青シリーズ
初恋の青
【パブリックエネミー】【君の瞳にカンパイ】【ステンドグラスの聖女】【暴走車】
(暫くアップをサボっていたので第何回だったか忘れてしまいました……確か、三回連続参加(したはず)の三連作です)
「君の初恋は、いつですか」
柔らかく目を細めて微笑む、目の前の優男。
ソイツの唐突な問いに、私はしっかりと閉じていたはずの唇を思わず苛立ち混じりに開きそうになった。
寸でのところで唇を噛み締める。
乾いた唇が切れて口内へ鉄臭さが広がろうが、馬鹿にしているのかと、そんな言葉すらかけてやりたくもない。
アタシの沈黙をどう取ったのか――いや、どう取ったどころか実際アタシへの興味なんかないのだ、ソイツは――どことなく熱っぽい吐息を洩らして視線を宙に投げた。
「私はね、忘れもしませんよ。小学三年生の、八月十五日のことでした。出逢ったのですよ、美しい方に……嗚呼……彼女はとても、美しかった」
その黒い目に何が映っているのかなんてことには、アタシは欠片も興味がない。
ないのに訊いてやらなきゃいけないなんて、耐え難い屈辱だ。
手足が動くのなら今すぐにでも頭をぶち抜いてやるのに、そう考えることで、そしてそれを頭の中で鮮やかに描き出すことで、どうにか衝動を抑えていた。
暴走車のように、“こと”が終わるまで止まりゃしない――そう揶揄されるアタシにしては、良くやっているほうだ。
かつん、とソイツの立てる靴音が響く。
コンクリートが剥き出しになっているこの空間に、それは随分と冷ややかに反射した。
人間が立てた音なのに、無機質。
ソイツらしい在り方だ。
「日の光を浴びる彼女……彼女の色に染まった光は儚い肖像画を浮かび上がらせた」
良い歳をした男が、初恋を夢見る生娘のように身を震わせる。
気味が悪いったらありゃしない――心の中で投げつける悪態は、勿論届くはずもない。
相変わらず宙を見上げたままで、ソイツは色事の最中のような、生々しい溜め息を洩らした。
「微笑みの聖女――人はね、彼女をそう呼びました。ねぇ、君、彼女を知っていますね?」
向けられた問いと同時に、固く細かなものを踏み締める音がした。
ゆったりとアタシの周りを歩いていたソイツが、数メートル離れたところに立っている。
その足元にはたくさんの色硝子の――残骸。
「君がね、君達が、壊した、彼女ですよ。こんなに、こんなに粉々になって」
色硝子の欠片を踏みにじる。
憎らしいという目をアタシに向けて、それでありながら、蕩けそうな熱に身を捩るようにして。
「私が君達のようなクズ……おっと失礼……反社会的集団に協力したのはね、彼女を手に入れる為なのですよ。言ったはずだ、彼女を無傷で手に入れることが絶対条件だと」
「アタシ達も言ったはずだ、期待はすんなってね」
思い切り、鼻で笑ってやった。
アタシ達の目的は、ある建物に集まる役人たちをまとめて蜂の巣にしてやることだった。
そこにソイツの言う彼女――微笑みの聖女というタイトルがつけられたステンドグラスがあったのだ。
どういうルートでソイツがアタシ達の動きを知って接触を計ってきたのか、そんなことは“暴走車”のアタシは知らない。
でもとにかく、ソイツは内側から突入の手引きをする代わりに、ステンドグラスを欲したのだ。
ボスは言った。『どの道、ソイツには死んで貰うことになるだろうな』と。
使い捨ての駒が自分から飛び込んできた――そのくらいの認識だったのだ。
ボスも、みんなも、アタシも。
――それなのに。
ソイツはぴたりと動きを止めて、アタシを見据えた。
全身を染めているのは、ボス達の“赤”だ。
みんな、みんな、ヤられた――駒だと思っていた、ただの優男に。
悔しくて、笑っていられずにまた唇を噛む。
こんな野郎にみんなヤられて、逝っちまったなんて。
手足が動くのなら、蜂の巣にしてやるのに。
「全く酷い。だから君達はクズなんだ。彼女の美しさを平気で破壊して、そして下品に笑う。全く、全く、酷い」
不意にしゃがみ込んだソイツは、何かを手に取った。
何か、なんて言わなくたって、分かる。
色硝子だ。
赤く染まった、色硝子。
「私がね、彼女のどこに惹かれたかと言えば、瞳なのですよ」
砕けた色硝子を踏み鳴らして、ソイツが足を踏み出す。
アタシの方へ、一歩一歩近付いてくる。
「青い瞳……空の色をした彼女のその瞳が、随分と美しくてね」
青白いソイツの指が赤を拭った。
色硝子は、空のような青色をしている。
「私ね、許せないのですよ」
「は、まだあんの」
鼻で笑ったアタシを、目の前に立った男が見下ろしてくる。
ソイツの眼鏡に映るアタシの――青い瞳の前に、青い色硝子が重なった。
「彼女と同じ色の瞳を、君みたいなクズが持っていることがね、私は許せない」
「ッぐ、ぁあッ」
――熱い。違う。冷たい。否、嫌。分からない。
ぶちぶちと音がして、脳味噌が引っ張られるような圧力と、痛みなのか、何なのか、分からない感覚が全身を支配する。
女の悲鳴が、どこか遠くに聞こえる気がした――いや、これは、アタシの声か。
「全く、酷い」
叫んでいるのか、喘いでいるのか、それとも声なんかひとつも出ちゃいないのか、自分でも分からない。
ただ、何も見えなくて、そして、縛られた手足が異様に脈打っていることだけは理解出来た。
心臓が、有り得ないくらい鳴っている。
まともに息が出来なくて、ひどく苦しい。
どこか冷静な脳味噌の端っこでそう分析しながら、アタシは自分の灯火が萎れていくのを感じていた。
不意に耳に届いたのは、何か固いものが触れ合うような鈍い音だった。
それが何かまでは分からなくて、でも、考えようとする意思すら形にならない。
――暗い。痛い。熱い。冷たい。嗚呼、怖い、怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い怖い――死にたく、ない。
「君の瞳に、乾杯」
男の喉が鳴る音と同時に、アタシの意識は、真っ黒に途切れた。
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