Chapter2 ~星とリボンと山羊ヒゲと~
Chapter2 ①
スォイゲル王国レティヒェン領。
遙か昔には、ここはレティヒェン王国と呼ばれていた。
低湿地に築かれた城下町を中心に、なだらかな丘陵地帯を牧草地にして栄えたプリダイン内陸の小国だ。
この町は今、東西を結ぶ内陸街道の中継地として栄えている。
湿地はずいぶん埋め立てられたと聞くが、未だに多くの川が街を取り囲むように縦横に走っていた。
この川は下流で一本の大河になり、王都スィンダインの中央を流れ抜けて東の海へと注ぐ。
川を使った内陸輸送もまた、レティヒェンの繁栄を支える大事な要素だ。
前に読んだ歴史書を思いだしながら白っぽい夕陽と揺れる川面を眺めていると、アデルと馭者の会話が耳に漂ってくる。
「いや、姫さまほんにようお帰りになりました」
「もうよしてくれよ、姫様といわれるとくすぐったくてなぁ」
「ははははっ、そこも変わりませんなぁ」
二人は顔見知りだという。
その馭者はアデルを一目見るなりくたびれた帽子を取り、柔らかな礼をとった。顔を知られている以上に、彼女が領民に愛されている証拠だ。
「領主さまもお喜びになっでしょう。ここんところ土地が荒れて町は沈んどりますでなぁ」
「狼か?」
「森の主どもは大人しいもんですよ。ただほら、あの霧がカムリに来てからでさぁ、雨がようと降らんようになって川草が枯れるんですわ」
「それは良くないな。ケンテンの沼ヒツジには川草が欠かせんだろうに」
「そうでさぁ。若い衆はエル・アルバンまで行って山ヒツジもらって来よりますけど白くてデカいだけで、毛が固くて品が無いですわい。やっぱりレティヒェンのヒツジは沼ヒツジでないとなぁ」
「そうだな、その通りだ」
暮れなずむ日を背に受け、彼らの故郷話は続く。
夕前にこの馬車に乗り換えてから二時間ほどたつ。
朝から考えればもう半日以上馬車に揺られている計算だ。
僕の隣ではシンディとカルネが仲良く寝息を立てていた。
二人とも相手をクッションがわりに幸せそうな寝顔だ。
みんな疲れているのだろう。かく言う僕も、クッションなんてろくにない駅馬車を乗り継いできたのでお尻が痛い。
昼まで着ていたドレスのほうがフワフワで楽だったと一瞬考え、あわててその考えを打ち消した。
僕は男だ。それも成人だって二年も前に済ませたんだ。
せっかくカルネに頼み込んで乗馬用の半ズボンに戻してもらえたのに、なんだってドレスがいいなんて思うんだよ……
「そろそろでさぁ、そら、壁が見えてきましたで」
「懐かしの我が家だ。レイ、そろそろ二人を起こしてくれ」
アデルに言われてカルネたちを揺すりつつ、僕は行く手にそびえる城壁を見た。
ここからでもわかるきれいな円形。
川土手とつながる小規模だがしっかりした堤の上に、三本の塔を頂く堅牢な石壁がそそり立つ。
「あれがオクセンフォルド城」
〈雄牛の浅瀬〉の名の通り、沼地にコブのように盛り上がった丘を丸ごと城として使った実戦用の城砦。
過ぎし戦乱の日々にレティヒェンを守り通した名城。
そしてアデルの実家、レティヒェン領主ゴスリン家の居城だ。
***
僕らの到着は塔門を守る兵士たちによって城内に伝わり、ほどなく
僕らの馬車はその上をゆっくりと入場する。
正面にしっかりとした内門が現れたが、アデルが口笛を吹くや内側から静かに開き、ゆるい丘の上に立つ木造の館が正面に開けた。
『お帰りなさいまし、お嬢様』
「……なにこれ」
カルネを驚かせたのは車寄せに並んだ使用人の列。
下は洗濯女から上は家令に至るまで、文字通り総出でのお出迎えだ。ここではアデルこそが姫であり、歓迎されるべき人物なのだと実感できる。
館の玄関で馬車を降りた僕らに、若い男性が歩み寄る。
一目で使用人ではないとわかる粋な緋色の
肩から垂らした金鎖はピカピカに磨かれ、それより輝く真珠の歯が笑みに眩しい。
茶色の強いブロンドを洒落物らしく長く垂らした伊達男は、細い目を嬉しそうにたわませ、ごく自然な動きでアデルにかしずく。
そしてその手袋に
「おかえりアデル。急な事でびっくりしたよ」
「ジョン、留守を預かってくれて感謝する。が……その手を離せ」
微妙な表情で手を引こうとするアデルに、ジョンと呼ばれた青年は強すぎずしかし弱すぎない絶妙な力加減で抵抗する。
手袋越しに指先を滑らせ、明らかに彼女の肌を楽しんでいた。
「いいじゃないかアデル、僕と君の仲なんだ」
「どの仲か知らんな! ジョナサン・ウェルボーン子爵!」
とうとう顔を真っ赤にしたアデルが、無理やり青年から自分の手をもぎ取った。
「三年ぶりなのにつれないなぁ。と、そっちにいるのはシンディちゃんと……王子?」
「ウェルボーン子爵。お久しぶりです」
「我が王子、お帰りとは聞いていましたが……あ、これは失礼」
僕の礼に青年ことウェルボーン子爵、いやジョンは姿勢を正して返礼を交わした。
「知り合い?」とカルネが僕に聞く。
「うん、ジョナサン・イスペリル・ウェルボーン子爵。アデルと僕の友人だよ」
「友人だなんてとんでもない、ただの家臣、ですよ。ところでそっちのお嬢さんはどちらの?」
と言ってアデルとシンディを彼が示したのは、つまるところ「どっちの使用人?」ときいているわけだ。
仮装のせいで誤解されたが、もちろんカルネは使用人ではないので即座に手を振って訂正する。
「彼女は使用人じゃなくて、お客、というか僕の連れだよ。カル――」
「〈夢幻のカルネヴァル〉、カルネでいいよ。そ・れ・と・女神です」
僕をさえぎってカルネがジョンへと進み出し、使用人ふうの服を一瞬にしてラベンダーのドレスに転じさせた。
……それって、僕が着てた〈神衣〉じゃない?
ジョンはあっけにとられた様子でしばらくカルネを眺め、そしてアデルに振り向いてひと言。
「……手品?」
「違う、詳しくは後だ」
「そうか。うん、わかった」
それだけで立ち直るあたりがさすがジョン。
僕の知る女好きのジョナサンだ。
彼はカルネの鋭いかんばせに正面から微笑み、先ほどアデルにやったようにひざまずく。
「失礼しましたカルネさん。貴女のような可憐な方にとんだ非礼をして、どうぞお許し下さい」
そして手に接吻するが、ついでにドレスのカフスから伸びるカルネの白い手首に指を這わせ、そのままつつっとなで上げる。
「レイ君」
カルネか僕をジト目でふり返った。
「これってさ、もしかしなくてもセクハラじゃない?」
「セクハラが何か分からないけど、嫌なら拒んだ方がいいよ。僕が許す」
「仰せのままに……うりゃぁ!」
玄関を支える木組みのアーチ天井に、カルネのストレートキックの音がこだました。
***
「ははは、いやぁ参った参った」
カルネに蹴られた場所がまだ痛むのか、ジョンが脇腹をさすりながら笑う。
「当然の結果だ。この見境なしの色情魔め」
「ひどいなぁ恋多き青年と言ってくれよアデル」
といってアデルにすがりつこうとして、遠慮なしの肘鉄を食らって撃沈するジョン。
うん、まちがいなく本人だ。
「この人いつもこんな感じなわけ?」
呆れかえった様子のカルネに、シンディがそっと耳打ちする。
「私が王宮にいたころからこうでしたよ。スィンダイン三人の好色家の一人とか言われてましたからね」
「こんなのがあと二人いたのかよ、王宮とんでもねー」
僕らは館から少し離れた客人用の家に通されていた。
この城はどこもかしこも実用一辺倒で、こちらも飾り気が少ない木造の平屋建て。
ただ造りはしっかりしていて、木目の目立つ黄色い壁からは固い手応えが返ってくる。
舶来のケヤキ材だろうか。
「好きに使ってくれ、私は父に会ってから館に泊まる」
「ご婦人方、お腹が空いてたら、そこら辺の侍女をつかまえていいからね」
そう言い残して、アデルとジョンは連れだって出て行った。
それを見ていたカルネがふと疑問を僕にぶつけてきた。
「ここってアデルちゃんの実家だよね? アデルちゃんってゴスリンさんだけど、今のナンパ野郎はウェルボーン。いったいどいういうこと?」
「ジョンはここの客人、城主代理なんだ。
ウェルボーン家の領地はもっと東のカエル・ヴェハン、この国に着いた時に降りた港町がそうだよ。彼は次男坊だから土地は持ってないけど。
アデルが留守の間、彼がレティヒェン領の管理をしてるんだ」
「それでアデルちゃんは留守をどうこう言ってたのか……
あれ、アデルちゃんのお父さん生きてるんだよね。なんで別の人が管理してるわけ?」
「それはですね……」
ベッド周りを整え終わったシンディが僕らの会話に混じる。
「アデル様のお父様、エドマンド伯の調子が悪いからです。〈平定戦争〉で膝に受けた矢が原因で、ここ八年ほどは寝たり起きたりの生活をしてるとか」
「リアル〈膝に矢を受けてしまってな〉って事ね」
自分勝手に納得した様子で、カルネは部屋の隅の寝椅子に寝っ転がる。
「ボク今日こっちー。ベッドは二人でどうぞ」
どうしても座り寝に馴染めないのか、カルネは最近寝椅子を占領する事が多くなった。おかげで別の理由で寝椅子を好むアデルとぶつかる事も多い。
でも今日はアデルは館だし、カルネがいいなら僕は構わない。
「それじゃレイ様、こっちのベッドを二人で使いましょう。
もちろん遠慮なく襲っていただいて構わないって言うか、むしろこう旅疲れには適度な運動があふん!」
カルネの投げたクッションがシンディの後頭部を直撃する。
僕はそれに苦笑いしながら革縫いの狩猟ベストに手をかけた。
静かな夜はまだ当分先になりそうだ。
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