Chapter4 ④


樽投げはシンプルな競技。


対戦者が五回ずつ樽をなげ、それが屋根に乗った数が多い方が勝ち。

一度投げた樽を受け止め再度投げるのは反則。


引き分けの場合は六投目があるが、どんな巨人でもそこまで体力は保たない。

競われるのは樽に姿を借りた競技者の体力そのもの。


父が屋根として城の塔を示した時、私は歯がゆさと同時に父への軽蔑を感じた。

この巨人は我が子に負けるのが怖いのだ。

それも女である私、エースィルに、シンシア・ウェルズリィに負けるのが。


女では絶対に届かない、しかし男なら届くだろう高さを指して父は公平だと言う。

哀れな巨人よ、小さい世界の守護者よ。


抗われるのがそんなに怖いか。



 ***



父が投擲した樽がわずかに塔の端に乗り……そこで止まってしまった。


たちまち沸き起こる貴族たちの歓声に、父は得意げな顔で手を振ってみせる。

もちろん最初の一投、私も父も外した一投について触れる者はいない。


私は自分の樽を渾身の力で投げ上げる。

しかしわずかに低く、樽は塔のネズミ返しに当たって跳ね返った。


間近に落ちた樽の水しぶきを浴びながら、私は塔の天辺を見据えて自分を叱咤する。


このくらいが何だ、私は奇跡を起こすんだ。

心に灯した炎にくべる薪ならいくらでもある。

目を閉じる必要もない。常に心に宿っている。


あの人の顔が。あの人の笑顔が……



 ***



私がスィンダイン王宮に入ったのは十一のときだった。


母の嘆願を聞き入れた女王陛下は、私を王族ではなく単なる貴族の娘として、身分があるだけの使用人として扱った。

そのことに恨みはないし、むしろ今では感謝している。


そのおかげであの人と出会えたのだから。


他の使用人から役立たずの唐変木とうへんぼくと呼ばれ、微かな訛りにも奇異の目を向けられた。

そこに初めて優しい言葉をくださったのが、あの人だった。


まだ彼が十歳の頃の話だ。

意地悪でこぼされた水を拭き取る私に、子供らしい無邪気さで声をかけ、姉君と一緒に手伝ってくれた。


その嬉しさはよくおぼえている。

きっとこの先、一生忘れることはない。


女王陛下の目にかなって付き人となった後も、あの人は分け隔て無くこの巨人の娘に接してくれた。


「シンディ今日もご苦労様」

「シンディが片付けると、部屋が使いやすいんだ」


そんな何気ない言葉に、故郷を遠く離れた私はどんなに癒されただろうか。


それはきっと、あの人も気づいていないだろう。


私のイタズラだっていつも笑って許してくれる。


人質という女として辛い立場。

手を出され、たとえ孕まされたって文句は言えない。

なのに……いや、いっそあの人になら玩具にされてもいいとすら思えるのに。


彼はいつだって私を大切にしてくれた。


「シンディもいつかお婿さんを迎えるんだから」


私はあの人が好きだ。

小さく、でも大きな心の主、レイ様の事が好きだ。


だから彼の為なら、私はどこまでも命をかけられる。



 ***



なのに……なのにこの塔一つ越せないのか、私の細いかいなは!


愛する人のため、信じてくれた友のために、奇跡一つ起こせないのか!


愛は何のためにある。

私を焦がす、この炎と燃える恋はいったい何のために!


『いのちみじかし、こいせよおとめ……』


私の中に声がするりと入りこんでくる。

『叶えちゃう? その恋』


誰?


『〈乙女メイデン〉そう呼んで。

 わたしに力を貸してくれたら、あなたの恋を手助けしてあげる』


貸せる力なんてない。

私は今、自身に絶望している。


『絶望するなんてもったいない。

 あなたは素敵な恋する乙女、いかなる障害も乗り越える強い人。

 ね、わたしを使って、わたしがあなたの炎を力に変えてあげる』


まるで悪魔のような言葉ね。


『恋することは、時に天使にも悪魔にもなるということ。

 どの感情よりも人らしい姿よ。

 さ、あなたが選んで。絶望に膝を屈する?

 わたしを利用してでも打ち破る?』


利用してでも……そうね、気に入った。

あなたが誰かは知らないけれど。私の〈想い〉をあなたに託す。


だから私の愛を、この一時を支える強さに!


『承知!』


銀の刺繍から風が巻き上がる。

一瞬で服が緑から明るい空色に染め代わり、エプロンや被り布にフリルが生え揃う。


それはどこまでも華麗かれいな、未だかつて見たことがないいきも極まる侍女の服。


『色はサービス、あなたの好きな色みたいだから。

 さ、わたしの名を呼んで、わたしたち二人を、神にするその名を』


喚装かんそう! 汝の名は〈完璧なる乙女パーフェクト・メイデン〉!」


頭に響くその名を唱え終わった途端、総身にピンと鋼の芯が通った。

周囲のどよめきが急に遠ざかり、背後に至るまで全ての景色がハッキリと認識できる。


『スーパーなメイドさんは全てを完璧に把握し、風のように仕事をこなす!

 わたしは侍女の化身。

 もたらすのは疾風のごとき身のこなし、触れるものを見通す目!』


体が羽根のように軽い。

樽に手をかければ、それがどう動くか、どう動かせばいいかが手に取るようにわかる。


力で飛ばすのではなく、狙いとタイミングが全てだと理解する。

これならやれる!


『やっちゃえ主! 乙女の強さを男どもに思い知らせちゃえ!』



 ***



「シンディ……ウソだろ……」

アデルは風を巻いて立つシンディに、いつかのレイの姿を思い出していた。

どこをどうやったかは知らないが、彼女は〈神衣〉の力を確かに引き出したのだ。


ウルナッハは娘の豹変に少したじろいだものの、こけおどしと思ったかすぐに樽を振りかぶる。

だが放たれた樽は塔の縁をそれ、むなしく落下すると取り巻きたちを慌てさせた。


一方、シンディの樽の持ち方には変化が見られる。

彼女は片手で支えるのをやめ、抱きつくように持ち上げると腰を落とす。


腕力が落ちている?

そう思ったアデルは、しかしその認識をすぐに改めた。


流れるように繰り出されたシンディの投擲は、今までの二投より明らかに速かった。


樽はどの向きにも回転せず、シンディの手にあった時のまま綺麗に宙を駆け上がる。そして図ったようにピタリと屋根に乗った。もちろんそこから転がることもない。


これで一対一。


速度と正確性、アデルはシンディの変化を一瞬で見抜く。

だが見抜けたからといって、むしろ見抜けたからこそ驚きは深かった。

その投擲を可能にするのは常人を楽々しのぐ先読みと、並んだ針の穴に一息で糸を通せる集中に他ならない。


練兵場に集まった貴族からも、意識しない驚嘆のため息が次々と上がる。

ウルナッハのうなりにすぐにかき消されはしたが、明らかに貴族たちがシンディを見る目が変わった。


次の一投、ウルナッハが根性で屋根に乗せる一方で、シンディは先刻と寸分違わぬ動きを見せ、軽々と屋根を捉えてみせた。


未だ同点。

残るは最後の一投だ。


ウルナッハが肩で苦しい息をつく横で、シンディがふらついたのをアデルは見逃さなかった。


おそらくあの服は体力までは強化していないのだろう。

だとすれば身体が小さい彼女の不利は完全に覆ってはいない。投げる先は同じ高さ、体格に恵まれたウルナッハよりシンディの消耗が激しいのは想像に難くない。


巨人領主の五投目は、主の疲労を反映して失敗。

これでシンディが決めれば勝ちだが、樽を掴むその手が小刻みに震えている。


「シンディ! 頑張れ!」

アデルの声援に彼女が一瞬微笑む。


投擲。

樽は、その軌道こそ完璧だった。

しかし力が足りてない。上がるすがらに、ほんのわずかに屋根に届かないとわかる。


シンディに六投目がないのは、彼女の苦しい顔が示している。

もしこれが乗らなければ、おそらくウルナッハはいかなる手を使っても勝ちに行くだろう。


「諦めんなよシンディ……お前あいつの事が好きなんだろぉぉぉっ!」

気づけばアデルは絶叫していた。


そして見た。

声を受けたメイドの顔に、まるで抜き身の刀剣のごとき鋭さが宿るのを。


瞬間、空色のメイドは地を蹴り飛翔する。

彼女は放物線の頂点に達した樽に矢のように肉薄すると、スカートをひるがえして樽を「蹴り上げ」た。


樽は跳ね上がり、塔の上に降ってくるとその屋根に落ち砕ける。


がばしゃっと音が鳴り響いた瞬間、周囲でシンディの姉妹たちとオルウェンが手を取り合って歓声を上げた。


アデルもまた拳を突き上げ、着地するシンディに雄叫びを投げる。

「やったぞシンディ! お前の勝ちだ!」


一方、貴族たちは呆然とその結果を見届け、ややあって轟々たる物言いを降り注がせた。

内容は「反則だ」のひと言に尽きるが、聞くに堪えない罵声のバリエーションには事欠かない。


シンディはそれに押されるように倒れ伏した。

無理もあるまい。樽に追いつくためとはいえ、ほぼ塔の頂上までジャンプしたのだ。とっくに体力は底をついていたのだろう。


男たちの声に背を押され、ウルナッハが血走った目でシンディを見下ろす。


その太い腕が振り上げられたその時、風のようにオルウェンが父娘に割り込み、夫の頬に強烈な平手を浴びせた。


静まりかえる練兵場。

小さく何かをつぶやく巨人王に、夫人の堂々たる怒声が轟く。


「あんた! 勝負ば受けたんはあんたやろが、負けたからて今さらなんばすっきね!

 ルール? あんたん目は節穴ね!?

 エースィルは受け止めもしとらん・・・・・・・・・し、投げもしとらん・・・・・・・ばい!」


そう、確かに樽は落ちて受け止められることもなく、またシンディは一切手を使わなかった。

一度投げた樽を受け止め再度投げるのは反則という条文に、一分いちぶたりとも抵触してはいないのだ。


抜け穴と言われようが規定されてない以上は正式な解法。


しかしそれをあの瞬時で思いつき、さらに実行するとは。

〈神衣〉がどこまで手助けしたかは知らないが、そのクレバーさと利発さは、アデルの知るシンディそのものだ。


アデルは地面に伏せるシンディに駆け寄る。

服の色は元の緑に戻っていた。

彼女は荒い息をついてその場から動かないが、アデルを見つけると、脂汗を流しながらいつもの微笑みを浮かべた。


「やり、ました……アデル様ぁ……わたし、やり、ま、した」


そのまま崩れようとする親友を、アデルはその胸でしっかりと支える。


と、夫人にすっかりボコられ……いや諭されたウルナッハが二人に影を落とした。

彼は無言で懐から短い王杓を取り出すと、ぶっきらぼうにシンディの足下に置く。


「ワシの負けや」

ただひと言そういって、巨人の王は背を向ける。


その背に跳ねる万雷の拍手は、王ではなくシンディを称えている。

それはシンディの勝利に、巨人たちの意固地な心が確かに揺さぶられたという宣言であった。


「かえ、り、ましょう……アデル様」

「そうだなシンディ。ああ、きっとレイの奴、喜んでくれるぞ」

「よかっ……たぁ」

手を握りあい、お互い涙の浮かぶ笑顔を交わす二人。




彼女たちはまだレイの苦悩を知らなかった。

はるか400マイルを隔てた地でこれから始まる、彼の戦いについてもまた。

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