Chapter2 女神は王子を知る
Chapter2 ①
ベル持ちの子供が元気に走り回る様子が、天井からも床からも伝わってくる。
ドタドタ、パタパタ……寮の時報係たちだ。
もう、起床の時間?
でも、もうちょっとだけ……
目を閉じて腕をキュッと組むと、シャツのガサついた木綿がくすぐったい。
いつものガウンじゃない……そう片付けで疲れてたんだったな。
寮に帰りついてすぐ、着替えもしないでベッドに潜り込んだような気がするし。
片付けって、何の片付けだっけ? 誰かといっしょにやったような。
カルネとか言ってたっけ、たしか神さまだったか……
……神さま?
僕は目を開ける。
朝焼けの赤と夜明け空の青が出窓で混ざりあい、寝室を薄い紫に染めていた。
横を見れば、側机に置かれた銀の水差しと、泡の浮いた切り子のグラス。
黒い
全て昨日と同じなのに、そこになぜだかほっとした気分になる。
ベッドの背もたれにゆったりと身を預け、寝ぼけまなこで服を確かめる。
やはりガウンではなく制服だったか。あとでシンディに怒られそうだ。
何気なく髪を触ると、一本に結ったお下げが指に触れる。
日に透かせば、紫に映える濃いストロベリーブロンド。
見なれた、でもちょっと他では見ない僕の髪の色。
さて、もうじき起こしに来るかな。
こわばった両腕を広げてベッドいっぱいに伸ば――――そして気づいた。
僕、なんでベッドの左端で寝てるの?
右に視線をずらしていくと毛布にできた変な山に目が止まる。
かなり大きい。しかも何やらモゾモゾと動いている。
けして広いとは言えないこの
足を投げ出す幅しかないマットレスを、それがあらかた占領している。
そういえば小さな頃、僕はベッドに
いつも背もたれを無視して毛布に潜り込んでいたのが懐かしい。
なぜ急にそれを思い出したかというと、やはりこの毛布の山のせいだ。
そのサイズ、ちょうど僕ぐらい小柄な人間が、ヒザを抱えて横になったくらいなんだけど。
次第に毛布のモゾモゾが大きくなっていく。
好奇心から僕がそっと手を伸ばそうとした、その瞬間。
毛織り毛布が勢いよくはねのけられ、その下から涼しくも怒れる声が飛んだ。
「んっがぁー!……狭いっ、狭すぎる!」
なぜか男子の制服を着て、これまたなぜか僕の寝室にいた見も知らぬ少女は、絹糸のような銀の長髪をブワッと逆立て勢いよくまくし立てる。
「ちょっとキミ、いつもこんなので寝てるわけ!?
足伸ばしたらはみ出すし、枕もないし毛布も短いし! こんなベッドで疲れが取れるわけないじゃん!」
灰色の上着に赤いチェック柄の乗馬ズボン。そして〈軍師学科〉の白い
よく見ても、間違いなく男子の服。
しかも結構泥だらけだ。シーツにも毛布にも土の粉がパラパラ落ちてる。
大粒のエメラルドを思わせる瞳で僕を不満げににらむ少女。
その鋭い顔にどことなく見覚えを感じるが、寝ぼけた頭の底に沈んでいるのか思い出す所まで行かない。
聞いた方が早いか。
『誰だっけ、君?』
僕に問われ、少女はハタと手を打った。
「あ、そっかそっか。寝ている間にやったから気づくわけないか。
ボクだよ、カルネだよ」
『カルネ…………ああ、思い出した。確かに口調が一緒だ』
「また口調で判断するんですね!?」
と言われたところで他に判断材料が、いや、あるといえばあるか。
目の前の少女の顔が、ハッキリしてきた昨日の記憶と重なる。
水晶棺に浮かんでいた少女と同じ顔。カルネがあれを自分の身体と言っていたなら、当然これが本来の姿なのだろう。
しかし……
『この身体いったいどうしたの、もしかして僕から出られた?』
そんな僕の推測を、すぐにカルネは手を振って否定する。
「いやいや、まだだよ。これは寝てる間にキミの認識に施した小細工」
と、カルネは背もたれのクッションを何気なく取り上げると、それをひょいと僕に放った。
反射的に受け止めようとした僕の手は、クッションをすり抜けた。
というよりはクッションが僕の身体をすり抜けた。
綿詰めのクッションは僕の身体を無視して背もたれにはね返り、床に落ちてポフンと控えめな音を立てる。
何が起きたのかわからず固まる僕に、すかさずカルネが手振りを交えて説明する。
「いつまでも感覚を共有してるとキミの頭がおかしくなっちゃうから、キミにしか見えない〈幻の身体〉を用意したんだ。
ついでにキミ自身がキミから見えるのも不気味だろうから、こっちはボクの姿に見えるようにしてみたんだけど。どう?」
ポフンパフンとたいへん控えめな胸を触りつつ「上手くいってる?」とカルネが小首をかしげる。
僕が一応うなずくと、彼女はさらに
「まわりの人にはボクがキミとして見える。キミは誰からも見えない。
もちろん声も一緒だよ」
と付け加えた。
なんとか無理くり状況を飲み込み、僕が彼女に首肯したその直後。
「レイ起きてるか? 起きてるだろう、入るからな」
寝室のドアを誰かがノックするや、はつらつとした女性の声がドア越しに投げ込まれる。
そして有無を言わさぬ断定から流れるように間髪入れず、ドアはバタンと開かれた。
このわりあいせっかちな女性、目立つ褐色肌に縮れた黒髪がよく似合うこの女性は、僕のよく知る人物だ。
服装は今日も朝から暑そうな黒の水軍(海軍)服。
まばらに勲章がついた赤い帯を肩から掛けているのも、やはりいつもの事だ。
尖ったきつい目元と情に厚そうな大きな唇が対照的だが、不思議にバランスが取れている。ほぼ美人といってもいいだろう。
『誰?』
カルネが唇を動かすことなく僕に質問する。
昨日と同じく、僕にだけ話すときは声を出す必要はないらしい。
『彼女は僕の護衛でアドレイド・ゴスリン。
僕はアデルって呼んでるけど――』
と、僕の説明も終わらぬまま、アデルは細い眉をツイッと曲げ、眉根にビシッと深くシワを寄せた。
「レイその服装……それはなんの真似だ?」
不機嫌な顔でカルネに……あ、そっちが僕に見えてるんだった、ともかくカルネに詰め寄り、アデルは白いおでこに人差し指を突きつける。
「泥だらけの服で寝るなどと、ガキではあるまいし少しは自分の身分を考えろ! 演習で疲れたは言い訳にはならんぞ。
それにそのシーツ、シンディにどやされても知らんからな」
あげくにしかつめらしく腕組みをし、アデルは深いため息をつく。
カルネが引きつり顔でちらっと僕を見たので、首を振って答えた。
『アデルは礼儀とかマナーとか、いろいろキツいんだよ。特に僕にはね』
カルネは「先に言ってよ」と顔で示してうなだれ、肩をすくめてみせた。
僕だってそうしたかったのは山々なんだけどね。
「とにかく、シンディに頼んで湯浴みと着替えを用意させておくぞ。
私は歩兵学科の早朝訓練があるからな、先に出るぞ」
呆れた様子でアデルが踵を返す。
その向こうで、こんどは別の女性がドアから入ってくる。
空色の
メイドの服を着たその女性は、一見してそれと判るほど背が高かった。
アデルでも僕より8インチも高いのに、それを楽に上回っている。
「シンディか、いま呼ぼうと――」
「外で聞いてましたアデル様。
レイ様、おはようございます。
お湯と着替えはすぐに用意させますから、ちょっと待っててくださいね」
軽く転がるような声でアデルをさえぎり、長身メイドはカルネにクスクスと笑いかけた。
『……デカっ!』
驚きとなぜか敵意をにじませ、カルネが絶句する。
背が高い人が苦手なんだろうか? まあいい、ともかく紹介しないと。
『彼女は僕の付き人のシンディ、シンシア・ウェルズリィ。
見てのとおり背が高いんだよ、噂では6フィートはあるって』
『いやいやいや、そっちじゃないし』
僕にしか見えない(ようにあって欲しいほど)吊り上げた口に、真っ白で整った歯(というかあからさまに牙)をむき出しにして、カルネは笑顔で近づいてくるメイドに三白眼(を通り越してほぼ白目)を向ける。
視線の着弾地点を確かめると、僕はすぐに彼女の敵意を、その理解した。
そういえば、昨日も胸の大きさ云々で怒ってたよね。
『ははは……うん、大きいよね、シンディのバスト』
茶色のフワフワした巻き毛が魅力的で、子猫みたいに幼い顔のシンディ。
その少女然とした顔の直下に、それとは全く似つかわしくないモノが二つ鎮座している。
ゆったりしたカートルでも、首もとまであるエプロンでも隠しきれない大きなモノ。
嗚呼、輝かしきはそのバストか。
〈諜報学部〉の生徒によれば推定44インチ(112センチ)。
誰が付けたか〈44インチ連装砲ちゃん〉という称号……もといあだ名まで彼女は持っている。
『おのれ巨乳族め、貴殿の首は柱に吊されるのがお似合いだぁ――――っ!!』
カルネは心の声で轟々と意味不明の雄叫びを上げる。
指一本、毛の一筋すら動かさないあたり、錯乱しているように見えて理性は残っているのか。……あるいは単に、怒りを僕にぶつけているだけか。
ともかく外から見れば、カルネはシンディを見つめているに過ぎない。
当のシンディは素知らぬ顔で……訂正しよう、視線に気づくなり頬を赤らめ、クネクネと身をよじって喜びだした。
……ああ、始まったよ。
「ああぁ、ついにレイ様もその気になられたのですね、ご所望なら今夜にでも……いやんですよぉ、そんなにじっと見つめられると恥ずかしくってあふん!」
直後、メイドの額を襲ったのはアデルのシンプルかつ無駄のない手刀だった。
「恥ずかしいのはお前の頭の方だシンディ。
おかしなたわむれはやめて、その邪魔な図体をさっさとどけてくれ。
……あとな、いくら寝起きとはいえレイもだぞ。破廉恥な不作法はよせ」
シンディを押しのけて寝室から出て行くアデル。
廊下へ出た彼女の背中にチロリと舌を見せてから、シンディもそのあとに続く。
パタンと扉が閉まるなり、カルネは野獣めいた憤怒の形相を崩した。
しかし今度は、軽い疑いの混じった目でジロリとこちらを見る。
「キミ、いやレイ君、一つ質問いい?」
『うん?』
「護衛役に付き人って、それに身分を考えろって……キミって何者?
もしかして貴族とかだったりする?」
『はぁ……あ、そうだね』
少し呆然とした後、はたと気がついた。僕は彼女に正式な自己紹介をしていない。
『ごめんね、正式な名乗りを忘れてたよ』
僕は背筋を伸ばし、彼女から聞いた言葉を一字一句確認する。
相手の事を間違えるのは最大級の失礼だからね。
そして目の前の、自称女神の少女に向けて、深々と一礼した。
『改めて挨拶いたします、〈
〈全ての衣装と神話を司る者〉夢幻のカルネヴァル様。
僕は北方の島国、〈イニス・プリダイン連合王国〉はスォイゲル王国、
女王アルビナの息子レイ。
またの名をイニス・プリダイン王子、
スィンダインのレイ・スィッズ・アルプソークと申します』
「…………はい?」
カルネが真冬の湖よろしく真っ白に凍りつく。
例え抜きで氷の彫像になっているのだから、それが心持ちを表しているにしても、見てて面白い。
それからたっぷり十秒ほどの間をあけて、彼女はひと言、うわごとのようにつぶやいた。
「王子?」
『うん』
返す僕に、おもむろにプルプルと頭を振ってぎこちなく笑い、さらにひと言。
「自称?」
『ううん』
僕の否定に、カルネはとうとうベッドに崩れ落ちる。
そのままピクリとも動かない。
僕、なにか悪い事でも言ったかな?
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