旅路(カルネ村は誰がお世話するの?)④
ルプスレギナの待ちに待った食事が始まる。アインズを除いて全員が待っていた食事であるが、仮に食事への渇望を数値化することが可能であるなら、全体に占めるルプスレギナの数値は九割九分である。
それはさておき、アインズはお椀に入れられたシチューを受け取った。中を見るとヘロヘロさんの近縁種みたいなものがいた。ルプスレギナの文字通り甘言により作成されたアレである。
色は妙に透き通った薄いクリーム色。それだけならばシチューとして許容範囲であったが、問題はその光沢である。揺らめくたき火に照らされたその表面は不自然なほどギラギラとテカっており、食べ物が持つ質感ではなかった。
シチューと呼ばれた物体は、とろみのレベルを超えてもはやウーズを思わせる粘性を持ち、中に入っている芋や豆、燻製肉が不気味に漂う様は、スライム体内の内容物を連想させる有様だ。中身が見えないエルダー・ブラック・ウーズの方が良かった。
匂いは言うまでも無く過剰な甘さを放っている。獲物を誘き寄せるための特殊効果の一種と説明されれば実に納得がいった。
さすがにスプーンが溶けることはなかったが、立てたスプーンは粘りけのために直立状態を維持している。
これ、デバフ効果あるよね?
口に含んだ瞬間、降りかかるバッドステータスの嵐を予感させるに十分であった。
旅立つ前にニニャが保存食で美味しい料理をするような話をしていたはずだった。その伏線はここで回収するのではなかったのか?
素朴ながらも地球では食べることの叶わなかった食事を目にするはずだった。栄養素が添加されただけの固形食を褒めてやりたくなる。
飲食の出来ない体を無念に思うはずだった。まさか逆飯テロを食らうとは……
「ルプーさんと俺と共同で作ったスープだぜ」
「やはり体を動かした後には甘い食べ物。疲れがとれますよ」
「大自然の恵みを感じるのである」
「頭に栄養が巡るのを体感できますね。魔法詠唱者にはありがたいです」
「お暇があれば作り方を教えてもらえませんか?」
皆ためらいなくスープを口にしていた。美味しい美味しいと一言二言賞賛しつつ。
不審にならない程度に兜越しに彼らの、文字通りの顔色を伺うアインズ。もし青くなったり、赤くなったり、もしくは緑色になったりと異変があれば、即座にルプスレギナに治療を頼む必要があるからだ。
そこまで思い至ったアインズがはたと気づく。ルプスレギナが静かだ。まさかとは思うが、真っ先に倒れていては一大事である。慌ててルプスレギナを見ると目が合い、その無事を確認することが出来た。
無事であるにはあるのだが、それはもう非常に切なそうな表情でアインズを見つめていた。
……お預け状態のままでした。
漆黒の剣の面々とンフィーレアが美味しそうに食欲を満たしている中、アインズも食事不要であることを考慮すれば、健気にも一人空腹に耐えていたのであった。
前述の通り、ルプスレギナは誰よりも食事を楽しみにしていると言っても過言ではなかった。それがアインズの食べもしない料理への猜疑心を募らせていたがために、ルプスレギナのことをすっかり忘れていたのだ。
「ル、ルプーよ、済まない、食べても良いぞ」
慌ててアインズが許可を出す。ルプスレギナはもちろん躊躇一つなくシチュー……今なおシチューと断言しがたいが……にありつく。
『空腹は最高の調味料である』を体現でもしているのか、ルプスレギナの食べっぷりは見事なものであった。それでいて全く下品なところはない。TPOをわきまえているらしい。
「ルプーさんの料理が、俺の血となり肉となるー。うん感激だぜー」
ルクルットが大はしゃぎしている。こんなのが血になったら、脳梗塞や心筋梗塞になるぞとアインズが心の中で突っ込んでおいた。
アインズにはそれらが無いため死に至る心配も無い、その上、この粘性ならば食べても骨のあごからダダ漏れにならないだろう。飲食不可の体ながら、この場を切り抜けることが出来るのだ。
代償としてはせいぜい、口やのどがネチャネチャになり、蟻のような虫が寄ってくるくらいだろう……かなりお断りである。
「苦手なものが入っていた?」
皆がシチューに舌鼓を打っている中、一口もしないアインズを心配したのかルクルットが問いかける。
アインズはうっかり、全部と答えそうになるが、ここは正直者が評価されるシチュエーションではない。例え目の前にシチューがあろうとも。
誤魔化すためにとっさに考えた、宗教上の理由を言い訳にするアインズ。信仰系の職に就いているダインが都合良く察してくれた。
信じてもいない神に感謝するアインズ。しかし、それで丸くは収まらなかった。
「モモン様……」
この場にいるもう一人の信仰系魔法詠唱者、ルプスレギナの重めの声だ。普段と大きく違い、深刻さをも含ませている。
軽はずみに宗教や神を利用するのはいただけない、そう考えていても不思議ではないだろう。ナザリックのNPCが故に、アインズに面と向かって否定的な意見は述べられない。だが己の信仰心に嘘もつけない。
その狭間に苦しむとするならば、先のルプスレギナのトーンに納得がいく。余計な負担をかけさせる事となってしまい内心申し訳なく思うアインズ。美味しそうなおやつをあげつつ言い訳をしておこうか。
「モモン様こそ神様っすよ!」
そうきたか。斜め上か斜め下かもはや判断不能。
「俺もルプーさんに神呼ばわりされてー」
お約束のルクルット。
「呼んであげるっすよ。貧乏神と疫病神どちらが良いっすか?」
酷い二択を提示するルプスレギナ。
「では、貧乏神の方で」
即決のルクルット。
……もうどうでもいいや。
投げやりになるアインズ。だが、ここでしっかり抑制しておかなかったために、後々神官ルプスレギナによる、アインズを神とあがめ奉る宗教が生まれ、ナザリック、および影響下にある組織に蔓延してしまうのである。
「アインズ様が神様だと知っていたっすか?」
「知っていた」「今知った」
このように余りにも簡単な布教活動は、反面非常に効果的であり、二択が合計百パーセントを叩きだしてしまう信仰心MAXの宗教となってしまうのだが、それはまた別の話である。
チーム『漆黒の剣』名称の由来や十三英雄の物語を経て、なんだかんだで仲の良い彼らのことを羨ましくなるアインズ。そしてニニャが地雷を踏み抜いた。
アインズがトゲのある言葉を吐き捨て、教義を守るためと一人食事をしに去って行く。
口の中を片付けたルプスレギナがその後に続いた。
「一人にしておいてくれ」
ずいぶんと離れたところにまで歩いて行ったアインズ。そこで座り込んでいると後ろにルプスレギナの気配を感じたのだ。
アインズは半ば八つ当たり気味であった。「アインズ・ウール・ゴウン」の皆は何物にも代えがたい……いや、代えられない存在なのだ。それを何も知らない者に代わりが効くかのように言われたのだから、アインズとしてはいらだって当然である。そしてそのくすぶりは今も続いている。ニニャに続いてルプスレギナにまで矛先を向けるのは間違っていると、頭の冷静な部分では分かっていた。それでも言ってしまうのである。
「それなら今の私は一匹ですので問題ないっすね」
その声が妙に低いところから聞こえてきたと思ったら、狼に変身していたというのか。一人と一匹と言ってはいけなかった気がするが、本人が言うのなら問題はない……でいいのか?
とんちじみたやり取りであったが、おかげで少しばかり平穏を取り戻すアインズ。ここでなお反発するほど荒んではいない。
「月がもうすぐ満月っすねー」
アインズも見上げた月は、明日か明後日くらいには満月になるであろう月であった。もっとも、こちらは地球の月とは異なっているかもしれない。だが満月専門家である人狼がそう言うのだから間違っていないのだろう。
「いつか月に行ってみたいっす」
見るだけでは飽き足らず、直接乗り込もうとも言い出すルプスレギナ。この世界ですら手一杯なのが正直なアインズにとって、別の天体にまで気を回す余裕などなかった。
「そうだな、月や他の星に行ってみるのも面白いかもしれないな」
……なかったが、何せ寿命のない異形種なのだ。魔法かそれとも科学か、それらを使って月や他の惑星を目指すのも不可能ではないだろう。
このことがデミウルゴスの耳に入り、世界征服から宇宙征服に目標が大幅アップデートされたのはアインズの知るよしもない。
それからも他愛ない話が続く。アインズが月にはウサギがいると言えば、ルプスレギナは捕まえたいと言い、餅をついているのだと諭してやると、餅を分捕りたいと企んでいた。
月に連れて行かない方が良さそうだ。
次第にルプスレギナの口数が減ってくる。どうやら眠たくなってきた様子だ。このまま寝かせてやりたかったが、一つだけ注文がある。
「ルプスレギナよ、寝るのは良いが人型に戻ってからにしてくれないか?」
まかり間違えても眠ってしまった狼姿のルプスレギナを、漆黒の剣のメンバーとンフィーレアに見せる訳にはいかない。ある意味バレはしないだろうが。
「はいっす」
小さい肯定とともに、アインズの体に触れていたルプスレギナの感触が変わる。
……ここで落ち着いて考えてみよう。
狼姿のルプスレギナは普段の服は着ていない。服どころか一糸まとわぬ姿である。当然だ、狼なのだから。フサフサでさわり心地の良さそうな毛並みがあるのでもちろん問題ない。
さてその状態から人型に戻った場合どうなるだろうか?まさか……
ゆっくりとルプスレギナの姿を視界に入れる。原理は分からないが装備品もちゃんと戻ってた。ほっとため息をつくアインズ。ちょっと惜しかったとの気持ちは、数%程度しかないと弁明しておこう。
こうして夜は更けていった。
……等と素直に行く訳がなかった。
ルプスレギナがアインズの背中に抱きついている。最初は眠気に揺れる頭がコンコンと鎧の背に当たっている程度であったが、次第に大胆になってゆき今の状況である。
遠慮のひとかけらもないが、本人は完全に眠っているため文句を言う気にはなれない。そもそも鎧を装備していなければ良かったと、本心では思ってしまうアインズなのでなお不満はない。
時折、鎧の隙間に鼻を近づけてくんくんと匂いを嗅いでいる。その都度ルプスレギナの顔がほころんでいた。しょうがないなと考えながら、幸せそうな寝顔が愛らしい。
体臭を嗅がれてまんざらでもない白骨死体、そう冷静に状況を分析をしてはいけない。
徐々に金属の冷たい鎧が暖まってくる。ルプスレギナの温もりを感じ、鎧だけでなくアインズの心も温かくなってくる。
ニニャの言葉を反芻するが、もう怒りはなかった。ギルドのメンバーはアインズ一人しかいないが、ルプスレギナはもとより、ナザリックのNPC達が大勢いるではないか。
一人だと一人で悲しむ必要はどこにもないのだ。もちろん、もう一度会いたい気持ちはぬぐいきれないのではあるが、孤独だと弱音を吐くのは卒業しようと誓うアインズ。
こうして夜は更けていった。鎧の隙間からルプスレギナによだれを垂らされながら。
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