巻之二 奪還、城砦都市
Beginning
「
女王の一喝は謁見室の石壁を震わせて轟いた。
実の息子であり、また王子でもある僕、レイ・アルプソークすらもその例外ではなかった。
「老いたとはいえ私は女王だ。例え我が子といえど、軽々に学業を投げ出すような半端者に心配される筋はないわ!
もうよい、貴様の痴れ言にこれ以上付き合う気もないぞ。早々に〈学校〉へ戻れ!」
一方的にそう宣告すると、女王アルビナ・アルプソークは赤絹の
そして憤懣をぶつけるように謁見室の扉を蹴り開けると、大仰な
兵士が扉を静かに閉めた後、残されたのは僕ら四人だけ。
「……ちょっと、なんなのあのババァ!」
その中でただ一人、終始エラそうに立っていた白いドレスの少女が、緑に燃える目を三角に吊り上げ、銀の長髪を振り乱して叫ぶ。
しかしその少女、いや、女神の下品な怒声を叱る者も、なだめる者も、ましてや笑う者すら誰一人としていない。
ただ重い沈黙の下りた部屋に、夕刻を告げる遠い角笛がこだました。
***
時は西方歴1659年五月三十日。
僕らは懐かしの故郷、イニス・プリダイン連合王国へ三年ぶりの帰郷を果たした。
それが楽しい里帰りでも歓待される旅でも、ましてや余裕のある日程ですらなかったのが悲しいところだ。
現実はほぼ間逆で、旅程は極限まで切り詰められ来訪は誰にも知られず、そして何よりその目的は、故国に危機を伝える事という差し迫ったものだった。
この春先に僕はちょっとした事件、いや全然ちょっとしてない事件を通して、〈
その紆余曲折の中で銀の巨人に乗ったり巨人同士の戦いを演じたり、二度も殺されかかったり一度など本当に死ぬ寸前まで行ったのだけれど、結果として自分の故郷の危機を知った。
僕が留学するために国を出た三年前から、危機はずっと僕の国を狙っていたという事実。〈黒い霧〉と機装という形で、カルネの宿敵である〈邪神〉はまだそこにいる。
それを知らせるべく、僕らは取るものも取りあえず故郷への帰途についた。
〈学校〉を発ったのは五月の初め。大荒れの海峡に少々足止めを食いはしたものの、僕らは〈
冒頭のとおり、見事に突っ返されたわけだ。
***
「あーりえねーし。せっかくはるばる戻ってきたさぁ、それも実の息子の話をまったく聞かないとか、いったいどーいう母親なわけ?」
カルネが口をソースまみれにしてぶつくさ言いながら、フォークを豪快にブッ刺したポークチョップを振りかざす。
見た目は十代半ばの少女なのに、仕草はもっと子供のそれを思わせる。
飛んできた茶色のしずくに顔をしかめながら、僕の従者であるアドレイド・ゴスリン、アデルは褐色の手でテーブルからナプキンの束をひったくるとカルネの顔めがけて投げつける。
「おぶっ……なにすんのさアデルちゃん!」
「宮内ではゴスリン女卿と呼んでもらおう。ともかく、そのベタベタな口を拭け、ついでに貴様の周りもだ。
あと今さらテーブルマナーを講釈しようなどとは思わんが、喋るか、食うか、どちらかにしろ」
銀の直髪と黒い縮れ毛。
この二人に関して対照的なのは髪だけじゃない。
由緒ある貴族として礼儀を重んじるアデルに対し、カルネは規則と聞けば破らずにはいられない、ある意味とても自由な性格をしている。
馬が合わないのは当たり前で、事実、二人が言い争うのは珍しい光景じゃない。
そんな二人の間に割り込み、カルネの口元へナプキンを持っていく空色メイド服の女性が一人。
「カルネさん、顔をこっちに向けてくださいな。ほら、拭いてさし上げますからね」
「ちょ、やめ、シンディくすぐったいって。そんなのレイ君にやったらいいじゃん」
「レイ様のマナーは完璧で付け入る隙がないんですよ。その点、カルネさんは隙だらけでお世話のし甲斐がありますね。ほら、ちょんちょんって」
「やーめーれー」
カルネを完全に子供あつかいして遊んでいるのは僕の付き人、シンディことシンシア・ウェルズリィ。
僕と歳は一つ違い、でもその背丈はテーブルを囲む誰よりも高い。
そして胸回りも誰より大きい。
「シンディ、そのへんにしといてやれ。それに……ここは宮中だぞ? そんな格好をしなくとも身分相応の、ローブなりドレスなりはなかったのか?」
「ま、アデル様はイケズを言うんですからね。
何度も言いますけど、これがレイ様にお仕えする私の勝負服なんです。だいたい服のことを言うならアデル様だって、いつも同じ軍服ばかりじゃないですか」
黒で揃えた水軍服をシンディに指摘され、アデルはそっぽを向いて顎を突き出す。
「この服は私の覚悟の表れなんだ。この身を国と水軍に捧げたという……」
「そんなこと言って、本当はお集めになった服を人前で着るのが恥ずかしいだけなのでしょう? もったいないですよぉ、あんなに可愛い服をいっぱい持ってるのに」
「へぇ、どんな服うぉへぶっ!」
「やめろシンディ! そこまでだ私が悪かった!」
栗色の癖毛を揺らして笑うシンディに対し平身低頭しつつ、不用意に首を突っ込んだカルネをテーブルに問答無用で叩き伏せるアデル。
すかさず反撃に出たカルネを巻き込み、今日も今日とて大騒ぎが始まった。
うん、にぎやかな食卓でいいね。
僕は一人微笑んで、切り分けたパサパサの豚肉を噛みしめた。
これで周りにもっと人がいたら嬉しいのだけど、残念なことに幅広の食卓を囲むのは僕ら四人だけだ。
部屋は申し分なく広くて豪華、軽く二十人は入れそうなだけに寂しさが際だつ。
ここは王宮の東、王族用離宮の食堂だ。
優雅なアーチ窓から夕日が差し込むこの時間は、正直夕食の時間にしては遅めと言っていいだろう。
大陸の北に位置するイニス・プリダイン島では、初夏ともなると夜中にさしかかるまで日が沈まない。時計は別の部屋のあるので正確な時間はわからないが、夜の八時を回ったあたりだろうか。
そんな時間に僕らだけで夕食を取る理由は二つ。
一つは単に用意が間に合わなかったから。そしてもう一つが、女王の命令で歓迎の集まりが禁止になったからだ。
あの謁見の後、いちおう滞在を許された僕らではあったが、女王陛下から貴族に対し、僕を歓待しないように命令が出されていることを知って皆がく然となった。
当て込んでいたご馳走を逃して、しばらくカルネが一暴れしていたが、ま、出てしまった命令は仕方がない。
ここは女王の宮。
イニス・プリダイン最高の権力者、戴冠王の本拠地なのだから。
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