなければならないだろう。しかし今、イリスの防御壁は彼女とユウジも取り込んでしまっている。

 現実的に魔法は一回の使用で一種のみしか具現化できない。それは同一系統の魔法であっても同じ事である。

 理論上は複数同時使用も可能だが、その時は魔法を連続使用した時の比ではない負担が使用者に掛かる上、後から発動した魔法はかなり弱い物になる。

 どう考えてもデメリットしか存在しない同時使用を行う魔法士は居ないのだ。

 最初にドーム型の防御壁を展開して敵を取り込み、その魔法を具現化し続けているイリスに、同じ内側に居る敵の攻撃を防ぐ手立ては、現実的にないと言えた。


「あの女を狙え!」


 指揮官の男はイリスを指さして声を荒げた。最前列にいる魔法士数名が、イリスに向かって呪文を唱えだした。


 ザシュッ!


「ガハッ!」


 その数名が同時に悲鳴を上げ倒れる。更に数名が血飛沫を上げて仰け反る。

 一瞬で間合いを詰めたユウジが、魔法を使おうとした数名を切って捨てたのだ。

 その速さは、敵に防御壁を築かせる暇も無かった。


 ガキンッ!


 慌てて展開した敵兵の防御壁に弾かれて、ユウジの刀が押し戻される。どんな達人であっても、最弱の防御壁ですら魔法を伴わない実剣では破る事が出来ない。

 すかさずイリスの元まで後退するユウジ。


「やっぱり駄目か~」


 諦め口調で呟くユウジ。


「斬魔の太刀はやはり成功しませんでしたか」


「出来れば俺の代で完成させたかったんだがな。封印の呪紋が複雑すぎて魔力を取り出すまでにはいかなかったよ」


 三日月流剣術の目的は、魔力を封印された状態でも魔法士に打ち勝つ剣術を編み出す事にある。

 深淵の御三家からアクティブガーディアンが排出される以上、その者は魔法を封印される。その間は無力であり守られる存在。

 しかし魔力はあるのだ。しかも他者を寄せ付けない程に。

 ならば封印された状態でもその魔力を使用できないかという事が、一族間では長く研究されて来た。

 斬魔の太刀もその一つ。三日月流剣術の集大成となる剣技である。

 完成したならば、魔力を纏わせた剣にて、敵の防御壁を切り裂く事が可能な筈だ。

 もっとも完成には程遠い様だが。


「よし!奴の動きに注意しつつ、女を攻撃しろ!あの女さえ倒せばこの防御壁も消え失せるはずだ!」


 再び敵司令官は号令をかける。それに合わせて、複数の魔法士が魔法を射かけた。

 炎、氷、岩石、鎌鼬。色々な物に具現化された魔法がユウジとイリスを襲う。

 しかしその魔法は、またも彼等の前で阻まれる。

 イリスの作り出した、新たな防御壁によりユウジ達に届く事は無かった。


「ばかな!『デュアルアクティベーション』だと!しかも外の防御壁を維持しながらこちらの攻撃を防ぎきる威力とは!」


 複数同時に魔法を操る事を「デュアルアクティベーション」と言う。歴史上、使用した者は居ても、得意とした者は居ない。


 命を掛けるという言葉がある。


 武術によく用いられる概念的な言葉で、命を懸ける程に必死で取る行動は、精神が肉体を凌駕し、本来より十二分な力の使用を可能にすると言う意味だ。

 しかし誰でも、いつでも使える物ではない。当然体得できる様な物でもない。また、命がけで戦ったからと言って、それが原因で命を落とす事も無い。

 しかし、魔法に限ってはその限りではない。

 命と言う無限のエネルギー体を魔法力に上乗せする事で、通常では考えられない力を瞬間的に使用する事が現実的に可能である。

 今、イリスが高位の防御壁を複数同時に具現化できるのも、命を賭しているからに他ならない。

 比喩では無い。本当に命を懸けているのだ。

 当然その先に待つのは…死である。

 だが、今この場に置いての効果は絶大で、敵部隊に現状打つ手は無い。イリスが力尽きて防御壁が消え去るまで、無駄と解りつつ魔法を討ち続けるか、ただ立ち尽くして待つしか手がなかった。

 しかし、イリスが死を賭して魔法を行使している傍らで、ユウジがただ時の過ぎるのを待つだけと言う訳等無かった。

 本来ならば、完全に魔法を封じられているユウジに打つ手は無い。右往左往している敵部隊よりも無力な存在だろう。

 しかし、ユウジが魔法を使用する方法が、たった一つ存在する。

 魔力は溢れるほど存在する。己の中に。それを使用する。

 外に魔法を具現化するのでも、魔法により肉体を強化するのでもない。

 己の中にある魔力を、己の中で具現化し、そのまま己の中で作用させる。

 大爆発を起こす魔法を具現化させ、起爆する。それはそのまま、体を突き破って周囲に多大な影響を与える。

 つまり。自爆魔法である。

 一般的に自爆魔法を行使する者は居ないし、出来ない。望んで行う事は勿論、うっかり発動する事も無い。

 それは全世界の自治領全体で行われている、幼い頃から大人達にかけられる暗示の影響である。暗示と言ってもいずれ解けるという代物ではない。


「自分で自分に魔法を掛けてはいけないよ」


 そう言った意味の言葉や話を、大人が子供に「言霊」を込めて事あるごとに吹きこんでいくのだ。

 両親が、祖父母が、兄や姉が、近隣の大人が、警官が、先生が。言霊を込めて話されるそれは、たとえ弱い言霊であっても子供に与える影響は弱くない。そうして育った子供は、自爆魔法を行う事を思い至らなくなる。

 しかし深淵の御三家では一定の年齢に達する頃、その暗示を意図的に解除する。

 別に自爆魔法を推奨する訳では無い。あえて言うならば精神的な覚悟に近い。

 勿論、一族においても未だかつて自爆魔法を行った物は誰一人いない。だが膨大な魔力を有する一族の者が自爆魔法を行った際の影響は研究されて来た。


「すまんな…イリス。これしか方法がない」


 ユウジがイリスに覚悟を伝える。既にデュアルアクティベーションを使用し続けているイリスは、額に玉のような汗を浮かべ、口からは吐血している。限界は近い。


「うふふ。解ってましたよ。は本当に無茶ばっかりなんですもの」


 この言葉を聞いて、ユウジは理解した。イリスの意識はすでに現在いまではない場所に在る事を。





 =イリスが=イリスとなったのは、ユウジ八歳、イリス五歳の時であった。つまり養子としてミカヅキ家に迎えられたのだ。

 勿論、ただ養子に来た訳では無い。

 将来アクティブガーディアンとなる事を定められたユウジのガーディアンガードとなる為であった。

 ユウジの、イリスに対する第一印象は「人形のような女の子」だった。

 容姿端麗なうえ非常に賢く、聞き訳もよく、何に対しても要領よくそつなくこなすイリスは、とても五歳の女の子とは思えなかった。

 しかし、普段は能面を思わせる無表情を称えており、イリスが来て数か月の間、ユウジはイリスが笑った所を見た事がなかった。

 そんな女の子が、何かにつけてユウジに付いてきた。

 同じ年頃の友達と話す訳でもなく、一人で遊ぶ訳でもない。ただ、遠巻きにユウジを見ていた。

 登下校は勿論、稽古中であっても、ユウジが友達と遊んでいる時でさえ、イリスはユウジを見続けていた。

 姿が見えている訳では無い。しかし視線を感じるのだ。

 ユウジはそんなイリスが嫌いだった。

 イリスがミカヅキ家に来て一年が過ぎた夏のある日、ユウジを監視するかのようなイリスの行動が嫌で、彼はイリスを撒いて近くの池に遊びに行った。

 前日の雨で増量している池。その湖岸もぬかるみ弛んでいた。

 危険なのは重々承知している…つもりだった。しかし子供の危機管理など、穴だらけで都合のいい物である。

 ユウジも気を付けていたつもりで、案の定池に落ちた。

 年齢にしては泳ぎが達者な方のユウジだが、増量した池の不規則な水流、服を着たままの状態、そして、落ちる訳がないと高を括っていた油断が災いした。

 思う様に動かない体と、水を吸い込んで重くなった服が体の自由を奪い、みるみるユウジを湖底に引き摺りこんでいく。

 遠ざかっていく湖面の明るさを見ながら、半ば諦めたユウジが見た物は、湖に飛び込んで真っ直ぐこちらに向かって来る亜麻色の髪をした少女だった。

 その顔は必死の形相を湛えている。いつもの陶磁器を思わせる表情では無かった。


(なんだ…。そんな顔も出来るんじゃないか…)


 自分が溺れ死ぬかもしれない刹那に思った事は、そんな全く関係のない事だった。

 少女はユウジの手を取ると、すぐに湖面へ向かい引っ張っていく。

 六歳になったばかりの少女とは思えない力で引っ張り上げられたユウジは、そのまま湖岸に手がかかる位置へやられた。


「ガハッ!ガハッ!」


 かなりの水を呑み込んでいたユウジは咳き込みながら、助けてくれた少女を探して、首を周囲に巡らす。


「まさかっ!」


 イリスを見つける事が出来なかったユウジは、最悪の事態を想像する。

 ユウジを引き上げ力尽きたイリスは、彼の変わりに湖底へ沈んでいったのではないかと瞬時に考えた。

 先程と同じ轍は踏まない。上半身の服と靴を脱いだ。ズボンも脱ぎたいところだがそんな暇はない。呼吸を整えて再び湖底目掛けて潜水した。

 ゆっくりと、音もなく、それでも確実に湖底へ向かって沈んでいくイリスが見て取れた。

 すでに力を使い果たしたのか、イリスの眼は開いておらず意識があるかどうかも定かではない。


(イリスッ!)


 水中で叫んだところで聞こえる筈もない。しかしユウジは叫ばずにはいられなかった。

 イリスの手を掴む事に成功して水上に戻る。水を吸ったイリスの服は重くなり、本来の体重を倍する重さに感じられる。

 それでも普段厳しい稽古で鍛えたユウジは、何とかイリスを湖岸へ引き摺り上げる事に成功した。


「イリスッ!イリスッ!」


 呼び掛けながら水を吐き出させ、軽く頬を叩く。静かに、うっすらと瞼を開けるイリス。どうやら無事な様だった。


「あ…ユウジ…さま…ご無事…ですか…?」


 開口一番、彼女はユウジの無事を確認する。


「イリスのお蔭で俺は大丈夫だよ!それよりお前は大丈夫なのか!?」


「私の…事は…良いのです。ユウジ様が…ご無事でしたらそれで…」


 ユウジの言葉を聞いて、少し安堵した様に言うイリス。


「良い事無いよ!どこか具合が悪いなら、すぐに病院に行かないと!」


「良いのです…。私に何かあったとしても、他に変わる者が居るのですから…」


 すでに随分落ち着いたイリスの物言いは、どこか他人事で捨て鉢だ。


「イリスの変わりなんて他に居ないよ。俺には…」


「居るのです!私の変わり等いくらでも!」


 ユウジの言葉を遮って、突然叫ぶ様に告げるイリス。その様変わりにユウジは気圧されてしまう。

 いつも物静かなイリスが、初めて感情を爆発させている様に見えた。


「父様にも母様にも見限られ、来たくも無い家に養子として出されました!初めて見る人をお父様、お母様と呼ばなければならず、話もしてくれない兄を四六時中見守る様に義務付けられました!そうしていつかあなたのガーディアンガードとなり一生を終える事が決められています!そんな私にもしもの事があれば、すぐにでも次のガードが用意されるでしょう!ならば私は消耗品!あなたを守るだけの存在なのです!」


 見開かれたその眼には涙が流れている。

 ずっと抱え込んでいたのだろう。

 考えてみれば、五歳の子供が養子に出されるという事は、親元を離れる哀しみと、新しい生活に対する不安で押し潰されそうになるのは想像に難くない。

 普段彼女は余りにも賢く、聞き訳が良く、要領が良いので思いもよらなかった。

 別に彼女は、実の両親に見限られた訳では無い。エクストラ選定で選ばれた者に、一族から年の近い、異性の、最も優秀なレギュラーがガードになるべく選ばれる。

 ユウジのガードには、ヨイヤミ家の長女であったイリスが選ばれた。

 ユウジとイリスの円滑な関係構築の為に、彼女はミカヅキ家の養子として送り出された。

 しかし幼いイリスにしてみれば、両親に捨てられたと言う思いがあったのかもしれない。

 そんな事すら気付いてやれなかったユウジは、すすり泣くイリスを見て自分を恥じた。


「イリス。俺はお前が傍にいてくれないと嫌だ」


 そっと横たわったままのイリスを抱きしめ、その耳元に呟くユウジ。

 ピタリとすすり泣く声が止まる。


「ユウジ…様?」


 真意を測るような問いかけがユウジに返された。


「他の誰でもない。イリスじゃないと俺は嫌だ。ずっと傍に居てくれないと嫌だ。だから自分を消耗品なんて言うな。お前は俺の妹なんだから」


 上手く言葉が浮かばない。それが本当の気持ちかどうかもわからない。

 しかし、イリスの必死な形相や、取り乱した表情、泣き顔を初めて見た時、彼女の笑顔や楽しげな表情も見たいと思った。彼女がユウジの傍に居る理由は、今はそれだけで良かった。


「ユウ…お兄様…」


 ぎゅっと抱き付いて来るイリスの声は、涙に震えていた。しかしそれが哀しみの涙ではない事をユウジは何となく理解していた。

 それからの二人は、周囲が驚くほど仲の良い兄妹になった。

 いつも一緒に行動し、お互いを思いやる、見ていて微笑ましい兄妹だった。

 そしてそんな彼等が成長し、互いに思いを寄せるようになるのは必然だったのかもしれない。





 彼等が最も幸せだと感じた時代にイリスの意識は飛んでいるのだろう。

 当時のイリスはユウジの事を常に「お兄様」と呼んでいた。結婚するまでイリスはユウジを「お兄様」と呼び続けていたのだった。


「そうだったな。そんな俺を、イリスはいつもフォローしてくれてたっけ」


 そんなイリスを見て、ユウジもまたその当時に戻ったかのようだった。彼等が輝いていた時代に。


「うふふ。でもお兄様。私はそんなお兄様を愛していましたよ」


 コフッと更に新しい吐血をしながら、それでも幸せそうに微笑むイリス。


「なんだ、照れるな。俺にはお前に感謝の言葉しかないよ。俺も愛しているよ」


 その言葉を聞いて、全てを察しているのだろうか。イリスの防御壁は形状を変化させた。

 少し離れて待機していたのだろう、敵の増援が駆けつけていた。

 しかしその増援もイリスの防御壁をどうしようもなく立ち往生していたのだった。

 そしてイリスの防御壁は、更に効果範囲を広げてその増援部隊全員をも取り込んだ。

 ドーム型だった形状も、上空へ突き抜ける様な円筒型に変化している。ユウジは、何も言わなくても全てを察してくれる彼女に感動し、自分の行為に付き合ってくれる事に深く感謝をした。

 突然変化した防御壁に敵兵の間から動揺の声が上がる。

 しかしイリスの防御壁は破れない。

 そして。ユウジの準備は…整った。

 己の中に高威力の爆発物を具現化できた。ユウジの全魔力を使用したそれは、恐らく信じられない位の爆発を引き起こすだろう。

 その威力を、イリスは防御壁で上空に逃がし、被害を最小限に留めようと言うのだ。ユウジとイリス、互いに死を賭した決死の魔法だ。


「イリス…」


 最後にユウジは、イリスの額にそっとキスをした。しかしイリスにもう意識は無かった。

 それを合図とするように、ユウジ達の前面に展開されていた防御壁だけが解除された。

 真っ先に気付いたのは敵の指揮官だった。

 彼はイリスの魔力が尽きたと勘違いしたのかもしれない。ニヤリと口角を上げて、周辺に居る部下に攻撃再開の号令を掛けようとした矢先。


 一瞬にして円筒型の防御壁全体が光に包まれた。


 光は全てを包み込み、例外なくその姿を消し去った。


 そして余った威力は上空へ逃されて昇っていく。


 眩い光を放つ爆発を、迷わない様に上空へ導く碧の防壁。


 爆発は僅かな時間であったが、その防壁の内側には何も残されていなかった。

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