Chapter1 ~女王とドレスと旅立ちと~

Chapter1 ①


実家に帰ってみたら自分の部屋がなくなっていた。


〈学校〉の生徒の間ではわりとポピュラーな話題の一つだ。

大御所の貴族や豪商ならともかく、軍学で身を立てようと単身出てきた平民学生ではありがちな話らしい。


まさか僕自身がこの話題を提供する立場になれるとは思ってなかったけど。


「いやぁ、ほんとに片付けられちゃってましたね、レイ様の部屋」

「チリ一つ残ってなかったな。さすがは女王陛下、抜かりないというか、思い切りがいいというか」

客用の寝室の隅で暖炉に火を入れながら苦笑いをするシンディに、アデルが寝椅子に突っ伏して呆れかえった相づちを打つ。


いや、ほんとに、冗談抜きで綺麗さっぱり片付けられていたのだから笑えない。

かつて僕のものだった寝室は、今やがらんどうのもぬけの殻。

客用の部屋が空いてなかったら、折角の里帰りで外泊する羽目になるところだった。


「マジでなんなのあのオバハン!

 ご馳走をふいにしてくれたりレイ君の部屋を勝手になくしたり、話聞こうともしないし、まるでレイ君を追っ払いたいみたいじゃん」


3つ並んだ座り寝ベッドの一つをだらしなく横向きに占領したカルネは、隣で腰かける僕に唇を尖らせる。


僕はさっきから彼女をなだめるのに必死だ。

「まぁそう言わないでよカルネ。母さん、いや女王陛下にも思うところがあるんだよ」


「おもーところって何よ?

 実家に帰ってきた息子を追っ払うどこに真っ当な理由があるっての」


「無いとは、言えんな」

そうつぶやいてクッションから顔を上げるアデル。

黄色い瞳で僕とカルネを順繰りに見つめ、彼女は軽く首を振る。

「カルネ、貴様も感づいていただろうが、レイの留学は実際のところ体の良い疎開の言い訳に過ぎん。〈黒い霧〉の正体が掴めなかった三年前、万が一のことがあっては拙いとレイを外国へ逃がしたんだ」


「それが何で突っぱねる理由になんのさ」


「要は女王陛下にとって、その時と状況は変わっていないということだ。

 我々の説明が、あるいは先に送った書簡が拙かったかも知れないが、ともかく女王陛下は我々の説明を真とは取っておらんのだろう」

 

「あれで!? ウソでしょぉ、あの状況で、あれ以上どう説明しろってんだよぉ……」

頭を抱えてしまうカルネの隣で、僕は昼の謁見を頭から思い返す。




王宮に到着した僕らは、30フィート四方の殺風景な石造りの謁見室に通された時点から、すでに不安を覚えていた。

そこは本来、地方領主や市民代表などと話し合うための部屋。

王族の、それも王子と女王の語らいをするには明らかに場違いだ。


アデルがしたためた書簡は事前に女王に届いてるはずなのに、この対応はいったい……


そう僕が思ったときに謁見室の扉が勢いよく開かれ、兵士二人に守られた女王が入ってきた。


齢三十八、全盛を過ぎたとはいえ未だ衰えぬ凛とした美貌も鋭く、金の王杓おうしゃくを床に打ち鳴らす音も固い。


僕を見るなり女王は、母は不機嫌を隠そうともせずに眉をひそめた。

「で、貴様はなんでここにいる。勉学が嫌で逃げ出してきたか?」


「いえ僕は……」


「レイ、礼をとれ」

後ろでかしずくアデルにうながされ、僕は胸に手を当て腰を落とす。


母は褐色肌の近衛騎士と、さらにその横にひかえる長身の侍女に目を留め、わずかに目元をゆるませた。

「アドレイド、それにシンシアも久しいな」


「ご健勝で何よりであります女王陛下。先に送った書簡については」

「目は通した」

「では……」


「アドレイド、いつから貴様は小説を書くようになったのだ?」

親しげな様子からのきつい皮肉に、アデルが息をつまらせるのを僕は聞いた。


「ふむ、確かに面白い話ではあったぞ。異界の神に銀の巨人、さらに我が国を狙う邪神と来れば、なるほど客受けはよいかもしれん。

 だが、そんな戯言を持って帰郷を許されようとは、アドレイドよ少し虫が良過ぎはしまいか?」

 

「しかし陛下これは」


その時、一人だけ礼もとらずに女王を睨んでいたカルネが口を挟む。

「まぁまぁアデルちゃん、こっから先はボクに任せてよ」


その不遜な様子に何を動じるでもなく、母は赤みの強い茶色の瞳をジロリとカルネに向ける。

「銀の髪に緑の目、貴様が書簡にあった異界の女神とやらか。

 ふん、ずいぶん貧相な子供だな」


「ひん…………はっ、オバハンに何言われたってボクは気にしないよ」

眉をひくつかせつつも開口一発ケンカを売るカルネに、女王の連れる兵士たちが気色ばむ。


が、女王は杓を鳴らしてそれを止めると、ニッと不敵に笑う。

口の端を吊り上げた笑いは、すなわち「面白い奴だ、殺すのは最後にしておいてやろう」という意思表示だ。

「元気な奴だな、気に入ったぞ。で、貴様は私に何を語ろうというのか」


「簡単な話さオバハン。アンタが夢物語だと思ってる話は真実で、アンタの国は危機に瀕してるって事を言いたいだけだよ」


「そうか。わかった下がれ」

「は……?」

平然と手を払う母に、完全に虚を突かれたカルネが固まる。


「下がれと言った。私は同じ話をするのも聞くのも嫌いだ」


「ちょ、てめえババァ!」

軽くあしらわれたことで頭に血が上ったのか、元から湯が沸く寸前のヤカン並に短気なカルネは手を突き出し、その掌に光を宿す。


母の鉄壁の眉間が震えたのを見て、僕はカルネ動作とその意味を理解した。

かつて僕にやったように自分の記憶を垣間見せたのだ。力を取り戻した彼女なら、今や触れずともそれぐらいはやってのけるだろう。


「どうよ」

得意げな顔になるカルネ。


女王はハッと顔を上げ、そして手を叩いて笑った。

「これは……面白い技だな、魔法か? 良かったら宮廷の道化師に教えてやってくれ、奴の軽業はもう見飽きたからな」


「ハァ!?」


効果は今ひとつ、いや皆無だったらしい。


「しかし女神を名乗るには今ひとつだな。芸名はもっと考えた方が良いぞ」


「ふっざけんなババァ! 今の見てまだ信じねぇのかよ!」


「信じる? 何をだ? 凝った幻影であったことは認めるが、所詮は夢物語に過ぎん。私は忙しい、これ以上何もないなら引き上げさせてもらうぞ」


「母上!」

踵を返す女王に、気づけば僕は身を乗り出していた。


母が何を頑なになっているのかはわからないが、ここまで来てこの仕打ちはあんまりだ。せめて話だけでも聞いてもらえないか。


しかし振り向いた母の顔は冷たく、まるで我が子を喰い殺しにかかる牝獅子のように殺気立っていた。


僕は声に詰まり、ただその顔を見あげるばかりだ。


「なんだレイ? 何か言いたいことでもあるのか?」


「僕は……」


「ん?」


「僕は……この国を……」

言葉がノドでつっかえる。

冷ややかすぎる母の瞳に、僕は自分の足場が崩れていくような錯覚さえ覚えた。

それでも言わなければならない。

そう自分を奮い立たせたところで、出たのは薄いうめきのような言葉が一つだけ。

「僕らはこの国を、貴女を救いたい。それだけでこの場に……」


「救う、だと?」

女王は目を見開いて僕を凝視し……渾身の笑い声を上げた。

その響きには親愛も可笑しみも感じられない。ただただ僕の滑稽さをあざ笑う咆吼だった。


そしてひとしきり笑い終えた女王は、さらに獰猛な顔で牙を剥くと、僕に向かって言葉の雷を投げ下ろした。


自惚うぬぼれるな小童こわっぱが!!」


後はご存じのとおり、僕らに為す術はなかった。




「いっそあの場で〈ヴンダーヴァッシェ〉だったか? 例の機装を女王陛下に見せてやれば良かったんだ」


僕が回想から顔を上げれば、アデルが投げやりな様子で寝椅子にひっくり返り、捨て鉢な声を上げる。


「無茶言わないでよアデルちゃん。あんなところでダヴを出せるわけないじゃん、部屋崩れちゃうよ。

 それに、ぶのもしまうのも結構力使うんだよね。いざという時のために少しでも温存したいし」

答えるカルネも完全に脱力し、今や子猫のようにクッションを手で弄んでいる始末。


薄暗い寝室に四人分のため息と、ジットリとした負け戦の空気が漂う。


「女王陛下への説得が失敗なら円卓も動かんだろうな。意気込んで帰ってきたのはいいが、このままでは時間を浪費するだけだぞ」


「円卓?」

アデルの独り言にカルネが耳をピンと立てる。

「連合王国の最高会議のことだよ。古くから使われてる円形のテーブルから、円卓って名前がついてるんだ」


僕の説明に無言の疑問符を生やしたカルネに、アデルが面倒そうに先を続ける。

「うちの国は結局のところ、いくつもの王国の寄り合い所帯だからな。

 女王の一存だけじゃ話はまとまらん。円卓に列席するのは選ばれた十二人の王と一人の戴冠王、その協議で国が動く、平たく言えば多数決だ。

 ま、戴冠王のご意向はけっこう強いんだが」


それを聞いてカルネは何かにピンと来たのか、ペンペンッと手を打ち合わせる。

「って事はさ、その十二人を説得できれば、いくらあのオバハンでも無視できないって事か」


「その通りだが……難しいし時間もかかるぞ。

 この国の四つの大州、スォイゲル、エル・アルバン、ケルニュウ、それにカムリ。それぞれの代表を説得するだけで、いったいどれほど時間が必要やら。

 それまで〈邪神〉が待ってくれる保証など無いのだろう?」


アデルの指摘にカルネが「そうなんだよねぇ」と力なく首を振る。


二人の会話を聞きながら、僕もまたその可能性を考えていた。

いくら母が強権を絵に描いたような人物といえど、その一存で国が回っているわけじゃない。悔しいけどあの母に太刀打ちできない現状、諸王を味方に付けるという手は唯一残された手段だと言っていい。


でも、それは下手すると母を説得するより難しい。

アデルの説明した四つの大州は、かつて〈平定戦争〉において対立し合った国でもある。

事実上の勝者であるスォイゲルは母のお膝元だし、片やエル・アルバンとカムリは敗者の側だ。僕が話し合いに行っても門前払いを食らいかねない。

唯一中立のケルニュウにしたって、縁も縁もない僕の話を聞いてくれるかどうか。


でも……

「それでも、道はそこにしかない」

僕のつぶやきに、カルネが横でニヤリと笑う。


アデルも「お前も言うようになったなぁ」と嘯くが、すぐに寝椅子の肘かけをコツコツと叩いて渋い顔になる。

「だがレイ、このままだと身動きは取れんぞ。

 王宮にいる間は見張られてるだろうし、うかうかしてると無理やり船に乗せられそうだ。説得するなら自由に動けないと話にならん」


「ならいっそ、逃げちゃうってのはどうですか?」


今まで暖炉わきの椅子に座って沈黙を守っていたシンディのひと言に、僕を含め全員の目が彼女に向けられる。


「どうせ女王陛下の手はこの城下ぐらいにしか回りませんし、こっそり抜け出しちゃえば半日はバレないでしょう?

 狩りに行くふりをすれば、少なくとも隣の領へ逃げるぐらいの時間はあるんじゃないでしょうか」

長身メイドは人なつっこい笑顔で、半ば冗談めかしてそう言う。


「いやさすがにそれは――」

「うん、それだシンディ!」

アデルが何か言おうとしていたのをさえぎって、僕はシンディに歩み寄って彼女の手を取る。


「えっ、ちょ、ちょっとレイ様いったい……」


「まさかレイ! お前本気でここを出るつもりか?」


あわてて僕の肩をつかむアデルに、僕は笑って答える。


「それしか手はないよアデル。

 僕らが本気で動かないとせっかく帰ってきた意味がない。やろう、僕らがここにいる理由を、母上に見せつけてやろう」


そのときベッドの上から乾いた拍手が上がる。

カルネがイタズラ顔で、でもその目に確かな信頼を灯して僕を見ていた。

「いいじゃん、ボクも賛成するよ!

 あの女王様のたっかいハナをへし折ってやろうじゃん!」


僕とシンディがカルネに笑顔で答える横で、アデルが深いため息をつく。

「どうなっても知らんぞ、お前ら」

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