ハニー・ゴー・ラウンド〜HONEY GO ROUND〜

竜宮世奈

第1話 ガーネット・パレスへようこそ

 




 わたしは、青いプラスチック製のベンチに座っている。目の前には、メリーゴーランド。きらびやかな屋根の下に、馬や馬車が並んでいる。誰も乗っておらず、ゲストを待ちわびるお馬さんはなんだか寂しそうな表情をしているように見える。あたしは立ち上がり、辺りを見回す。黄昏時なのだろうか、黄金色に染まったジェットコースターや空中ブランコなどの遊具が見える。遊具はどれも動いておらず、人っ子1人見当たらない。物音は全くしないが、静かだという感じはしない。不思議と、心細くない。

 どれに乗ろう、ふらふらと歩きながら遊具を見ていると、一番奥に、ひときわ大きく目立つ観覧車が目に入った。中心に赤いサークルがあり、そこから鉄筋が伸びていて太陽の様なデザインになっている。鉄筋の先には赤、青、緑、黄色、と様々な色のゴンドラがぶら下がっている。ゴンドラは円柱状になっており、上半分が透明でそこから360度景色が見渡せるという構造だ。なんだか、とても魅力的。吸い寄せられるように、わたしは観覧車に向かって歩いていく。段々と近づくにつれて視界を埋めていく観覧車。乗り場の階段を上り、小さな操作室を越えると、目の前に黄色いゴンドラが止まっている。わたしは、ゴンドラの扉に手をかける――











 ゆゆか……



 ゆゆか……





「悠々夏、寝すぎ」


「ふぁっ……? 」


 目を覚ますと、そこは教室だった。

「あんた、あんまり寝てるとヤッシーに目付けられるよ」

 後ろから身体を揺すって起こしてくれたのは、熊井奈知。幼い頃からの親友である。



「おい、更埴。この問題解いてみろ」

 教壇の方から、低く鋭い声が悠々夏を指名した。

「ほら来た。知らね」

 奈知は伸ばしていた手を引いて上半身を起こした。数学の教師、ヤッシーの眼鏡の奥の鋭い瞳が悠々夏を睨んでいる。


「は、はい」


 ガタっ、と音を立てて席を立つ。シャーペンが床に落ちた。

「あの、えーと……」


 寝ててなんも聞いてなかったから答えられる訳ないよ……


「更埴」

「あ、はい、えっと、わかりま……」

「よだれ、拭け」

 手の甲で口元を拭うと、一筋のよだれが口の端から顎に流れ、そのまま机の上のノートに水たまりを作っていた。ラクガキで描いたうさぎさんの顔がふやけていた。


「あ、はいすみません……」


 教室内にどっと笑いが起きた。悠々夏は顔を赤らめて、席についた。教室に、爽やかな春の風が吹き抜けた。









「ちょっと、奈知、もっと早く起こしてよね」

「かなり起こしてたって」

 更埴悠々夏こうしょくゆゆか。8月8日生まれ。16歳。高校生。さらさらした黒髪を腰のあたりまで伸ばし、目にかかる前髪をピンで止めている。二重の、大きくぱっちりしたつり目は、少し強気な印象を与える。身長は156センチ、やせ形。どこにでもいる普通の女子高生だし、本人もそう思っていた。多少の家庭の事情はあるにしても、見まごう事なき普通の女子高生だろう。今だって、好きな男子をチラ見して帰ろうと、こうしてわざとグラウンドを横切って帰るところだ。悠々夏お目当ての男子は、サッカー部の横山君である。


「あ、いたいた」


 奈知がグラウンドで部活に勤しむ横山を指さした。短髪でイケメン、活発でしゃべりも面白い横山は、女子から人気があった。悠々夏も、そんな横山に恋心を抱く女子の中の1人だった。いつも、横山がドリブルする姿を眺め、胸をきゅんきゅんさせ、その爽やかさに癒され、そして帰路に着くのだった。今日もそうして帰ろうとしていた。しかし、今日は違った。


「悠々夏、横山が部活終わるまで待とうぜ」

 奈知は、そのチャームポイントである八重歯を見せて笑った。

「え、あ、うん」

 悠々夏と奈知は、校門の前で座り込んで横山が部活を終えるのを待った。







「あんた、そんなゲームばっかやって飽きないの? 」

 奈知はあくびをしながら言った。

「全然」

 悠々夏はスマホの画面から視線を離さずに答えた。

「あんたのレベルの上がりよう、引くよ」

「別に課金してるわけじゃないしいいでしょ」

「せっかくのJKが、ゲームばっかりやってていいのかって言ってんのよ」

「もう、そのJKライフを謳歌する為に、こうしてゲームしながら辛抱強く待ってるんでしょ」


 ゲームの行動ポイントが尽き、悠々夏はゲームのアプリを閉じた。

「奈知は、彼氏作らないの? 可愛いのにさ」

 小さな顔に大きな瞳、長いまつ毛、すーっとした綺麗な鼻梁にアクセントとなる八重歯、ショートカットの髪型が良く似合っている。確かに可愛らしい少女だった。

「あたしは、他にやりたい事沢山あるから」

「ピアノとか? 」

「そうそう、それに親が勉強しろってうるさいしさ」

 そう言った途端、奈知はばっと腕を上げて人差指をのばした。


「来た!横山」



 現れたのは、スポーツバッグを肩に抱える部活終わりの横山だった。友人と2人で歩いてきた。


「ほら、いけ」

 奈知に文字通り背中を押されて、横山の前に飛び出した悠々夏。なんだこいつ、という目で横山は悠々夏を見ている。恥ずかしい、しかし、ここまで来たらもう引き下がれない。何も言わずに引き下がったら更に変な奴に思われてしまう。そうだ、とりあえずお疲れさまだけでも言おう。うん、そうしよう。そして出来たらLINEを教えてもらおう。


「なに? 」


 横山はいよいよ怪訝そうな表情になってきた。悠々夏は拳を握りしめ、渾身の一声を放った。


「あ、あの――」

「たけし!」


 その時、甲高い声が悠々夏の決意を割くように割り込んできた。その声は、ギロチンのように悠々夏の心を真っ二つにした。


「部活終わったの? 帰ろ」


 現れたのは、悠々夏の知らない女子生徒である。やたらスカートが短い。普通にしているだけでパンツが見えそうだ。なんだその短さは。お前はワカメちゃんか。校則違反だぞ。

 女子生徒は造作もなく横山の腕に絡みつき、彼をさらっていった。悠々夏は決意の拳を握ったまま、仲良さげに寄り添う2人の後ろ姿を見送っていた。そして、少し離れた後、横山と腕を組んでいる女子生徒が、振り返って、悠々夏を見てニヤッと笑った。まるで、縄張り争いに勝利した豹のように。悠々夏は茫然として立ちつくしてしまった。



「なによあいつ!」


 後ろで見ていた奈知は憤慨していた。いつもクールな彼女にしては珍しかった。しかし悠々夏は、怒りよりも失望の方が大きかった。





 彼女、いたんだ……。






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