Chapter3 黒い騎士は襲いかかる
Chapter3 ①
僕はレイ・アルプソーク。
五日ほど前、神さまを名乗る少女、カルネに身体を乗っ取られた。
このことはまだ人に話してないし、もちろん解決もしていない。
僕は自分の身体についていくだけの幽霊みたいな状態にある。
五日間についてのいちばん簡単な説明は、進展なしのひと言。
まだカルネと僕を結ぶ〈絆〉の正体はわからない。
日常生活については今のところ大丈夫。カルネは上手くやってくれている。
ここ数日で、彼女は僕ふうの話し方を完璧につかんだようだ。
普通の会話ならバレる心配はもうないだろう。
むしろ僕の方が複雑な気分になる。
周囲の人間が当たり前のようにカルネと話してるのを見るとね。
さて、いま僕らが何をしているかというと……
「ヒマだねぇ」
『そうだね』
ずばりヒマしていた。
時間は夕刻、場所は〈陸士学部〉の
練兵場というのは訓練のための広場のことだ。
〈陸士学部〉の練兵場は楕円形の造りになっていて、一面に砂がしかれた底の部分は、最も広いところで150ヤードもの幅がある。
ふちにぐるりと階段状の壁がとりまいているのは客席代わり。
全景は古代ロマヌスの
僕らは壁の最下段に座ってアデルの帰りを待っていた。
いつもの護衛役はシンディだけど、彼女は風邪をこじらせて今日は寝込んでいる。
「馬車見てくるからって、アデルちゃん遅くない?」
『そろそろ一時間ぐらいかな。うん、ちょっと遅いね』
学部の放課はお茶の時間と同じ午後三時。
だから夕暮れまで〈学部群〉に居残ることなんてめったにない。
なのに、僕らは人っ子一人いない練兵場で夕日を眺めている。
これにはれっきとした理由があった。
「しかしまぁ、馬車も交通事故を起こすんだね」
『〈こうつうじこ〉が何か知らないけど、ぶつかるのはよくある話だよ』
迎えの馬車が事故に巻き込まれたわけだ。
街から戻ってきた友達に聞いたところでは、数台の馬車が絡んで通りをふさいでしまったとのこと。
その中に運悪く、僕が契約していた貸し馬車が含まれていた。
代わりの馬車に手配がつかないとかで、僕らはもう二時間ほど足止めを食っていた。
でもまぁ、アデルがしびれを切らして馬車屋に突撃していったから大丈夫だ。
あと少し待てば一台ぐらいは来るだろう。
「ボクとしてはキミの馬車がレンタルだったってのが驚きだよ」
『自分の馬車を持ってる生徒なんて貴族でもあんまりいないよ。
僕の知ってる限り、ニカを含めて四人ぐらいだったと思う』
「お嬢のは自前かよ」
朝夕かならず見かける白い高級馬車を思い出したのか、カルネが背を丸めてげんなりした顔を見せる。
『
確か〈
ついでに言うと、その統治する国たる〈ライツェン魔導帝国〉も大国である。
僕の故郷であるスォイゲル王国、その属するイニス・プリダイン連合王国も、ニカの故郷と比べれば小国と言っていい。
「その小国の王子様がさ、なんで大国のお姫様にあんなに慕われてるわけ?」
カルネが不平たらしくぶちってくる。
学内にいる間ずっとニカに貼りつかれ、さすがにバテ気味の様子だ。
『ちょっとね。
彼女が入学するとき騒ぎがあって、その仲裁に入った縁で』
「騒ぎ? あのお嬢ちゃんが?
ちょっと騒ぎを起こすなんて想像つかないけど」
『もちろん彼女は巻き込まれた側だよ。
あの娘が進んで騒ぎを起こしたわけじゃない……』
「あら、そちらに座ってるのはレイさんですね、こんな所でどうしました?」
だしぬけに後ろからかけられる間延びした声。
僕らがふり返ると、そこにはヒルデ講師の姿があった。
いつもの野暮ったいローブ姿ではなく、胸元が大きく開いた袖無し
彼女は大きく切れ込んだスカートからサンダル履きの白い足を覗かせ、むちっとした腰を大きく振って階段を下りてくる。
そしてカルネに並ぶと、穏和な顔でメガネ越しに目を細めた。
「もしかしてレイさんも馬車待ちですか?
まぁまぁ、通りはまだ大騒ぎみたいですねぇ」
「こんにちはヒルデ講師。どうも――そのようですね」
礼を取って頭を下げるカルネの顔は、覗いてみればあに図らんや目を三角にして怒り調子だ。地獄の人食い鬼もかくやと言ったところか。
原因はヒルデ講師の服装、と胸だろう。
彼女のワンピースには流行の飾り紐が何本も走っていて、それが実は大きかった胸を上に前にとしっかり持ち上げている。
シンディほどではないにしても、なんというか形がいいというか、うん。
美乳?
「〈学校〉は街割りが古いままですから、馬車での回り道は大変でしょうね。
馬寄せの方なんか、帰れない生徒でまだ混雑していますよ」
「講師は、なんでこんな所に?」
「私は学部の仕事と見回りです。
あぁ、首席補佐なんて机仕事ばかりで嫌になってしまいます。
誰か代わってくれませんかねぇ」
ヒルデ講師は気だるげにそう言って自分の肩を揉む。
〈諜報学部〉は〈学校〉の監視役だ。
その首席補佐ともなれば、居残りの仕事も多いのだろう。
しかし、つくづく目のやり場に困る服装だ。
ヒルデ講師が身動きするたびに、二つのふくらみが重量感たっぷりに揺れて色香を放出し放題。
目がついついそちらへ寄っていってしまう。
『……どこ見てるわけ?』
カルネに心の声で咳払いをされて、僕は慌てて目を背けた。
『レイ君ムッツリスケベ』
理解できないまでも好意が微塵も感じられないカルネのつぶやき。
僕がどう返そうか迷っているうちに、ヒルデ講師が思い出したという感じで指を立てた。
「そういえば背の高い侍女の方がいつもご一緒でしたよね。
今日はどちらに?」
「彼女は風邪をこじらせてしまって、今は寮で休んでおります」
カルネの答えにヒルデ講師はうんうんと納得のうなずきを返す。
「春先の風邪は移りやすいそうですからね。レイさんもお気をつけになってください。それでは、あまり遅くならないように」
短いやり取りを終えて、ヒルデ講師はくるりと背を向けると階段に足をかけた。
そしてふっと、彼女は自然な動作でふり返って数瞬ほどカルネを見つめる。
その顔には普段の穏和さは欠片もない。
氷のように冷えた表情で素速く目を動かすと、カルネに気づくひまも与えずまた前を向く。そして何事もなかったように階段を上っていく。
講師が姿を消すまで、僕はその背中から目が離せなかった。
「どしたの?」
『いや、ヒルデ講師、カルネをふり返ったんだけど顔がすごく冷めてたから。
あれが〈諜報〉の次席なんだなって』
「ふーん、やっぱりキミ言うとおり、見かけによらないらしいね」
ヒルデ講師の消えた壁の頂上を見あげ、カルネが鼻を鳴らす。
僕は彼女より早く練兵場の砂地に視線を戻し――
絶句した。
***
『カルネッ!!』
「はい、うわっ!」
振り向いたカルネは迫る刃に素速く反応する。
まっすぐ首を横薙ぎにする太刀筋。黒い刃。そして無音の動き。
その全てに覚えがある。
剣の主は気配をまったく感じさせずに砂地に佇んでいた。
学生服を着た黒い覆面の少女。
階段を蹴って体勢を立て直したカルネが、泡を食って叫ぶ。
「ちょっとキミ誰ってかどういうつもり……わわっ!」
彼女の誰何に答えはない。
覆面の暗殺者は言葉の代わりに心臓めがけて剣を突きこんでくる。
それをかわして横っ飛びに砂地に飛び降り、続けざまの攻撃を避けつつ、カルネが僕に声を投げる。
「『レイ君離れちゃダメ!』うわっ! ひゃぁっ! ちょっとちょっとちょっと!」
あまり離れると負担がかかる。
それを思い出して僕は走り寄ろうとするけど、彼女に近づくのは容易ではない。
切れ目なく暗殺者から繰り出される剣をかわすカルネが早すぎるせいだ。
カルネは縦横無尽の剣筋を確実に見切り、どこか余裕すら感じさせる足運びで軽々と刃を回避する。
軽業師もビックリの動きに、それが僕の身体だとは信じられない気持ちだ。
『カルネ待って!』
「待ったら首! チョンパされますけど! それでもいいなら!」
『そんなこと言っても……』
ギリギリどうにかカルネの動きを追いながら、僕は別の手を必死に考える。
避けてばかりなのがまずい。受けられないカルネは動くしかない。
ということは何かしら剣を受けられるものがあればいい。
荷物にある僕の剣は? 階段壁の二段目にあるが遠すぎる。
上着を手に巻けば……いや、上着ごと腕をスッパリいかれるだけだ。
なら何か使えるものは落ちてないか。
ここは練兵場だ、忘れものの一本ぐらい……
あった!
『カルネっ、あれを使え!』
僕は砂地に半分埋もれた、ボロボロの布が巻かれた物体を指差す。
「それ? ちょいまち! ああもう面倒だっ!!」
横切りをかわしたカルネが、一瞬身を沈める。
と次の瞬間、足払いの要領で低い回し蹴りを放った。
彼女が狙ったのは暗殺者の足首ではなく、その手前の地面だ。
革靴のつま先が地面をかすめ、ただそれだけで敷き詰められた砂がパッとはぜ飛ぶ。
それを目くらましにして、彼女はすかざずつま先で僕の示したそれを跳ね上げた。
くるくると回りながら落下するそれを、カルネはひょいと掴み取り、サッと確かめて眉をひそめた。
「木刀?」
『
「なあるほど、ちょっとは使えそうだ。ね!」
土煙を押して突っ込んできた黒い刃先を、カルネは習剣の背でこともなげに払ってみせた。気負いのない動作だがその衝撃は鋭い。
暗殺者は剣もろともはね飛ばされて砂地を転がる。
彼女が手にした習剣からバラバラと砕けた木が剥がれ落ちる。
小さな振れ幅だったにもかかわらず、そこに凄まじい力が加わったとしか思えない。
「力まかせにやってるわけじゃないよ。よーはタイミングだね」
『タイミングって――カルネ、いやに戦い慣れしてない?』
すっかり木肌が削がれてしまった鉄棒で肩をトントン鳴らしつつ、カルネがにへらっと笑った。
「言ったよね、次に来たときが賊の最期って。ボクは素手だって相手を殺せるよ。
ダテに三千年も戦い続けてきたわけじゃないんだ」
『三千年?』
「あ、にゃははは……ま、それはそれとして」
頬をかくと、カルネは地面に突っ伏した暗殺者に向き直った。
「そこのキミ、まだやるの?
見逃すとは言わないけど、こっちだって殺す気はないよ?」
声をかけられた覆面の少女はコキリと肩を回すと、立ち上がってカルネに正対する。そして覆面の下から、底冷えする視線を向けた。
「……だ」
覆面の下から漏れたのは、小柄な外見に相応の細くて高い声。
「!!」
カルネのにやけた笑いが凍り付くのを見て、僕は覆面の少女に目を戻す。
さっきまでと変わった感じは……いや、少しだけど何か違う。
少女の輪郭がはっきりとしない。
まるでカゲロウをまとっているみたいに、かすかに揺らめいている。
『カルネ?』
僕の問いかけに、カルネは薄く首を振る。
「何かおかしいよ、この娘何か……」
そのとき覆面の下から押し殺したため息が流れ、さらにひと言、今度は妙に歪んだ声が発せられた。
「お前は、誰だ?」
続く現象に、僕は思わず自分の目を疑う。
暗殺者を取り巻くカゲロウが濃度を増し、不透明の黒いもやとなる。
全身を黒く覆ったそれは、一瞬で吹き散らされた。
そこにいたのは、もう制服の少女ではない。
黒い鎧をまとった騎士。
体格は少女と変わらないが、その全身を覆うのは一切のツヤがない、驚くほど真っ黒な鎧だ。
かろうじて判別できるのは炎を象った意匠。
それが鎧全体にうねり、不気味さと威圧感を強く感じさせる。
覆面の代わりに顔を覆った
「まさか〈
黒い騎士の異様さに目をそらした先で、カルネが無表情に、そして忌々しげにつぶやいた。
『あれを知ってるの?』
「『ちょっと黙っててレイ君』こいつを殺し終わったら話すから」
穏やかならざる宣言と共に、カルネが歯をむき出して笑った。
いや、嗤ったと言った方がいいだろう。
黒い騎士を見るカルネの顔は、相手に負けず劣らず異様な輝きをたたえている。
突然、まるで毬栗でも飲み込んだような、痛みを伴った激しい不快感がカルネから伝わる。これは憎しみ。腹を焼く強い憎しみ。
「おぉぉぉぉっ!」
動いたのはカルネが早かった。
彼女は雄叫びを上げ、砂地がへこむほど強く踏み込むと、習剣の切っ先をまっすぐ黒騎士の喉元めがけて打ち込む。
常人なら間違いなく必殺であろう切っ先。
だが黒騎士は。先ほどの意趣返しとばかりにサーベルの一振りではじき返した。
曲芸めいた動きで着地しながら、カルネは目を剥いて吠え猛った。
「他人の身体でなければッ!」
『落ちついてカルネ!』
「うるさいっ!!」
頭に血が上ったカルネに僕が黙らされるそばから、黒騎士が踏み込んでくる。
サーベルの切っ先がヘビのようにしなり、僕の眼前を滑ってカルネの首筋を狙う。
鉄棒でカルネが受けるが、刃は火花を散らして棒にめり込んだ。
黒騎士の剣は振り払われたが、カルネの鉄棒には深い溝がはっきりと残る。
黒騎士の剣筋も、剣自体の鋭さも先刻より増していた。このままでは単なる鉄の棒など数回と持たない。
しかしカルネは構うことなく、折れかけの棒で黒騎士に殴りかかった。
なぜかは知らないが、カルネは我を忘れている。
めったやたらに剣を振り回すその姿は、駄々をおこした子供と大差ない。
一方の黒騎士は冷静に的確な防御を見せている。
剣の背で鉄棒を弾き、着実に相手の武器の寿命を奪っていく。
『カルネこのままじゃ……あっ』
まさに僕が声を上げたその時、習剣の芯は酷使に悲鳴を上げ真ん中から折れ飛んだ。
「しまっ……!」
武器を失ったカルネを瞬時に組み敷く黒騎士。
彼女に馬乗りになり、サーベルを振り上げる。
「去ね〈
低くつぶやく黒騎士。
しかし突然、細長い何かがその腕鎧に突き刺さって鋭い音を奏でる。
黒騎士の右腕を貫通したそれ。
青光りする鋼の刀身に空色の柄飾り。
見間違いようもない僕のサーベル。
「ぅらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」
そして、雄叫びと共に、黒騎士に背後から彼女が斬りかかる。
黒い縮れ毛をタテガミのようになびかせ、黒衣の女軍人が全身を使った斬撃を黒騎士の首元に打ち込む。
火花が咲き、固い音が響く。
並の鎧なら割り砕かれていただろう
しかし衝撃は別の話だ。
黒騎士は左に叩き飛ばされて大地に転がる。
「うちの若旦那に何してくれんだ!! あぁぁ!?」
すかさず黒騎士のバイザーに剣の柄を叩き込み、啖呵を切ってその腕の付け根を踏み押さえるアデル。
僕のサーベルを引き抜くと、それをカルネに向けて放った。
放り投げられたサーベルをキャッチしつつ、カルネが素速く立ち上がる。
「アデル気をつけて、そいつはタダの人間じゃないよ」
「中身が
余裕の言葉から一転、アデルは黒騎士に足首を掴まれそうになる。
とっさに鎧の肘に刃を叩き付けて辛くも逃れたが、右足を引きずる姿が黒騎士の力の強さを物語っている。
「まだ動けるのかアレは!?……レイ、お前の言うことが正しそうだな。
だが二対一、相手が人外とて遅れは取らん!」
自らを鼓舞するように大声を上げるアデルの横に、サーベルを低く構えたカルネが付く。
少しは頭が冷えたのか、銀髪の少女は無言でひゅぅ、と息を吐く。
そして油断なく、黒騎士に合わせて構えを変える。
黒騎士は二人に首を巡らせ、地面にそっと手の平を付ける。
「
歪んだ面頬の下から声が揺らめき出るなり、間髪入れずに足下の砂が沸き立った。
地面が文字通り沸騰し、砂煙となって噴き上がる。
「魔法を使うか卑怯者めっ、ゲホッ!」
湧き上がる砂煙にアデルが吠えるが、小麦粉ほどにも細かくなった砂を吸ってたちまちむせ返る。
カルネは砂霧の奥を見通すように目を細めたあと、悔しげに短くつぶやく。
「逃げたか」
立ちつくす僕らの前で、砂煙が風に吹き散らされていく。
いくつかの溝と大きなへこみを残した練兵場の砂地。
そこに黒騎士の姿はもうない。
「何だあの化け物は……
……それよりレイ怪我はないか!? どこか痛むところは?」
我に返ったアデルに両肩を掴まれ、カルネは疲れた様子で首を振るだけだ。
二人を後ろに僕は地面に残った跡を見下ろし、そして周囲の階段壁を見あげる。
飛び上がったわけでもない、壁を駆け上がったとも思えない。
黒騎士は唐突に消え失せた。
『どうやって逃げたのカルネ』
僕の問いに答えはない。
感じられたのは、鉛のように冷えて鈍った彼女の心だけだった。
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