第3話 恐怖のトンネル



 その日は、雨だった。

 横から吹き付けてくる風雨は傘の死角をつくように悠々夏の身体を濡らした。ローブの下の制服のシャツが湿っていて、ひんやりする。今日はもう帰りたかった。

 ここの経営者は、それほどブラックではないので、お客が来る来ないに関わらず、19時頃になると帰してくれる。早く時間にならないかなと、ずるずると鼻水をすすりながらボーっと水晶の前に座っていた。



 外から聞こえる、車が濡れたアスファルトの上を通る音。人の話し声。なんとなく聞いていると、1つの足音がこちらへ近づいて来るのが聞こえた。その音は不意に数秒停止し、そして階段を下る音へと変わった。


 お客さんだ――悠々夏は急いでフードを被った。

 背筋を正し、両手をテーブルの上で組んだ。ふわっと、入り口のカーテンが揺れた。


「ガーネット・パレスへようこそ」


 カーテンの隙間から、男の顔がチラっと覗いている。スーツ姿だ。サラリーマンっぽい。


「おかけください」


 悠々夏が右手を差し出して座るように促すと、男は恐る恐るといった感じで座った。まだ若い、20代中ごろの男性である。髪は、少し長めで七三分けにしている。細い眼をきょろきょろさせて少し不安そうである。疲れているのか、目の下に隈をつくっている。

 若いお兄さんでも、占いに来るんだな。


「今日はどういったご用件で?」

「はい、あの……」


 男性は、少し躊躇するように間を置き、そして語り出した。


「悪霊が憑いていないか、見て欲しいんですが」

「あ、悪霊?」

「はい、実は先週の土曜日に、会社の同僚達と肝試しみたいな事をしたんです。僕の車で、4人で山奥まで行って……あ、同僚っていっても男だけですよ、そんなやましい感じではないです」


 女が居ようが居まいが、そんなことどうでもいいし。で、どうしたの?


「それで、行ったんですよ。心霊スポットで有名な、桐谷トンネルに。ご存知ないですか?」


 名前だけは知っている。心霊スポットのまとめサイトで見た。


「そこで、見ちゃったんです、僕……」


 そう言った所で、恐ろしい何かを思い出したように、男性は顔を曇らせて沈んだ。男性の背後に、黒いオーラが見えるようだ。


「全く人通りがないところなので、トンネルの前で車を止めて、写真撮ったり、騒いでたんです。そして、トンネルの前で中を覗き込んでいた時でした。トンネルの反対側の方から、人の声が聞こえたんです。男とも女とも分からないような声が。なにか、喋っているような声だったので、反対側に僕達の様な肝試しの連中がいるんだな、くらいに思っていました。その後、トンネルを通って帰る事にしました。車に乗り、トンネルの中に入ります」


 何故、あたしは占いの館で怖い話を聞かされているのだろう。

 水晶の中に仕組まれた液晶画面を見たが、ガーネットからの反応はない。男性は話しを続ける。


「トンネルの中は、真っ暗でした。車のライトがありますが、地面しか照らしてくれなくて。で、後部座席に座ってた1人が、人影が見えたって言うんです。先ほど声が聞こえ事もあって、トンネルの中に人がいたら危ないと思い、ライトをハイビームにしたんです。そして、ハイビームにした瞬間、僕、見たんです」

「何をですか?」

「天井一面にびっしりとついた、血痕を。確かに、僕は見たんです。信じてくれますか?」

「え、ええ……」

「そして、天井の血痕が見えた次の瞬間、ライトがパッと、消えました。一気に真っ暗闇です。僕はびっくりして車を止めました。そして突然、後ろからぎゃあああああという叫び声がしました。それは、後部座席に座ってる田中の声でした。僕はまた驚いて後ろを振り向きましたが、真っ暗なので何も見えません。田中は1人で、来るな、とかやめろ、とか叫んでいます。田中が暴れているのか、車がガタガタ揺れていました。田中の尋常じゃない叫び声に、これは冗談でやっているんじゃないとすぐに分かりました。僕達がおろおろしている間にも、田中は叫び続け、ガタガタ揺れています。もうどうにも怖くなって、車はライトや電飾関係は全部消えてましたがエンジンは動いていたので、ライトがついてない状態で車を前進させて、何とかトンネルを抜ける事が出来ました。不思議と、トンネルを出ると同時にライトがつきました。そして車を止め、後部座席を見ると、田中は白目をむいて気を失っていました。それは、僕達の知っている田中の顔ではありませんでした。その後救急車を呼んで、田中を運んで行ってもらいました。田中はまだ入院していますが、意識は戻っていません。田中と共に後部座席に座っていた佐々木は、ただガタガタと震えていて放心状態で、あの後から何も話さなくなりました。その後警察も来る事態になって、大変でした。警察には、もうこのトンネルには近づくなと言われました」


 ホンマもんじゃないか、これは。

 ちょっと怖いぞ、腕の肌がぞわぞわする。

 悠々夏は両腕を組んでさすった。水晶の中に液晶を確認するが、ガーネットの言葉はない。


「その後なんですが、とりあえず田中以外の3人は会社に出勤しています。ですが、あの日から、どうもおかしくて」


「おかしい、とは?」

 悠々夏は恐る恐る聞いた。


「まず、毎晩夢を見るんです。あの桐谷トンネルを1人で歩いてる夢です。お化けが出る、とかはないのですが、ただひたすらトンネルの中を歩いています。トンネルを通り抜ける事はなく、大体、中間くらいまで歩いた所で目が覚めます。特別怖い夢、という訳じゃないんですが、滅茶苦茶寝覚めが悪いんです。あと、仕事でありえないトラブルが連発したり、電車の遅延で約束の時間に遅れたり、毎朝必ず鳥ふんを落とされるわで、とにかくあの日からトラブル続きなんです……」


 悠々夏は悟った。

 この人、完全に憑かれている。

 どうしようか思案していると、水晶の中の液晶が光り、文字を表示した。後ろで話しを聞いていたガーネットの言葉だ。



 『幽霊関係は、畑違い。テキトーに除霊するふりをして追い出せ。料金5千円』



 金取るんかい。これって詐欺っていうんじゃ……しかし、悠々夏も恐怖体験を聞いて怖くなっていたし、この明らかに呪われている男性と早く離れたかったので、悠々夏はガーネットの指示に従う事にした。


「あなたの後ろに、女性の霊が見えます」

「やっぱり、そうなんですか?」


 悠々夏はテキトーに言った。実際は幽霊なんて見えていない。

 しかし男性は、その恐怖にあふれた細い瞳で、助けを求めるように悠々夏を見た。悠々夏は胸が痛んだ。しかし、致し方なし。悠々夏は席を立ち、両手を広げ、唱えた。


「り……、りん・ぴょう・とう・しゃ・かい・じん・れつ・ざい・ぜん!」


 悠々夏は、完全に意味を知らずに九字を切った。この、自分でも滑稽だと思われる姿でも、不思議と、恥ずかしくはなかった。場の持つ雰囲気って凄い。そして、この目の前にいる呪われた男性も、完全に悠々夏の芝居を信じ切っていた。


「はっ!」


 そう叫んで、男性の頭にチョップする勢いで右手を振った。


「もう大丈夫です。これで安心して寝られるでしょう」

「あ、ありがとうございます」


 男性は、ものすごく晴れやかな表情をしていた。その笑顔が素敵なほど、悠々夏の心が痛む。

 男性は、料金の5千円を支払うと、スキップするかの様な軽やかな足取りで帰っていった。明日、除霊出来てないじゃないか、と殴り込みに来られたらどうしようと不安になった。でも、人間なんて思い込みの生き物だ。あの男性も今日は気持ちよく寝られるだろう。


 今日のバイトはここまでで、その後はいつもの様に病院に行った。毎日行っているので病院を怖いと思ったことはなかったが、今日は薄暗い病院の廊下が少し怖く感じた。

 母との会話を終え、家に帰り、風呂に入りご飯を食べて、ゲームして、就寝する。

 問題は、その後起きた。






 悠々夏は、暗いトンネルの中を歩いていた。

 車1台分通るのがやっとの、細いトンネルである。

 大分古びてはいるが、規則正しく並ぶ煉瓦の外壁が美しい。

 天井には、その機能を失った照明灯が付いている。錆びついていて、とても古いものに見える。

 出口の方を見ると、赤い光が漏れている。赤い光に誘われる様に進んで行くと、じゃりっと、足に何かが当たった。拾い上げてみると、それは、黄色い腕時計だった。カジュアルな印象のこの腕時計は、子供用の物に見える。


 夢は、そこで覚めた。   





 カーテンから朝日が差し込む部屋で、悠々夏は汗びっしょりで目覚めた。


 これは、ヤバい。


 悠々夏には、なんとなく分かった。


 これは普通の夢ではない。


 上半身を起こすと、右手で何かを握っていた。



 それは、黄色い腕時計だった。



 朝から、血の気が引いた。

 ただでさえ低血圧なのに、足の先から血液が全部流れ出してしまった気がした。




 ガーネットに相談しよう。

 朝食を食べ、身支度をして、黄色い腕時計を鞄に突っ込み、玄関を出た。


「いってきます」


 ――べちゃ。頭に、真っ白な鳥ふんが直撃。


「ぎゃあああああああああああ」

「ゆゆ、どうした?」


 娘の悲鳴を聞いた俊作が飛び出してきた。


「落ちた~」

 悠々夏は半泣きでそう言い、家の中に舞い戻ると、一気に制服を脱ぎ捨てシャワーを浴びた。


 

 鳥ふんのせいで、家を出るのが大分遅れてしまった。

 小走りで急ぎながら学校に向かっていると、突然飛び出して来た地面のマンホールの蓋に躓き、間一髪のところで落ちずには済んだが、危うく今度は下水まみれになりそうになった。 


 あぶねぇ……。


 マンホールの穴の横でうずくまっていると、次の瞬間、気配を感じた。

 悠々夏は、考えるよりも先に身体が動いていた。

 後ろにさっと跳躍すると、目の前に鳥ふんが勢いよく落下してきた。


 ふっ、2度は同じ手は食わないわよ。


 そのまま、悠々夏は後ろにあった排水溝に勢いよく背中から突っ込んだ。



 なんて今日はツイてる日なの。 








「おい、更埴、遅行ギリギリだぞ」

「すみません……」


 教室に着いた頃には、朝礼が始まろうとしていた。

 普通に登校してきただけのなに、悠々夏はジャングルを身ひとつで切り抜けてきたような様相になっていた。席に着くと、そのまま机にへたれこんだ。




 あかん、これは完全に、憑いてる。

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