ガーネット・パレスへようこそ・2





「なんかごめんね、私が余計な事したせいで」と言って奈知はスタバで奢ってくれた。奈知の怒りは収まり、逆にその反動で沈んでいた。「奈知のせいじゃないし」と言っても、奈知は申訳なさそうにドリップコーヒーをすすっている。窓ガラスから差し込む夕日の光が薄れ、段々と月と星の世界がやってこようとしていた。




「よくコーヒー飲めるよね、おとな~」

「あんたこそ、いつも抹茶で渋いじゃない。おばあちゃんか」


 悠々夏は、組んだ両腕に顔を乗せて外を行きかう人の流れをぼーっと眺めていた。悠々夏と同じ学生達と、スーツ姿のサラリーマン達。その中に、横山の顔がないかと探してしまう。


 あっ、と言って悠々夏はスマホを取り出し時間を確認した。

「どうした、用事? 」

 奈知がカップを両手で持ちながら聞いた。

「病院行かなきゃ」

「そっか」



 スタバを出て、駅前で別れた。


「じゃあまた明日ね」

「うん、じゃね」


 奈知はひらひらと腕を振って商店街の方に消えていった。





 駅から10分ほど歩くと、病院があった。昔からあり、少し古ぼけている感じはするが、大きな病院である。沢山の窓が並ぶ白い壁が、少しくすんでいる。悠々夏が、ほぼ毎日訪れている病院である。



 エレベーターで5階に上がり、ナースステーションの看護師さんに挨拶する。「あら、今日は少し遅いわね。デート?」と年配の女性看護師さんが話しかけてきた。デートという言葉が少しハートにチクっときた。ナースステーションを過ぎ、廊下を真っすぐ進み、突き当たった壁際の病室の前に立った。部屋の名札には更埴菜々子と書かれてある。



 扉をスライドさせ、部屋に入る。中は暗かった。窓の、カーテンの隙間から漏れる月明りで、かろうじて位置が把握できる。部屋は個室になっており、ベッドが1つだけ置かれている。悠々夏は慣れた足取りでベッドの枕元に置かれている電気のスイッチを押した。ささやかな灯りが、菜々子の顔を映し出した。静かに眠っている。



「こんばんは、お母さん」



 悠々夏はそう言うと、ベッドの横に置いてある椅子に座った。そして眠る母に語り始めた。

「今日、授業中に寝ちゃってさ――」




 悠々夏の母、菜々子は、10年間、眠ったままだった。原因はわからない。ただ、目を覚まさない。悠々夏は、ずっと眠ったままだと思い出も何もなく可哀想だ、と言って、小学生の頃からずっと、今日1日あった事を母親に語り聞かせた。楽しかったことや、悲しかったこと。嬉しかったことや、悔しかったこと。なんでも話した。時には嬉しそうに手をひらひらさせて、時には涙ぐみながら。修学旅行などで病院に行けない時は、帰ってきたら真っ先に病院に出かけていって半日ずっと話し続けた。それが、現在、唯一の母親とのコミュニケーションだった。



 奈知がスタバを奢ってくれた話しをしたところで、ふと時計を見ると、19時を過ぎていた。

「ヤバい、もう帰らないとお父さんに怒られちゃ。じゃあね」

 そう言って立ち上がり、電気を消した。病室を出るところで、振り返った。外の廊下の灯りで、母の寝顔が見えた。



「また明日ね」





 病院を出て、駅前の商店街を抜けていくのがいつもの帰るルートだ。しかし、この日は少し違った。商店街の真ん中で、何やら人だかりが出来ている。度々怒号が聞こえる。ふと見ると、近くに知り合いのおばちゃんがいたので訪ねてみた。



「なにかあったんですか? 」

「それがさ、和食屋の和久さんと中華料理屋のリーさんが喧嘩を始めてさ」



 2人のお店は、この商店街でも人気のお店だった。商店街の通路を挟んで、真正面に2つのお店はあった。和食と中華料理、ジャンルが全然違うのでいいじゃないか、と思うのだけど、和久さんとリーさんはお互いにライバル視しており、こうしてたまたま喧嘩することがあった。ただ、この2人が、たまに仲良く飲んでいるところも目撃されており、仲が良いのか悪いのかよく分からない。



 人だかりの隅を抜けて帰れば通り抜けられたのだけど、この日はどうにも気分が乗らず、脇道を入って裏路地を抜ける事にした。



「ったく、いいおっさん達がつまんない喧嘩してんじゃないよ」



 裏路地は、こじんまりとした居酒屋が数件ならんでいた。商店街の通路よりも薄暗く、心細かった。変態が現れたらどうしよう、と思い、鞄をギュッと抱えた。



 細い裏路地を抜けると、少し広い道に出た。商店街と並行して走る道路だ。商店街に比べると人通りは少なく、閑散としている。少しほっとして、家の方に歩き出した。歩道を歩いていると、道路を挟んだ反対側に、古びたビルがあり、そのビルの1階に、


『占い館・ガーネット・パレス』


 と書かれてある紫色の看板が目に入った。あやしい。実に胡散臭い。しかし、この日は心が疲れていたのだろう。どうしても気になり、車が通っていない道路を横切ると、その耐震性が気になるビルに足を踏み入れた。ガラスの扉を開くと地下へ続く階段があり、手書きの案内板は占い館がその地下の先にある事を示していた。




 恐る恐る階段を下る。


 階段の先には扉があるが、その扉は空きっぱなしになっていた。代わりに、どこの国で買ってきたのか、派手な装飾の、紫色のカーテンが取り付けられていた。やっぱりあやしい……踵を返そうとしたところで、中から年配の女性の声がした。


「ようこそ、ガーネット・パレスへ」


 ダメだ、もう帰れない。悠々夏は諦めてカーテンをよけて中に入った。中は人2人が入ると一杯、というような非常に狭い空間があった。木の椅子があり、赤いテーブルクロスが敷いてある机には大きな透明の水晶が置かれている。その奥には、紫のローブを頭から被った女性が座っている。フードで顔は良く見えない。肩から金髪の長い髪が垂れている。


「ようこそ、お嬢さん。さぁ、そこにかけなさい」


 悠々夏は言われた通りに椅子に座った。



「私はここの主人、ガーネット。今日はどういったご用件で? 」

 ガーネットはその紅が厚く塗られた唇を緩ませて言った。


「あ、あの……代金はおいくらで――」

 高校生にとって占いの代金というのは、不安になるものだった。こんな、倉庫を改良したような造りの店だが、雰囲気的に、一端の占い屋さんっぽかったからだ。


「大丈夫、お安くしときます。あなたのお悩み、当ててみせましょうか。サッカー部のイケメン君の事でしょう」

「え……」


 悠々夏は後ろにひっくり返りそうになった。このインチキそうなガーネットは、本物だ。



「さぁ、しっかり占ってあげるから、ここにサインして」


 ガーネットは、何やら文字が沢山書かれた書類を差し出した。悠々夏は素直に名前を書いた。


「あと、捺印ね」

 ガーネットが朱肉を取り出したので、悠々夏は言われるがままに親指で捺印した。ガーネットはティッシュを1枚くれた。




「よし。じゃあ、教えましょう。あのプレイボーイは、今日見たミニスカ以外にも他に5人ガールフレンドがいるヤリチンです。24歳で彼女を妊娠させて結婚するまではずっとその調子でしょう。付き合っても都合のいい女になるだけ。彼はやめといた方が賢明ね。以上」




 悠々夏は口を開けたまま何も言えなかった。ショックだけど、当たってそう。本物かも。そう思った時、ふと、病院で眠る母の事が頭をよぎった。この人なら、母の事も何かわかるかも知れない。料金なら、多少はしょうがない。聞いてみよう。


「あの!」

「はい、12億」

「え? 」


 ガーネットは、悠々夏よりも幾分か水分が足りなさそうな手の平を差し出して言った。

「占い料、12億円」

「あ、はい。ははは」


 そうか、1200円ということか。昭和の八百屋さんみたいな冗談言うひとだな、そう思い財布から1200円取り出した。


「足りませんが」

「え……」


 まさか、1万2000円?


「あと11億9999万8800円足りませんが」



 な、なんですと? 本気で言っているのか? 悪質なボッタクリバーでもこんな馬鹿げた請求はしないだろう。


「な、なにかの冗談ですよね? 」

「冗談なもんですか。あなた、納得した上で占い受けたじゃない」

「納得なんかしてません」

「これ」


 ガーネットは、先ほど悠々夏が署名、捺印した書類を差し出した。その書類を良く見ると、占い料金に12億支払う事が記載されていた。




 は、はめられた――




 悠々夏は席を立ち、逃げようとした。しかし。ガーネットがそれを制した。

「逃げても無駄よ。わかってるでしょう、私は占いでなんでもわかる」




 悠々夏は諦めて席に着いて、肩を落とした。

「でも、12億なんてお金、わたしは払えません」



 再び、ガーネットの口元がニヤリと笑った。


「仕方ないわね。それでは、ここで働いて返してもらうとしますか」

「え、この占い館で、ですか?」

「そう」

「でも、あたし占いなんて出来ないし、それにバイトの身で12億なんてお金、一生かかっても返せません」

「大丈夫よ、ここは客単価高いから。それに、あなたにもすぐ出来る仕事です。むしろ、あなたにしか出来ない仕事」



「はっ……」



 まさか、ここは占い館と見せかけた、売春斡旋所? 女子高生マニアの金持ちのおっさん共の相手をさせられるのだろうか。悠々夏は顔面蒼白になり身震いした。その考えを読んだのか、ガーネットは笑った。



「ハハハ、馬鹿ね。あなたはただ、ここを訪れる人の話しを聞いていればいいの。ただし、しっかり聞くこと。こころからね。占いなんか、しなくてもいいのよ」



「でも、それで12億なんて」

「払えるのよ。あなたの知らない世界はあるの。じゃあ、これを」



 ガーネットは、紫のローブを脱いだ。この時、初めてガーネットの顔を見た。ガーネットは、金髪ではあるものの、50代くらいの純日本人のおばさんだった。化粧が厚く、目の上が青くなっていた。ガーネットって、絶対偽名だろ……



 ガーネットは紫のローブを悠々夏の制服の上から被せた。派手なローブの隙間から、制服の赤いリボンが覗いている。



「占い館・ガーネット・パレスへようこそ」



 ガーネットは、厚くファウンデーションが塗られた頬を緩ませて笑った。悠々夏の顔は、ひきつっていた。これからあたし、どうなっちゃうんだろう……






「ただいまぁ」

「おかえり、遅かったじゃないか」

 スーツにエプロン姿で悠々夏を迎えてくれたのは、悠々夏の父、更埴俊作だった。オールバックに丸眼鏡をかけている。こんな優しそうな表情をした父親だが、有名企業の部長さんだそうだ。悠々夏をひとりにさせない為に、激務の中毎日定時で帰ってきてくれている。信頼できる優秀な部下のおかげだ、感謝だよ、と常に言っている。悠々夏がグレずにまっすぐ育っているのはこの父親のおかげだろうと、悠々夏自身がそう思っている。


「ごめん、奈知と話し込んじゃって」

「そうか、また奈知ちゃんも家に連れておいでよ」

「そうだね、奈知に言っとく」


 鞄を床に放り出して、ソファにどっと座った。お父さんには言えないな。12億の事。悠々夏は、あの狭い占いの館と、紫のローブを思い浮かべた。







 深夜、寝静まった病院。更埴菜々子が眠る真っ暗な病室で、ガーネットは部屋の片隅に立ち、月明りに照らされる菜々子の顔をじっと眺めていた。

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