心穏やかな風景

「今日は楽しかったね~」


「うん!すっごく楽しかった~!」


「うむ。非常に有意義な一日じゃった。しかしアイシュ、お主は少しはしゃぎ過ぎでは無かったかの?」


「え~。そんな事無いよ~。でも、ユファの楽しそうな顔を見てたら、ついつい羽目を外しちゃったかも知れないね~」


「あ~!わかる~!私も楽しませたいって気持ちになったもん」


「い、いや、我はそんなに…」


 図星を突かれて頬を赤らめ、そっぽを向くユファ。そこにアイシュとノイエの笑い声が響く。そんな笑い声を、マサトは優しい眼差しで見ていた。

 今日は実体化したユファを伴って、繁華街へ出かけていたのだ。今はその帰りで、家へと向かうバスの中。

 今日一日中、三人とも本当にはしゃぎまくっていた。

 アイシュとノイエは勿論だが、元々市井に疎いユファは、見る物聞く物全てに興味を示していた。その姿を見て、更に彼女達のテンションが天井知らずに上がっていったのだった。

 マサト達は、繁華街に良く出入りするという訳では無い。買い物があったり少し暇つぶしに向かう程度だろうか。

 しかしユファの驚き様は新鮮で、彼女に店を説明している内に、こちらにも再発見があったりと、マサト達にしてみても非常に楽しめた一日だったのは言うまでも無かった。





 数日前。ユファがセントレア魔導皇国の皇女である事を知り、ガイスト化が出来るという事実を知った日の翌日。

 ユファはアイシュの胸ポケットに隠れる様身を潜め、マサト達の登校に同行した。ただバスの待合所へ向かう道を歩いているだけで、ユファはキョロキョロと辺りを見回し落ち着きがない。


「ユファ。そんなに珍しい物ってあるの?」


 自分の胸元で忙しなく首を振るユファにアイシュが問う。


「うむ!まず、自治領毎に文化が僅かばかり違うのだ。そう言った違いを見て知る事は我の密かな楽しみなのじゃ。それからこれほど近くで街並みを見る事も殆ど無かった。家の造りや生活様式、風習等、王宮に居ては知る事の出来ない事ばかりじゃからな。興味は尽きぬ」


 かなり興奮気味に答えるユファ。ともすれば飛び出して行ってしまいそうだ。

 今のユファはガイスト化と言う、妖精を模した形に意識だけを込めている状態。しかし非常に小さいので、飛び出しても遠目には大きめの羽虫程度にしか見えないかも知れない。淡く輝く体も、日中この時間ならば恐らくは目立つ事は無い。

 だが万一がある。問題が起こっては、マサト達だけで対応出来るか解らない以上、ユファには大人しくしてもらう必要があった。

 勿論そんな事はユファの方で理解している。飛び出してしまいそうな勢いだと言っても、本当に飛び出す事は無いだろう。もっとも、本当は好きな所に好きなだけ行かせてあげたいと、マサトもアイシュもノイエも思っていたのだが。


「あの、橙色の看板はどういった店舗なのだ?」


 ユファが指を向けている方向にはコンビニエンスストアがあった。


「あれは二十四時間お店を空けている小さなスーパーかな?コンビニって言うのよ」


「ほう。あれが〝こんびに〟と言う物か。聞いた事はあったが本当に一日中営業しているのじゃな。便利な物じゃの」


 マサト達にとっては普通に当たり前の事が、ユファにとっては新鮮極まりない物らしい。中の様子が非常に気になっている様なユファだったが、特に用事もなく通学途中のマサト達にはそんな時間的余裕もない。


「ユファ、帰りに寄ってみましょうか?」


「本当か!済まぬ!是非行ってみたい」


 たったこれだけでもこの喜びようである。千年以上生きているとは言え、その殆どを王宮と政治の世界で生きて来たのだろうユファが、なんだか不憫に思えて来たのだった。

 バス停に着き、しばらくして到着したバスに乗る。


「ほう。送迎車には幾度も乗ったが、バスなる物は初めて乗る。所謂乗り合い車両の事なのじゃな」


 フンフンと頷きながら、バスの内部にくまなく視線を巡らせるユファ。そこにある、幾つもの座席も、長椅子も、吊革も、ユファには余り馴染みのない物の様だった。

 この様子だと、学校に着いても興奮冷めやらぬだろう。そしてこのユファの行動は、アイシュの何かに触れたらしい。


「なんだかユファ…可哀想…」


「む?」「え?」「そうなの?」彼女の呟きに、三人(一人は妖精だが)はそれぞれに反応した。もうすぐノイエが降りるバス停近くなり、アイシュは目を輝かせてマサトに向き直った。


「ユファってきっと、不自由な生活で満足に青春を満喫してこなかったのよ!」


 自分の胸元に居る本人に確認する事も無く、そう断言するアイシュ。


「いや…、別に不自由してきた訳では…」


 その言葉に反論しようとしたユファには構わず、アイシュは突っ走りだした。


「マー君!ノイエちゃん!決めたわ!次のお休みにユファを連れて出かけるわよ!」


「お、おう」


「うん!わかった~!」


 アイシュの迫力にやや気後れ気味のマサトとは反して、すんなりと返事を返したノイエ。彼女はアイシュの行動や言動のパターンをかなり理解しているのだろう。


「なに!それは本当か!?」


 そしてその言葉に過剰反応したユファは、更に興奮の度合いを高めていた。

 当然ながら学校に着いてからも、ユファの興奮は治まる事が無かった。





 そして日曜日。学生の休日と言えば祝日か日曜日が一般的だ。勿論長期休暇も用意されているが、先日始業式が行われたばかりで、すぐに長期休暇がある訳もない。

 約束通り、マサト、アイシュ、ノイエ、そして今日は実体化したユファを伴って町へ出かける事となっている。

 まずはドレスしか持たないユファの服を買いに行く事となったのだが、そのショップへ行くまでの間に着る服を、アイシュの物で代用する事となった。

 着る物すらも魔法で実体化している筈のユファだが、どんな服でもその様な事が可能と言う訳では無いらしい。


「我が触れた物を光粒と化せば、その後はいつでも形作る事が可能じゃ。しかし当然光粒と化した物は以前の様に戻す事は出来ぬ。つまり我の魔法物として扱われるしかなくなるのじゃ」


 簡単に言うと、彼女が光粒化した物はもう戻らないという事か。魔法で形作った物は、ユファの手から離れればすぐに霧散してしまう。

 ユファが買った服を、自分の服として持つ分には問題ない訳だから、とりあえず今は実体化したユファにアイシュの服を着せて、彼女の服を買うまでの間代用する事となったのだ。

 しかしここで一悶着が発生する。


「ごめんね~ユファ。サイズが合う服がなくって…」


 申し訳なさそうに言うアイシュの言葉に、一瞬ユファの眉がピクリと動いた。


「ふむ。確かに服の寸法は今一つ合っておらぬな。特に…胸の辺りが。これには悪意を感じるな」


 ダブダブになっている胸の部分を軽く引っ張り、余っている事をアピールする。


「む、胸って!し、しょーがないじゃない!これでも一番小さいのを選んだんだけど」


 近くで立っているマサトに、胸のサイズの事を指摘され、慌てて答えたアイシュに当然悪意はない。しかしさりげなく放った一言が、ユファの中にある女性としてのプライドを更に刺激してしまった。ピククッと片眉が反応する。


「ふん。胸もそうだが、腰も全く寸法が合っていないぞ。これにも悪意を感じるな」


 やはり随分余裕がある腰の部分を引っ張りアイシュにアピールする。


 ピククッ!


 この言葉には、流石のアイシュもユファが悪意を込めて言っていると理解したらしい。アイシュの顔は笑っているが、やはり片眉が反応している。

 すくっと立ちあがったアイシュは、ユファと対峙する。

 ゴゴゴゴ…。何処からともなく、地響きに似た音が聞こえてくる気がした。

 マサトは確かに見た。ユファとアイシュから、仄暗い炎が立ち昇っているのを。


(何故?何で?何処でこうなったんだ?)


 マサトには状況がさっぱり呑み込めず、ただ右往左往するしかなかった。


「ただいま~!ベルト、持ってきたよ~」


 その緊迫した状況を打ち消したのは、遅れて入って来たノイエだった。丁度良い長さのベルトがなく、ノイエが自分のベルトを取りに戻っていたのだ。


「うわ!ユファ、似合ってる!可愛い~!」


 そして戻ってくるなり、無意識に火消し作業をしてくれた。


「そ、そうかの?少し服の寸法が合っていない様に思うのじゃが…」


 面と向かって可愛いと言われ、ユファはしきりに照れながら、それでも先ほどの戦いを継続しようとしている。


「そんな事無いよ~。どっちみち新しいお洋服を買うまでの間だし。それにユファはどんな服でも似合うから、大きめの服ってゆ~のも似合ってて可愛いよ~」


「そ、そうなのか?」


 更に照れるユファ。もはやユファの方は戦闘継続が出来る状態でない。


「それに服のセンスも抜群だよ!さすがアイシュお姉ちゃんだね。ユファに似合う様にちゃんとコーディネートされてるもん。これは私も真似できないな~」


 ユファの着ている服を上から下まで改めて見ながら言うノイエ。


「そ、そうかな。ふふふっ」


 こちらも照れながら満更でもない様だ。


「うん!バッチリ!」


 アイシュに親指を立て、満面の笑みで答えるノイエ。ここに至り、アイシュも矛を収めた様だ。勝者、ノイエ。


「その…さっきはごめんなさい」


 申し訳なさそうにして、ユファに謝るアイシュ。


「いや、こちらこそ大人気ない事を言った。許してほしい」


 そしてユファもペコリと頭を下げる。


「ん?どしたの?」


 解っているのかいないのか、ノイエが二人に目をやりマサトを見る。

「グッジョブ!」マサトはそう心でノイエを称え、彼女に親指を立てた。





 ノイエのファインプレーですっかり険悪な雰囲気もなくなり、ここからは女性陣の独壇場となった。

 バスで繁華街地区へ向かうアイシュ達。

 巨大商業施設を中心に、放射状に延びる六本の通りそれぞれに特徴のある店舗が立ち並ぶ。

 大概の物は巨大商業施設内で全て揃うのだが、マニアックな物やオリジナリティーを重視した物はそう言った専門店の方が充実している。そしてアイシュとノイエが選んだのは、通りにある店舗のハシゴである。

 まずは目当てでもある衣料店通りへ。

 老若男女、最新からやや懐かしい物、奇抜な物からどうやって着るのか解らない物まで、多種多様な物が揃っている。彼女達は手前にある店舗から順番に全て覗いて行った。

 キャーキャーとはしゃぎながら、時には考え込み、時にはユファに試着させ、一つ一つ店を回る。その間、彼女達の笑顔が途切れる事は無く、ややうんざりしているマサトだったが、嫌な気持ちにはならなかった。

 ほぼ全ての店を覗き、ある程度買い物を済ませた時には昼を少し回る位になっていた。


「少しお腹空いたね~」


 ノイエの提案で昼食を取る事になった。入った店は軽食もとれる喫茶店。ここを選んだ理由は単に「近くにあったから」。

 今日と言う時間を楽しむ彼女達にとって、今は食事について論議する時間すら惜しいと見えた。しかしそれとこれは別な物がある。


「ここ出たら、デザート食べに行こうよ~」


「あ、良いね。ユファ、何か食べたい物ってあるの?」


「ふむ。特に要望は無いのだが。逆にお薦めがあればそれを食べてみたいかの」


「じゃ~あそこどうかな?ミカンヤ!久しぶりに行ってみたかったんだよね~」


「良いね!ミカンヤ。私も久し振りかも。じゃ~そこにしようか」


「ほう。ミカンヤとな」


 ミカンヤと言うのは最近流行りだしたスィーツ専門のチェーン店だが、値段の割に味が良いらしく、若い女性には大人気の店だ。

 ユファにミカンヤの説明を楽しげにするアイシュとノイエ。興味深くその話を聞き、頻りに頷くユファ。その光景を、やはり微笑ましく眺めるマサト。


「じゃ~マー君、この後ミカンヤで良いよね?」


「お、おう」


 突然こちらに話を振られて、少し動揺した様に答えるマサト。こちらに決定権は全くないはずなので、まさか聞かれるとは思ってなかったのだ。


「な~に、マー君?ちゃんと話聞いてたの?」


「お、おう。聞いてたよ。ミカンヤだろ?」


 男一人では非常に入り難い店だが、彼女達の同伴ならば問題ない。まぁ、少し居心地が悪いだけだろう。


「すまぬな、マサト。我ばかりがはしゃいでしまって。つまらなくはないか?」


「何言ってるんだよ。今日はユファが主役の日だろう?つまらないなんて事無いよ」


 意外と気にかけてくれていたんだと気付いたマサトは、満面の笑みを作ってユファに答える。傍からユファを見ていても、ここまで楽しそうにされては嫌な気分にもならない。


「そうか!」


 そしてユファも満面の笑みで答えた。





 そうして喫茶店を出た一行は、ミカンヤへ赴き、一人数個のケーキを平らげていた。

 その後アクセサリー関係の店をハシゴして結構な時間となった。

 その間、女性陣のはしゃぐ声が途切れる事は無かった。荷物持ちとなっていたマサトだったが、彼も楽しめた一日だった。


「じゃ~来週はジャンクフード関係を責めるってのはどうかな?」


「あ、それも面白いね。でもユファの口に合うのかな?」


「ほう。じゃんくふーどとな?非常に興味があるの」


「ほんとに!?じゃ~来週は水族館方面に行かない?」


「あ、なるほど~それならどっちも行けるね~」


 静かに走るバスの中でも、彼女達のテンションは未だ低くなる事は無い。

 すでに来週の予定も決まりつつあった。


「マー君もそれでいいよね?」


「ああ、良いよ」


(まぁ、決定権って無いんだけどね)等と言う無粋な言葉は言わなかった。マサトも十分楽しめた。そしてこの楽しい時間が続けばいいと心から思った。

 まだまだ前途多難だとは思うが、これなら何とかやっていけるんじゃないかと、流れる景色を見ながらマサトはそう思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る