Chapter1 ②
この職についてもう四年、彼はこの仕事に誇りを持っていた。
彼の働く場は、スィンダイン王宮の
城の
木造だがとても
いったいどんだけつぎ込んでるのか。
まぁ、あの女王のたった一つの趣味だもんなぁ。
彼はそう思いながら、床を掃く手を休めて
主題は走る馬と吹き抜ける風。
職人の渾身の力作だろうその躍動感は、美術の素養のない彼にも素直に素晴らしいと思えた。
これは噂だが、これを彫った職人たちは女皇陛下から「出来が悪かったら文字通り首を切る」と脅されたんだとか。
「でも俺には、そんな怖い人とは思えないんだよなぁ。
馬の世話しか取り柄のない俺に、こんなにええ仕事を下さったしなぁ。それに馬に乗る時のあの優しそうなお顔……」
馬番である彼だからこそ知る女王の優しい微笑み。
故郷のどんな器量よしだってあの笑顔にはかなわない。一目見ればきっと誰だって恋せずにはいられないはずだ。
そう、例え相手が未亡人で身分違いだろうが、自分と歳の近い息子がいようが構わない。
「女王陛下、俺あんたが好きだぁ……」
こんな早朝だからこその独り言だ。聞く者は馬しかいない。
彼はこの仕事を愛していた。
と、馬房の影からひょこっと飛び出す褐色の顔を見つけて、彼の心臓は胸から飛び出しそうに跳ね回る。
「あわわっ、俺ぁ何も言ってねぇっす!
…………ってアデル様? ひょっとしてアデル様じゃねぇですか?」
よく見れば、それは彼のよく知った、そしてここ数年見ていない人物だった。
黒髪の騎士は彼を見てなぜか一瞬「しまった!」と顔を引きつらせたが、すぐに爽やかな笑顔を浮かべて彼に歩み寄ってくる。
「やあ、誰かと思えばお前か! 元気だったか? 今でも馬一筋なのか?」
「いやぁ俺ぁそれしか取り柄がないもんで。
あれ、アデル様がいるって事は、ひょっとして王
「あ、ああ、もちろんレイ王子も帰って来ているぞ」
「そっかぁ……」
彼が肩を落とす理由を、おそらくこの男勝りの近衛騎士は知らないだろう。
ここ最近女王は厩舎にほとんど姿を見せていない。一度だけ見かけたのは見かけたのだが、そのとき彼女はひどく悲しそうな様子だった。
彼は憤っていた、おそらくあのチビ王子が何かやらかしたに違いないのだ。
おのれガキめ、あの人を悲しませるような真似は俺がゆるさん……
そんな見当違いの怒りに震える彼の肩に、困惑気味のアデルの手が触れる。
「ちょ……っといいか?」
「えっ、あ。な、なんです?」
「こんな朝で済まないが、今からご婦人方を狩りにお連れしたいんだ。客人に貸せるような馬が二頭ほど必要なんだが」
ご婦人方ってあんたも女だろう、とは思ったが口に出す馬鹿をするわけでもなく、彼はアデルを厩舎の一角に案内した。
隣り合う馬房に、連戦葦毛の兄弟馬が並んでいる。
「こいつらなんかどうっすか?
犬といっしょでもビクついたりしない図太い兄弟でさぁ。あ、でも下りたら必ず繋がないと、こいつら勝手にここへ帰ってきちまうから」
「それは好都合な…………いや、なんでもない。すぐ出たいから鞍を付けてくれ」
彼は急かすアデルに多少不審な感じを覚える。しかしそれを追及するのは野暮かと一人納得すると、急いで二頭の馬に鞍を付けはじめた。
作業する彼の横でアデルがこっそりと人を呼んだ時も、彼はたいして気に留めなかった。
「終わったっ……うをぉぉっ?」
鞍を留め終わって向き直り、彼はしばし呆然と立ちつくした。
もちろん原因はアデルではない。
その横に並ぶ乗馬ローブを着た長身の貴婦人でも、はたまたその後ろにひかえるちんちくりんな銀髪の侍女でもない。
三人に囲まれて立つ少女に、彼は魂を射貫かれた。
髪は美しいストロベリーブロンド。
スカートの大きなラベンダー色のドレスを着て、大きく開いた襟ぐりには、肌寒い早朝の空気が堪えるのか厚手のショールを巻いている。
線の細い、パッチリと大きな目の乙女。
しかし何より彼の心を引きつけたのはその雰囲気だった。
スッと通った鼻筋、丸くも意志の強さを感じさせる頬骨、そしておとがいのナイフのような曲線の美しさ。
全てが焦がれて止まない女主人、最愛の国家元首によく似ている。
唯一違うのは小柄な背丈ぐらいだが、愛する人には自分より背が低くあってほしいという原初的願望が、彼をして男心をぐらつかせる。
「……おい……おい!」
稲妻のような出会いに浸る彼を、アデルが肩を叩いて現実に引き戻した。
「大丈夫か、なんだかぼーっとしていたようだが」
「ん、あ、いやなんでもないッすよ。えっと、このご婦人方は……」
「シンディのことはお前も知ってるだろう?
このレディはレイナ……そうレイナ・クラウシンハ嬢だ。低地諸国連合から我が国にいらした、女王陛下の遠縁に当たるお方だ」
「遠縁……っすか、はぁ」
すっかりレイナ嬢の可憐さに当てられてしまい、彼はアデルにも生返事を返すだけだ。
そんな彼の熱のこもった視線に恥ずかしくなったのか、レイナ嬢は顔を赤らめ口元をそっとショールで隠してしまう。
彼は今さらながらに自分の不作法に気づいたが、もう手遅れだ。
彼の目をそれとなく避けようとするレイナ嬢の様子に、彼は嫌われたのだと気づいてがっくりと肩を落とす。
そんな彼に構うことなく、アデルたちは馬の手綱を彼から受け取ると、そそくさと厩舎を出て行ってしまった。
どこかで午前最初の角笛が鳴る。
ハッと我に返った彼は、二三度頭をふると、ふたたび箒を手に厩舎の床を掃き始める。
いや、これでいい。
彼は思う。俺は一途なのだ、と。
***
まだ朝の終わりきらない時間。
王都スィンダインの外れに広がる農地の端。
寂れた貸し馬車屋の軒先で、アデルとシンディが大声で笑い合っている。
「一瞬バレたかと思ってヒヤヒヤしました」
「あの馬番、抜けてるようで目は確かだな。女王が田舎から大抜擢したのもうなずける話だ」
僕らが乗ってきた馬は、離してやると王宮へ向けてとぼとぼと引き上げていった。馬番からアデルが聞き出した通りだ。
王の紋を背負った馬を盗む命知らずもいないから、取りあえずは安心していいだろう。母の馬手を出したら、たとえそれが僕であっても命の保証はない。
それはともかく、ここまでこられた事で王城脱出の第一段階は達成だ。
寝室には毛布でこしらえた人形が残っている。
馬が帰り着くのが先か、人形がばれるのが先かはわからないが、どっちにしろここまで来られれば女王の手は届かない。
そして、もう後戻りもできない。〈邪神〉が〈黒い霧〉を動かす前に、なんとしても円卓の諸王を説得しなければならないのだから。
「レ・イ・ナちゃん。馬車の用意できたって」
「うわっ、何するんだよカルネっ」
いきなり背後から抱きついた侍女姿のカルネが、遠慮の欠片もなく僕の胸元に手を入れる。
「いいじゃん、こんなに胸元空いた服を着てるんだから、ちょっとぐらい触らせてくれたって」
「君はどこの酒場の親父なんだよっ。
だいたい変装するのだって、わざわざこんな服を着せなくたっていいじゃないか!」
僕はラベンダー色のドレスをひるがえして叫んだ。
ただでさえ大きすぎるスカートは動きにくのにズッシリと重く、危うく僕はそのまま転ぶところだった。
「しょーがないじゃん借りられる服もなかったし、それに荷物仕込めるのはそれぐらいだったんだよ」
「ともかく荷物だけでも外してよ。このままじゃ
「はいはーい、しょうがにゃいなぁ」
カルネが僕の前にしゃがんでスカートに手を当てる。
するとスカートを構成していた布の一部がひとりでに解け、そこから手荷物の袋が四つ一気にドサリと転げ落ちた。
「
まさかこんなところで役に立つとはねぇ、驚きだよ」
カルネの言葉でわかったかも知れないが、何を隠そうこのドレス、実はカルネの持つ〈神衣〉の一つだ。
その名も〈レディ・ドレス〉。
スカートの部分にいろんなものを忍ばせておける能力がある。
便利には違いないが、入れた物の大きさは無視できても、重さはごまかせないのが残念なところだ。
実際、王宮からここまで僕のウエストには四人分の荷物の重さがダイレクトにぶら下がっていた。
馬に横座りしている間、落ちそうになったのは一度や二度ではない。
「淑女はスカートの中に秘密を持つとは言うけどさ、なにもこんなに入らなくたっていいじゃないか」
「そこはほら、あくまでもボクの力の源泉は神話だし。
さる
「どこの女神だよそれ……」
そこへ待ちくたびれたのか、アデルとシンディが寄ってくる。
「馬車の準備は終わってるぞ……なんだ、結局荷物は手で運ぶことになったのか?」
「レイナちゃん限界だって、ホントなよっちいよね」
「だからレイナちゃんって呼ばないでよカルネ。
アデルも、シンディまで笑っちゃってさ」
レイナとは馬番をだますためにアデルがとっさに出した名前だ。
……言うまでもないと思うけど僕の名前はレイだし、ドレスを着ていても正真の男性だ。〈
「レイ様ごめんなさい。
でもそこまでバッチリ決まってると、もう、ほんとに女の子みたいで」
僕を指差して笑うシンディも、この女装に化粧係として一役買っていた。
その出来映えたるや、出発前に鏡を見た僕自身ですら、一瞬自分がわからなかったぐらいだ。あの馬番以外には、今に至るまで気づかれた感触はない。
「変装はもう充分じゃないか。そろそろ服を元に」
「いやいや、念には念を入れよう。レイにはもう少しその格好でいてもらう」
アデルはキッパリとそう言うが、肩が震えてるあたりその真意は怪しいところだ。
「好きにしてよ……」
僕は投げやりにそういってショールを口元に寄せる。
その仕草がまたツボにはまったらしく、カルネとシンディは肩を組んで大笑いしている。
「それはそうとアデル、今朝起きた時に行く当てがあるとか言ってたけど、もしかしてそれって?」
「ああ、やはりレイにはわかってしまうな」
ニヤリと笑うアデルの目つきで本格的に行く先の見当がついた。
ま、王都を西に走ってた時点で大方わかってはいたけれど。
「なら急ごうよアデル。
「そうだな、すぐに出よう」
そして僕らはアデルを先頭に貸し馬車屋へ引き返した。
目指す街はここから一山越えた先。
アデルにとって、そして僕にとっても縁の深い街だ。
こうして僕らの新たな旅は始まる。
祖国を巡る短く長い旅路。その果てに待つものを僕はまだ知らない。
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