ガーディアンガード
意識が次元の彼方へと飛んで行ったマサトが再起動を果たしたのは、実に一時間後だった。
漸く通常状態に移行したマサトに、ユウジはため息交じりに提案する。
「とにかく今後の事もある。今考えている事や疑問に思っている事を、二人で話して解消しておく事が必要だと思う。マサト、二人で話してきなさい」
ユウジに促されるままユラリと立ち上がったマサトは、フラフラとした足取りで自室に向かう。その後を気遣う様にアイシュが続く。
二階に上がっていく二人の足音を聞きながら、不安気にイリスが呟く。
「あの二人……大丈夫なのかしら~……」
「別にどっちでもいいよ。大丈夫じゃなかったら私がいるんだし」
「ノイエちゃん。そんな事言う物ではありませんよ~」
頬杖をついてぶっきらぼうに呟くノイエを、イリスは「やれやれ」と言った面持ちで諫める。
「大丈夫よ。お母さん。アイシュお姉ちゃんの事は認めてるんだから。ほんっと、ちょっとでも隙があったら良かったんだけどね~」
「もう。ノイエちゃんったら、小姑の素質十分ね~」
二人して物騒な話の流れになりそうだと感じたユウジが水を差す。
「とりあえず様子は見に行った方が良さそうなのか?喧嘩になったりしたら仲裁に入らないとまずいだろう?」
「そうね~。喧嘩にはならないと思うけど~。マサトがアイシュちゃんを泣かせる様な事があるかもね~」
「ま~アイシュお姉ちゃんならうまくやると思うけどね~」
そう言いながらも真っ先に立ち上がったのはノイエだった。続いてユウジとイリスが立ち上がる。心配そうな言葉を発していたにもかかわらず、両親の顔は興味津々だ。
階段に向かう両親に続いて、溜息交じりにノイエが続く。
階段の手前で三人とも立ち止まる。両親は申し合わせた様に集中を高めた。
三日月流剣術「隠密」
魔法ではない。剣術に流れを持つ技術の一つ。気配を断つ技だ。
三日月家では広く門戸を開き剣術の指導をしているが、本来の目的は別にある。
魔法を使えない人間が如何に魔法士と相対するか。その技法を日夜研究実践しているのである。「隠密」もその流れの中で生まれた技法である。
(ここまでやる両親もさすがよね~)
間違いなく自分はこの両親から生まれた娘なんだな~と実感しながら、ノイエも「隠密」を使った。
マサトが最初の一言を口から紡ぎ出すのに、随分と時間を要した。そして多大な労力も必要とした。それでもなんとか溜息と一緒に話し出す事に成功した。
「ガーディアンガードの事……いつから……知ってたんだ?」
マサトはどうにも落ち着かなかった。アイシュとの婚約話がずっと引っかかっているのだ。
それはアイシュの方も同じ様で、部屋に入ってから所在なさげな仕草が止まらない。
「えと……それは……初めから……」
「初めから?……って言うと……」
「その……小学生になった時、ガーディアンガードについて両親から話を聞いた時から……かな?」
「えっ!?そんなに前から?」
コクリと頷いて肯定するアイシュ。
「えっ……と、じゃあ、その……許嫁の話は?」
その言葉を発して、マサトの顔は一瞬で真っ赤になった。それはアイシュの方も同じで、この部屋に入って一番真っ赤になっている。
「そ……それも……その……その時に……」
「そう……か……」
それっきり二人とも顔を赤くして下を向いたまま動けなくなった。お互い何か話さないと、と言う気持ちだけが先行して全く話題が浮かんでこない。呟き声よりも小さなうめき声が時折双方から漏れるだけで、時間だけが過ぎて行った。
五分と言う時間の流れは、今この時の二人にとって、数時間以上の体感となっていたかもしれない。漸く口を開いたのはマサトの方だった。
「そ、それでさ」
「ひゃ、ひゃい!」
「それでその……嫌じゃなかったのか?」
多分この場で聞く質問としては適切でない物だったかもしれない。
しかしマサトもこういったシチュエーションは初めてで、デリカシーの無い質問が口をついても仕方なかったのだろう。
混乱冷めやらぬ思考の中でも、マサトには明確に引っ掛かる事があった。アイシュは確かに幼い頃、それも物心ついた時から幼馴染として隣にいた。
生まれてすぐ魔法を封印されたマサトに、アイシュは仲良しの隣人として、時には姉の様に振る舞い、常に傍らに居て色々と手を焼いてくれた。それは今でも変わらず続いており、マサトはそれで何かと助けられている。
しかし、それが。
彼女の使命感や置かれている立場から来るものだったとすればどうだろうか。
彼女自身が嫌な事でも、あえて受け入れて来たのかもしれない。マサトの思考に、そんな疑問が芽生えていた。
将来のガーディアンガード候補で許嫁候補。マサトに世話を焼く理由としては申し分ない。それが本人の意志であるかどうかは問題外として、であるが。
だがこの質問は少なくともアイシュの方に功を奏した。マサトから投げかけられた質問で過度な熱が引き、若干冷静になる事が出来たのだ。
「嫌だったかどうかは……そうね~。覚えてないな」
先ほどまでのアタフタ口調ではなく、ゆっくりと当時を思い返す様な、懐かしむような口調に変わっていた。その変化はマサトにも伝わり、マサトも幾分冷静さを取り戻した。アイシュの眼差しが、遠く懐かしい物を視ている様で、マサトもその当時へタイムスリップした感覚に囚われたからかもしれない。
ともかく、二人ともまともな話が出来る精神状態に戻ったようだ。アイシュは昔を思い出す様に、ゆっくりと噛みしめるように話し続けた。
「でもね、うれしかったのは覚えてる」
「うれしかったのか?」
「うん。だってお嫁さんになれるんだよ?許嫁の意味とか、相手の事とかを考える前に、あなたはお嫁さんになるんだよって言われてるようで……うれしかった」
「へ~。そんなもんなのか?」
男であるマサトには、流石に女の子の夢を理解するのは難しかった様だ。
「そりゃ~ね。私だって女の子なんだから。憧れるよ~、お嫁さん」
そう言ってさっきとは違った照れ方をするアイシュに、マサトはドキッとした。
アイシュが可愛いのは世間一般の通念として間違いない。しかし幸か不幸か、そんなアイシュと長年一緒にいたマサトには、ある種の”免疫”が出来ている。そんな彼でさえ、今のアイシュはまぶしく見える。ドキドキさせる女の子だと意識させた。
「でもその相手が俺で良いのか?」
こんな馬鹿げた質問が出て来たのも、改めてアイシュを素敵な女性だと認識した事で、急激に自信を無くしたからかも知れない。肯定される事で、自分の自信を再構築したかった。
もしくは、わずかなプライドを保ちたかったのか。本来ならば自分の気持ちを伝えるのが先決なのだが、足場が心許なくなっている今のマサトに、その事を気付く余裕はない。
「そうね~。とりあえず安心した、かな?」
「あ、安心?」
アイシュの答えに、間の抜けたオウム返しをするマサト。もっと別の答えを期待していたのはバレバレだった。
「そりゃ~、どこの誰だか分らない人の所へ送り出されるより、小さい頃からいつも一緒だったマー君の所が、どこに行くよりも安心だよ。おじさんもおばさんも、ノイエちゃんの事も良く知ってるし、向うだって私の事を良く知ってくれてる。家も隣同士だし、今まで通りに過ごせるし」
「そ、そりゃあそうだけど……」
何を言って欲しいのかアイシュには解らないでもなかったが、そこは女としてのプライドと願望が勝った。”その言葉”はまずマサトから言うべきだと、いや、言って欲しいと思ったのだ。
「だいたいね!」
だから次に紡がれた言葉は、既に説教モードに入っている。
「ガーディアンガードの任も、許嫁って言うのも、一族が選定した決定とその慣習であって、自分の希望でなったり辞めたり出来ないの、マー君も知ってるよね?」
「……はい。知ってます」
どうやら風向きが変わったらしい。さっきまでのラブコメモードは霧散してしまった。
「じゃ~、私が本当は嫌だと思ってるかどうか、相手がマー君で良かったかどうかなんて聞いてもどうしようもないよね?」
「……おっしゃる通りです」
このモードになると、マサトは反射的に反論をやめてしまう。めったに出てこない説教モードだが、過去数度の言い合いでマサトがアイシュに勝てたことがない。
早く終わらせる為に反論をやめる。最も消極的な悪手を取ってしまう癖がマサトには出来上がっていた。
救いなのは、アイシュの言う事は正論で、論理的で、常識やモラルに則った物であるという事。更に臨機応変さも兼ね備えた論法は、ただ聞くだけのマサトに、間違いなくプラスになっていると言う点だ。
「だいたいマー君は……」
アイシュの説教は続いている。マサトの目の前で、延々説教を続けているアイシュを見て、マサトは何故だか妙に落ち着く気分を感じ、顔を綻ばせていた。
「な~に?マー君。真面目な話の途中でにやけちゃって」
「いや、なんかさ、こういうの久しぶりだなってね」
「うふふっ。そうね」
マサトの返事に、アイシュも顔を綻ばせる。状況が急激に変化して、覚悟はしていたものの、アイシュも少し戸惑っていたのかもしれない。マサトのセリフに、彼女も確かに安堵感を覚えていた。
だからアイシュも、さっきの決意は何処へやら、ちょっと甘くなっているのかもしれない。
「嫌じゃ……ないからね」
さっきの返事を、マサトに聞こえるかどうかと言う位の呟きで返す。
「えっ……今なんて……?」
聞こえたのか聞こえなかったのか、再度聞き返すマサト。
ギリギリギリ……。
それと同時にどこからか”何か”が聞こえた。
良くない。何か途轍もなく良くない音だと、それだけは解った。
「ちょっと、ノイエちゃん。静かにしないと中に聞こえちゃいますよ」
「ノイエ。こういう時こそ平常心だといつも言っているだろう」
不吉な音と話し声は、どうやら扉の外から聞こえているようだ。アイシュも気付いた様で、不安気に扉を見ている。
マサトはスクッと立ち上がり、迷いなく音と話し声の発信源に近づく。そしておもむろに扉を開いた。
父ユウジ、母イリス、妹ノイエがそこにはいた。
「何、やってるんだ?」
硬直している三人に、感情を可能な限り押し殺したマサトの問いかけが投げ掛けられる。
「いや、これは、だな、その~なんだ」
「そうよ~これはそのなんだなのよ~」
「えと……その……あのね?お兄ちゃん、あのね……」
三人同時にアワアワと言い訳を始めている。
「いつからここに居るんだ?」
やや怒気を纏いだしたマサトの質問。更に三人の挙動は不審になってくる。
「少し前だ」「初めからよ~」「さっき!ついさっきだよ!」
グダグダだった。その様子を見て、マサトは大きく溜息をついた。
「もういいよ。聞いてた通り、別に喧嘩にもなってないしアイシュを泣かせてもいないよ」
中のアイシュに視線をやりながらそう言った。
まさか家族全員が外で盗み聞きしているとは思いもよらなかったのか目を丸くして硬直していたが、マサトの言葉にアイシュもウンウンと頷いた。
「とりあえず話すべき事は話したよ。アイシュ、下でお茶にしないか?」
「え、ええ。そうね。そうしましょう」
裏返った声で返事するアイシュ。それを聞いて目の前の家族達も再起動しだした。
「そうだな。皆でお茶でもするか」
「アイシュちゃんは紅茶でいいのよね~。早速用意するわ~。ノイエちゃん。手伝ってね~」
「う、うん。分った」
「あ、じゃ~私も手伝いますね」
こうして家族全員で、マサトの部屋から移動するという不思議な光景を演じながら、ゾロゾロと居間に向かった。
その後アイシュも家に戻り夜も更け、慌ただしい一日が過ぎて行った。
その夜。マサトは不思議な夢を見る。
線の細い、同じ年頃の、でもどこか大人びている女性、だと思った。
印象的だったのは長い銀の髪と、暗闇に光る金色の瞳。
「お……のな……、……りょく……いふ……までや……ませて……ないだ……か」
言葉が聞き取れない。いや、聞き取れているのに理解出来ないとでもいうのだろうか。所詮夢の中の出来事。理解出来ない事が起こっても仕方がない。
「なに……ふじゆ……かけても……しわけ……おも……、よ……くおね……いする」
何処か高貴な印象があるのだろう。話し方もお辞儀の仕方もどこかぎこちない様に見えた。
聞き取れない彼女の言葉。でもマサトは彼女から何かお願いされている様に思った。
「ああ。気にするなよ」
だから彼は、そんな言葉を返した、筈だ。自分の発した言葉もあやふやな世界での出来事。
安請け合いかもしれないが、夢で真剣に考えてもどうしようもない。
そして、そう答えた所でマサトの意識は夢の闇に飲まれて行った。
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