Chapter5 ~剣と〈邪神〉と対決と~

Chapter5 ①


この島が経てきた戦いの歴史。

それは島の至る所に痕跡を残している。


ケルニュウとカムリ。

この二つの大州は、かつては宿敵であった。


海峡とスォイゲルを間に挟んでにらみ合った兄弟国は、遙か昔に一つの精霊信仰から枝分かれしたと聞いている。

たとえ信ずるものが同じでも、もしかしたら同じがゆえか、この二国は激しい対立を何度も繰り返した。


この砦は、さながら悲しい戦いの生き証人といったところか。

荒れた石壁の表面を撫でながら僕は物思いに沈む。


ここはケルニュウの北部。

西方海峡に面した海岸に残る古い砦の跡だ。


十年も捨て置かれた石堤いしづつみにはツタが縦横に伸び、潮風に晒された木は白く朽ちている。

そこに精霊が戯れるのを見て、自然と人の忘却への願いを僕は感じる気がした。


だが、まだ忘却は許されていない。


物見から下を見れば何人もの小人たちが広場を走り回っている。

スウェリンの命により、この砦は霧の監視所として再びその役を取り戻していた。


僕がここに来たのは黒い霧を見るため。

西方海峡を挟んで向こう側、船で一日もかからない所にカムリがある。

もちろん陸は見えないが、その空高くわだかまった黒い雲はここからでもハッキリと見える。


カルネがこの世界に来た三年前から霧の位置は変わっていない。


邪神トイフェロ〉は慎重だから下手な衝突は避けるだろう。

それが〈反抗者シュトロイベロ〉が付け入る隙になるから。害された人間の反抗心を利用するのが〈反抗者〉の常套手段だからと、カルネは冷めた顔で笑っていた。


その彼女は、少し離れた城壁の上からジョンと海を見ている。

彼女が女神と知っていて粉をかけたジョンもジョンなら、それについていくカルネもどうなのだろうか。


僕は彼女の〈御使いアポストニゾ〉。

彼女の言うところの弱点なのに……


スウェリンの声が耳に残ってざわめく。

『偶然が君に与えた単なる役回り』


言葉が重い。


そうだ、きっと僕でなくとも、誰かが彼女のパートナーになっていた。


ただ偶然そうなっただけの僕が、彼女に……構って欲しいなんて……


思い上がりも甚だしい。



 ***



「レイ君……」

ボクの耳にレイ君の悲しみが聞こえる。


〈御使い〉は対等の存在。

〈学校〉の時のように心を読むことはできないけど、つながった魂を介してすこしだけ、彼の心を聞くことができる。


「行かなきゃ」

声に出してまでそう思うけど、ためらいがボクの足を止める。


どう言葉をかけたらいい? どう接すればいい?


ボクは悔やむ。

今まで〈御使い〉を娶らなかったことを。


いや、そもそも人間と関わってこなかったことを。


きっとあったはずなのだ。

三千有余年の中には彼を助けてあげられる言葉が、態度が、人と人との接し方が。


それを学習しようとも思わなかった、ただ上辺だけマネて満足していた過去の自分が情けない。

物見遊山の客人を気取っていた自分が腹立たしい。


何が女神か、何が全権守護者ぜんけんしゅごしゃ……救い主か。


「カルネさん。落ちつきましょうか」

ブロンドの伊達男、ジョンがボクの肩にそっと手を置く。

「レイ君には一人で考える時間が必要です。それは貴女も一緒ですよ」


「でもレイ君、とても悲しんでる」


「悲しみは時として必要なことです。

 悲しさを知らない人間は、人の悲しさもわからない。

 ま、貴女をこうして引っ張ってきた僕が偉そうなことは言えませんが」

そう言って肩をすくめ、彼はボクと海を眺める。


少しだけ潮の香りを感じる。

故郷にはなかった香り、初めて感じたのはどこの世界の事だったか……


「こう言っては失礼かも知れませんが、カルネさんはずいぶん……純真なんですね」


「は?」

突然そう切り出され、ボクは反応に困って彼を見る。


照れくさそうに後ろ頭をかくと、彼は綺麗な歯を見せて笑った。

「あ、いえ、女神様だと聞いてたんで、もうちょっと超然とした方かと思ってたんですよ。

 そしたら全然そんな感じには思えなくて、つい」


「……君にはどう見えるの」


「んー、初恋の乙女、でしょうか。

 想いを寄せる殿方のふところにどこまで入っていいものかと、途方に暮れてるように見受けられます」


それはまた、ロマンチストっぽい、こっぱずかしい答えだ……


ボクはその言葉をすぐにリストから追いだした。

人を猿まねしただけの意味のない冷やかし。自分を隠そうとする最悪の選択肢だ。


代わりにボクは、ジョンを正面から見つめて問いかける。

「ボクはどこまでレイ君の懐に入ったらいいの?」


「難しいことを訊きますねカルネさん。

 そんなのは関係次第、です。

 お二人の馴れ初めを知らない僕には、ちょっと迂闊なことは言えません」


「それもそうだね。ちょっと聞いてもらえる?」


「どうぞ、ご婦人のお話は僕の好物ですから」


いちいちキザな奴。


そんな言葉も意識の向こうに放り投げて、ボクはレイ君が話さなかった事をジョンに語る。


体が入れ替わったこと、ケンカしたこと、仲直りは死にかけた時だったこと。

そしてレイ君が、ボクと一緒に生きたいって、寄り添いたいって言ってくれた初めての人間だったこと。

そんなレイ君を助けたくて、でも〈御使い〉という役目を背負わせてしまったこと。


語り終わったボクは、ちょっと塩辛くなった唾を飲み込んで反応を待つ。


「我が王子も、一丁前に女たらしになったもんだ」

彼は冗談めかしてそう言うと、僕から目を離した。


「一つ言えることがあるとするなら、僕の見立てはほぼ正確、でした。

 カルネさん、貴女は人と深く付き合ったことがない、でしょう?

 レイ君も貴女も初めての事に戸惑い、舞い上がってしまっている」


ジョンが何かを思い出すように目を伏せる。


「レイ君はあれで人見知りする子でしたからね。

 戦争の間は私の家にいましたけど、ずいぶん世話に苦労しましたよ。

 そんな彼ですから、おそらく初めて自分から好意を伝えたのでしょう。

 強烈な初恋を始めちゃいましたね、二人とも」


「ありがと」


言葉に出して彼の皮肉に応えると、彼はそれを爽やかな顔で受け流す。

そして再びボクを正面から見てくる。


「人と人の距離感は難しいもの。そして一朝一夕では掴めない」


「それはわかってる……つもりだよ。

 だからボクは、レイ君の悩みにどう接していいかわからないんだ」


「僕が言うなら二つです。

 彼自身が決めるべき事は彼に決めさせる。

 それ以外の余計な悩みについては、カルネさんが支えてあげてもいいのでは?」


「丸ごとは駄目なの?」


「それはいけません。

 王子がスウェリン様に何を言われたかは知りませんが、背負うべきは彼自身がきっちり背負うべきです。

 お互いを甘やかしたりすると、いい事なんて一つもありません」


彼は手を打ち、レイ君のいる塔を指す。

「そうなると、さしあたってはそばに寄り添ってあげる事ですね。

 彼が悩みを話したら、その時は黙って聞いてあげればいい」


「そうだね。ありがとジョン、元気でた…………えっ?」


レイ君を探してボクが見あげた先に、そいつは悠然と立っていた。


反り返った山羊ヒゲ、落ちくぼんだ目、海風にはためく黒いローブ。

そして懐からなびく赤みの強いブロンド。


「どうして……」


気配なんてまったくなかった。

周囲三キロは完全に、空の上から地の底まで見逃すはずがないのに。


なんでレイ君が囚われている!?


「レイ君を離せヒゲぇ――っ!」

反射的に髪を安定翅に変えて飛び上がったボクの耳に、自分とは別の風切り音が届く。


「直上!?」


とっさにふり仰いだボクは、太陽を隠して落ちてくる影に身をひねった。


それは地面に向けて突っ込むように降下し、コウモリのような禍々しい翼を全開に、そしてスラスターを噴かしてボクとヒゲ男の間に割り込んだ。


機装――それも、ボクが一度も見た事がない黒い機装。


大きさはヴンダーヴァッシェとほぼ同じ。

後頭部に伸びる二本のアンテナと一体になった半透明のフェイスガードの下から、紫に輝くメインカメラがボクを睨む。


しかしこいつ、どこか似ている。

尖った装甲板と背に生えたウィングを別にすれば、頭でっかちなプロポーションも駆動部の設計も酷似している。


「まさかダヴのコピー……いやそれよりレイ君!」


レイ君を抱えたヒゲ男は黒い機装の差し出した手に乗る。突っ込んで阻もうとするボクを、鋭いかぎ爪の生えたマニュピレータが打ち払った。


かろうじて肉体へのダメージは避けたが、ボクは空中を大きく後退してしまう。

そのわずかな隙に、黒い機装は轟風を鳴らして離陸した。


「逃がすか!」


ところが追いすがろうとした矢先、わずかに高度を得た機装がくるりと反転する。


その胸部、ドラゴンの頭みたいな装甲板が展開し、内側から紫の単眼がボクと地上を睥睨した。

その周囲に光る円形のエネルギー砲口は……


衝撃破砕砲ショックバスターっ!? でもそんな大ざっぱなもの当てられるはずが――しまった!」


地上が近すぎる。

ここでぶっ放されたら、砦もろとも下のジョンは粉微塵になるだろう。


レイ君の命か、ジョンの命か。ボクの一瞬の迷いを飲み込んで、単眼が光輪を、衝撃波を引き起こす力場を放つ。


「ちくしょ――っ!」

死にものぐるいでボクは反転し、生じた衝撃波よりわずかに速くジョンに覆いかぶさる。



瞬後、ボクの背中もろとも、砦の全てが煙となって爆砕した。

衝撃に揉まれ、落ちてきた石材に打たれても、痛覚をカットしたボクに痛みはない。


ただ後悔と、自分への怒りに精神が引き裂かれそうなほど痛む。


なぜボクはレイ君の側を離れた……

せっかく、せっかくそばに……いたかったのに……いられると思ったのに……

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