皇女

「えっ?」


「ちょ、何言って…?」


「え~っと…」


 ユファの放った言葉に、マサト、アイシュ、ノイエは三者三様に再び絶句した。

 マサトの、つまり人の精神に潜り込んで魔力の回復を図り、精神体でありながら実体を作り出す奇術を使う。どう考えても、外法の魔法士としか思えなかった。

 外法とは通常から外れた魔法の総称だ。

 通常とは、一般に生活している人々を指す。普段の生活や仕事、研究に使う魔法は、突き詰めて行けば誰でも使える魔法と言う事になる。

ランクにより、使える魔法のレベルは異なる物の、その本質はだいたい同じになる。地水火風の四元素を基礎とした魔法が、その「普通に使われる魔法」に当てはまる。

 そしてそれ以外の魔法は異種魔法として扱われ、研究する事はタブー、もしくは厳重に管理される事となる。そして、侮蔑と畏怖を込めて外法と言われるのだ。

 また、異種魔法は到底誰でも使える物ではない。

 一定の条件を満たした人物、特定の場所、何らかの魔法具…といった様な、使用にはひどく偏った条件が必要であったり、生まれながらに身に付けてしまっていた個人特有の魔法やスキルもそれに当てはまる。

 そしてそう言った物は、大抵が危険度の高い魔法として知られている。因みにマサトの持つエクストラ魔法も異種魔法の最たるものだ。マサトが一般人の中で生活する為に、何重も封印を施されている事からも解るだろう。

 勿論全てが危険な魔法という訳では無い。

 ユファがマサトの中に入り込んで魔力を回復させると言った様な魔法の様な物も、やはり異種魔法に分類される。しかし、今の所マサトに実感を伴う実害は発生していない。

 それでも外法の魔法士が使う魔法であると、マサトも、アイシュも、ノイエも当たり前のように考えていた。ゆえにユファは外法の魔法士であると思っていたのだ。

 しかし彼女の口から出た言葉は、外法の魔法士どころか、この統一国家であるセントレア皇国の皇女だと言うものだった。

 ユファの爆弾、それもステルス性の爆弾発言により、完全に意表を突かれた彼等が呆気にとられるのも仕方がなかった。

 秒針がたっぷり三十秒を刻む程時間が経過して、ようやく再起動を果たしたのはアイシュだった。


「ちょ、ちょっと待って。セントレアって、セントレアよね?セントレア魔導皇国。この国の事よね?」


 再起動を果たしたアイシュだったが、思考までは整理されていない様だった。


「何を言っておるのだ。セントレア等と言う地名が他にあるものか。世界統一国家として、唯一国名を関するのはセントレア魔導皇国のみ。そしてそれを治めているのが我、ユファ=アナキス=セントレアだと言っておるのじゃ」


 ヤレヤレと言った感じで頭を振って答えるユファ。しかしアイシュには新たな疑問が浮かび上がった。


「あれ?でも現皇女様のお名前は、確かレサイア皇女様じゃなかったっけ?」


 その名前ならマサトも、ノイエも知っていた。

 千年も平和が続く治世で、統治者の名前は忘れられがちだが、それでも現皇女の名前ぐらいは知っている。確かに彼等にも、レサイア皇女として記憶されている。


「ふむ。その通りじゃ。我はユファであり、レサイアでもあるのじゃ。更にはアマーリアと呼ばれていた事もあった」


 また新しい名前が出て来た。マサトにはその名前に心当たりは無かった。しかしアイシュとノイエはまた絶句していた。それ程衝撃的な名前なのだろう。


「アマーリアって…ちょ、ちょっと待って!アマーリア=セントレアって、確か初代皇女のお名前よ!?」


「うむ。初めて皇女の地位に就いた時、我はアマーリア=アナキス=セントレアであった」


「でもあなた、自分の名前をユファって…。え…?ユファって…確か三代目の皇女様がユファ様だったような…」


「ほう。詳しいな。確かに三番目の名前はユファであった。我はこの名を一番気に入っているのじゃ。我が皇女であることを軽々しく口にする訳にもいかず、さりとて謀る事も出来ん。故に我の一番気に入っている名前を使ったのじゃ。どれも我の名である事には変わらぬのじゃから、そなた達を謀った事にはならぬと思うがの」


 マサトは既に思考をストップしている。もはやついていけなかった。

 ノイエは何とか理解しようとしている。しかしあまりにもスケールが大きくなってきており、彼女も考える事はアイシュに委ねようかと思案していた。

 アイシュだけが何とか理解しようと思考をフル回転させていた。


「つ、つまり、ユファさんはレサイア皇女であり、アマーリア初代皇女でもあると…いう事?」


 恐る恐る、自分が変な事を言っていないと確認する様な口調でユファに確認するアイシュ。


「うむ。その通りじゃ。このセントリア魔導皇国は、千年前から我ただ一人を統治者として現代に至っておるのじゃ」


 サラリととんでもない事を言ってのけるユファに、アイシュは最後の力を絞り出すかの様な声音で質問を返した。


「じゃ…じゃあ、あなたは、せ、千年以上生き続けてる…って事なの?」


「うむ。正確には千十三年だがの」


 アイシュの力を振り絞った質問でさえ、あっさりと返したユファ。これにより彼女の心はすでに折れようとしていた。

 マサトもノイエも、あまりのスケールに実感が湧かずにいた。お互いに顔を見合わせ、アイコンタクトを以て「えっ?どういう事?」「さあ?」と言う会話を行っていた。その辺りは流石に兄妹である。


「ごめん…。ちょっと時間頂戴…。気が遠くなってきちゃった…」


 肉体的にではない。精神的大ダメージを負ったアイシュは戦線を離脱する様だ。

 選手交代で次に前線へと飛び出したのはマサトだった。マサトはユファに向き直り、真剣な顔で切り出した。


「えっと…。ユファ様?ユファ皇女様?ユファ皇女陛下…?」


 その顔には何か聞きたい事があるのは確かなのだろうが、まずは呼び方でつまずいて困惑している。マサトには彼女をなんと言って呼べば良いのか解らなかった。

 もっとも、普通一般平凡平和に暮らしている高校生が、この国を統治している様な人物と会話する事はまず、無い。今のこの場合において、最適な呼称の使い方など知る訳がない。


「ちょっと、お兄ちゃん!」


 隣から小声でノイエの叱咤が飛んだ。「失礼でしょ!」と続くはずだった。


「ふふ。今更じゃな。どう呼んでも一向に構わぬ」


 それを先んじて遮り、ユファは微笑んで言った。


「そっか。助かるよ」


 それを素直に受け取ったマサト。実際、様とか陛下とか、言い難くて仕方なかったのだ。


「じゃあ、ユファ。お前がこの国の皇女だって事を証明する事は出来るのか?」


「出来ぬ」


 パニックも交えた事によって、肝心な事を聞き忘れてしまっていた。それをマサトが補完すべく質問したのだが、ユファは一切考える事も無く彼の答えを一蹴した。

 その余りにもテンポの良かった切り返しに、二の句を告げられないマサトを認めて、ユファは続けた。


「今の我は、見ての通り何も持っておらぬ。皇女の玉璽も、宝冠も、王杖も、その他我の言葉を裏付けする物は何一つここには無い。故に信じるも信じないもそなた達次第と言う事になるの」


 そう言われてしまうと、これ以上その事について問い続ける事は出来ない。

 マサトの知る限りでは、皇女の対外的な露出は極端に少ない。殆ど無いと言って良い程、映像を始めとしたメディアは勿論、皇室の写真といった物すら公表されていない。

 一般的に知られている認識として、代々皇女は皇族内で選ばれその地位に就く、象徴職の色合いが濃い。政治の表舞台に出て来る事は殆ど無いと言って良い。

 実際の政治を執り行っているのは、皇女に任命された大臣達であり、親政が行われる事はこの千年、全く無いと言って良かった。つまり写真や映像で確認する事も不可能。

 まさかセントレア魔導皇国に直接問い合わせる事も出来ない。下手をすると不敬罪で警察が押し寄せて来るかもしれない。それ以前にイタズラ扱いで取り合って貰えないだろうが。


「そう言えば、ユファの写真や映像って殆どないよね~?何か理由があるの?」


 マサトが考えていた事をそのまま口に出してユファに質問するノイエ。

 しかし既にユファと呼び捨てに出来る彼女の順応性には驚かされる。あえてそう言う呼び方で気を使わない様に心がけているのか、単にそう言う性格なのか。恐らく、いや間違いなく後者だろうが。


「ふむ。そうじゃな。年を取る事無く、いつまでも支配者の椅子に座り続ける者を、民衆を始めとした全ての者はどう見るかの?」


 彼女の話は、聞けばもっともな話である。年を取る事無く、いつまでも、永遠に同じ容貌だと言うだけでも畏怖するに値する存在である。それが、絶対者たるセントレア魔導皇国の皇女と言う地位に居れば、不安からどの様な事態が起こるか解った物ではない。

 人間とは、自分と違う者、自分の認識を超える者に対しては受け入れ難い所がある。そして排斥しようとしてしまう生き物でもある。


「故に我は、一定の年月が過ぎる毎に『代替わり』と言う名目で名を変えておるのじゃ。しかし容姿まで変える事は出来ぬ。余程の事がない限り、表の舞台には出ぬ様にしておるのじゃ」


 数百年も経てば、数代前の皇女に瓜二つだと言う事で済ませる事も出来るが、先代と続いて同じ容姿、しかもそれがずっと続くようだと誰でも疑問に思う。

 対外的に皇女は象徴職だという事も、皇室内で選ばれて次期皇女が選ばれるという事も、世間の目を逸らす為だという事だ。


「それじゃあユファの魔力が枯渇している理由も、長く生きている事が関わっているのか?」


 千年以上も生きているユファ。しかも容姿が変わっている様にはとても思えない。

 どういった理屈で彼女が永遠とも言える時を生きているのかは解らないが、そこに魔力の消費が関係しているのではないかと考えるのは至極普通の発想だった。


「うむ。我も断定出来るものではないが、恐らくは関係しているのじゃろうな。我の存在が特殊であり、自然の摂理に反している事は承知しておるが、だからと言ってこのまま朽ち果てるつもりは無い。故に我は魔力回復に最適な人物を探し出し手助け願う事にしたのじゃ。そして選んだのがマサト、お主だったという事じゃな」


 彼女の話から、ユファ自身も何故どうして尽きる事の無い寿命を獲得したのかは解らない様だった。しかし彼女が感じている通り、その寿命を引き延ばす糧となっているのが魔力である事は疑いようがないとマサト達は感じた。


「と、とりあえず、今はユファ…の言葉を信じましょう。でも、その、皇女様が長期間国を空けても問題ないの?」


 やや落ち着いたアイシュが、未だユファを何と呼ぶか決め兼ねているといった感で彼女に問う。確かに、象徴職だろうが支配者である以上、長期に国を空けることは好ましくない。


「ふむ。もっともな質問じゃが、同時に不要な疑問でもある」


 顎に手を当て、もっともだと言った風に頷くユファ。


「我が皇国は千年の間、我が極力介入しない政治に努めて来た。我の監視の元に、我を除いた政治を行う様にしてきたのじゃ。それは我と言う絶対者が居なければ成り立たない政治等正常とは言い難いからの。そうして現在の政治体系が築かれた。我が居なくとも数十年位は問題なく機能出来る筈じゃ。勿論側近と大臣には理由を話しておる。現在の所、何も問題ないのじゃ」


 何やら難しい事を語ったユファだったが、マサトには余り、いや殆ど理解出来なかった。ただ何となく、問題ないと言う返答だとは理解した。


「そう…。とにかくユファが皇女だと言う事と、セントレアを留守にしても大丈夫だって事は解ったわ。でも、その…。皇女様が男の人と一緒に生活する事に問題は無いのかしら…?」


 上目遣いにユファを見やり、探る様に問うアイシュ。ここで「スタートに戻る」となった。アイシュにしてみれば、その他の話はともかく、最重要事項はこの一点に絞られるらしい。

 しかし流石に聞き方が稚拙だと悟っているのだろう。傍から見ても彼女は自信無げで、随分と恥ずかしそうだ。そしてそれはユファにもお見通しだろう。


「ふむ。問題ないの。まず、我が皇女である事を知っているのはここに居るそなた達のみであるという事。そなた達が触れ回らぬ限り、事が公になる事はありえんからの。そしてこの体は本体ではない。魔法によって形作った『実体化』と言う物じゃ。見た目には普通の人間に見えるじゃろうが、その実、本物には遠く及ばぬ代物。万一この体に何かあったとしても、さして痛痒(つうよう)を感じぬ」


「えっ!?そうなの?」


 サラリと言ってのけたユファに、アイシュが目を丸くして問い返す。マサトも、ノイエも驚いていた。

 ユファの話す度に揺れる銀の髪も、微妙な紅潮を見せる白い肌も、何より喜怒哀楽を醸し出す雰囲気が作り物とは到底思えない。


「ユファ!それが本当かどうか確かめても良いかな?」


 まじまじとユファを見ていたアイシュは、意を決したように問いかけた。


「ふむ。確かめるとはどの様にするのじゃ?」


 首を横に傾けてユファが問い返す。こういう仕草は本当に年相応の少女の様だ。彼女のその問いには答えず、クルリとマサトの方に向き直るアイシュ。


「マー君。ちょ~っと外に出ててもらえる?」


「え?俺が?なんで?」


 いきなりこちらに話が振られたという事と、質問の意味が良く解らないという事で問い直すマサト。


「ちょ~~~っと、外に、出ててって、言ってるの」


 顔は微笑んでいる。声音もまだ優しい物だ。しかし言葉に有無を言わせぬ圧力があった。


「お、おう」


 そしてマサトにはこう答えるしか選択肢は残されていなかった。

 何が何だかわからないまま、マサトは自分の部屋から追い出された。形式上はお願いされて出た訳なので、追い出されたという言い方は不適切だろう。しかし先ほどの物言いは、お願いと言うにはほど遠い。反論を許さぬ命令に近かっただろう。

 外に出てドアを閉められてから、ようやく自分が理不尽な扱いを受けている事に気付いたマサト。中で何が行われているのか…当然気になる。ドアに近寄り、耳を傍立てる。





ノ(うわ~!ユファって肌綺麗~。羨ましいな~)


ユ(そ、そうなのか?)


ア(そうよ~。友達や知り合いにそう言われないの?)


ユ(うむ。近侍の者や大臣連中はこぞって誉めそやすのじゃが…。彼等は我に気を使うからの。本音とは思うてなかったのじゃ。友達と言う物はおらぬしの)


ノ(え!そうなんだ?ま~、皇女様だしね~。気軽にって訳にはいかないか~)


ユ(うむ。まぁ、それだけが理由と言う訳では…)


ア(さ、これも脱いで脱いで)


ユ(む。こ、これも脱ぐのか?)


ノ(そうよ~でないと解らないじゃないの~)


ユ(そ、そうか)


 シュルッと、かすかに衣擦れの音が聞こえる。どうやらユファが纏っているドレスを脱いでいるようだ。


ア(うわ!ド、ドレス消えちゃったよ!?)


ユ(ふむ。我が魔力で作り出していた物じゃからの。我から離れれば形を維持し続けるのが難しいのじゃ)


ア(そうなんだ!ごめんね~…)


ユ(よい。また念じれば作り出せる物じゃ)


ノ(へ~。便利なんだね~…って、ユファ、すっごくスタイルいいんだね!)


ア(ほんと!脚も長いし細いし、腰もすっごく括れてる!)


ユ(そ、そうなのか?何やら照れるの)


ノ(じゃ~失礼して…)


ユ(ノイエ、何をして…ヒャッ!ど、どこを触っておるのじゃ!)


ノ(どこって、調べないと解らないじゃない?)


ユ(そんな所も調べるのか!?)


ア(隅々まで調べないと…ね)


ユ(く、くすぐったいではないか。ちょ…やめ…)


 何やら妄想を掻き立てる会話になって来た。マサトはかなり興奮状態で聞き入っている。


ノ(ふむ…ふむ…)


ア(ほう…ほう…)


ユ(も…もう、良いでは…ないのか?はう…!)


ノ(これは…)


ア(…だね)


ユ(…も、もう…終わりで…良いな…?)


ア(うん。ありがと、ユファ。服を着てちょうだい)


ユ(ふぅ…。散々な目にあったぞ)





 ドアの方に誰かが歩み寄ってくる音が聞こえ、マサトは慌てて飛びのいた。

 すぐにガチャリと扉が開く。


「マー君お待たせ~って…マー君?まさか中の様子聞いてた訳じゃないよね?」


「も、もちろんじゃないか!」


 あからさまに動揺しているマサトの返答に、一つため息をつくアイシュ。


「ま~いいわ。マー君も入って」


 ようやく自分の部屋に入る事を許されたマサト。先程までの行動がアイシュに筒抜けなのを彼も察して、どこか借りてきた猫の様に遠慮してしまう。


 部屋を出る前と同じ様にベッドへ座りアイシュを見る。隣にはちゃっかりノイエが座ってきた。ユファはマサトの勉強机に備え付けてある回転椅子に座り、アイシュは彼女と対峙する様に立っている。自然、注目はアイシュに集まった。

 僅かな間の後、アイシュはそっとユファの両肩に手を置いた。その顔には笑顔が湛えられている。

 それを見たユファは、ようやくアイシュにも理解して貰えたと思った。彼女だけでなく、マサトもそう思った。それ程和やかな空気を醸し出していたのだ。


「…ダメ」


 しかし彼女の口から出た言葉は、その笑顔にそぐわない物だった。いや、言葉だけでなく、込められている言霊にもオドロオドロしい物が含まれている。


「ダメよ!ダメに決まってるじゃない!どこが?どこが私達と違ってるってゆーの!?全く違わなかったどころか、すっごく綺麗な体を堪能しただけだったじゃない!普通よ!普通以上よ!ってゆーか完璧だったわよ!こんな綺麗な完璧ボディがマー君の近くにあるなんてダメ!ダメよ!」


 ユファとマサトは唖然としている。ノイエはしきりに頷いていた。


「あーもー!マサトの中に居るだけでも悩みの種だったのに、こんなに可愛くて綺麗で完璧なプロポーションだなんて!どうすればいいのよ!だいたいどこが私達の体と違うって言うの!?どう見ても違いなんて解らなかったわよ!」


「な、何を言っておる…。こ、この体は外殻だけを形成して居る物で、人間に必要な骨格や内臓、脳等も再現で来ていないのじゃ。どう考えても同じとは…」


「そんなのどうでも良い物ばっかりじゃない!だいたいそんなにグロい物、誰も見たくないしなくても気付かないわよ!ちょっとでも期待した私がバカみたいじゃない!」


 ついにアイシュは、頭を抱え込んでしまった。ユファはフリーズして一言も発する事が出来ない。目の前のアイシュ百変化に対応できてい無い様だ。

「そんなに綺麗だったのか?」「うん。この世の者とは思えない位」「マジ?」ミカヅキ兄妹はアイコンタクトで会話している。やはり大した兄妹である。

 話の流れとは言え、大きく本筋から離れた上に問題が増えるという最悪なパターンを迎えてしまったが、とにかく一つ一つ解決するしかない。


「アイシュ、とにかく落ち着け。ユファ、少し聞きたいんだが、意識だけを切り離すなんて出来ないのか?例えば俺の中に魔力補充を行う本体のみ残して、見聞きする部分だけを外に出すって事なんだが」


 別に何か確信があって聞いた質問では無かった。

 ただ、最初の問題点である『第三者が俺達の行動を四六時中見聞きする事が出来る』と言う事に対して何か案がないかと言った思いつきだった。本来ならそんな都合の言い事は出来ないだろう。マサトもそう考えていた。


「ふむ。可能じゃな」


 しかしユファから返って来た言葉は、期待を裏切り肯定的だった。

 えっ?と、半泣き状態だったアイシュが動きを止めてユファを見る。マサトもノイエも、余りに意外な回答にユファを見てフリーズする。


「…えっ!?でも…ちょ、ちょっと待って…。ユファ、そんな事一言も言わなかったじゃない?」


「うむ。聞かれなかったからな」


 ビキッ!


 聞こえた…。マサトには確かに聞こえた。ノイエにも聞こえただろう。空間にヒビが入るような嫌な音が。確かに。

 その音源は…アイシュ。

 アイシュのこめかみには青筋が入っている。マサトは勿論、ノイエもそんなアイシュを見るのは初めてだった。色んな初めてに遭遇する、今日は記念日になるかもしれない。

 何か話さないと。マサトもノイエも言葉を探すが見当たらない。いや、見つかっても発する事が出来ない。アイシュのオーラが言っているのだ。「おだまり」と…。


「で、でも、ユファちゃん?話の流れ的にそう言う事を提案するのもありだったんじゃないかな~?」


 糸が…切れそうだ。

 マサトは願った。「ユファ、もう…余計な事は言うな…」

 ノイエは天を仰いだ。「ああ…。言う。ユファは言うのよ。間違いなくね…」


「話の流れと言われても、我を追いやる算段としか理解出来なかったのじゃからその様な提案をする機会があった訳なかろう」


 やれやれといった風に答えたユファ。


 ビキキキッ!


 更に亀裂が大きくなった音だ。破滅の音ってこんな音なんだとマサトはしみじみ思った。

 その後、再びアイシュの奇声が発せられた。





 流石に今回のアイシュには三人ともドン引きだった。

 ユファは目を丸くしてたじろいでいる。

 マサトはノイエと身を寄せ合ってお互いをかばう様に抱き合ったまま動けなくなっている。

 三人の視界には、肩で息をするアイシュが立っていた。しかし散々怒鳴り散らして発散したおかげか、今は随分と大人しくなった様に見えた。両肩を落とし、頭を項垂れて荒い息をついているアイシュに声を掛けるマサト。


「ア、 アイシュ?落ち着いたかなぁ、なんてな」


 ギギギッとでも音がしそうな動きでマサトを見るアイシュ。その眼には涙が溜まっている。

 動きはちょっとアレな感じだが、もう落ち着いたようだ。マサトは本題に戻す事にした。


「ユファ?」


 彼女に声を掛けたマサトだが、当のユファに反応がない。放心状態継続中だ。


「ユファ!」


 今度はやや大きめに声を掛ける。

 ハッとして、ようやく我を取り戻したユファ。余程衝撃的だったのだろう。


「ユファ。大丈夫か?」


「う、うむ。も、問題ない。す、少し驚いただけじゃ」


 少しでは無いな。とマサトは思った。

 マサトやノイエには多少、本当に多少だが免疫がある。今日の様な彼女を見るのは殆ど初めてだが、長い付き合いから彼女の怒った所も当然知っている。その分だけ再起動にかかる時間が短縮されているのだが、今日初めて目の当たりにするユファには免疫がない。受けた精神的ダメージは相当な物だったのだろう。


「それでさっきの話だけど、意識だけ切り離す事が出来るってどういう事なんだ?」


 出来るだけ平静を装ってユファに話しかけるマサト。それは暗に、さっきの事は無かったのだと、忘れるんだと言う意味を含んでいた。

 そうしたかったユファにとっては渡りに船であった。すぐにその言葉に飛びついた。


「うむ!本来はお主の中にある魔力補充体を集中させる為、全ての能力を使い切るのが望ましいが、一時的に一部分を切り離して行動させる事は可能なのじゃ。事実、今こうしてお主達の前に在る実体化もその一つじゃ」


 意識をマサトに集中して、一気にまくし立てたユファ。今の彼女には、アイシュはここに居ない設定となっているのだろう。


「この実体化は人間に近い造りをしておる。姿形は勿論、行動も、会話も、仕草や表情、喜怒哀楽の表現もすべて我の本体と同じ様に出来るのじゃ。それに使用している我にも違和感の無い様、体重や動き等も同じになっておる」


 ここまで一息に話し切り、ムフーッと息を吐き満足気に微笑むユファ。


「へ~、そうなんだ~。だからどこを見ても触っても、本物の様にしか見えなかったんだね~」


 納得がいったと言う様にノイエが感心する。それほど先ほどの「身体検査」では違いが判らなかったのだろう。


「うむ。しかも魔力を多少宿す事も可能じゃ。故にこの状態ならば本来の力に遠く及ばぬも、魔法を行使する事も可能なのじゃ。しかしそれ故に不都合もある」


「不都合?」


 通常モードに回復したアイシュが質問を投げかける。

 彼女の声を聞いて、一瞬ビクッと体を強張らせたユファだったが、アイシュが普通に戻っているのを一目で理解して、心なしか安心した様に話を続けた。


「うむ。何事にも一方的に良い事尽くめである事は殆ど無い。実体化を作り出すのに、結構な魔力を消費する。そして実体化を使用している間は、マサトの中で魔力補充が殆ど行われぬ。更に外で使用した魔力は当然減る事となる。故にこの姿での長期行動は本来避けたい事なのじゃ」


 成程、聞いてみればもっともな話だ。現実に肉体がないユファが、本物の肉体と見紛う程の実体化を具現化すればその分魔力を消費する。今まで蓄えて来た魔力を吐き出す事になるのも理解出来る。


「最初に話したが、我が早くマサトから出て行く為には、魔力補充に全神経を集中させる事が望ましい。しかし、そうも言っておられぬのならば、出来るだけ我を呼び出さぬ様にして欲しかったのじゃ。しかしこうも存在が露見してしまっては、今更その様な事は通じぬのであろうな」


 結果的に、ユファはマサト達の事を思って不干渉を提案して来たのだが、こちらで大騒ぎした結果、もはや無かった事に出来る状況ではなくなったのだ。


「そうか~…。大騒ぎしてゴメンね。ユファ~」


 ノイエがバツの悪そうに謝る。もっとも大騒ぎした八割はアイシュなのだろうが。しかし今それを言うのは酷と言う物だ。アイシュもそれは解っているのだろう。少し居心地の悪そうに俯いてモジモジとしている。


「うむ。我も気にしてはおらぬ。こういう言い方は角が立つかも知れぬが、実害を受けるのはそなた達の方なのだからな」


 ユファがこうして現れているだけでも、彼女がマサトから離れる時間が先延ばしになるのだ。


「それでユファ、お前の意識だけを切り離すって方法なんだけど?」


 だからと言って、アイシュの引っ掛かっている事をなかった事に出来る訳もない。それにマサトも、出来れば最低限プライバシーを守りたいと言う気持ちもある。


「うむ。薄い魔力で形作った物に意識だけを包み込んで外に飛ばす事が可能じゃ。これをガイスト化と言う。これにより、我はマサトの言動や見聞を知る事が出来ぬ様になる。しかしこれも実体化の延長にある応用じゃ。実体化程でないにしろ、魔力補充の効率は悪くなるがの」


「それでも、俺のプライバシーは守られるって事か。」


 この際、その方法を併用してもらうのが現実的だろう。それならば長い時間を共有する事となっても、四六時中、一部始終知られる事は無くなる訳だ。


「それってどうやるの?今出来るの?」


 アイシュもその方法で納得するつもりなのだろう。勿論それを確認してからなのだろうが、これからの生活全てを覗き見られる事を考えれば、十分納得できる提案に他ならない。


「ふむ。今ガイストを出そう」


 そう言ったユファの姿が、淡い光に包まれだした。実体化が現れた時に比べたら、随分と光量は控えめだ。その光に包まれたユファの形が崩れだし、小さい光の球に変わった。続けてその光の球はある形を取り出した。


「うわ~!妖精!?妖精だ~!」


「ほんと!可愛い~!」


 その形とは、背中から四枚の羽根を生やした小人のユファ。お伽噺で有名な妖精の姿そのものだった。


「これがガイスト化じゃ。形は何でも良いが、最も親しみやすいと思われる形を取ってみた」


 確かに人間以外の異形種で、妖精等は比較的親しみやすいだろう。


「うん!可愛い!飼いたい!」


 ノイエがユファを捕まえて頬擦りする。


「これ!離せ!我はペットではないぞ!」


 ジタバタと動くユファだが、ノイエの拘束を解く事が出来ず悪戦苦闘している。


「へ~。これがガイスト化か~」


 アイシュが感心した様に捕まっているユファをマジマジと見る。一旦ノイエからの脱出を諦めたユファがアイシュの問いに答える。


「うむ。これならば魔力消費が最少に抑えられるので、魔力補充が受ける影響も少なくて済む。意識体だけの存在なので、力は皆無。魔法もマサトの近くに居る状況ならば、レベルの低い魔法がいくつか使える程度じゃ。そしてこの状態ならここから自治領の端位まで離れても行動できる。基本的に我には睡眠欲が存在せぬ。意識を外界と切り離す事は可能じゃがな。必要な時はこの姿でこやつから離れておくと言う事も不可能ではない」


 それを聞いて、パァーッっとアイシュの顔が明るくなった。どうやらこの方法で納得したらしい。勿論マサトにも異論はなかった。


「ではこの方法で、この問題は一先ずの決着を見たという事で良いのかの」


 ようやくノイエの呪縛から逃れたユファが話を纏めに入る。三人とも頷いて同意の意を示した。恐らくこれ以上の譲歩案はないだろう。


「ふぅ、やれやれ。とにかくこれからもよろしくだな。ユファ」


「うん。よろしくね~、ユファ」


「そうね。宜しく。ユファ」


「うむ。済まぬが厄介になる。此方こそよろしく頼む。ところで…」


 全員が挨拶を交わした後、ユファが少し言い辛そうに切り出した。心なしかモジモジとして恥ずかしそうだ。


「その…、なんだ。我は殆どを皇室と王宮でのみ過ごして来た。そ、それで…じゃな。一般に営まれている生活と言う物を殆ど知らぬのじゃ。そこでその…提案と言うか要望なのじゃが…。明日、我も学校に行く際連れて行ってくれぬかの?」


 マサト達は互いに顔を見合わせた。


「だ、駄目かの?勿論無理にとは言わぬが…」


 少し申し訳なさそうに、照れくさそうに、恐る恐ると言った感じで首を傾けて懇願するユファ。その仕草は、妖精の姿と相まって、一層可愛さを増していた。


「そりゃ~勿論良いけど、実体化して付いて来るの?」


 アイシュがもっともな疑問を口にする。

 ユファの姿は、歩いているだけで人目を引くに違いない。加えてユファが来ているドレスは、一般的に着る様な類の物ではない。彼女に似合っているのは間違いないのだが、なまじ似合っているだけに注目の的となる事は間違いなかった。


「いや、この姿で行こうと思う。あまり堂々と歩き回れる身分ではないし、万一じゃが我に気付く者が居ないとも限らぬのでな。この姿となり、隠れる様について行けば迷惑もかけぬと思うのじゃが!」


 アイシュの「勿論良い」に興奮しだしたユファは、目を爛々と輝かせて提案する。

 確かに今の姿でポケットなりカバンなりに身を隠していれば見つかる事はまず無い。

 マサト、アイシュ、ノイエ共、それに同意してユファを連れて行く事となった。

 ユファは殊の外上機嫌となり、マサトの中に戻って行った。

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