— 閑話 —
好きな漫画家の一人、戸田誠二先生の『生きるススメ』という短編漫画作品集の中に、『原動力』というたった見開き二ページの作品がある。その作品は、漫画家の先生とアシスタントの二人だけが出てくる物語。内容は(と言っても二ページなのでほぼ全容を話すことになるが)毎日徹夜続きのはずだがタフで常に元気があるマイナーな漫画家の先生がいて、アシスタントは先生の余りあるバイタリティーに「どっからそういう元気がでてくるんですか?」と問う。すると先生の答えは「感動をもらった? もらったならお返ししましょう」と言う。話はそこで終わる。たったそれだけの作品だけれど、今まで心の中にもやもやしていた気持ちを的確に当てられたような感覚。それほどに強いメッセージ性のある短編漫画であった。
この短編を書こうと思った理由は、その“原動力”が私の源となり、作品としてまとめていこうと考えたためである。
ところで、この『閑話』の題名について、“なかがき”という名にしようかと考えていた。けれど、まえがき、あとがきは一般的に良く使われる言葉だが、“なかがき”は日本語としては無いようで、「やはり無いか」と思い案から外す事にした。他に『余談』も案としてあったが、少し呆気ないような気がする。余談と似た言葉は無いかと考え、ふと思い浮かんだ四字熟語が『閑話休題』。無駄話を止めて本題に入るというような意だが、ここで書く話は、短編の合間のしばしの私の無駄話。ああ『閑話』にしよう。決定。
そうだな、無駄話いうのだからこれが本当の『ザ、閑話。—これが本当の無駄な話か!―』というような話をしよう。
■
前から気になっていたことがある。
背中にとってお腹は前なのか、後ろなのか。
お腹にとって背中は後ろなのか、前なのか。
背中とお腹に境界線はあるのか。
実は背中とお腹は同じなんじゃないか。
[ 背中=腹 ]
この方程式が成り立つかどうか、だ。
気になっているためか、私の頭の中では成り立ちそうになる。
この解を証明するためにもう一つ、考えてしまう事がある。
物体Aが前にいて、物体Bが後ろにあるとする。
AにとってBは“後ろ”にいる。
ではBにとってAは“前”なのだろうか。
前と後ろは見方によって前でも後ろでもあるだろう。
ではBにとってAは“後ろ”でもいいはずだ。
背中=後ろ。腹=前だけれど、
後ろはときに前である。故に
後ろ=前
[ 背中=後ろ=前=腹 ]
方程式は再び私の頭の中で成り立ちそうになる。
しかし私の中で大きな矛盾を見つけてしまう。
私に限らず他人から見てこの方程式はどうだろうか。
成り立つだろうか。
この答えは次の通り。
背中は背中、お腹はお腹。
背中は後ろ、腹は前。
と常識的に決まっている。
つまり——成り立たない!(当たり前だ)
証明が不可能となった決定打は『人の常識』の基に成り立った『決まり事』から逸脱されたという事によって、理屈が成り立たない事が露呈された事にあった。
私の気になっていたことは、ここで完結したように思える。
しかし、ふと思う。
理屈が成り立たない事が露呈されず、隠し通せたら——。
■
……如何でしょう。第一回、ザ、閑話。これが本当の無駄な話か!!
書いている途中で本当に何してんだろうってなるほどの無駄話にお付き合いさせて誠に申し訳ありません。
閑話休題、短編を書く理由を前段に記載したが、今回の短編だけでなく、今まで、及びこれからの作品も、基本となるものはその“原動力”をベースに、私の何かを付加した形できっと『作品』が出来ている。それは私だけでなく、多くの作者は少なくとも似たようなものを“原動力”とし、その作者の何かを付加した形で作品が出来ているのではないかと思う。何かについては、読み手によって様々な変化を遂げて伝わるのだけれど、自在に感じ取れるところもストーリーの面白味であり醍醐味である。そしてそれは、作者の意図しない新たなものとして存在し得るのかもしれない。
だから、今回も短編ストーリーから、
感じたり、読み取ったり、考えたりして、
あわよくば“原動力”となれば何よりも幸い。
閑話休題。
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