Chapter4 ~乙女と巨人と樽投げと~
Chapter4 ①
*注意*
この章には訛りと称して実在の方言が出てきますが、あくまでも演出です。
筆者はこの方言を毎日聞いてますし、愛しています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
やはり無理があったな。
この二日の旅の間、ずっと馬車の手綱を握り通したアデルは、油断すれば落ちそうになる目蓋を必死でこらえていた。
自分の出自に恨みはないが、彼女がエル・アルバンに行くべきという判断には釈然としないものがあるし、それを強く推した父も父なら、疑問すら持ってなさそうだったなレイやジョンもどうかと思う。
そして意地を張ったあげくに馭者を断ったらこのざまだ。
一番問題なのは、私自身か……
いつもなら自嘲ぐらい軽々繰ってみせる彼女も、二日分の疲れはいかんともしがたい。口から漏れたのは力のないため息だけだった。
同乗者に交替しようにも、残念ながらシンディは馬車を操れないとのこと。
馬に乗れるのに馬車は駄目とは、育ちにもよるだろうが、十二歳で馬車を乗りこなしていたアデルには納得しかねる言い分だ。
そんなシンディはいま、後席でいろんな服とにらめっこしている。
それらが彼女の私物ではなく、道すがら収集したカルネの〈神衣〉であることは理解しているが、私は馬で彼女が服とはいくらなんでも……
いかんな、私がつまらん意地を張ったからなのに、シンディに当たるなど言語道断だ。
シンディといえば、なぜ彼女は北を説得できるというのだろう。
その理由にアデルは見当がつかない。
思えば、アデルはシンディの素性をまったく知らなかった。
知ってることといえば、北から人質としてスィンダイン王宮に来たという事だけ。
深く詮索しなかったせいもあるが、実は彼女の本名すらわかってないのだ。
シンシア・エースィル・ウェルズリィ。
このうちシンシアとウェルズリィは、スォイゲルの王宮に勤めるための仮の名前だろう。
聖名であるエースィルが本名だとしても、そんなものはありふれた聖女の名、身分や出自を特定できる材料にはならない。
シンディ……お前はいったい何者だ?
考えをそらした瞬間、馬が勝手にわき道へ入ろうと首を振る。
「ハイドゥッ、こ、らっそっちじゃない」
なんとか手綱をたぐって道を戻すが、馬鹿でかい通行人に車輪がかすったのか、聞いたこともない訛りの野太い罵声が飛んできた。
「さばくれんぼんくらが! 気ぃつけんね!」
文句なら道の方に言ってくれ。アデルは肩をすくめる。
この街は住んでいる連中の図体に反比例するように狭い道ばかりで、その上細くて入り組んでいる。
スィンダインならちょっと馬車の扱いが下手でも壁をこすることはないが、この町では油断すると馬車が道に挟まる。
カエル・エディン。
エディンの城の名を持つ北部エル・アルバン王国の中心。
天然の岩山を中心にして作られた市街地は、しかし無造作かつ無秩序に家を並べただけにしか思えない。
実用一辺倒ならアデルの故郷だってそうなのだが、こちらは木造ではなく自然石を積んだ石造りがほとんどで、殺風景さでは数段上を行っている。
そこで張り合っても仕方がないが。
「アデル様、そっちの道は右です」
後ろの席からシンディの声が届く。
「右は城から離れていく方向だぞ?」
「大丈夫です。そっちが近道ですから」
どう考えても城から遠ざかりそうなのだが……
そろそろ日も暮れるので、反論する時間も惜しかった。
何より、アデルは早く馬車を降りたかったのだ。
アデルは手綱をぐいとひねると、長旅に疲れた馬を右に寄せた。
***
「そいで止まらんか!」
結果的にいえば、近道だというシンディの言葉に嘘はなかった。
すぐにでも行き止まりになりそうな細い細い道の先で、確かに道は城へと通じていたのだ。
ただしそれは正門ではなく、裏手の馬出しに繋がっていたわけだが。
軍事施設に無防備にノコノコ出て来た馬車は、たちまち身の丈10フィート(3メートル)はあろうかという兵士たちに包囲される。
「いやしか奴ばい! そん被りもん取っち顔見せれ!」
前時代的な革鎧姿の兵士が、ひどい訛りでわめきながらアデルの顔に
街中で騒ぎを起こさないように顔を隠していたというのに……
アデルが渋々スカーフを外すと、あに図らんや一斉に巨人たちは騒ぎだした。
「こいつイスパニアじゃなかか!? なしてこぎゃんとこにおるんか!」
「こぎゃん所になんしに来よった!」
「こげんこまか奴、俺がすぐつまみ出しちゃる!」
スォイゲルで育ったアデルに彼らの言葉は理解できないが、歓迎されてないのは一目瞭然だ。
どうするべきか途方に暮れたアデルの肩を、巨人兵の一人が乱暴につかんだその時。
「し ぇ か ら し か !! 静 か に せ ん ね !!」
馬車の後席から突然飛び出した怒声に、巨人兵がいっせいに押し黙る。
アデルには声の主が誰かすぐにわかった。
というか後席に乗ってるのは一人だけだ。
だがその言葉はいったい、彼女といえば丁寧すぎるほど丁寧なスォイゲル言葉しか思い浮かばない。
恐る恐るふり返ったアデルは、後席に仁王立ちになり、乗馬ローブのフードを全開にして牙を剥く親友の姿をそこに見た。
兵士の一人がうわずった声を上げる。
「ひ、姫しゃん?」
「おう、おまやモルブランやなか?
久しかぶりにおーたらなんね、そぎゃんぶくぶくこえてくさ」
アデルの肩を掴んだ太り気味の兵隊と、親しげというにはどこかトゲのある口調で言葉を交わすシンディ。
彼女が一睨みすると、兵士はビクッと跳ねる。
「あ? そん手はなんね、そん子はうちの友達やけど、もしかしてそん子ばくらそーちゃおもーとらんね?」
「ど、ど、どひょーもなかこつです!」
アデルから素速く手が引かれる。
巨人の兵士たちは慌てふためいて道を空けると、綺麗に整列して頭を垂れた。
「シンディ、さん?」
親友、いや親友だと思っていた女性の豹変に思わず腰が引けてしまうアデルに、シンディは夕陽に爽やかな笑みを浮かべ、そびえる城を示す。
「もう大丈夫です。さ、アデル様行きましょう?」
いきなりわかる言葉を投げられたところで、もう何が何だかわからない。
アデルにできることは手綱をならして馬を進ませるくらいだった。
兵士たちを過ぎ、塔門をくぐって石敷きの坂を上がる馬車の上で、シンディの抑えた笑い声だけが小さく流れていた。
***
馬車を降りてからも、アデルは状況に置いてかれっぱなしだった。
なんといっても言葉が問題だ。
意味はともかく、話すとなると意図的に訛らせるのは至難の業で、おまけに訛りのない言葉が通じないときている。
自然と応対はシンディ任せになるが、今のように彼女に離れられると、もう出す手も足もない有様だった。
「しかし、どういう部屋だ?」
通された部屋の中で、アデルは周囲を見回して独りごちる。
建物と同じく石造りだが、壁にはきちっと白い漆喰が塗られている。
天井や窓枠には薄青の飾り布が渡され、揃えられた調度品は年代こそ古いが高級なものに違いない。
部屋でひときわ異彩を放っているのがアデルが腰かけているベッドだ。
軽く寝椅子が五脚は置けそうな広いクッションベッド。
それが部屋の中央に鎮座している。
たぶん良い待遇なのだろうな、などとアデルがぼんやり考えていると、シンディが軽やかな足どりで戻ってきた。
ここ数日ずっと着ていたあの乗馬ローブではなく、彼女が着ていたのは薄青を基調とした
さらにその上から古いスタイルの婦人用
さっきまでが「貴婦人の仮装」なら、今の出で立ちは「貴婦人そのもの」だ。
「お待たせしました。狭い部屋ですみませんアデル様」
「狭い……いやそれはいいとして、ここは客間なのか? 離れなのはわかったが、北の城に来たのは初めてでな、造りが読めないんだ」
「ここは……」
シンディは照れたように下を向き、ゆっくりと答える。
「ここは私の使っていた子供部屋です。その、アデル様を泊めるにはちょっとあれなんですけど、客部屋は空いてないそうで」
これが子供部屋? それもシンディの?
とすれば彼女がプリダインに来た七年前から使われてないはず、それなのに埃ひとつ落ちてないとは……。
いくつものピースが繋がり合い、アデルの脳裏に一つの答えがまたたく。
同時に、いやでもそれはさすがにないだろう、と彼女の常識が全力で否定するが、思いついてしまったものは仕方がない。
えいままよ!
アデルは決心すると、懐かしそうに鏡台に向かうシンディへ声を掛けた。
「なぁシンディ、もし違ってたら済まないんだが、もしかしてお前は……
この城の……その……」
最後の最後に来て言葉につまったアデルに、シンディがくすりと笑って助け船を出す。
「お、ひ、め、さ、ま、ですか?」
「そ、そうだ! いや、やっぱり違うなそんなわけが……」
「ぴんぽーん、正解ですよ」
すっかり仲良しになったカルネがをマネして、シンディが愉快そうにアデルに拍手する。
パチパチという控えめな音は、しかし魂を抜かれたように立ちつくすアデルにとって、常識という砦が崩れ去る轟音であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます