住宅街の公園・2


「高校生、だったんですね。ビックリです」

「えぇ、見習いのようなもので……」


 外に、あの派手な紫のローブを着ていくわけにはいかず、いつもの制服姿で女性と共に、ある住宅街に向かった。電車に乗って2駅の所である。悠々夏達が電車を降りるとそこはすぐに住宅街だった。悠々夏の分の電車賃は、女性が出してくれた。こんな優しくていい人なのに、なんでよりによってガーネット・パレスに来てしまったんだろうと、悠々夏はこの女性を憐れんだ。少しでも力になってあげたいと思った。


 とりあえず、お姉さんが小さい頃に行ったとされる公園を探してあげよう。



 住宅街は、何の変哲もない、本当にどこでもある住宅街だった。ベッドタウン故に何もない場所で、敢えて訪れる事もなく、悠々夏はこの駅で下車するのは初めてだった。

 北の方が小高い丘になっており、そこまで延々と四角い家々が規則正しく並んでいる。この屋根の数だけ、それぞれの生活がある。悠々夏は少し眩暈を覚えた。


「公園は、丘の方だったと思うんです」


 子供の記憶ほど、鮮明であり、またそれでいて曖昧なものはない。しかし、ここは女性の記憶を頼るしかなかった。

 2人は小高い丘を目指して歩き出した。しかし、眼下の住宅街を見渡せる、大きなお屋敷がある場所まで上っても、公園は見つからなかった。


 今度は、2手に分かれて探す事にした。LINEを交換して、別行動に移った。丘から下って行き、また違う道から上る。どこまでも続く、何の面白味もない景色。しかし、子供にとっては、それが、特別な景色に映るのかもしれない。



 悠々夏は立ち止まり、鞄から水筒を取り出し、お茶を飲んだ。


 しかし、人がいない住宅街だな。


 さっき駅から上り始めて以来、村人を見てないぞ。悠々夏がそう訝しがっていると、悠々夏の背後を、自転車に乗った女の子が通り過ぎた。気がした。振り向くと、誰もいなかった。しかし、気づいた。何か変だ。ここはまるで、わたしがよく見る夢の中の世界に似ている。夕焼けの黄昏、とは少し違う、全体的に黄色がかった街並み。まるで、悠々夏の瞳に黄色いフィルターが貼られているようだった。明らかに異様、でも、不思議と不安はなかった。悠々夏は、また歩き始めた。丘の頂上に、とても大きな赤い鳥居が見える。


 暫く歩くと、目の前に、小さな公園が現れた。

 そこは、家と家との隙間にある小さな公園で、ジャングルジム、滑り台、ブランコと小ぶりな遊具が並ぶ。そして、公園の中央に、丸いコンクリートの枠に囲まれた、小さな砂場があった。そこには、6、7歳くらいの女の子が2人、砂場にしゃがみ込んで遊んでいた。中央に砂の山があり、その可愛らしい山の麓に、池だろうか、浅く掘られた窪みの中に水色のビー玉が敷き詰められている。それを見て、悠々夏は微笑んだ、と、同時に思った。


 ここは、あの依頼者のお姉さんの夢の中だ。


 悠々夏は、なぜか公園には入っちゃいけない気がして、公園の入り口でその光景を眺めていた。入り口のそばには、ピンク色の子供用の自転車が置いてあった。

 子供たち2人は、夢中になってお山にトンネルを掘っていた。お互いに片方からトンネルを掘り進める。小さな手で、拙い指先で、ゆっくりと、確実に、砂を掘り進める。そして、2人の手が触れた。一方の女の子が笑い、そしてもう一方の女の子も微笑んだ。


 しばらくして、ひとりの女の子が悠々夏の方に歩いて来た。


「お姉ちゃん、ありがとう」


 そう言って、女の子はポケットから1つの水色のビー玉を取り出し、悠々夏に差し出した。


「くれるの?」


 悠々夏がそう言うと、女の子はひまわりの様な笑顔を見せて、うん、と微笑んだ。悠々夏は素直に受け取った。


「ありがとうね」


 悠々夏にビー玉を渡すと、女の子はピンクの自転車に跨って漕ぎ出した。悠々夏が女の子を追うように後ろを振り向くと、そこは、日が沈み、少し薄暗くなり始めた住宅街があった。目の前の横断歩道を、犬を散歩させているおばちゃんが横ぎった。

 その時、悠々夏のスマホが鳴った。依頼者のお姉さんからのLINEだった。




 悠々夏が駅前に着くと、お姉さんが先に待っていた。悠々夏を見つけたお姉さんは、とても穏やかそうな笑顔で微笑んだ。


「最初、女子高生って分かった時は少し不安に思ったけど、やっぱり本物なんですね」

「え?」

「ありがとうございました」

 そう言って、お姉さんは丁寧にお辞儀した。


「そんな、あたしはなにも……」


 悠々夏には、お姉さんになにが起こったのか分からなかった。でも、お姉さんはとてもすっきりした表情をしている。


「お代は、いかほどでしょうか?」

「え?」

「占いの料金ですよ」


 料金――それについては、ガーネットからは何も聞いていなかった。悠々夏の時と同じように12億円請求すればいいのだろうか。いやいや、金持ちのいやらしそうなおっさんならともかく、こんないたいけなお姉さんにそんな詐欺を働く事は出来ない。

 悠々夏は雑念を払うように首を左右にぶんぶんと振った。そして頭の回転が落ち着く前に口が動いてしまい、


「そんな、わたし何もしていないので、お代はけっこうです」


 と言い、言うと同時に顔面蒼白になる悠々夏。お代をもらわなかったら、今日1日の働きが無駄になり、12億円返済も遠のく。しかし、もう口に出して言ってしまったあとで発言を撤回するなど野暮なことは気が引ける――貴重な高校生活の放課後を無駄にしてしまった。悠々夏は頭の中でひどく落胆した。顔には出さなかったが。

 しかし悠々夏の発言を聞いたお姉さんは、「そんな訳にはいきません」と言って、財布から1万円札を取り出して、悠々夏に差し出した。悠々夏の目の前で、ピシッと綺麗な長方形を保っている紙片の中で福沢諭吉が微笑んでいた。


「そんな、こんなに頂けません」

「これでは足りませんか?」

「いえ、十分すぎると言うか……」

「なら、受け取ってください」


 そう言って、お姉さんは悠々夏の手を両手で包み込むように1万円札を手渡した。


「ありがとう、助かりました。明日からまた頑張れそう」


 そう言って、お姉さんは微笑んだ。素敵な笑顔だった。わたしが大人になっても、あんな風に笑えるのだろうか。




 お姉さんは、ここから歩いて帰ると言い、駅前で別れた。悠々夏は、住宅街の中に消えていくお姉さんの後ろ姿をずっと見送っていた。やっぱ、なんとなく、似てる。


 お姉さんを見送ると、駅に入り、改札口でICカードをかざそうとして、立ち止まった。改札口から離れ、鞄から財布を取り出した。財布の中には、切符が入っていた。お姉さんが行きに買ってくれた、往復切符だった。


「ホント、律儀な人だなぁ」


 悠々夏は、押し寄せる人の流れに身を任せ、電車に乗った。

 車窓の窓から、住宅街の中にポツンと佇む小さな公園が見えた。もう辺りは暗くなっており、公園で遊んでいる子供はいなかった。代わりに、公園のベンチで寄り添う高校生のカップルの後ろ姿が見えた。あたしが必死に労働してる間にイチャコラしやがって、この平和ボケリア充どもが。悠々夏は、カップルに向かって破局の念を電車の窓越しに送った。



 


 地元の駅で降りると、ガーネット・パレスに向かった。


 ガーネット・パレスが入っているビルの前まで来ると、金髪のロン毛、スーツをチャラそうに着崩している、見るからにホストな若い男性が立っていた。この人も相談に来たのだろうか。最近客がつかない、とか。

 でも、高身長にくっきり二重の魅力的で特徴的な瞳、どっちかっていうとやり手のホストって感じだ。まぁ、うちのインチキ占いとは関係ないだろう。悠々夏はこの若い男性を勝手にホストと決めつけ、あれこれと妄想していた。


 そんな事を考えながら悠々夏がビルに入ろうとすると、そのホスト風の男性が話しかけてきた。


「女子高生が、こんなうちぶれたビルに何の用? 1人じゃ危ないよ」


 悠々夏は男性を睨むと、スルーして階段を下りて行った。あんなチャラい男は、信用ならない。

 ズカズカと歩きながら揺れる長い黒髪を見て、男性はニヤリと笑った。




 カーテンを開けると、占い部屋には誰もいなかった。

 何やら、奥の方からガヤガヤ声が聞こえる。悠々夏は更に奥のカーテンを開けると、控室で、ガーネットが煎餅を頬張りながらテレビでバラエティー番組を見ていた。


「し、仕事しろよ……」

「あらま、おかえり」


 ガーネットはテレビを消して、悠々夏に向かい合った。口元には煎餅の欠片がついていた。


「それで、どうだった?」

「はい」


 悠々夏は、お姉さんから代金として受け取った1万円をそのまま差し出した。ガーネットは、目を細めてその1万円札を見た。


「ふん、そんなんで12億返せると思ってるのかい」


 悠々夏は愕然とした。やはりこの女は、わたしに詐欺を働けと言っているのか。



「他に、持ってきたものがあるだろう」


 他に持ってきたもの……? 


 暫く考え、ふと、胸ポケットに手を入れると、小さな球体が指先に当たった。取り出して見ると、それは、水色に輝くビー玉だった。


「あ、あの時の」


 公園で女子がくれたものだった。

 とても綺麗なビー玉だ。しかし、今はこれを眺めている場合ではない。悠々夏がまたポケットにしまおうとした時、ひょいとガーネットがそれを掴んで奪っていった。


「あ、それは……」

「これだよ、私が欲しかったのは」

「え、そのビー玉ですか?」

「そうそう、これはなかなか良いものだね、まぁ、1200万ってところかしら」

「はぁ」


 何言ってるんだこのおばさんは。あたしはそんなくだらない冗談聞きたくないよ。ビー玉がそんなにする訳ないじゃないか。


「やっぱあんた、流石だね」

「もう、ふざけないでくださいよ。ビー玉が1200万円で売れるなら、いくらでもかき集めてきますよ」

「あんた、これをそこらへんのビー玉と同じだと思ってるのかい?」


 悠々夏は、少し不審な目でこの熟女を見た。


「違うんですか?」

「あんた、これをどこで手に入れてきた?」

「どこって、公園だけど……夢の中で、女子のから……」


 言葉にするにしたがって、悠々夏の中で疑問が沸々と湧いてきた。その疑問は、心を満杯に満たすくらいに膨らんだ。



 わたしは、これを手に入れたんだろう――



 茫然とする悠々夏を見て、ガーネットは笑った。


「わかったかい、これは普通のビー玉なんかじゃないんだ。その筋の変態な金持ちには、とても高値で売れるんだ。これはまだ安いもんさ。名画のような価格がつくものだってある」

「なんだか、よくわかりません」


 にわかには信じられない話だ。公園での出来事も、そこで手に入れたビー玉が途方もない金額がつくということも。頭がボーっとしてきた。


「やっぱり私が見込んだだけはあるね、あんたは良い働きをしてくれた。今日は疲れたろう。もう帰りな」

「はぁ、そうします」


 そう言って帰ろうとした所で、1万円札の事を思い出した。


「あ、そういえばこれ――」

「そんなはした金いるかい、それはあんたが取っておきな」

「え、でも1万円なんて」

「これから、今日の様に現場に出ないといけない時もあるだろうし、その時の活動費の為にとっておきな。あと、余ったお金で美味いものでも食いな」


 ガーネットの言葉に、親戚のおばちゃんのような暖かみを感じた。



「ありがとうございます」


 悠々夏は素直に頭を下げた。


「ふん、明日もサボるんじゃないよ」

「はぁい。では失礼します」


 悠々夏が部屋から出て行き、カーテンがさらっと閉じられた。

 ガーネットは大事そうにビー玉を金庫にしまうと、帳簿に何らや記入した。嬉しそうに鼻歌を歌ってた。





 悠々夏は、その足で病院に向かった。

 5階まで上り、いちばん角の部屋に入る。いつものように、母、菜々子は深い眠りについていた。


「ただいま、お母さん。ジャン!」


 そう言って、悠々夏は誇らしげに1万円札を両手で開いて見せた。


「わたしが初めて稼いだ? 実は何もしてなくてもらってもいいのかなって気はするんだけど……。とにかく、わたしの初給料だよ。これで、わたしが奢るから、美味しいもの食べに行こうね」


 母の反応はない。

 でも、悠々夏には母が笑っているような気がした。


「そうそう、今日の仕事はねぇ――」


 今日の母との会話は、いつもよりも長くなった。

 

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