第6話「無人の工場」
ここが廃工場であることを英治は知っていた。
中学生の頃、部活動の仲間たちから、ある日突然無視された。原因はまったく思い浮かばない。連中の無関心に耐えきれず二ヶ月足らずで辞めたバスケットボール部に未練はなかったが、生来の生真面目さから運動だけは続けようと夜のジョギングを始めた。今朝と同様、自宅前の通りを駅と反対方向へ進み、横道があれば曲がり、脇道が見えれば進路を変え、あみだくじのように宛てなく走った。
ちょうどその頃、英治の両親が離婚した。それまでも家に寄りつかなかった父親が、正式に家を出ていく。そんな時期だったために、唐突に始まった英治の夜間のジョギングは、それでなくとも度が過ぎて心配性の母には奇行めいて映ったらしい。こんな夜中にいったい外で何をしているのか、何度もそう聞かれ、そのたび彼は近所を気ままに走り回っていると正直に答えた。母には信じてもらえなかった。
だがいつも変わらない彼の回答をやがて母も信用したのか、英治は何も聞かれなくなった。この工場を見つけたのはその頃だ。真夜中であることを抜きにしても、あまりに
次の瞬間にはほとんど勝手に体が動いていた。英治は目の前の塀をよじ登っていたのだ。
塀を越えると、好き放題に草の茂った庭が広がっている。そこを抜け、建物に向かった。鍵のかかっていない、勝手口のような開き戸から中に入る。体育館よりも広い。鉄屑の山があちこちにそびえ、天井は思わず息をのむほど高かった。
その天井から、どれほどの重量があるか見当もつかないクレーンが垂れ下がっている。英治にはそれが、なぜか大木の枝にぶらさがった大蛇の鎌首のように見えた。
ふと見ると建物内部の隅に、きつい傾斜で上へと延びる階段がある。そこから二階へ、といっても彼の住むアパートの二階とは比べようもない高さだが、手すりに手を這わせながら注意して上がってみた。
そして二階から見下ろした、たった今まで自分がいた場所は、彼の目には驚くほど低く遠く離れて映った。その時だった。
足を震えが襲った。それは独立した何かの生き物のように、両足を伝って体中に広がっていく。
腰がくだけて立っていられなくなり、崩れ落ちるように尻餅をついてしまった。それでもまだ震えは止まらない。
怖くなり、尻餅の姿勢のまま後ろへ下がると、後方にがらんとした小部屋があるのに気づいた。休憩所だと思った。自分の部屋よりもひとまわり広い空間の、奥半分に畳が敷き詰められていたからだ。
部屋に一つだけらしい、汚れて曇った窓からわずかに差し込む月明かりでは室内は薄暗い。建物の感じからすると、あの畳は埃まみれのはずだ。だが英治は立ち上がって畳の前まで行き、勢いよく腰を下ろした。
舞い上がる埃の匂いを、彼は不思議と心地よく思った。
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