Chapter2 ③


――ちょっと話そう。


そうカルネが言ってきたのは、講義が後半戦、歴史的軍学になってすぐのことだ。


白髪混じりの老講師が生徒も見ないでフガフガ喋っているのを見てチャンスと思ったのか。ま、確かにその通りだけど。


情報交換が必要なのを痛感しているのは僕も同じだ。

僕は講師の話に頬杖をつくのをやめて、カルネの方を向いて座り直す。

『何を話す?』


『もちろんこの状況と、どうにかするための算段に決まってんじゃん』


カルネは手を行き来させて、入れ替わりの状態を示してみせる。

机に半分隠れているとはいえ、それでも彼女のジェスチャーを怪しむ者はいない。老講師が無頓着なのをいいことに、退屈した生徒たちはめいめい明後日の方を向いていたからだ。


ちなみにニカもいない。

彼女は別科目を取っているので部屋を移っていた。


人目を気にしなくていい状況に、カルネは大きく手を動かして説明する。


『んで、昨日もちょっと話したと思うけど、キミとボクとの間には何かの〈絆〉が存在してる。

それがなんだかハッキリすれば、ボクらはスパッと元通り、赤の他人に戻れるわけだ』


『具体的にはどうやって? 鏡なしの自画像とか言ってたけど』


『うん、ボク自身からのアプローチは難しいから、代わりにキミの過去について、特に変な体験をしてたら教えてほしいんだ』


『変な、体験……?』


『そうだよ、〈絆〉になるぐらい強力な〈神衣しんい〉に取り憑かれるなんて、ちょっとやそっとで起こる事じゃないから――』


『ちょっと、ちょっと待って。その〈神衣〉って?』

ベラベラと早口のカルネを止め、初めて聞く単語について質問する。

カルネはしまったと口に手を当てて考えこむと、ややあってノートのすみに羽ペンを滑らせた。


〈神衣 すなわち 神の衣服〉


ペンを置くと、カルネはいくぶんペースを落として話を再開する。

『えーとね、この〈神衣〉ってのはボクの力、それが結晶化したもの。

 それが服の形をしてるんだよ』


『なるほど、だから〈神衣〉か……』


『ともかく、その〈神衣〉っていうのは、本来ボクの一部なんだ。

 だから当然ボク自身と強く結びつく性質を持ってる。

 でもボクから切り離された〈神衣〉は長く生きられないから、完全に眠ってしまうか、人間に取り憑いて生き残ろうとする』


カルネが指で円を描き、そこから自分自身と僕に線をのばした。


『だからキミには、昨日の時点でなにかの〈神衣〉がすでに取り憑いていて、それがボクの本体に接触したせいで、〈絆〉としてお互いを結んでしまった。

 とすると、この状況をにパーフェクトに説明できるんだ』


『僕の過去が知りたいというのは……

 その〈神衣〉に取り憑かれた時のことを知りたいから?』


空中の輪を僕が引き寄せると、彼女は嬉しそうに笑う。


『そのとおりだよ。

 〈神衣〉は取り憑く相手に絶対に名乗るし、力のある〈神衣〉ほど姿も特徴的なんだ。

 名前と特徴さえつかめたら、簡単に正体を当ててみせるよ』


『そう、なんだ』


『そうなんですよぉ。

 だからさ、ほら、ちゃちゃっと思い出せません?

 ヘンな出来事とか、ピカピカ輝くヘンテコな服を見た、とかさ』


カルネが両手を「こっちへ来い」のジェスチャーでピコピコと動かす。


急かしてる、それも期待を込めて。

それはひしひしと伝わってくるし、もちろん応えてえてあげたい。

あげたいが……


『ごめん、特に思い当たらないんだけど』


『――――ま、ですよねぇ』


あきらめた言葉とは裏腹に、カルネはとても落胆した様子で肩を落とす。


『…………ここまで話して何もピンと来てないあたり、きっとおぼえてないんだろうなー、とは思ってたけど』


おぼえてない、というカルネの言葉が、なぜか心の中でチリチリと反響する。


申し訳なくなって頭を下げる僕に、彼女は「気にしないで」と首を振った。

『キミの人生だって十何年もあったんだし、しょうがないよ。

 …………ところでさ、キミいくつなの? 見たところ十四くらいだけど』


『十七だよ。

 数えで十七歳だ』


一瞬固まって、そしてパチクリまばたきをしてから、カルネは冗談でも聞いたようにカラカラと笑い、自分の頭をポンポン叩く。


『じゅうなな? ホントにこの背で? それウソだぁあはははははっ』


えっと、この場合、カルネの身体が僕の身体なわけで……

つまるところ、それは5フィート2インチ(156センチ)という僕の身長が、年齢に対して不釣り合いに低いという指摘なわけだ。


うん、ちょっとむかっ腹が立ちますね貧乳のカルネさん?


『うわわっ!

 待って、待ってって、心の中で激怒するのやめてすっごくチクチクする!

 ごめんって、そんなつもりじゃないから謝るから!』


『君の胸回りと同じで、好きで身体小さいわけじゃないからね』


『はいぃぃっ、だから心の中でナイチチとかまな板とか連呼ダメェ――っ!』


手がすり抜けるから諦めていた反撃が、心の状態でできると知ってちょっと安心。

でもまぁ、いつまでも怒ってたって仕方がないか。

成人した大人のすることでもないし。


『そうそう、落ちついて……って成人!?』


『故郷のイニス・プリダインでは十五が成人。

 〈学校〉があるここらへん、ロマヌス連合共和国でもたしか十六が成人だったはずだよ』


『ずいぶん早いんだねぇ』


『〈西方大陸エウロペイア〉ではどこも同じぐらいだと思うけど……

 〈機装世界クライティ・ヴェルト〉では違うの?』


『〈機装世界〉の成人は二十一歳。ボクにはもう遠い昔のことだよ』


『えっ? 神さまにも成人があるの?』


『んあっ! そ、それはちょっとその……ひ・み・つ』

相変わらず下手極まる、むしろわざとやってそうなごまかし笑いを浮かべて、カルネはプルプルと首を振る。


ときどき思うんだけど、この娘って本当に神さまなの?

妙に人間くさいというか、正直、僕の持つ〈神〉のイメージとはかけ離れ過ぎてる。

正真正銘の神とはいえない、とか言ってたような気もするし……


『ともかくレイ君。話を戻そう!』

カルネが無理やり僕の考えを目の前に引き戻す。


『キミが〈神衣〉についておぼえてないということは、出会うのが早すぎたか、あるいは強烈な記憶のカゲになってる可能性がある。

 赤ん坊の頃だったとか、人生の大きなイベントの最中だったとか』


『うん』


『赤ん坊の頃については、まわりの人間に聞くしかないから後に回すとして……

 人生の転機みたいな思い出、キミにはない?』


『人生の転機……?』


問われた僕の頭で、さっきからチリチリと反響していた「おぼえてない」という言葉が大きく木霊しはじめる。


ふっと一つの影が見える。

大きな黒い壁、いや、これは波?

全てをはっきりとは思い出せない。

欠け落ちた記憶の向こうで何かが光った気がしたが、そこへ近寄ろうとするほど誰かが僕を押し止める。


思い出してはならず。これは、未だその時を得ざり。


『……レイ君、レイ君?』

ハッと顔を上げると、カルネが片眉をツイと上げて僕をじっと見ていた。


『ああ、ごめんカルネ。ちょっと考え事をしてた』


『そうなの? で、何かあった?』


『うん……

 実は、僕にはどうしても思い出せないことがあるんだ。

 それが間違いなく人生の転機、だと思うんだけど、僕自身にはその時について何一つ記憶がないんだ』


『キミ自身に記憶がないなら、そっちも他の人に聞けばいいのかな?』


『いや、それは……僕しか見てない、僕しか残ってないんだ……

 カルネ、これはちょっと込み入った話なんだ。だから』

今は何も聞かないでほしい……

そんなの勝手な願いだ。


おそらく『ぐだぐだ言わんと、とっとと話せやー!』と怒鳴られるだろう。

そのぐらいは覚悟するし、それで済むとも思ってない。


しかし予想に反して、彼女は肩をすくめるとやんわりと微笑んだ。

『うん……話したくなったらでいいから。ボクは急かさないよ』


カルネの心が、昨日の夜に続いて感触となって伝わる。

不安と冷たく研ぎ澄まされた焦り。しかしそれとは別に、暖かい、強いて言えば思いやりのようなものが混じっている。


僕は確かに感じたそれに、カルネの心遣いに応えなくてはいけない。


『近いうちにきっと話す、約束するよ。僕も思い出せるよう努力するし……』


僕の言葉を、カルネが人差し指を振って止めた。

『あせらない。

 人間が記憶を閉ざすのは、そこに思い出したくない何かがある時なんだ。

 無理にこじ開けたりしちゃいけないよ。

 時間は……かかっていいのさ』


彼女は仕切り直しに小さく手を打つと「この話はおしまい」と切り上げる。

が、たちまちニヤリと口を曲げ、羽根ペンの先でトントンとノートを打った。


『さて、それは置いておくとしてさ、キミには他にも教えてもらいたいことがドッサリ山ほどあるんですよねぇ』


『な、何?』


『昨日からこっち〈精霊〉とか〈魔法〉とか、正直お手上げなんだよねぇ。

 だもんで、異世界から来たボクにちょちょっと集中講義お願いできません?』


『今?』


『まさに今』


『僕も詳しくないんで、それはまた今度ということには――』


『できません。

 オラ、知ってる範囲で構わねぇから。

 ぐだぐだ言わんと、とっとと話せやー!』


結局怒鳴られた。

それで済んだのだから、まぁいいけど。



 ***



「――――うん、じゃまとめるよ。

 〈精霊〉が、自然の力を操れる生き物。

 で、〈魔法〉ってのはそれを説得して力を貸してもらう技術。

 これでいい?」


『おおむね合格。

 詳しく言えば、〈精霊〉は生き物じゃないけど、もういいや』


僕の返答に、カルネはため息をつくとベッドの背もたれにドサッと背中を預けた。


「やっと合格かよぉ。あーもうダメ、もう理解の限界だわ」


ここは僕の寝室。

時間は夜遅く。


うす暗いランプが照らすベッドの上で、ナイトガウンを着たカルネと僕は、並んで座っていた。

二人の間には何冊かの本が転がり、うち一冊はページが開いたまま。六種類、赤、青、灰、緑、黄、そして白の精霊が円を描いて踊る、幻想的な挿絵が美しい。


僕が本国からもってきた幼児向けの図鑑だ。

ページごとに大きく色鮮やかな絵があって、見ているだけでも楽しくなる。


思い入れがあるため手元に置いていたが、さすがに文字が読める歳になってからは開くのも恥ずかしく、ずっと長持チェストの底にしまいっぱなしになっていた。


それがこんなところで役に立つとは、予想だにしなかったよ。


「キミが絵本持っててほんとーに助かったよ。

 こんな奇妙な世界に出くわすなんて、思ってもみなかったし。

 もうクッタクタぁ」


『こっちも疲れたよ。言葉だと限界があるし』


丸々半日を費やしても終わらなかったカルネへの講義は、この本のおかげでなんとか徹夜の補講を免れた。

言葉で伝わらないことも、絵があれば何とかなるもんだ。


「巨人に小人、精霊に魔法。

 ここはどこかしら、おとぎの国?」

絵図鑑のページを適当にめくりながら、冗談半分にカルネが歌う。


「これでも一千を越える〈世界〉を渡ってきたけどさぁ、ここまでブッ飛んだ世界にはそうそうお目にかかれるもんじゃないよ。

 名前付けるとしたら、ボクなら迷わず〈幻想世界ファンタズィア・ヴェルト〉って付けるね。うん」


『カルネが次の〈世界〉に行ったら、そう呼んでいいんじゃないかな。

 土産話にもってこいだよ、きっとね』


この会話に違和感を感じないのは、僕もそれなりにカルネの話に馴染んだ証拠。

というのも、彼女は〈世界〉を渡り歩く旅行者なのだという。本人申告だけど、今まで一千を越える世界を旅してきたんだとか。

もちろん全てカルネから聞いた話で、事の真偽はわからない。


「次の〈世界〉か……行けたらねー」

投げやりにそう言って、カルネは本を床に放り出すと、毛布を胸元まで引き寄せた。


目下のところ、彼女は〈世界〉を渡る力さえも失っているんだとか。

当分はこの世界に足止めなのだという。


なんでそんな事になっているのかと訊ねたところ、彼女は恥ずかしそうに頬を真っ赤に染めて、ひと言「足を滑らせた」と答えた。

この世界に入るときに目測を誤り、壁にぶち当たった拍子に手持ちの力を全てばらまいてしまったらしい。

その壁ってなんなの? とか、力ってばらまけるものなの? とかいろいろと疑問は残っているが、それ以上は聞かないでくれとばかりに涙目になられては、僕は追及を取り下げるしかなかった。


まあ、根ほり葉ほり訊いたところでどうなるわけでもない。

彼女にだって聞かれたくないことがあるはずだ。そこにズケズケ入りこんでいく度胸もないし、それが趣味ならもっとあるはずがない。


「あ、一つ疑問、いいかな?」

ランプを消そうと手を伸ばしていたカルネが、ふいっとこちらを見て手を上げる。


「朝にお嬢が見える・・・とか強調してたけど、あれも魔法に関係した話?」


カルネはニカのことをお嬢と呼ぶと決めたらしい。

理由は「髪型がドリル」だからだそうだ。

どういう意味? ドリルって。


ともかく僕は部屋を見回し、間もなく探すものを天井に見つけた。

手まねでカルネにランプを消すように指示すると、僕は天井の一角を示す。


油明かりが消されると部屋は真っ暗に……ならなかった。

僕が指差す天板のすき間から淡い光が漏れている。

ほんのり緑色なのはおそらく天井裏にコケでも生えているせいだろうが、とりあえずそれは放っておこう。


『〈精霊光せいれいこう〉っていう精霊が発する光なんだけど、カルネにも見えるよね』


「うん」


『あれは普通の人には見えない。

 精霊の姿が見える人、魔導師の素質がある人にだけ見えるんだよ』


「じゃ、ボクにその素質があるって事?」

ガバッと身を起こしたカルネに、僕は残念ながらと手を振った。


『たぶんそうじゃないと思う。

 カルネに精霊が見えるのは、きっと僕の目を通してものを見てるからだ』


「ってことはキミに素質があるわけか」


『うん、そうだね。

 ちなみに素質にも強弱やムラがあって、感じ方は人によって違うんだ』


目をパチパチさせて不思議そうにするカルネに、僕は素質のランクについて簡単に説明する。

精霊の姿がはっきりと見え、さらに言葉を交わせるなら最上位。

そこから見えるだけ、聞こえるだけとランクが下がっていき、最後は気配だけしか感じられない最下位だ。


『僕は姿が見える・・・だけで、声は聞こえ・・・ない。

 ランクは上から二ランク下の〈小導師マイナーウィッツ〉だね』


僕の説明で、カルネはようやく合点がいったようだ。

「あ、それがお嬢の言ってたのか……

 ついでに聞くけど、お嬢の素質ってどうなの?」


『彼女は見えない・・・・けど聞こえる・・・・

 だからランクは僕より一つ下だけど、一国に二人いるかどうかの高い素質だよ』


「ちょい待ち、今なんて言った?」


『ニカの素質が僕より一つ下?』


「そのあとさ、一国に何人だって?」


『二人、いるかどうか』


「それってめっちゃレアじゃん! てことはそれより一つ上のキミの素質ってさ」


眼をキラキラさせ、興奮気味に手をブンブン振るカルネ。

期待する彼女の視線に僕は少しばつの悪さを感じた。


『素質だけなら一時代に三人いるかどうか、だろうね。

 でも僕は魔法を使えないよ』


「なんで使えないの、素質はあるんでしょ?」


『それだけじゃ魔法は使えない。小さい頃から勉強と訓練、それが欠かせないんだ。

 でも僕は家の都合があって禁止されてる』


「家って、レイ君は王子だから……王家の都合?」


『スォイゲル王国のね。

 〈王は不思議の意味を持つべからず、その力で王たるを示すべし〉

 簡単に言えば、魔法は精霊の力を借りるから王様らしくない、ということ』


「なんだもったいない。

 せっかく素質があるのに使えないなんて」


小さい頃は僕もカルネが言ったように思っていた。

特に故郷の精霊祭の時など、群れ集まった色とりどりの精霊たちが見えるだけに歯がゆさもひとしおだった。

居ても立ってもおれず街に飛び出して、朝まで精霊と遊び回ったあげく母と姉にこっぴどくしかられたものだ。


『でもいいんだ。僕に必要とされているのは魔法じゃない。

 僕がそう分かってるから、それでいいんだよ』


「……ははーん」

カルネが何かが解ったふうに目を細める。


とだしぬけに、電光石火の早業で彼女は僕の頬にキスをした。といってこっちが幻だったので、あくまでもキスの振りだけだったが。


『か、カルネ?』


心なしか暖かくなった気がする頬にポカンとする僕に、彼女が口の端で微笑んだ。


「講義のお礼だよ。

 あと、あんまり良い子ちゃんしないほーがいいよ。

 じゃおやすみー」


彼女は肩をすくめて毛布にもぐりこ……めずに、さらにひと言。


「ベッド、あと少し伸ばせない? 魔法とかでぽーんって」


『無理』


「ですよねぇ」


どうやら彼女も子供時代の僕と同じらしい。

それをなぜだか嬉しく思いながら、僕はそっと目を閉じる。


サウィン祭、魔法、絵図鑑、座り寝が嫌い。

なんだか今日はやたらと昔を思い出す。


閉じた目の裏に、忘れていたいろんなものが浮かんでくる。

なのに、何であの記憶だけ戻らないんだろうか……

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