Chapter3 ②
春なのに厚手の上着をはおったシンディが、咳もついでにアデルに訊ねた。
「ゴホッ、ケホッ……黒い騎士、ですか?」
「ああ、全身真っ黒だったよ。炭塗りでもあそこまで黒くならんだろう」
横広の
そして刀身にガッツリと欠けた部分を見つけ、渋い顔でそっと鞘に戻す。
「……研ぎ師ではなく鍛冶屋がいるな」
この部屋は貴族寮の談話室。
もっぱら貴族の子女が利用することもあり、調度品は品よくまとめられている。
飾り彫りがほどこされたオーク材のテーブルには夜食の焼き菓子とポットが並び、どちらも程よい加減で湯気を立てていた。
テーブルを中心に四方に置かれたソファには、アデル、シンディ、そしてカルネと僕が座っている。
他の住人がいないのは、そういう時間帯を選んだから。
事は身内の問題だ。うっかり聞かれても困る。
就寝間際になってようやく食欲が出てきたシンディを伴い、僕らは夕刻の一件を話し合いにここへ来た。
もう夜も更けたこの時間にもかかわらず、小間使いや料理人は待機している。
さすがは貴族寮、夜にお茶を楽しみたい人間もいれば、それに応える贅沢もある。。
『……ぶるじょわじー』
『カルネ何か言った?』
僕が顔を向けると、カルネは逆にふいっと背ける。
まただ。
黒騎士と会ってから口も聞いてくれないカルネだが、何を考えているのか、その心がモヤモヤとした違和感となって僕に伝わってくる。
「しかしまぁ……」
アデルが感心した面持ちでカルネに向く。
「レイ、正直見直したぞ。あれだけの手練れを相手に習剣で渡り合うとはな」
「まぐれだよ。幸運だっただけ」
僕に成り代わって肩をすくめるカルネに、アデルは首を振って答える。
「お前に謙遜は似合わん、もっと素直に受け取れ。
しかし能ある鷹は何とやらというが、お前にも〈あの家〉の血が流れていると知って私はとても嬉しいぞ。
リリィも鼻が高かろう」
サッと問いかけるような目を僕に向けるカルネに、僕は顔を伏せる。
『姉さんだ……もういない』
僕からそれだけ聞くと、カルネはさっさと顔を上げ適当な言葉を口にする。
「いや、まだ死んだ姉さんが誇れるような僕じゃない」
「死んだ? レイ、お前まさか――」
が、カルネの言葉が終わらないうちに怪訝そうにアデルが口を挟んだ。
「んくしゅっ!……あぁ、お砂糖がっ」
そして、それをシンディの可愛いくしゃみがさえぎった。
彼女の手元では、砂糖壺がカップに逆立ちしている。
もはや紅茶だかシロップだか分からないカップの中身を、豪快にクイッといくシンディ。
「おい、何をやってるんだシンディ……まさかそれを飲むのか?」
アデルが歯をのぞかせて鼻白んだ。
「しあわせぇ」
対して、飲み干したシンディはホクホク顔。
横を見ればカルネすら口を開けて呆れかえった様子だ。
かく言う僕も、我が付き人の弁護はできかねる。
見てるだけで胸焼けしそう。
「風邪には甘い物がききますからねぇ。やっと人心地つきました。
そうそう、黒い騎士の話でしたっけ?」
「あ……ああ、そうだな。その話をしていたんだったか」
「レイ様の命を狙うなんて、ずいぶん不届きな輩もいたものです。
この〈学校〉でコトに及ぼうなんて正気の沙汰とは思えません」
「その言葉、別の意味でお前に返してやろうかシンディ?」
頬をふくらませて怒るシンディに、彼女の日頃の行状、特に僕への行き過ぎたアプローチを知るアデルが嘆息する。
が、すぐに表情を硬くしてカルネを見た。
「でもシンディの言うとおりだ。
〈
その事の重大さを理解できないはずがない」
「へ?」
言葉の意味を飲み込めないふうのカルネに、アデルは褐色の手でいらだたしげにテーブルを打つ。
「レイ、お前も知っているだろう?
ここは学校であると同時に貴族の子女や軍属の集まる重要な外交の場だ。
そこで一国の王子が暗殺されたなら、最悪、戦争を覚悟せねばならん」
「そ、そうか。そうだよねアデル」
「そうだ。
特に我が国は〈
ここでお前が死んでみろ。跡継ぎのいなくなったスォイゲル、いやイニス・プリダイン全体を狙って諸国が動きだすのは目に見えている」
『〈平定戦争〉?』
小さな問いかけに薄い目を重ねてくるカルネに、僕は肩をすくめて説明した。
『僕の国、イニス・プリダイン連合王国の内戦だよ。
八年前に終わったんだけど、ひどい戦争でいっぱい死者が出たし、国もガタガタになっちゃった』
カルネは片眉を上げて「あらまぁ」と顔を作ったが、それに気づかないアデルはさらに言葉を続ける。
「しかし、だからこそ妙な話だ。
容易く戦争の引き金になるお前を何故わざわざ狙おうとする?
いま大陸はかつてないほど平和なんだぞ。
戦争なんて誰も得にもならんし、真っ先に叩かれるのは暗殺を仕掛けた側だ」
「……それはぁ、はむはむ、人間なら、ですね」
すぐりジャムのたっぷり入ったパイを酸っぱそうにほおばりながら、シンディがポツリと付け加えた。
聞きつけてふり返ったアデルに、彼女はあわてて手を振る。
「も、もちろん巨人や小人、他の亜人だって戦争をしたがってはない、と思います。 思いますけど、でもアデル様、ずっと気になっていたんですが……」
唇に付いたパイの欠片をチロリとなめ取ると、風邪ひきメイドは二人に思案顔をする。
「襲ってきた騎士って、ちっちゃいのに馬鹿力で、腕を刺されても痛がりもしないし血も出ない。
それってもう化け物じゃないですか」
そのメイドが何を言いたいのかよくわからないが、カルネもアデルも黙ってその先を促す。
シンディはカルネを、つまり僕を気づかっているらしい。
それとなく視線を投げると、ポツポツと先を続ける。
「そして黒いんですよね。
黒い化け物って聞くと……どうしても私は〈あの事変〉との関係が気になって」
「シンディもういい!」
〈あの事変〉という言葉が出た途端、アデルが大きな声でシンディをさえぎった。
「お前が言いたいことは理解した。
だが、あれはまだ続いている事柄、簡単に結論は出さない方がいい」
アデルの黄色の瞳がシンディをジリジリした鋭さで見つめ、メイドはそれ以上は何も言わず、上着の襟をクッと掴んで黙りこむ。
「ともかく今回は下手人を取り逃がした。
〈学校〉に申し立てようにも説得力のある証拠は何一つ無い。
再度襲ってこないとも限らんから、我々だけでレイの安全を確保せざるを得まい」
アデルが立ち上がり、シンディとカルネを交互に見やる。
「シンディ、あと二日で身体を治せ。
それまでは私がレイの側に付く。異存はないな?」
その有無を言わせぬ態度に、シンディはコクリとうなずき、カルネは「……ないけど」と返事をしたあと僕に曇った目を向ける。
どういう事になったの?
カルネが瞳でそう訴えかけてくるが、僕はそれをまっすぐ受け止められない。
できるなら説明したい。
しかし、これもまた僕の失われた記憶に関すること。
僕らの事情に深く入りすぎる問題だ。
心の準備にもう少し時間が欲しい。
連れだって談話室を出ながら、僕はそう思っていた。
すぐに僕は、自分がカルネに甘えすぎたと思い知る事になる。
それは翌朝のことだ……
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