恐怖のトンネル・2



 悠々夏は、暗いトンネルの中を歩いていた。


 車1台分通るのがやっとの、細いトンネルである。

 大分古びてはいるが、規則正しく並ぶ煉瓦の外壁が美しい。天井には、その機能を失った照明灯が備え付けられている。錆びていて、とても古いものに見える。

 出口の方を見ると、赤い光が漏れている。赤い光に誘われる様に進んで行くと、じゃりっと、足に何かが当たった。拾い上げてみると、それは、黄色い腕時計だった。カジュアルな印象のこの腕時計は、子供用の物に見える。


 夢は、そこで覚めた。





 カーテンから朝日が差し込む部屋で、悠々夏は汗びっしょりで目覚めた。


 これはヤバい。


 悠々夏には、なんとなく分かった。これは普通の夢ではない。上半身を起こすと、右手で何かを握っていた。黄色い腕時計だった。朝から、血の気が引いた。ただでさえ低血圧なのに、足の先から血液が全部流れ出てしまった気がした。


 ガーネットに相談しよう。鞄に黄色い腕時計を突っ込み、玄関を出た。


「いってきます」



 べちゃ。頭に、真っ白な鳥ふんが直撃。




「ぎゃあああああああ」




「ゆゆ、どうした?」

 娘の悲鳴を聞いた俊作が飛び出してきた。


「鳥ふんが落ちた~」

 悠々夏は半泣きでそう言い、家の中に舞い戻ると、一気に制服を脱ぎ捨てシャワーを浴びた。



 

 鳥ふんのせいで、家を出るのが大分遅れてしまった。

 小走りで急ぎながら学校に向かっていると、突然飛び出して来た地面のマンホールの蓋に躓き、間一髪のところで落ちずには済んだが、危うく今度は下水まみれになりそうになった。


 あぶねぇ……、


 マンホールの穴の横でうずくまっていると、次の瞬間、気配を感じた。

 悠々夏は、考えるよりも先に身体が動いていた。後ろにさっと跳躍すると、目の前に鳥ふんが勢いよく落下してきた。

 

 ふっ、2度は同じ手は食わないわよ。


 そのまま、悠々夏は後ろにあった排水溝に背中から勢いよく突っ込んだ。

 なんて今日はツイてる日なの。






「おい、更埴、遅行ギリギリだぞ」

「すみませぇん」


 教室に着いた頃には、朝礼が始まろうとしていた。

 普通に登校してきただけなのに、悠々夏はジャングルを身ひとつで切り抜けてきたような様相になっていた。席に着くと、そのまま机にへたれこんだ。


 あかん、これは完全に憑いてる。





「悠々夏、どうした?」

 1限目の授業が終わると、奈知が心配そうに話しかけてきた。


「あ、ううん、朝から色々あってさ。鳥ふん落とされたり」

「マジ? それは災難。ってかさ」


 奈知は悠々夏の机の前でしゃがんで、机にへたり込んでぐったりしている悠々夏と視線を合わせた。


「あの日から、何かおかしくない? 」


 奈知の真剣な眼差しに、悠々夏は思わず視線を逸らした。

 奈知は、その小さなショートカットの頭の上に妖怪アンテナがついているんじゃないかと思うくらい鋭い。



 あの日、とは、あの日だ。

 奈知にとっては、わたしが横山君にフラれた日であり、わたしにとっては、初めてガーネット・パレスに行ったあの日である。


 ふと、奈知に相談しようかと思った。

 しかし、本当の事を話したら、奈知は間違いなくガーネット・パレスに殴り込みに行くだろう。一見クールだけど、その内側にはとても熱いものを秘めている。奈知は地球のような女子だ。冷静だけど、噴火もする。本気になってくれる。やはり、奈知には迷惑かけられない。


「ううん、なんでもないよ」


 悠々夏はそう言って笑った。

 奈知は眉毛を下げて、ため息をついた。

 






 奈知に危害が及んではダメだと思い、この日悠々夏は1人で下校した。


 そのまま、ガーネット・パレスに直行する。

 鞄を頭の上に乗せながら、恐る恐る街中を歩いた。周りからは変な女子高生に思われたに違いない。でも大丈夫だ。外から見れば、女子高生なんてみんな変な生き物だ。きっと。



 いつものビルに入り、階段を降りる。


 と、その時。 


「ぎゃあ」


 階段で足を滑らし、そのまま占い部屋にスライディングする形で登場した。


「なにやってんだい」

 ガーネットは、珍しく水晶の前で緑色のローブを被り、座っていた。いつもは裏でテレビを見ているのに。

 悠々夏は立ち上がり、尻についた埃を払うと、鞄から黄色い腕時計を取り出し、ガーネットに差し出した。


「うん、なんだいこれは」

 受け取る前に、ガーネットはその物の異様さに気付いたようだった。


「げっ、あんた、これをどこで手に入れたんだい」

「どこって、たぶん夢の中……」


 夢の中――自分で言っておかしいと思ったが、そうとしか考えられないのだから仕方ない。


「夢の中って、あんた、昨日のアレだろ、トンネルで若者が幽霊見たっていうやつ」

「たぶん……」


 ガーネットは腰に手を当てて、注文したのと違った物が届いてしまった時の様な困った顔をした。


「チカラがあるってのも、困りもんだねぇ」

「チカラ?」

「まぁ、いいわ。これはね、私達にとってはなんの値打ちもないものなんだよ。幽霊は畑違い、昨日もそう言ったでしょ」

「はぁ」


 ガーネットの言っていることは、わかるようで、わからなかった。


「あんたは、昨日のお客さんから悪霊をもらっちゃったの。すぐに本職の人を呼ぶから、待ってなさい」

「本職の人?」

「偉いお坊さんよ」





 占い部屋でスマホのゲームをしながら待っていると、外から何やら音楽が聞こえてきた。

 リズミカルな低音と、軽快なギターのカッティングの音が聞こえる。カーテンを開いて現れたのは、ドレッドヘアーにサングラス、焼けた小麦色の肌の男性。手に持っているのは、悠々夏が初めて見た、年代ものっぽいラジカセである。やたらデカくて、重そうだ。こんな派手ななりをしているが、歳はけっこういってそうである。


「ヤーマン」

 ドレッドはそう言って白い歯を見せた。悠々夏は暫く圧倒されていて動けなかったが、気を取り直し、営業モードに入った。


「ガーネット・パレスへようこそ」

「可愛いピチピチギャルじゃの。良い娘雇ったじゃねぇか、ガーネットよ」

「ピ、ピチピチ?」


 ドレッドが顔を近づけてきたので、悠々夏はのけぞった。その時、後ろの控室にいたガーネットが出て来た。


「わざわざご足労かけてすみません、住職」

「いやいや、若い女性を除霊できるとあっちゃ、喜んで飛んでくるよ」


 その住職と呼ばれた老人はピースサインをした。


「じゅ、住職? お坊さん? この人が」

「もう、この人なんて失礼でしょ。こう見えても偉い人なんだから」

「大丈夫じゃよ、それにしても可愛い娘さんじゃわい。良く似ておるな」

「似てる? 誰に?」


 チッ、とガーネットが舌うちをして住職を睨んだ。

 住職は慌てたように言った。


「に、西内まりやちゃんじゃよ、ははは」

「えーホントに? そんな、似てないって」


 そう言う悠々夏はまんざらでもない様子でとても嬉しそうに頬に手をあてている。


「さてと、じゃあ始めるかの」

 そう言うと、住職はドレッドのウイッグを取り、その立派な坊主頭をあらわにした。そして長い数珠を取り出し、右手を悠々夏の頭の上にかざした。


 なんだろう、頭の上が熱く感じる。


 悠々夏は、このお坊さんが何の宗派であるかということは分からなかった。でも、こんな不思議な感覚は初めてだった。住職はお経を唱え、悠々夏は目を閉じた。






 暗いトンネルが見える。

 わたしはそのトンネルの中にいる。トンネルの中で、老人のうめき声のような音が聞こえる。

 トンネルの出口は、白い光で満たされている。

 ふと、目の前に、人影が見えた。暗いので、よくは見えない。その影は、光の方へ歩きだした。わたしは、そのまま立ち止まり、その影を見送った。







 住職の声で、悠々夏は目を開いた。なんだか身体が軽くなった気がする。たぶん、このドレッド住職が除霊してくれたのだろう。


「ありがとうございました」

 そう言って悠々夏は頭を下げた。


「いいんじゃよ。お礼はデート1回分で」

 住職は二カっと笑った。

「お、お茶するくらいなら」

「うちの若い子にちょっかい出すんじゃないよ、エロ住職」

「ガーネットは相変わらずじゃの、怖い怖い」


 そう言って、またドレッドのウイッグを被った。


「じゃあこれはうちで預かるよ」

 住職は、黄色い腕時計を懐にしまった。そして、ラジカセのスイッチを押した。心地よい裏打ちのリズムが流れ始めた。


「悠々夏ちゃんまたね、バイビー」


 そう言って住職は拳を握って見せた。

 住職は身体でリズムを刻みながら、占い館から出ていった。レゲエの音も遠くなり、そして、原付が走り去る音が聞こえた。



「あの住職さんは、お知り合いなんですか?」

「まぁね、古い仲よ」


 類は友を呼ぶ、と言うが、本当なのかもしれない。

 ガーネットにドレッド住職、2人とも胡散臭過ぎる。しかし、不思議な事に、実力は本物のようだ。それに、あの住職にしたって、あからさまな高級車に乗っているお坊さんよりかは、幾分か好感が持てる。気がする。

 今度お茶くらいはしてあげよう、そう思った。


「ガーネットさん、助けてもらって、ありがとうございました」

 悠々夏は深く頭を下げた。


「礼なんていいのよ、仕事上の事なんだから。まぁ、次にああいったお客さん来たら気を付けさない」

「はぁい、わかりました」


 その日は、仕事をせずにガーネット・パレスを後にした。






 落ち着いて考えると、すごい体験だったな。と、今になって胸がドキドキしてきた。悠々夏はいつものように、菜々子の病室にいた。


「お母さん、今日はすごい体験しちゃったんだよ」


 病室でたっぷりと話し、家に帰った。






 しかし、玄関に入る直前で、それは起こった。



 べちゃ。



 頭に何か、降ってきた。

 悠々夏が恐る恐る頭を触ると、白くて暖かいものがべっとりとついていた。




「とりふん……、ぎゃああああああああああああ」



「ど、どうした?」


 娘の叫び声を聞いて、おたまを持ったまま飛び出して来た俊作。








 トンネルの幽霊が最後に残して言った置き土産、とでも言うのだろうか。

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