銀髪金眼の少女
マサトの、今朝の寝起きはまたもや”最悪”。その一言に尽きた。
睡眠時間も問題ない。昨日はマサトにとって色々あったが、そのお蔭で彼の脳はややオーバーヒート気味に負荷が掛かり、逆にすんなりと眠りに就けた。目覚めた時間も目覚まし時計が騒ぎ出す前。彼にとってこんな事は年に数回しかない珍事だ。
それにも拘らず頭が重く、倦怠感に包まれ、もっと寝たい欲求が止まらない。だからと言って、そんな理由で学校を休める様な身分では当然ある訳でもない。
いつもより遥かに早過ぎる時間ではあるが、何となく家で時間を潰すという気になれなかった彼は学校へ向かう事にした。
母イリスの用意してくれた朝食には手を付けず(和食)、食パンを焼かずにジャムだけを塗った物をモソモソと食べながら、そのまま学校へ向かう事にした。
「あれ?お兄ちゃん、もう学校に行くの?」
丁度階段の下をノロノロ移動していたところに、起きて来たノイエと遭遇した。
「ああ……何か早く目が覚めてな……。家に居てもなんだし、のんびり学校に向かうよ」
ファ~っと欠伸をしながら答えるマサト。全身から気怠さのオーラが漂っている。
「じゃ~私も行くよ。ちょっと待っててよ」
ノイエが階段を飛び降りて、小走りに洗面所へ向かおうとする。
「あぁ、今日は一人で行くからいいよ、ノイエ」
その言葉にノイエの動きがピタリと止まる。彼女は振り返りながら不平を口にする。
「え~。私も一緒に行きたいのに~!」
膨れ面に唇を尖らせるノイエ。
「悪いな、ノイエ。またな」
そんな可愛い妹の表情に、思わず顔を綻ばせながら答えるマサト。彼女の恨めしい視線を背中に感じながら、マサトは家を出た。
道場の門を潜った所で、マサトは意外な人物に朝の挨拶を投げ掛けられた。
「お、おはよう。マー君」
門の陰に立っていたのはアイシュ。
「ア、 アイシュ?お、おはよう。ここで会うなんて珍しいな」
「……うん」
しかし門の陰に居たという事はそこに立っていたという事。つまり彼女は、マサトを待っていたのだ。
「あれ?ひょっとして待っててくれたの?俺の事?こんな朝早くに?」
普段彼女と一緒に学校に行く事は多くない。別に一緒に行く約束をしている訳では無いので、それを気にした事は無かった。
今思えば、彼女はマサトの気付かない所でしっかり見守ってくれていたのかもしれない。しかしそれを聞く勇気を彼は持ち合わせていない。
だが今日は、バッタリ鉢合わせしたとか、偶然一緒になったと言う様な状況に思えない。
それに漸く気付いて、マサトは急に恥ずかしくなった。
「……うん。私……マー君のガーディアンガードだから……」
それだけ言うと、アイシュは耳まで真っ赤にして下を向き黙ってしまった。
(ヤバい。可愛い)
昨日からこっち、そう思う事がマサトには多くなっていた。
彼が今まで、彼女の事を意識して気にしない様努めていたのは確かだ。
彼もアイシュも思春期を迎えた男女である以上、互いを異性として意識しない方がおかしいとも言える。ただ露骨に意識してしまうと今までの関係がおかしくなってしまう事も理解していた。そうならない為の努力ではあったが、そんな苦労も最近では自然に行う事が出来る様になっていた。
普通に、自然に、幼馴染として。
しかし今日はどこか勝手が違う。理由は明白で昨日の事があったからに他ならなかった。そう思うと、ちょっとした軽口さえ叩けなくなる。
「そ、そうか。じ、じゃあ行こっか……」
「う、うん」
(ぎこちない!)
かつてない程のぎこちなさにマサトはやり辛さを感じていた。
マサトとアイシュ、二人の距離は、昨日より今日の方が近づいている筈である。
昨日の夕方までただの幼馴染でそれ以上でもそれ以下でもなかった。しかし今朝は許嫁同士となっている。
恋人とか、カップルとか、彼氏彼女の関係とか。
呼び方は色々あれど、そう言うのを全て飛び越えて、いずれ結婚する関係になった二人である。
それなのに昨日より今日の方が、二人の間に漂う空気は異質な物になっていて何故だか遠くに感じてしまう。
暫し無言で歩く二人。
マサトが前を行き、それについて行くようにアイシュが続く。こうして一緒に通学する時、普段のアイシュなら隣で色んな話をしてくる。しかし今日は後ろを黙々と付いて来る。
新学期より早一週間。
本日も天気は良く、春の匂いがあちこちから漂っている。早朝と言う事もありやや肌寒いが、それでも冬の寒さには程遠い。
こんなに気持ちいい朝に、アイシュと二人の登校など、本来はこの季節に見合った楽しい物の筈なのだ。
(一気に近づき過ぎるという事は、こういう事になるという事もあるんだなぁ)
距離が近づけば親密になれる。間違いではないが正解ではないとマサトは知った。
マサトとアイシュは、通学だけでなく帰宅も時間を併せて一緒に帰った。
今までも一緒に帰るという事はあった。しかしマサトの主観では、偶然帰る時間が同じになり、帰る方角の一緒な二人が並んで帰ったという認識だった。事実を聞く勇気はないが。
だが今日は違う。教室の外でアイシュは待っていた。
マサトとアイシュが隣同士の幼馴染である事は、彼等の周囲も知っている。
今まではそれ以上では無かった。少なくとも周囲はそう見ていた。マサトもアイシュもそう言った雰囲気を出す事は無かったし、周囲もまさか二人が付き合うとは思っていなかった。少なくとも男性陣は思いたくなかった。
アイシュは校内屈指の優等生であると同時に、多くの男性陣が憧れる女性でもあった。笑顔が似合う可愛い顔立ちに、高校生徒は思えない抜群のプロポーション。頭脳明晰、成績優秀、スポーツ万能、魔法卓越。しかし誰とでも気さくに話す明るい性格。
男性陣のみならず、女性陣からも人気が高かった。
一方のマサトは、スポーツこそ万能だが、学校の成績は中の上程度。見た目にもパッとする物がある訳でもなく、所謂”普通”の高校生だ。
周囲の見解では、この二人が付き合う事は有り得ない。不釣り合いだという物だった。
しかしその希望的観測を一新する事件が起こっていた。
マサトが居る教室の外で彼女は立っていた。
それだけならばおかしい所はない。だが彼女の周囲に放つ雰囲気が、普段のそれとは明らかに違っていた。
やや顔を赤らめ、俯き加減に立っている。いや、待っていた。
マサトが教室の扉から出て来るのを視止めた彼女は、パッっと表情を明るくして彼の元に歩み寄る。
「マー君、帰ろ?」
「お、おう」
表情を赤らめたまま嬉しそうに言うアイシュに、こちらも照れたように答えるマサト。
それだけ言葉を交わして、二人並んで帰路につく。
たったこれだけのやり取りであったが、周囲の者は唖然とした表情で彼等を見送った。そして今日この場に居た者から当然の様に噂が流れるようになる。
それから数日経ち、アーヴェント高校では例の噂で連日持ち切りとなった。
噂の内容は勿論、
「ミカヅキ=マサトとアイシュ=ノーマンは付き合っている」
と言う物だ。
実は二年前、マサトとアイシュがアーヴェント高校へ入学した直後にもこの手の噂は流れた事がある。しかし本人達は否定し、余りの不釣り合いさで(周囲の見解)即座に受け入れられ、僅か二日でこの噂は霧散した経緯がある。だが今回は前回とは周囲の見解も本人達の行動も違っていた。
それに拍車をかけるのが”証言者”の存在だ。
「アイシュに聞いたんだけど~。本人は否定しなかったよ~?」(アイシュ友人A談)
「聞いた時本人嬉しそうに笑ってたよね~。顔も赤くなってたし」(アイシュ友人B談)
「でもミカヅキ君って、ありえなくない?」(アイシュ友人C談)
「ほら、やっぱり幼馴染で家も隣だし」(アイシュ友人D談)
と、意外に肯定的な意見の多い女性陣に対し、
「あいつ、聞いても答えてくれないんだよな~」(マサト友人A談)
「ありえねーけど、答えないって事は事実って事じゃね?」(マサト友人B談)
「なんでマサトなんかに!到底納得できん!」(マサト友人C談)
「殺す!」(マサト友人?D談)
と、男性陣は認めたくない思いが見え隠れしている。
当然二人は好奇心の目に晒されていた。いや、厳密にいうと二人に向けられる視線の質はそれぞれ違っていた。
アイシュには同性から向けられる視線が大半で、それも微笑ましいものが多かった。女性陣にも好評価のアイシュには、事の真偽はともかく、その幸せを願い、祝福する物が多かったのである。
対してマサトは針の
校内で噂を知る男子生徒、その殆どから嫉妬の眼差しを受けていたのだ。中にはあからさまに憎悪を向ける者もいる。彼等にしてみれば、アイシュは校内のアイドル的存在で、決して独占されるべきものではないと考えているのだろう。
そう考えられるのは、アイシュにしてみれば心外以外の何物でもないのだが、高嶺の花としてとらえている思春期の男子生徒にしてみれば、彼女は触れ得ざる者なのだ。
そう言う過激派から見れば、マサトは背信者となるのかもしれない。
もしこれで、二人が”許嫁”なのだと知れれば、アーヴェント高校にて歴史に残る大事件が起こっていたかもしれない。勿論被害者はマサトだが。しかし幸い、そこまでの情報が洩れる事は無かった。
当たり前の話だが、二人が率先してその様な事を言いふらす事は有り得ない。家族、もしくは一族の者しか知り得ない情報であり、この高校に通う一族は現在二人が把握している範囲で、マサトとアイシュのみである。
ともかくこの数日、マサトはあらゆる時間、あらゆる方向から視線を感じる事になり辟易していた。アイシュは気にしているのか、気にしない様にしているのか、登下校を一緒にする事を不具合に感じている様子はない。男子生徒の悪意ある視線も、アイシュに向けられることは皆無な様で、不快に感じる事は無いのだろう。
初日こそギクシャクしていた二人の空気も、その翌日には普段通りに戻った。
変わった事は毎朝アイシュがマサトを迎えに来て、帰りは申し合わせて下校する事と、周囲の視線が痛くなったという事ぐらいであった。
放課後。一緒に帰って来たアイシュと別れ、今は自室でくつろぐマサト。後で彼女がマサトの家へ来る事になっている。
「継承の儀」は無事終わったが、今後の為に「解放の儀」について話をする為だ。
エクストラたるマサトは、生まれながらに魔法の使用を封印されている。しかし一族の者は、違う意味で魔法の制限が独自に設けられているのだ。
「深淵の御三家」に連なる一族の者は、総じて高すぎる魔法力を有している。過去の研究結果による物だが、一般人のそれを遥かに凌駕していた。それも危険な程に。
この平和な世に、強すぎる魔法力は周囲の警戒心しか生まない。それは下手をすれば、迫害や排斥の対象になりかねない。
エクストラ輩出を自治領より頼られている家柄とは言え、一般人を不安にさせる要素はないに越した事は無い。
そう言った経緯から一族の者には、一般人の持つ程度に魔法力を抑え込む封印が施されているのだ。
しかし万一、有事の際にはその封印を解かなければならない。
それはマサトも同じ事で、その様な事になったらマサトにかけられている封印も解かれる必要がある。
その封印を解く鍵が「解放の儀」である。
「継承の儀」でレベル十の魔法を使用可能にする。しかしそれだけでは魔法を使えない。
つまりトリガーにロックが掛かっている状態である。マサトの「解放の儀」にはその魔法を使えるようにする効果がある。エクストラたるマサトは、受け継いでいる物以外で使える魔法はないので、それだけでも封印されているのと同じ効果がある。
アイシュ達一族の「レギュラー」にかけられている封印は、魔法士ランクを強制的に低くする封印魔法である。
有事の際にはその封印も解かなければならないが、当然それを知る一族の者が付近に存在する必要がある。そして互いに許嫁となったマサトとアイシュは、将来においても近くにいる存在である可能性が高い事から、互いに「解放の儀」を知っておく必要があるのだ。
その術式の説明と使用についての注意事項をマサトの両親から聞き、彼等で打ち合わせる為に、彼女は今日ここへ来るのだ。
もっとも、この平和な世でその術式を使う事は恐らくないだろう。父ユウジも、母イリスも、祖父母曾祖父母、その更に前の御先祖様も使わなかった術式である。
マサトもアイシュも、使う事無く一生を終えるのだろうと認識していた。
アイシュがマサトの家に来るまで、まだ時間があるはずだった。隣に住んでいるのだ。来ようと思えばすぐにでも来れる。
しかし、今はユウジもイリスも道場で練習生を見ている。
マサトの家は「三日月流剣術」の看板を掲げて、広く門戸を開けている。
内容は「心の成長の為、健康の為に剣術を」を謳い文句に、下は小学生から上は社会人まで広く受け入れている。
真に武術として剣を習うのなら「魔法剣術」が主流である。
誰でも魔法が使える世界において、魔法を使わない剣術に用途は少ない。
三日月流剣術が教えているものは、剣を通しての礼儀作法や心得、そして健康志向である。
勿論表向きは、であるが。
とにかく、道場経営は大事な収入源。しかも意外と人気が高く、両親二人では手が足りず、直系分家の叔父が時折手伝いに来ているほどだ。その道場も、午後五時には稽古を終える。
アイシュが来るのはそれより後だろう。それまでまだ随分時間がある。
それまでにマサトは考えたい事がいくつかあった。
本来なら「継承の儀」が済んだ直後にでも考える事なのだろうが、この数日色々あった。
マサト自身もそこから逃げ出す様に、帰宅後は剣術の修行に没頭し、疲れて眠るという生活を繰り返していたのだ。
しかし今日「解放の儀」について話される事を前に、改めて考える事にした。と言っても、今後の自分について、などと言う高尚な考えではない。
マサトが気にかけているのは、アイシュとの事についてである。
使うかどうかもわからない「解放の儀」に必要な術式の事なんかより、間違いなく訪れるアイシュとの将来について、考えない訳にはいかなかった。
ベッドの上に体を横たえ、目を瞑り自分の心と相対する。
(なし崩し的にアイシュと許嫁になった……いや、なっていたのを知った訳だけど、やっぱりこのままって訳にはいかないよな?)
(放っておいてもいずれ結婚する。意地の悪い言い方をすればそう言う事だよな)
(でもそれって、それでいいのか?俺の気持ちは?アイシュはどう思っている?)
(彼女の事を憎からず思っておるのならば、ちゃんと口に出して言うべき事じゃろうな)
(そうだよな……言わずに済ますのはちょっとまずいよな……)
(ふむ。そう言った物は俗世の形式であろうが、だからこそ女性はそれを望む物じゃ)
(やっぱりそうだよな……)
(言わずには何も伝わらぬ。そう言った事例が全くない事も無いが、言わずとも想いは伝わると思いこむのは、総じて殿方の悪い癖じゃな)
(そう……だよな。って、え?誰だ?)
(む?誰……とは?もしや我の事を言っておるのか?)
(そうだよ!誰だよ!ってか、どっから喋ってるんだよ!)
(まぁ、まずは落ち着け。先日ちゃんと断りを入れておいたのじゃが。しかし今の今まで気づかぬのも無理のない事か。この数日は傍から見ていても慌ただしい日々を送っておったからの。我の存在に気付かないのも無理のない事じゃ)
(見てた?傍にいて見てるって事か?どこで見てたんだよ?今どこに居る?)
(ふむ。改めて説明する必要があるな。それに挨拶もしておこう。これから世話になる宿主殿に礼儀を欠いては信義に
言葉の主がそう言った途端、マサトの胸元が急に光を帯び始めた。
思わず上体を起こし、自分の異変に見入るマサト。その光はどんどんと強さを増し、ついには目を開けていられなくなるほどの強さになった。
しばらくして、ゆっくりと目を開けるマサト。もうあの光は消えている。
しかし、やや下方に視線が向いているマサトの視界に、細く白い足が飛び込んできた。
ゆっくりと、恐る恐る視線を上げて行く。
その足は女性の物の様だった。
白く、細く、長い脚なのは、ドレスの裾に隠れていても、そのラインから推測できる。腰の部分はキュッと絞られている感じだ。そしてそれが、彼女の細く締まったウエストを強調している。
両肩に細い紐が掛かっている。紐の根元にうかがえる胸はやや控えめだが、それすらも全体的なバランスに合っている。絵画や芸術の美しさに思えた。
腰までかかる髪は白銀。窓から入ってくる夕日に照らされ、それを反射して、角度によっては赤銀にも見える。
細い顎のライン。美しい唇。綺麗に通った鼻筋。細く切れ長な目には金の瞳が宿っている。
『見た者は心が魅入られる程に美しい少女』
マサトの第一印象だ。
驚く事も叫ぶことも、飛び上がる事も逃げる事も忘れて、ただ茫然とその少女を見ていた。
そんなマサトを知ってか知らずか、粛々と挨拶に移る少女。ドレスの裾を指で摘みわずかに広げ、優雅な仕草で挨拶する。
「初めてお目にかかる。我の名はユファ=アナキス。ユファと呼んでくれて結構じゃ。数日前からそなたの体の中で魔力の回復を図っておった。誤解のない様に言っておくが、予め断り了承を得ていたのじゃが。覚えてはおらぬか?」
「俺の?体の中?……魔力……回復って……?」
「ふむ。やはり覚えていないという事か。ひょっとして眠りに就いていたのか?もしそうならば申し訳ない。事後承諾と言う形になってしまったな。もっとも、その後こちらから何度呼び掛けても全く気付いて貰えなかったのは、こちらばかりに非があると言えることではないと思うがの」
矢継ぎ早に繰り出される言葉を理解する事が出来ず、ますます混乱するマサト。
「おい。聞いておるのか?返事ぐらいしたらどうじゃ?」
「あ、ああ。すまない。それで、なんで俺の中……だっけ?そこに居るんだ?魔力の回復ってのは何なんだ?」
時間差で漸く理解したマサトが質問する。
「理解出来ると思うが、この体は本体ではない。理解出来なければそう言う物だと思ってくれて良い。実体のない精神体が現在の我だ。この体は一時的に魔力で形作っているだけの代物。そして我本体は別次元に転送し、眠った状態で保持して居る。実際の我は魔力を大きく損耗し、生命活動も困難な状態なのじゃ。この様に精神体を飛ばし、魔力をより多く保有する者を探し出し、その者の精神へ寄宿し、魔力の回復に手を貸してもらう。それが我の目的であり、そなたの中に居る理由じゃ」
「……マジ?」
話が非現実過ぎて、すぐに理解しろと言われても出来そうにない。そもそも、精神体を飛ばして他者に入り込む魔法や技術など聞いた事がない。
「うむ。本当じゃ」
しかし目の前の少女は、何の躊躇もなく即答する。
「その、魔力回復……だっけ?それをするのに、なんで俺だったんだ?」
「それは簡単な事じゃ。今現在、魔力を多量に有し、且つその魔力を我が吸収しても日常生活に支障の出ない人間。それはエクストラ……ああ、今はアクティブガーディアンじゃったの。その任に選ばれた人間だけだからの。お主たちアクティブガーディアンは魔法の使用を封じられ使用できないのじゃからな。魔法の使えない人間に、魔力の増減など意味はなかろう?魔力探知を使い、より多くの魔力を有している人間を探した時に、最も近くにいた多大な魔力の所有者。それがお主だったのじゃ。魔法の封印術式が施されていたので確信した。それでお主を宿主と決めたのじゃ」
そこまで聞いて、マサトには思い当たる事があった。
「ひょっとして、何日か前に朝起きたらすっごくだるかったのってのは……」
『継承の儀』の翌日。マサトは寝起きが悪く気怠かった朝のことを思いだした。あの時は特に気にしていなかったのだが、彼女に原因があるのではと思ったのだ。
「やはり身体に若干の影響が出ておったか。あれは本当にすまなかった。魔力の枯渇が思いのほか早く、我も慌てておっての。本来ならば日常生活で支障が出ない程度に吸収する魔力を、一時的に多く取り込んだのじゃ。その影響だったのじゃろう。」
「じゃろう……って。とりあえず事情は……まあ、理解した。それでも数日間俺の中だっけ?いたんだろ?じゃあもう魔力の回復ってやつも済んだんじゃないのか?」
魔力は普通、時間の経過とともに回復する。一番解りやすい目安は、一晩寝れば回復していると言うものだろうか。人によって魔力保有量に違いはあり、完全に回復するまでの時間にも差はあるが、大抵は一晩立てばほぼ回復する。
「ふん。我の魔力保有量を見くびらないで頂こう。この数日はお主に影響の出ない様に調節しておったし、僅か数日など物の足しにもならぬ。当分は世話になる事になるだろうな」
「いや、困るよ!何とかならないのかよ!?」
例え精神体と言う物であっても、こんな綺麗な少女が自分の中に居ると思うだけで、気恥ずかしくなってしまう。
ましてこの様に実体化のような事が出来るなんて、アイシュや家族が知ったらどんな修羅場が待ち受けている事か……。想像もしたくなかった。
「ふむ。しかし一度宿主との接続を果たしてしまうと、おいそれと切り離す事は困難なのじゃ。次に寄宿する先も見当が付かぬしの。よもや……我を路頭に迷わすという事は……あるまいの?」
上目遣いで懇願する様に見つめる少女。
変わった物言いで、口調は大人びているが、その仕草は見た目の年齢に相応しく、そして非常に可愛らしかった。マサトに反論の余地を与えない程に。
「い、いや……そんな事は言わないけどさ」
「本当か!恩に着るぞ!これからもよろしく頼む」
予定調和の様にその言葉が出て来るのを確信していたのか、目の前の少女は嬉しそうにそう言った。まるでそう言う様に誘導された感は否めなかったが、マサトはすでに諦めていた。
「それより、その姿で頻繁に出て来るなんて事は無いのか?こっちの事情もあるから、出来ればもう出て来るなんて事がない様にしてもらいたいんだけど」
本来ならば喜ばしいウハウハ設定なのだろうが、現実はそうも言っていられない。
両親と妹のいる生活。両親は面白がるだろうが、問題は妹のノイエだ。彼女に知られれば、どんな事になるか全く想像つかない。
そして、何よりもアイシュに知られるのはまずい。
自分の許嫁に女性、しかも美少女と言って差し支えない女性が、例え一般的に言う”人”でなくても同居とも同棲ともつかない事をしているという事実に、到底納得する訳がない。
「うむ。特に呼ばれる様な事でもなければ、お主の生活に干渉する気は更々ない。更に言えば、我はお主に興味もない。安心して良いぞ」
ニッコリ微笑んで彼女はそう言った。しかし、美少女にここまで言われると、それはそれで凹んでしまう。大きく溜息をついて、マサトは最後の質問を投げかけた。
「はぁ~、もう良いよ。それより後どれくらい俺の中に居るつもりなんだ?」
特に気にして投げ掛けた質問では無かった。
「うむ。殊の外消耗が激しくての。順調に行っても数年か。ひょっとすると数十年程かかるかもしれぬ。まぁ、大した時間ではない。気長に宜しく頼む。それではもう戻るとするか」
だから帰って来た予想外の返答に、マサトは激しく動揺した。彼の中に戻ろうとする彼女の腕を掴んで、思わず叫んでいた。
「ええ!長いよ、それ!何とかならないのかよ!」
コンコン。
「マー君、入るね~」
お隣同士で幼馴染のアイシュは、マサトの部屋へ入る事に遠慮するという考えが希薄だ。
以前からその事には注意を促して来た。それが功を奏してか、一応ノックはしてくれる。
しかし、ノックと同時に扉を開ける癖が付いており、今回はそれが不運となった。
ガチャッ。
外から声がかかると同時に扉が開く。
「も~。何を一人で叫んでる……」
部屋の中に入りかけたアイシュの目に飛び込んできたのは。
薄いドレスを纏った少女と、その手を取るマサトの姿だった。
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