Chapter2 ③


翌朝、僕らの起床はいくぶん遅めであった。


朝食までの間に荷物の整理でもと思ったが、考えてみれば整理するほど持ってきていない。

僕が〈レディ・ドレス〉で運べるギリギリまで荷物を減らしたせいだ。


ここが実家のアデルや、汚れないドレスを持つカルネは困らないとしても、僕とシンディには替えの服がない。


カルネは「〈騎士ナイト〉でも着たら?」と冗談を言っていたが、これから朝食ついでに真面目な話をするのにいくら何でも裸みたいな鎧は困る。着ると女の子になっちゃうし。


城の侍女が見繕ってきてくれたシャツの丈を、どうにか合わせ終わったのが十時半。

同じくギリギリ体格に合う服を見つけたシンディと共に、僕らは朝食の席に滑り込んだ。



「うわぁ……美味しそぉ」

先に食堂に着いていたカルネが、テーブルにところ狭しと並べられた料理に目を輝かせる。


〈学校〉ではロマヌス風に一日三食が基本だったが、プリダインは全島通じて一日二食が当たり前だ。


「まだ手を付けないで」

辛抱たまらんとばかりにフォークとナイフを握りしめるカルネを僕が制していると、時報の角笛と共に食堂の大扉が開かれた。


入り口に並ぶ三人。

いつもの黒い軍服を着たアデルと、目も覚めるような青のガリア風上着を着こなすジョンに挟まれ、古風な白い上羽織サーコートに赤い雄牛を紋と入れた老人が杖をついている。


僕とシンディは立ち上がり、ポカンとするカルネをよそに老人に深く礼をとった。

「久しくございます。レティヒェン公」


「ほほ、レイ王子かな? いやいやそんな大仰な礼などいらんですぞ。それ、楽にして、席に着かれませい」

老人はすっかり白髪の増えた、しかし相変わらず豊かな黒髪を揺らし、白い顔に蓄えたヒゲの底で懐かしげに笑った。

ばかりか、スタスタと軽やかな足どりで歩み寄ると、面食らった僕らの肩に手をやり座らせる。


「さあさあ、いつぶりになりますかな王子。

 ずいぶんと大き……いやご立派になられて。

 そちらはシンシア殿ですな。お美しくなられた。宮廷でわしのゴブレットをひっくり返されたのが昨日の事のようですぞ」


「えっと、あの、レティヒェン公」


「昔のようにエドマンド、いやこんな老骨などエドでも結構ですぞ」


「ではエドマンド様、お体の方は……」

寝込んでいると聞いていた老人のすこぶる健康そうな様子に困惑を隠せない僕。


そこへ近づいてきたジョンが口に手を当てて苦笑する。

「それが王子まぁ聞いてくださいよ。

 エドおうってばアデルさんが見舞いに部屋に上がったら、ベッドから3フィートも飛び上がって抱きついたんですよ。

 その身のこなしたるや、一昨日おとといまで熱出して唸ってたのはどの爺さんかって勢いでしたね」


「やかましいわいひよっ子が! 娘が三年ぶりに帰ってきたんじゃ、寝込んでなどおられるものか」


「父上、そのぐらいに」

憤慨ついでによろけたエドマンド翁に、あわててアデルが支えに入る。

はつらつとした態度と比べて、その足腰はまだ回復にはほど遠い感じだ。


「すまんのぉアデル。

 ……はて、こちらの元気そうなお嬢ちゃんはいったい」


「〈夢幻のカルネヴァル〉、昨日お話ししたではありませんか父上」


「そうじゃった、そうじゃったとも。

 たしかよその世界から来た女神さまじゃったな。ほ、両手に銀とはもう食う気満々じゃな。

 よいよい、話は腹を満たしてからにしようぞ」

エドマンド翁が枯れた手を打ち鳴らし、給仕の侍女たちが動きだす。


僕らはひとまず席に着き、運ばれてくるレティヒェン名物のヒツジ料理にしばしの間舌鼓を打つのだった。



やがて料理の皿があらかた片付き、それぞれの前に手洗い皿とお茶が運ばれて来る頃。


「にぎやかな食事は久方ひさかたぶりじゃ。

 それにしてもカルネちゃん、見事な食べっぷりだのぉ」

「僕も同意見ですよエド様。健啖けんたんな方は見てて爽快ですからね」

エドマンド翁とジョンがテーブル向こうから、心底愉快そうにカルネを褒める。


僕が目を飛ばすと、はにかみながらも彼女はお腹を押さえて満足そうに笑った。


そりゃまぁ、ね。

出てきた料理の四割がその中に入ってれば満足しようってものだ。

むしろあれだけのヒツジ肉がその中に消えたのに、少しも腹回りに変化が見えないのが恐ろしい。


すっかりカルネを見る僕の目が冷えたところで、エドマンド翁はやんわりと切り出した。


「ところでレイ王子、いやレイ坊ちゃん。儂に話があるとかアデルから聞いとるんじゃがのぉ」


「はい。ぜひお聞かせしたい事があります」


僕はこの身に起こった事件と、そこで得た情報とエドマンド翁とジョンに語る。


話は正午の角笛が鳴るまで続いたが、その間二人とも口を挟むことなく、静かな表情で僕の言葉に耳を傾けてくれた。


「それはなかなか大変な話じゃ」

全てを聞き終わったとき、エドマンド翁はそうつぶやいてテーブルに目を落とす。


隣に座るジョンは、ふむ、と一息つくと彼らしい涼しげな笑みを僕に向ける。

「ちょっと信じられない、というのが僕の感想だね。

 あ、でも信じないって意味じゃないよ。レイ王子の話は確かだと思う。それに〈学校〉の騒動については僕の耳にも入ってる」


「相変わらず事情通だな。ところで、それはどこから耳に入った?」


「それはもちろん大陸帰りのさるご婦人からに決まってるじゃないか。

 あ、こらアデルやめてくれよ、靴に跡ついちゃうから踏まないでってば」

エドマンド翁を挟んで、アデルからジョンへ剣呑な視線が飛ぶ。

受ける優男は冷や汗をかきつつも細い目に柔らかい表情を崩さない。


「やめんか二人とも、うっとおしい」


やがてエドマンド王が迷惑げに二人をたしなめ、そして視線を僕に投げた。


「事の次第はあいわかった。

 しかしまぁ女王陛下、いやアルビナお嬢ちゃんにねつけられたのも無理もないのぉ。あの嬢ちゃんはがっちがちに頑固じゃから、この手の話はさらりと受けきれんだろうて」


「ではエドマンド様……」


「うむ、坊ちゃんの言いたいことは承知じゃ。

 要は、わしにスォイゲル諸王への取り次ぎをしてほしいんじゃな?」


「はい」


レティヒェンは立地と武勇とでスォイゲルの他の領地に対し影響力が強い。

もしエドマンド翁が味方についてくれれば、スォイゲルの諸王はぐっとこちらに寄ってくれるだろう。


しかし僕の期待を込めた視線にエドマンド翁は苦い顔を崩さない。

「できぬ、とは言わぬよ。

 じゃがなレイ坊ちゃん、アルビナ嬢ちゃんが否と言えば否なのが今のこの国じゃ。坊ちゃんがやろうとしとる事は単なる親子喧嘩とはわけがちがう。

 言いたいことは分かるかのう?」


エドマンド翁の鋭い灰色の瞳に正面から射貫かれる。

僕は少し迷ってから、静かにうなずいた。


「そうじゃ。坊ちゃんがやろうとしとることは王命を覆すこと、ひどい言い方をすれば反乱じゃ。

 せっかくまとまりかけたこの国を覆そうとする行為じゃ」


「父上そんな言い方は……」

アデルがエドマンド翁の手を取ろうとするが、彼はそっけなく娘の手をさえぎった。


彼は重い一息を吐くとカップを取り上げて啜る。その目に浅からぬ記憶がよぎるのを、僕は見たような気がした。


やがてエドマンド翁はポツポツと語り出す。

「この国をまとめるのは、アルビナ嬢ちゃんの悲願じゃった。

 そのために嬢ちゃん自身の幸せも、夫の命すら捧げたのじゃからな。

 しかし、そうやってできたこの国は脆い。全てが嬢ちゃんの肩の上に、危ない天秤でのしかかっとる」


僕を見透かすように、老人の目がきつく上目づかいになる。


「坊ちゃん、それでも逆らいなさるか?

 それほどまでの危機だと、そうまでして霧を払わねばならぬと胸を張って言えますかな?」


問い詰める翁の言葉に、僕はそっと目を閉じる。


目蓋に焼き付いて離れない、黒騎士の中に見えたあの景色。焼け落ちる王都と蹂躙される人々、そして無惨に切り伏せられた母の姿。


断じてそれを現実にしてはならない。


目を開いたとき、言葉はすでに僕の口から出ていた。

「はい、そうであると断言できます」


翁が返したのはギラリとした笑み。

そこにはかつて〈平定戦争〉を戦い抜いた老将の、いまだ燃え尽きぬ野心すらうかがえた。


「前よりもぐっと男になりましたな坊ちゃん。

 ……よろしい、スォイゲルの諸王は儂が何とかして進ぜましょうぞ。残る問題は北と南ですな」


「北と南?」


僕の横で上がるカルネのつぶやきに、エドマンド翁はゆっくりとうなずく。

「さよう、外から来られた方にはわからんでしょうが、我が国はちと複雑でしてな。

 北のエル・アルバンは巨人たちの国、南のケルニュウは小人たちの国ですじゃ。どちらも我ら中人なかびとの言うことに易々と首を縦には振りませぬ」


「南については心配いらないのでは?」

そう暢気な声を上げたのは、気楽そうに手を振るジョンだ。

「だってほら、南と言えばレナルド様の故郷ですからね」


それを聞いたゴスリン親子が納得する姿を横目に、シンディとカルネが顔を見合わせる。


「レナルド、誰?」

初出の人名に首を傾げるカルネに、僕はそっと答えた。

「僕の父だ。レナルド・タリエシン・ライリー。僕が三歳の頃に戦火で死んだ」


「では、夫の命すら捧げたというのは……」

何かに合点がいった様子の、しかし重い表情をするシンディに、僕は無言で微笑みを返した。

そのこと《・・・・》について彼女が気に病む理由は何もない。


テーブルの向こうでは乗り気となったエドマンド翁を挟んで、アデルたちがどうするべきかを話し合っている。


「しかし縁者だからといって、ケルニュウがレイを好意的に迎えるかは」


「それについては心配には及ばんじゃろうて。

 今のケルニュウ王はレナルドの甥、坊ちゃんの従兄弟に当たる男じゃ。無碍むげには扱わんよ」


「エル・アルバンはどうしようかな。

 先の戦争のこともあるし、彼らにどうやって話を聞いてもらうか……」


と、やにわにシンディが立ちあがり、僕に向き直って頭を下げる。

「レイ様、私にお任せいただけないでしょうか」


その顔は柔和な笑みを忘れ、何か張りつめた決意のようなものをにじませている。


ここまでずっと静かだったシンディの動きに、アデル、ジョン、そしてカルネが何事かと彼女を見る。

ただ一人エドマンド翁だけは動じることなく「そうだのぉ」とヒゲを撫でた。


僕にはシンディの行動の理由も、なぜ急にそう言いだしたかもわかっていた。

わかっていたからこそ戸惑い、言葉につまる。


「レイ様、おわかりですよね? 私ならできます」


長身のシンディに見下ろされる形で、僕は彼女と瞳を交わす。

「それでいいの? シンディは」


「私はレイ様の付き人です。主の窮地に奮闘しないで何が付き人でしょうか」


確かにシンディなら可能性は充分にある。

だからといって、僕がそれを命じていいのだろうか。


一言を迷う僕の隣で、カルネがシンディの顔をのぞき込む。


「なんだかわかんないけど、想いが燃えてるよ。

 シンディ、何かを成したいんだね」

彼女は人の想いを知る女神。

シンディの想いを見ている、それが燃えていると言う。


もし僕がその想いに応えないなら、それはきっと彼女を傷つけてしまう。


信じよう、彼女ならやってくれる。

「わかったよシンディ、よろしく頼む」


「まっかせてください!

 必ずやエル・アルバンをレイ様の味方に引き入れてみせます!」

満面の笑みで拳を握るシンディ。


僕はかすかな咳払いにエドマンド翁を振り向く。

老獪ろうかいな領主は、僕に柔らかな目を向けて、ただひょいと肩をすくめてみせた。

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