第二十五回

美しき探偵と趣味の悪い予告状

【フォトジェニック】

【残念ながらメガネが本体】

【「愛してる」の代わりに】

【安楽椅子探偵】




 先生はどう思われます、と、女は言った。

 強気なアイラインで縁取られた瞳は、彼女の対面に置かれた窓際のソファへと向けられている。


 ソファにはスラックスにYシャツとベストを纏った男が、顔に真っ赤なチーフを広げて寝転んでいた。

 昼下がりのこの部屋では、残念ながらというべきか、よくある光景である。

 男は形ばかり気にして、日がな一日好きなことばかりをしているのだ。

 本人曰く、高等遊民である。

 事実金には全く不自由していないのだから、羨ましがる人間も少なくはない。


 衣擦れと共にパンツスーツに包んだ脚を組み替えた女は、某週刊誌の記者だと名乗った。

 テーブルの上にはボイスレコーダーが、それの脇の小さな三脚にはスマートフォンが載っていて、どうやらそれで動画を撮っているらしい。

 何とも便利な時代になったものである。


「どうって、なにが」

「なにがって、先生。今話題の事件の話ですよ」


 事件というわりに、女は楽しげにころころと笑い声を上げた。

 話題、話題――男の脳味噌はくるくると回って、そうしてから、今朝のニュースで流れていた事件に思い当たる。

 確か、どこぞのフィクションに出て来るような予告状が、ここ最近警察やマスコミ向けに届けられているらしい。


「予告状の話か」

「ええ、そうです。どこどこの至宝を頂くなんてそんな予告状が届いて、それで」


 もう一度、衣擦れがした。

 男がチーフの隙間から向けた視線の先には、ピンストライプがちかちかと揺れている。


「人が、殺されてしまうなんて――先生、どう思われます」


 ふ、と息に吹き上げられたチーフが、ソファの下へ墜落する。

 そこで漸く男は、のろのろと女へと顔を向けた。


「趣味が悪いなぁとは思うがね。そんな事件でもなきゃ、僕みたいな者は飯の食い上げだ」

「やだ先生」


 またころころと笑う女を眼鏡の奥から眺めながら、男は、冗談で言ったつもりはないのだけれどなぁ、と心の中でだけ呟いた。




 男の元へ、この女から取材の依頼が入ったのは一週間前のことだ。

 元モデルで、その他諸々の肩書を持ちながら、本人曰くの高等遊民であり『探偵』が趣味。

 妙な人間だと時折話題にされることはあるけれども、『探偵である男』に話を聞こうという者はあまりいない。


 女は某週刊誌の記者であり、探偵としての腕を見込んで先生にお話を伺いたいと言った。

 面白いと思ったのは確かだ。

 ただ、本当に訪ねてくるとは思っていなかった。

 イタズラ電話の類が掛かってくることも、少なくないからだ。


「今回は、先生。これは私が独自に仕入れたネタなのですけど」


 女はそこで勿体ぶって、男をじっと見つめた。

 出方を探っているのか何なのか、判断する材料はあまり多くない。

 寝転がったまま顎でしゃくってみせれば、女はルージュを引いた唇をきゅっと引き上げた。


「――の、至宝ですって」

「なんだって」


 急に声を潜められたせいで、聞き取ることが出来ない。

 それでも相変わらず寝転がったままの男に、女はゆるりと目を細めて立ち上がった。


 かつんと、女のヒールがフローリングを叩く。

 妙にゆったりとした調子で近づくそれ。

 ローテーブルを回り込んだパンツスーツの女は、上体を屈めて男をじっと見た。


 視界の殆どを、お互いが埋め尽くしている。

 溜め息にも似た吐息が、男の唇を撫でた。


 ――些か近くはないだろうか。


 そう呟いただけで、男は動くタイミングを逸している。

 女はその様子を見つめたまま、彼の眼鏡を奪って放り投げた。


 かしゃんと墜落した音を、他人事のように聞いている。


 瞬いた視界は酷くぼやけて、女がどんな表情をしているのか、最早想像で補うことしか出来ない。

 ただ、全てに失敗したらしいことを、男はすぐに悟っていた。


「おいおい、勘弁してくれないか。僕は眼鏡が本体なんだ。この僕は、ただの眼鏡置きだよ」

「やだ先生」


 どうにか絞り出した声に、女がまたころころと笑い声を上げる。

 腰の辺りに重みを感じて、そして、ひんやりとした何かが首に巻き付いた。

 指だなと、男は妙に冷静に考える。


「ねぇ先生、私ずっと好きだったの。探偵になるなら、それも応援しようと思っていたのよ」


 少しだけ、首へ圧力がかかる。

 息はまだ出来る。


「でもね、やっぱり寂しいじゃない。だから、私、先生が出て来ないなら、私が先生のところに行けば良いって気付いたのよね」


 唇をなぞる濡れた何かは、女の舌だ。

 ゆっくりと拳を握り締める。

 痛みが走ったけれども、まだ、動く。


「でも私、常識的なつもりだもの。手ぶらじゃ良くないでしょう。だから先生の暇つぶしにもなるし、持参金代わりに色々やってみたの。気に入って貰えるかなって、思ったのに」


 女の声が、一段低くなる。


「趣味が悪いなんて、酷いわ」


 病で強張る身体。

 今日がもしかしたら一番、病を恨めしく思っているかも分からないと男は考えた。

 痛い。

 それを堪えながら、女の横っ腹を、思い切り、殴り付ける。

 そのまま薙ぎ払い、反射的に大きく息を吸い込んだ。


 ぐう、と獣のように呻いて、女がソファの前で蹲っている。

 何のために安楽椅子探偵なんて、そんなフィクションみたいな職を選んだと思っているんだ――そう心の中でぼやきながら、男は、女の上に転がり落ちてやった。


 脚の下で嫌な音を立てたのは、女ではなくて自らの眼鏡だ。

 本当にそれが本体ならば、きっと、眼鏡置きと自称した自らも、そうなる運命なのかも知れない。


 ――冗談じゃない。


 歯噛みしながら、男はその脳味噌をくるくると回すのだった。

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