Chapter4 ②
今の気持ちを言葉にできない。
いや、なんだったか……
そう、たしかカルネの奴がたまに言っていたアレなら表現できる気もするな。
確か飛翔じゃなくて。
飛報、はちょっと近い気がする。
そうだ、悲報だ。
「【悲報】友人の里帰りについていったら方言が理解できない……件について」
つぶやいてみて、アデルはしっくりと来ない事に自嘲した。
やはり私にあの女神の言葉をマネるのは無理らしい。
もともと自分には詩吟の才能もない。
そしてアデルが苦し紛れの言葉遊びをしてみたところで、状況がどう動くわけでもなかった。
スォイゲルなら大聖堂といって通じそうな石の
アデルの前に立ち上がって熱弁を振るうシンディの前には、毛皮を敷いた石の玉座にふんぞり返った特大の巨人が一人。
身の丈は12フィート(3メートル半)を超え、アデルでも彼の前では子供と変わらない。おそらくカカシ騎士が相手でも真っ向からぶつかって勝てるだろう。
ぼっさぼさの黒髪、アゴから胸元までを覆う茂りすぎの黒ヒゲ。
統治者を示す額の輪が無ければ、毛皮を羽織ったその姿はもう蛮族にしか見えない。
大王ウルナッハ。
エル・アルバン八十余族を束ねる巨人の中の巨人。
座っていてさえクマを失神させそうな彼の気迫に、しかしシンディは毅然と立ち向かっている。
「なしてわからんとですか父上! 危なかときこそすけちゃるこつ、そいが女王陛下にどがしこ恩ば売るか。アルバンの巨人のこつよー考えとるけんうちは――」
「しゃーらしか!! なんべんも言わさんと、おなごがまつっごとにぎょーらしかこと聞きなんな!!」
はずだ。
正直なところ、アデルはとっくの昔に理解する努力を放棄していた。
早口で交わされるエル・アルバン訛りの応酬にもうついて行けない。
それでも雰囲気から察する限りでは、大王はシンディの言葉を頭ごなしに否定しているだけのようだ。
ただ王との話し合いがどうであっても、この場がシンディにとって大いに分が悪いものであるのは間違いない。
周囲には巨人の貴族がずらっと並び、さらに屈強な兵士たちが王を取り巻く。
その中に女性が一人もいないのも気になるが、それ以上に彼らの顔に浮かんだ表情がアデルのカンに障る。
どうひいき目に見ても、面白い出し物を見に集まった野次馬の笑いなのだ。
男上位はどの社会でもままある話だが、こうもあからさまだと遣りきれない。
「こいつら、まともに話を聞く気はないな……」
聞かれても困ることもなかろう。
アデルは声を抑えもせずに吐き捨てた。
こちらをふり返ったシンディも、肩をすくめて同意を帰してくる。
「出直そうシンディ。何か次の手を考えるしかなさそうだ」
「ですね……父上、失礼させてもらいますけんね!」
いきなり踵を返してスタスタ歩いていくシンディに、アデルはあわててついていく。
謁見の最中に客人が話を切り上げるとは、礼に甘いエル・アルバンじゃなければ手打ちものだ。
後ろで引き留めるウルナッハの声と、それを囲む貴族たちの笑いがこだましていた。
***
出直そうと言ったのはいいが、アデルに次の手があったわけではない。
到着してからの丸一日を無駄に費やし、部屋にこもって思案投げ首となるアデル。
そんな彼女にシンディからお茶のお誘いがかかったのは、三日目の昼のことだ。
ウルナッハ一家の館、城の離れの庭に出たアデルの耳に、若い少女たちの歓声が飛び込んでくる。
「姉しゃんそいへいったばい!」
「ほれほれここばいここ、はよきいね!」
少し離れた場所で、色とりどりのローブを着た娘たちが六人、白いフワフワの動物と
お茶どきの庭遊びとしては至極真っ当な光景だ。
娘たちの背丈がアデルより高く、たわむれる相手が犬でも猫でもなくデカい雄ヒツジでなければ、だが。
ドスドスと庭の草を踏みしめて雄ヒツジを追いかけ回す少女たちの顔はどれも、どこかがシンディに似ている。おそらくは彼女の姉妹だろう。
そして少女たちから遠いテラスで手を振って、アデルを呼ぶ当の親友。
「アデル様こっちですよ」
庭遊びに巻き込まれないように用心しながら近づけば、テラスにはシンディの他にもう一人、やはり背の高い貴婦人が同席していた。
毛皮をあしらったローブに金の
顔つきはシンディと似ているが、歳はいくぶん上のようだ。
豪華に編み上げられた栗色の髪には、真珠のをちりばめた
アデルがテラスに上がると、シンディが膝を折って貴婦人にアデルを紹介する。
「紹介します
こちらはアドレイド・ゴスリン女卿。レティヒェン公のご息女で私の友達です。
アデル様、こちらは私の母様のオルウェンです」
母と聞いてすぐに礼をとったアデルに、オルウェンは丁寧な返礼を返した。
「ようこそアドレイドさん。こんな遠いところまでよくいらっしゃったわね」
訛りかと思いきや真っ当なスォイゲル言葉。
思わず怪訝な顔になるアデルに、オルウェンは娘そっくりの控えめな仕草で微笑む。
「エースィル……シンシアにスォイゲル言葉を教えたのは私なの。
昔、しばらくスォイゲルにいたのよ」
「そうだったのですか。これは失礼を」
「構わないわ、みんなすごい訛りでしょう?
エル・アルバンは古い言葉が残ってるから」
二人に並んでベンチに腰かけたアデルに、すぐに控えの侍女がお茶を運んでくる。
と、侍女の後ろから青年、いやあどけない顔の少年がドドド、とテラスに上がってきた。
「姉しゃんまだせんとね?」
泥だらけの服を着た少年に、シンディは困った表情だ。
「カイ、姉しゃんは急がしかとよ。後にしとって」
「樽の投げかっば教えてくれるって昨日約束したん姉しゃんやろ?」
何かの練習をせがむ少年に、見かねたオルウェンがシンディの肩を叩く。
「エースィル、教えてくればよかやん。
アドレイドさんとはうちが話しとっちゃぁけん、いっとくればよかたい」
シンディは渋々と立ち上がり、アデルに頭を下げると少年についていってしまった。
オルウェンがアデルに薄く笑いかける。
「カイはあの子の弟なの。
うちでは一番若くて、ちょっと頼りないけど優しい子なのよ」
「は、はぁ……」
庭の向こうでさっそく一抱えもある樽を持ち上げる少年が「頼りない」とは思えないアデルだが、何事も力強すぎるこの国の事情には口を挟む気にもなれない。
「シンシアからあなたの事は聞いているわ。
あの子からの手紙にも、あなたのことがいっぱい書いてあるのよ。
ずいぶんよくしてもらったみたいで、母として感謝するわアデルさん」
「いえ、大事な同僚ですから。
まさかシンディ……エースィル嬢がウルナッハ様のご息女とは気がつきませんでしたが」
「シンディで結構よ。
あの子が人質に行く時に、あの子の素性を伏せてもらえるようにって私から女王陛下にお願いしたの。
ウルナッハの娘と知れば、よからぬ事を考える人がいるかも知れないから」
「それは……そうだったかも知れません。賢明な判断だと思います」
〈平定戦争〉が終わったあと、北と西は古いしきたりに則って人質となる貴族の娘をスォイゲルに差し出した。もちろん人質が王族である必要はないし、普通なら重臣の娘あたりが出されるところだ。
それがまさか姫君とは。
それは北の覚悟の証だったのだろうが、ひっくり返せばさんざん巨人に煮え湯を飲まされたスォイゲルの武人に格好の獲物を与えるようなものだ。
その身柄の保証ができないことは、王宮に長年勤めたアデルの身に染みている。
「あの子に素性を明かさないように言い含めたせいで、辛い思いをあの子にさせてしまったし、あなたにも悪かったわ。
あの子がウルナッハの娘だと知って嫌いになった?」
考えることもなく、アデルの答えは明確だった。
「いいえ。以前と変わりません、彼女は友人であり、信頼できる相棒です」
素性がなんだというのか、アデルだって素性など関係なく個人として今の自分を築いてきた。
今さら知り合いの王族が一人増えたところで何を動揺することがあるか。
すぐに答えたアデルに、オルウェンはくすりと笑ってお茶のカップに口を付ける。
「ありがとうアデルさん。
ああ、昨日は大変だったでしょう? ウルナッハに話を聞かせるなんて、さぞ苦行だったのではなくて?」
「いえ、そんなことは奥様……」
「いいのよ、あの人は本当に頑固なの。
ううん、あの人に限らず巨人族全てがそう。
私たちは男女で大きく体格が違うでしょう? 男たちは女の言うことに耳を貸そうなんて思わないのよ」
「はははは、そのあたりは私たち
どこでも、男はいつも身勝手ですからね」
一瞬、男性諸氏の顔を思い浮かべなら、アデルは褐色の頬を曲げた。
出自がどうたら女がどうたら、そういうくだらないことを言うのはだいたい男だ。女は女で身内に手厳しいが、男ほど馬鹿な理由でケンカを仕掛けてくる奴はあまりいない。
……それでも三人ほど心当たりがあるが。
「あら、そういえばレティヒェン?
もしかしてアデルさん、あなたホウィルとスウィルの妹さんじゃないかしら?」
ふいにオルウェンにそう訊ねられて、アデルは一瞬誰のことかわからずキョトンとしてしまった。
やがてそれが二人の姉の聖名であることに思い至り、彼女は首を縦に振る。
「やっぱり、肌の色が違うからすぐにはわからなかったわ。
今は二人とも将軍の奥様なのよ。お会いに行ったりはしないの?」
「いえ、会う気はありません」
今度もアデルは即答した。
姉と言ってもあの双子とは年齢が十も違う。
それに肌の色が違うというオルウェンの言葉どおり、あっちは父の正妻の娘だ。
妾の子として小さい頃に受けた仕打ちを忘れる事は到底できないし、バカな母親に似て虚栄心の強い女達に会う気もさらさらない。
正直、巨人に連れ去られたのを知って清々したくらいなのだ
アデルの顔に去来した影を見て取ったか、オルウェンは「そう」とだけ言って、それ以上は何も聞かなかった。
「娘たち、
突然庭に響きわたった大声にアデルがふり返ると、ウルナッハが六人の娘をまとめて抱え上げるところだった。
恐ろしい外見とは裏腹にどうやらかなりの子煩悩らしい。
ウルナッハに抱きつくシンディ似の娘たちは、腕に首にとぶら下がってはしゃいでいる。
そこに歩み寄っていく空色の服の娘。
ウルナッハのゆるんだ顔がみるみる引き締ま……いや、やれやれといった諦めの苦さを湛えていく。
「どげん言うても変わらんとね?
「せからしかばいエースィル」
最初から喧嘩腰で睨み会う父娘。
カイが樽を手に姉に心配そうに駆け寄る。するとだしぬけにシンディがカイの持っていた樽を片手で奪い、それを父王の眼前に突きつけた。
「うちは
堂々たるシンディの声に、虚を突かれてウルナッハが固まる。
しかし次の瞬間、彼は腹を抱えて笑い出した。
姉妹たちが姉の無謀さを心配しながらも、蜘蛛の子を散らすように父親から離れる。
ウルナッハは嘲り笑いを隠そうともしない。
「女んお前が、ワシに樽投げを挑もうっちか? 冗談も大概にせんね!」
「冗談やなかばい。うちが勝ったら言うこと全部聞いてもらうけんね!」
その言葉に笑顔から一転して怒りすらにじませ、ウルナッハが牙を剥く。
「よかばい!
けどワシが勝ったら、どげん我が娘だっちゃ容赦せんぞ。
南にかぶっただぼ女が、身ぐるみ剥いで街を歩かせちゃるけんな!」
脅し文句としては迫力に欠ける。
しかしアデルは息をのむオルウェンと周囲で上がる娘たちの悲鳴に、今の宣告が只ならぬものであることを悟る。
それを怯みもせずに受け、目に鋭い、しかし悲しげな決意を灯すシンディ。
何が起こったのか。そして何が決まったのか。
アデルが知った時には、全ては手遅れであった。
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